2008年7月26日土曜日

世界一周 in (9)中国/BORDER







DATE:2008/07/26 China - Eren -


昨日調べておいた中国とモンゴルの国境、
二連行きのバスに朝から乗り込み中国最後の一日が始まる。

今日、国境を越えることも出来るのだが、
なぜか10日間しか取れなかったモンゴルビザの関係もあり
今日は一日、二連の町に宿泊することにする。


朝、出発する前に一人のオランダ人男性と一緒になる。
なにやら国境に行きたいが行き方がわからなかったらしく、
同じ行き先なのでバスを教えてあげたことがきっかけで仲良くなる。


聞いてみて驚いた。


122カ国の男だったのである、この男。


なんと20年間も旅を続けており、
訪れた国は122カ国。次のモンゴルで123カ国目だそうだ。

30前半だと思っていた年齢も、既に45歳。
25歳から旅を始めて、働きながら移動を続けているそうである。


20年間の旅。


僕にはちょっと想像もつかないが、
122カ国の体験はとてつもなく貴重なものだろう。

しかし僕は少し疑問にも思う。

僕にとって旅とはインプットだ。決して何かを残すものではない。
大抵の人間は、世の中に何かを残そうと必死になっている。
僕だってその思いが無いわけではない。

彼は何かを残したい、アウトプットをしたいとは思わないのだろうか。
知ることはやはり、何か目的があって意味がある。
彼は122カ国を知ってもまだ先を求めている。
その先に何をしようと言うのだろうか。

旅に獲りつかれる。


良い悪いではない人生を彼は過ごしている。
いつか彼が自分の人生を振り返ったときに、
いったい何が見えるんだろう。

きっと僕には見えない何かが見えるに違いない。


モンゴルへの道はなかなかに面白い。
町を見ているとちらほらと中国語とモンゴル語が混じった看板が見え始める。
さらに町を少し離れるとまさにモンゴル的な草原が広がっている。

ちなみに、なぜか二連の町の近くでは恐竜のオブジェが草原に沢山置かれている。
化石の町二連をアピールしているようだ。
何もない草原の中に、恐竜が立つ姿は意外にもリアルなのだが、
誰もこの町にそれを目的で来る人はいないようで、
単なる税金の無駄遣いにしか思えない。



夕方前に国境の町、二連にたどり着く。

今日中に国境を越えることもできたのだが、
モンゴルビザの関係上、一日この二連に滞在することにする。
旅人の彼とはバスを降りたところで別れた。
123カ国目のモンゴルは彼に何を与えてくれるのだろう。
それを知りたくもあったが、別れは必ず訪れる。


ちなみにこの町の宿にもシャワーがなかった。
内モンゴル付近だとこれが普通の状態なのかもしれない。
確かに乾いたこの辺の気候は、それが不快とは感じない。

中国人は何やらタライに水を入れてそれで体を拭いたりしているようだ。
僕もそれにならって試してみる。
が、ぜんぜん足りない。
埃っぽい町を歩いたせいか、足が真っ黒。
それを洗っただけで水は真っ黒に濁ってしまった。
中国人は水を取り替えている様子もないし、
どうやって体を洗っているのだろう。不思議だ。


宿に荷物を置き、いつものように町をふらふら歩く。

国境の町というとなんとなく賑わっているイメージがあったが、
なんだか閑散とした町だ。
なぜだか知らないがいたるところで工事が行われており、
ただでさえ砂漠のような町が砂埃で覆われている。
そして誰も住みそうもないマンションがいたるところに建てられ、
さらに現在も建設は続いている。
中国政府がモンゴルとの貿易の拠点を立てようとしているのだろうか?
閑散としたこの町をみると成功しているとは思えないのだが。。


町をうろうろするのも1時間程度ですべて回り終わってしまったので、
どうせならと明日訪れる予定の国境を見に行ってみることにする。
バスで行っても良かったのだが、2キロほどだったので
そこまでの観光も兼ねて歩いて向かう。

二連の町からまっすぐに北に伸びた道路の先に国境はある。
なぜか虹のアーチの門なんかがあって、やはり変にお金がかかっている。
このまっすぐな道も例外なく再開発の真っ只中で、
歩道が掘り返され、新しい街灯が取り付けられようとしていた。
道を見ても歩道を見ても古くなった様子はなかったので、
なんとなく日本の年末の予算消化のための道路工事を思い出した。

国境までたどりつく。
そういえば国境自体をゆっくりと見学することは初めてだ。
鉄の棘が中国とモンゴルを分けて横たわっている。
何か景色が変わるわけではない。
中国側もモンゴル側も砂っぽい乾いた土地が広がっているだけだ。
ただ線だけがその土地に引かれている。

百年前は別のところに線が引かれていた。
争いによって内モンゴルと外モンゴルという、
中途半端に切り取られたモンゴル。
今ではすっかり中国人と変わらないこの二連に暮らす内モンゴル人。
彼らはこの線について思うことはあるのだろうか。



夕日はモンゴルの草原へと沈んでいった。



明日は向こう側へ居る。

2008年7月25日金曜日

世界一周 in (9)中国/雲崗石窟と土の家







DATE:2008/07/25 China - Datong -


雲崗石窟。

中国三大石窟であるそこは大同の市内からバスで30分ほどのところにある。


遠くから眺めた最初の感想は、

「なんだ龍門石窟より、ぜんぜん規模が小さいじゃん」

そしてその評価は間違いだったことに後で気づく。



木像のような極め細やかな石の彫刻。
掘り込まれた洞窟の穴の壁一面にそれが広がる。
赤や青で色づけられたその石窟は、圧倒的に美しい。


ここを見てしまうと今までの石窟が、
子供の遊びに見えてしまうほどに芸術的な彫刻が、いたるところに刻まれている。

1から始まり50近くもある石窟、
最も美しい第6、第7石窟が最初に待ち受ける。

大きいだけでなく圧倒的に美しい大仏、
仏陀の生涯を刻んだ彫刻。

長い時間眺めていたが、
それは見ていて飽きないというよりは、
圧倒されて立ち尽くしたという方が正しい。

結局、計3回。
なんども戻ってこの石窟を拝んでしまった。


その他の石窟も例外なく美しい。

石の中で天女が舞い、楽器隊が音を奏でる。
何万もの仏像が壁を埋め尽くす。
布にかかれた模様のような、精細な石の彫刻をまとう大仏。


歴史的な遺産を見ていると言うよりは美術館に来ているような気分。
見終わった後には満足感で満たされていた。


石窟からの帰り道、いつものように並んでいるお土産屋さんを眺めていると、
珍しいものが目に付いた。
毛皮のコートである。

モンゴル、そしてロシアを思わせるそれが既にこの地域で見られるようになっている。
中国の文化を離れまた別の世界へ進んできたのを感じる。



帰りのバスの途中、ふと思い立って途中で降りてみる。

実は来るときのバスの中で面白い家が立ち並ぶ地域を見つけていたのである。
どんな場所かはわからないが、とりあえずそこで降りてみることにしたのである。


土で出来たレンガを泥を塗って固めた土の家。
黄土色の壁が立ち並ぶ町。

今までの中国的な家とはまったく異なる奇妙な家々。
そう言えばこの家は大同へ来るときのバスからも見えた。
この地方特有の家なのかもしれない。

そもそも中国の都市部などは一戸建ての家を見ることが無く、
ほとんどが5階建て程度のマンションだった。

人口の過密度が良くわかる町並みだったが、
マンションが立ち並ぶそれ以前はどんな家で暮らしていたのだろう。
今はほぼ見ることが出来ない姿だが、興味深い。


レンガの家の間を抜けていくと、
沢山の煙突が家から突き出ているのがわかる。
一つ一つの家からにょきにょきっと煙突が突き出ている姿はなんだか愉快だ。
人がやっとすれ違えるほどの細い通りには人気はない。
たまに人が通るので今もまだ住んでいるのはわかるが、ひっそりとした町だ。

観光地でもなんでもない場所だったが、
この土地に暮らしている人々の暮らしを垣間見ることが出来て面白かった。



大同の町に戻り、少し町の中を歩いてみる。

古い土で出来た塀がいまもまだ残っている。
その周りをぐるりと回ってみるが今は家が建ち行き止まりになってしまっていた。
元は北京などのように東西南北に道が走る町並みだったのだろうが、
いまではメインの道路を除いては、迷路のように道が入り組むようになっている。

町の一角に先ほど見てきた、名も無い村のような建物が建つところがあった。
少しばかりスラムのような雰囲気を感じたが、
今もなお人々が暮らす生活の場所のようだ。






宿に戻り一息ついた後、昨日のサウナへ向かうことにする。

昨日は遅くなってしまったためタオルで体を拭くだけで過ごしたが、
さすがに二日間シャワーも浴びないのは気持ち悪いため、
初めての中国サウナ体験にチャレンジすることに。


受付を済ませるとまず鍵を渡される。
料金は後払い5元(約80円)のようだ。

鍵はロッカーの鍵のようで、
「男」と書かれた側の暖簾をくぐるとロッカーが並んでいる。
渡された鍵の番号のロッカーを開け、服を脱ぎ石鹸などを持っていざ風呂へ!

薄暗い風呂は以外にも広く、日本の銭湯のようだ。
壁際にシャワーがついていて、真ん中には広い風呂もある。
他にもサウナと書かれた部屋が二つほど見える。
また、端には恐らくはマッサージようか何かの寝台が置いてある。

先客は1人だけ。ゆったりと使える。
まずはシャワーを浴びて体を洗う。
きちんとお湯がでて、髪を洗い体を洗いさっぱり。

さて次はお風呂~♪

と、久々の浴槽に体を沈める。

が、ふと気づく。
ちょっと濁ってるかなぁ・・・。
しかもなんだかぬるい。
そもそも、これはいつのお湯なんだろう。変な病気とかないよね・・・。

まぁ、入ってしまったもの。諦めてゆったりすることにする。
広いお風呂で体をほぐす。久々リラックス。

と、先ほどお風呂に入っていた男性がおもむろに垢すりを始める。
垢すり師的な男性が白い手袋をして、男性をごしごししている。


え?体洗った後じゃないの?



ふと、水の濁りを思い出す。

そして垢すりが終わった男性は、
当然のように体を石鹸で洗い出したのである。



僕が何事も無かったかのように、
すばやくお風呂を出てシャワーを浴びたことは言うまでも無い。


男性の垢すりが終わった垢すり師は、
寝台の上を水で洗い流し、おもむろに背を向ける。

そしてそのまま、お風呂場の溝に向かいおしっこを始めるのであった。


・・・中国、それもあり?


プールに行った子供じゃあるまいし、そこまでするか!
と思いつつ、自分が彼らと同じフィールドに足を着けていることに気づく。

丹念に体を洗い流し、そそくさとサウナを去った。



ちなみに二つあったサウナは、
片方はゴミ箱になっており、もう一方は物置になっていたのは、
当然の結果なのかもしれない。



うーん中国恐るべし。

美しい文化遺産を持つこの国と、
この国民が同一人物とはやはりまだ信じられない。


さて、明日は中国最後の日。しばしお別れ!

2008年7月24日木曜日

世界一周 in (9)中国/さぁ、モンゴルへの道を始めよう







DATE:2008/07/24 China - Datong -


今日の予定は、
・モンゴルビザ受け取り
・北京に送った荷物の受け取り
・大同へ移動

と忙しい。


午後には大同に移動したいので、
まずは9時の受付開始めざしてモンゴル大使館へ向かう。

朝からチェックアウトして荷物預けて~とばたばたしたが、
今回は無事に早起きして時間通りにモンゴル大使館にたどり着く。

「我 想 去 蒙古大使館」

と適当な中国語でゲートを通してもらい大使館へ。
すでに何人かの人が列を作っている。

時刻は9時。
そりゃ当然のごとく、モンゴル大使館は開かないわけである。

10分後にやっと受付の窓が開けられる。


待っている間に嫌な張り紙に気づいてしまった。

「ビザ受け取り 16:00~17:00」

そんなの前来たときは書いてないし。
つーか朝も受け取れるか確認したし。ノープロブレムって言ってたし。

モンゴル大使館。なかなか手ごわい奴である。



すぐに回ってきた順番。開口一番、

「ビザを受け取りに来たんですけど」と聞いてみる。


モンゴル人というかロシアっぽいおっさんに、
思いっきり「この紙を見ろ」と指を指される。


う・・・やっぱし。今日から有効にしてるのね。。。



しかしそこで引き下がるほど、軟弱な旅は続けてない。

「午後に出発するチケットを買ってしまった(まだ買ってない)」
「前回に確認したときには、朝でも受け取れると言っていた」
「つーかその張り紙、二日前までなかったじゃん!」
「ぷりーず。へるぷみー」

と、思いつく限りの陳情をしてみるもダメ!の一点張り。
こうなったらおっさん以外を頼ろうと、
そもそも「朝でもノープロブレム」と言っていた女性スタッフに矛先を向けることに。

そこまでしてようやく観念したか、
ロシア顔のおっさんは、少しここで待てとパスポートを取りにいってくれた。

とりあえず一件落着。どーにかなるもんだ。
と言うよりも、僕の後ろに並んでいる沢山の人も同じような事情のようで
ビザの受け取り表をもったその人たちに同じ対応をし続けるのが面倒になった。
と言うほうが正解である気もするが。


10分後、しぶしぶパスポートの束を持ってきたおっさんから、
無事にビザ付のパスポートを受け取り、
これでモンゴル行きについての道は開けた。
急遽、訪問することになったものの意外とどうにかなるもんだなぁ。



さて、次は北京に送った荷物の受け取りである。

実は壊れたカメラに変わる三代目のカメラと同様、
パソコンに入りきらなくなったデータを保存するために(どんだけ撮ってんだ)
日本からポータブルハードディスクを送ってもらっていた。

北京でも買えるのだが、
故障の際に保障が効かないのと、
日本で買うよりも2倍弱する価格。なによりも、
パソコン関連商品を「メイドインチャイナ」にすることの恐怖から
日本で購入したものを送ってもらうことにしたのだ。


そんなハードディスクなのだが、
実は中国への輸出規制商品。
関税がかかるだけならまだしも、そもそも送ってはいけないもの。
ちなみに知らなかったがデジカメもそうだったらしい。

無事に届いたデジカメに味をしめて、
ハードディスクも送ってもらうことにしたのだが、
今回は郵便局で確認後に受け渡しという扱いになり、
休みのカミヨシにわざわざ付き合ってもらい郵便局にいく事になったのである。

二日酔いでふらふらのカミヨシに連れられて、
いざ郵便局。

最初、受け取りの窓口がわからず、うろうろしたが無事到着。
窓口で荷物の引渡しのお願いをする。

担当官:「荷物は何ですか?」
僕たち:「ただのフォトフレームです(送ってくれた親がそう書いたらしい)」
担当官:「そうですか。それでは、中身を確認後にお渡しします」




う。。やっぱし?



言ってしまった手前、やっぱりハードディスクなんですぅ。とも言えず、
まな板の上の鯛状態で審判の時を待つ。

隣で恐らく日本から取り寄せたであろう新品のVAIOのパソコンを、
「中古です」と白々しく言う学生を横目で見ながら、
送ってもらった荷物が現れるのをじっと待つ。


10分ほど待つとそれらしき白い包みが表れる。

どうやら、やはりそれらしく担当官から「開けろ」との指示が。
待っていた10分の間に、
「ママからのプレゼントだから知らなかったんですぅ」作戦を立てて準備万端で、
なんだかミイラのようにグルグル巻きにされた箱を開ける。
二重にも三重にも包装された包み。我が母ながらやり過ぎだ。

カッターを使い、包装を引きちぎりすると、
明らかに「ポータブルハードディスク♪」の箱が、
買った状態のまま現れる。

若干、ひきつり気味の僕ら。
箱の表示を指して、「うーん、これってハードディスクよね?」
的な会話を始める担当官たち。



そしてなぜかそのまま何事もなく、荷物は手渡されたのである。


うーん。悩んだ僕らが馬鹿だった。ここは中国なのだ。


無事に荷物も受け取り、ご飯を食べて大同へと出発。
長距離バスターミナルに向かう途中のバスが思わぬ方向に行ったりと、
小さなトラブルはあったものの無事にバスターミナルへ到着。
大同への切符を手に入れる。

これからは大同という雲崗石窟がある町を経由して、
中国側の国境の町、二連をめざす。
そこからモンゴルへと旅立っていくのだ。



4時間ほどで大同へたどり着く。

北京から大同への道はすばらしい景色が広がっている。

北京から出発すると、まずは万里の長城をくぐり外へと抜けていく。
古代の中国のボーダーを越えたわけだ。

その古い国境を越えるとひたすらに波打つ山と、
山の間に広がる渇いた草原のような世界を進んでいく。
渇いたその地形の間には砂の姿が見え隠れしていて、
これから始まる砂漠の世界への入り口という印象を与える。

中国でも他の国でも見たことが無かった景色が始まろうとしている。

その景色を見ていると4時間なんてあっという間だった。


この大同。意外なほどに宿が少ない。
大抵はバスターミナルの近くなどに数件あるためそれを利用していたが、
ここでは2件ほどしか見当たらない。

しかも両方とも確実にアヤシゲな匂いのする宿である。

仕方がないのでとりあえずそこに入ってみるも、
なんだか宿という感じがしない。

入り口でまごまごしていると、こっちへ来いと手招きする店員。

彼に連れられて、店の中まで進んでみる。



なんとそこはサウナだった。


うわさには聞いていたが中国はサウナに泊まる事もできるらしい。

初めての体験!と考えたが、
通された部屋が窓もエアコンも、扇風機さえもない蒸し風呂のような部屋。

さすがにここに泊まるのはつらいと断念する。

いやしかし怪しげなところであった。



とは言え選択肢は別にあるわけではない。
バス停から少し離れたところを探してみる。

うろうろしたがようやく一軒の宿を見つけそこに落ち着く。


清潔で広々とした快適な宿である。

しかし、後になって一つのことに気づく。




シャワーがない。






従業員に聞いてみるもやはり無い。
シャワーを浴びる為には先ほどのサウナに行く必要があるそうだ。
変な形でリベンジすることになってしまった。


しばらく宿でゆっくりして
時計の針は夜10時を回っていたがご飯を食べに行く。

予想通りほとんどの店が閉まっている。
大同は小さくは無いものの、田舎の地方都市。
夜になると開いているのは飲み屋ぐらいのものなのかもしれない。


ようやく一軒の餃子のお店を見つけ入ってみる。

メニューを手渡され、選んでいるうちに
食べたかった焼き餃子が無いことに気づく。

店員に聞いてみると「没有(ない)」と言われる。
そして僕が中国語が話せないとわかった店員は、
もうめんどくさくなったのか、全てのメニューは閉店のため出せませんと言い出す。

いや、さっき他のお客オーダーしてたじゃん。

めんどうになったら仕事はしないのが中国流なのである。
オリンピックでマナー向上なんてのは、やはり北京を抜けると消えうせている。


仕方が無いので別の店を探してようやくご飯を食べる。
そこには麺作りの天才がいた。

ウイグル地方の料理の店なのだが、
小さかった小麦粉の麺の塊をぐんぐん伸ばして、
いつの間にかパスタほどの太さにしてしまう。

その技はまさに芸術。
ご飯を食べながら彼の技をずっと見ていた。



いつの間にか12時を越えていたので、
宿に戻り眠る。


中国最後の町、大同の夜はこんな感じだ。

2008年7月23日水曜日

世界一周 in (9)中国/万里の長城







DATE:2008/07/23 China - Beiging -


万里の長城。



おまえ、北京来てんのにいつまでそこ行かねーんだよ。
とお気づきの皆様。

ついにやってきました万里の長城!

途中でモンゴル行きたくなったり、
体調不良だったりテンション不良だったりと、
長々とかかりましたがついに本日、出発の日が訪れる。


出発は天安門広場近くの前門から。
カミヨシの知り合いの女性が万里の長城までの行き方を知っているらしく、
お言葉に甘えて地下鉄の駅で待ち合わせて案内してもらうことに。

顔もわからず、携帯も持っていないデンジャラスな待ち合わせ。


しかしあっけなく彼女に発見される。
いわく、

「黒いからすぐわかった」


・・・そうですね。ごもっとも。

きっと今、指名手配されたら一瞬で逮捕されることだろう。



その彼女に案内してもらい無事に万里の長城行きのツアーに参加。
まぁ、お決まりのように良くわからん場所へも連れてかれるようだが良しとしよう。



朝出発したバスは途中、明皇帝陵とやらに到着する。

おおここは、世界遺産の場所じゃないか!!

もともとは行かない予定だったところに、偶然たどり着く。
いやはやうれしい次第である。
しかしながら現実はそう甘くはなかった。

なんだか良くわからない建物に入ってみると、
そこはなんと明の歴代皇帝の歴史を紹介する博物館。
リアルな蝋人形で歴史の舞台を再現したものである。

奴隷や戦のシーンもあれば、密告を行っているシーンもあり、
なかなかに楽しめるのだが、僕が求めてたのはこんなんじゃない。
もうこー、もっと陵墓っとした奴なのだ。

しかし無常にも、どうやらそこで皇帝陵見学は終了。

横目ですれ違っていく、遺跡やら門やらを涙目に追っていく。
なぜにスルー・・・。

そしてなぜに、宝石ショップ。。

観光名所はスルーするのに、
しっかり宝石ショップは回るのだ。中国のツアーは。

まぁ、いいや目的は万里の長城。ランチを食べていざ行かん!


車は30分ぐらい走り続け、
山々っとしたところを抜けていく。
同じような風景にうとうとしていたところ、
目の端に土色のものが見えてくる。


万里の長城だ・・・。


しかし周りの様子を見ていると観光地にはまだついていない模様。
そんな場所にも長城は広がっているのだ。

人気のない森の中に延々と続いていく長城の姿に圧倒される。


バスは長城前の停車場に着き、2時間半のフリータイムになる。
ロープウェイやソリなど色々あったが、ここまで来たら


登るでしょー!!!



と、万里の長城の登り口まで歩いていく。

やはり万里の長城、観光客の数も半端じゃない。
まだ遠くに見える長城の上にも観光客の姿がびっしり見える。
ちなみに今は万里の長城もオリンピックバージョン。
「One world One dream」の看板が長城の横に大きくそびえる。


10分ぐらい歩くと、長城の入り口にたどり着く。
チケットを係員に渡していざ登らん。

そして当然のごとく長城は左右に伸びている。
右か左か。まずはそれを選択しなくてはならない。


どうやら右側の方がなだらかでほとんどの観光客はそちらを選んでいるようである。



じゃぁ、左だな。



当然のごとく左を選択。愛すべき天邪鬼。


右側には何百人も見える観光客が、
左側には10人ぐらいしか見えない。

きついとは言え軽い上り坂程度なので難なく歩いていける。
ただし天候は晴れ。ぎらぎらと照りつける太陽はたいそう暑い。

10分も歩けば山の頂に近いところにたどり着く。
そこからさらに奥へと進んでいく。

観光客が少ないこともあってか、
奥に行くに連れて整備がだんだん甘くなっていく。
ついには整備がまったくされていないだろう場所までたどり着き、
そこで観光客が歩けるところは行き止まりになる。

それでもはるか向こう、山の奥の奥の方まで長城は延々と続いていくのだ。
同じように歩いて来た逆側にも延々と長城は続いている。


誰もいない長城の端っこに座りながらゆっくりと長城を眺める。



時の流れを考える。

千年も前にこれを作り始めた人がいる。
何百年前までそれを直し続けた人がいる。

永遠に見えるこの長城もいつか終端にたどり着く。
既にもうただの土塊となってしまっている所もあるだろう。


永遠はない。


それは誰しもわかっていることなのに、なぜこれを築いたのだろうか。


今では多くの観光客がにぎわうこの場所も、
その昔は片側に味方、片側に敵が並ぶ戦いの場所だったのだ。
長城の大きさに絶望し、それでも諦めなかったものは死に向かったのだろう。


絶望。

きっとそれを敵に感じさせるための装置なのだろうこの長城は。
永遠に続くこの城の前に、それ以外の感情はない。


それでも今はただの緑の中に埋もれた観光地でしかない。
絶望などそう長くは続かないということかもしれない。


自分の人生の短さ。

何百年もかけて作られたこの長城は僕の人生をかけたところで目に出来るものではない。
人生の長さとはその程度のものなんだなぁ、とも思う。
それでも現に長城は足元に存在する。
人生とはそういうものなのだなぁ、とも思う。

誰かの人生がこの長城には埋まっている。ほんとうに沢山の人生が。


のんびりと長城を眺めていると、沢山のことを思う。
圧倒的なものを目の前にすると人は何かの装置が動き出すらしい。





いつの間にか30分以上経っていたので、
帰り道を急ぐ。

時間が余ったので少しだけ逆側も登ってみる。
その途中、一人の少年がナイフで長城に文字を刻んでいた。

とりあえず叱っておいたが、少年には理由がわからなかったかもしれない。

それほど沢山の文字が長城には刻まれている。
他の観光地でもそうだ。そういった行為は日常に行われているのだ。

それが良いのか悪いのか。僕には良くわからない。

イタリアの世界遺産に名前を刻んで非難された大学生がいた。
それは明らかに悪いと言える。
なぜなら、それはその国が、その場所が代々守ってきた場所だからだ。

じゃぁ中国はどうなの?と言われると良くわからない。
もしかしたら、過去から現在までそうやって彼らは暮らしていたのかもしれない。
刻まれた名前ももしかしたら何百年も前の行為である可能性だってあるのだ。
彼らが守るつもりがないならばそれは悪い行為とは言えない。


でもさ。


とやっぱり僕はそれを悪い行為だと思う。
なぜならそれは自分のものではないからだ。

公共のものは自分のものではない。
だから「何をしても良い」

という常識がこの国にはある。いやアジア全体なのかもしれない。

平気で路上にゴミを捨てるのと同様の意識が、
長城に文字を刻ませるのだ、きっと。




僕はこの旅をして気づいた。

先進国と行進国、これを分ける圧倒的な違いは。


「公共」という考え方だと思う。

僕ら日本人には「自分」と「他人」のほかに「公共」という意識がある。
後進国の人々にはそれがない。
もし、あるとしたら公共ではなく、
「誰のものでもない」という意識だ。

誰のものでもないから、誰も怒らないし、何をしても良い。のである。

公共のものは、みんなのものだから、
誰もが気持ちよく利用できるようにしなくてはならない。


この違いは小さくはない。
そしてそれを理解するのは簡単ではない。



長城から北京に戻り宿に着くまでの帰り道。

沢山のオリンピックのスタッフシャツを着た人たちを見かけた。
首からスタッフ証明書を提げている人たちも目立つ。

この町はオリンピックに向けて動き出している。

スタッフ証明書をつけた彼らの姿は誇らしげだ。
シャイでプライドが高い北京っ子がそうやって、
自分を表現している姿はなんだかかわいらしくもある。

彼らは見られていることに誇りを持っている。

きっと彼らは公共のマナーを守るだろう。
守らない人間を注意するだろう。


そうやって一歩ずつ何かが変わっていけばいいと思う。

2008年7月22日火曜日

世界一周 in (9)中国/うまし。







DATE:2008/07/22 China - Beiging -


帰ってきた北京。

そしてやっと手に入れたモンゴルビザ!!!


受け取りは明日以降のため、
厳密には手に入れていないが申請は無事完了し、後は待つばかり。


しかしながらモンゴル大使館は異常に非効率。

ビザを申請するには、

ビザ申請書に記入→申請→料金の計算→銀行に支払い

の手順を踏まなくてはならないのだが、
なぜかその申請書を手に入れるだけのために列に並ばなくてはならない。
しかも窓口は2つだけなので、申請と同じ列。
そんなもの入り口に置いておけよと思うが、モンゴル的にはそうではないらしい。

さらになぜか、申請と料金計算の窓口が分かれており、
決まった料金を払うだけなのに二度並ばなくてはならない。
料金計算の窓口など、ただ料金を記入するだけの仕事。
そんな手分けをするなら二列にしろよーと思うが、それもモンゴル的には違うらしい。

というわけで、申請の窓口に異常に長い列ができ、
料金支払いの窓口には小さな列ができる程度という変な不均衡が出来る。

ちなみに当然のごとく、
モンゴル人の作業速度はスロー。
一人処理するのに5分以上はかかる。

というわけで、先日見た長い列は
単に作業効率が遅いだけということを身をもって思い知った一日だった。


それでも「大草原の国モンゴル」と思うと、
まーそれもそうかもね、とあんまり怒る気にもならないのが変な気分だ。




今日は特に予定がなかったので、
大会まで気分を盛り上げるためにオリンピックの会場を見に行くことに。

2日前まで運行していなかった地下鉄が、
ちょうど昨日動き始めたらしくオリンピック会場へ行くのが簡単になったのだ。

とは言え、まだ全線は開通していないらしく、
オリンピック会場の入り口で地下鉄は行き止まり。
本当はそこからさらに会場内に入っていける路線に乗り継げるのだが、
今日は入り口で降りてそこから歩くことに。

地下鉄の駅を出ると、
ひろい道が一直線に伸びている。
横に立っている看板を見れば一目でオリンピック会場への道だというのがわかる。

なんか盛り上がってきたー!
と思った矢先、さらにハイテンションにさせる奴が見えた。



鳥の巣ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!





鳥の巣だぁ。テレビで見たやつだー!
なんだかこう、編み編みっとした建物が目の前に見える。

やっぱりオリンピックは見るべきだね。ふっふっふ。とほくそ笑む。


しかし鳥の巣はまだまだ遠く向こう。
近くまでは徒歩で移動するしかない様子。
バスも走っているみたいだが、
制服をきた人だけが乗っているため、乗れるんだか乗れないんだか良くわからない。

中国人のみなさまも、オリンピック前に見物に訪れるらしく、
何人かが鳥の巣までの道を歩いていく。
僕も便乗してまっすぐな道を歩くことに。


オリンピック会場までの行き方を教えてくれた人が言っていた、


「アンコールワットの朝日を見に行っている気分」


というのが至極的を得た表現だということわかる。

もうすぐそこに迫っているのになかなかたどり着けない歯がゆさ。
いつの間にか小走りになってたりして。


鳥の巣まで大きな通りを挟んですぐそこまで迫ると、
みんなで写真撮影大会が始まる。

交通ルール何のその、みんな道路の真ん中までいって写真撮影。


物足りない人たちは、さらにぐるりと遠回りをして道を渡って、
もっと間近で写真撮影大会。もちろん僕はその物足りない人の一人だ。


予想よりもでっかい鳥の巣の全景を見てると、
なんだかわからないが子供のようにワクワクを感じる。

へんてこ好きの中国建築物の集大成とでも言うべきその建物。
中国がオリンピックにかける意気込みを語っているようだ。

ちなみに周りにもへんてこな建物がたくさん。
きんと雲のような形をしたビルや

建物の付近では軍隊が警備をしているのか、
軍服を着た人たちが行進しているのが見える。
さらに、建物のフェンスの周りにはいたるところに警備の人が立っている。



鳥の巣見学を満喫して、帰り道。


「昆明→北京」と書かれた荷台をひいた自転車が止まっているのを見つける。
なんと自転車で遠く昆明からオリンピック目指してこいで来たようである。
昆明といえば、僕が1ヶ月前に中国の旅を始めたところ。
バスや列車を乗り継いでも遠いと感じているのに、なんと自転車で。
ちなみに漕いでいたのは変なハートのめがねをかけたヒッピーなおじさんだ。

オリンピックは変人が集まる時でもあるらしい。




オリンピックモードに火をつけた後は、
これからモンゴルへ行くためしばしお別れのカミヨシと小龍包を食べに行く。




せっぴん。絶品!!!!



いや、ほんと美味しい。ここ鼎泰豊の小龍包。

口に入れた瞬間、カニの香りがふわっとなって、じゅわっとなって。
あふれた熱々の肉汁をじゅるじゅるっとして。


あぁ、もう一度食べたい。。。



今まで色々中華料理を食べてきたが、
今日の料理はちょっとレベルが違っていた。

小龍包、チャーハン、デザートなどなど。
すべてが完璧に美味い。

ちょっぴり高級な店なのだが、それでも一人3000円程度。
※僕らはこれをワタミプライスと呼んでいる。


んー、やっぱ中華料理はいい店にいくと違うものが食べられるらしい。


あぁ、しかしもう一度食べたい。。。
(また言う。思い出すだけで・・・)



満たされたぁ。と心から満足。



あぁ、また食べたいw

2008年7月21日月曜日

世界一周 in (9)中国/塀を歩いて行こう







DATE:2008/07/21 China - Chengde -


今日は承徳の中心にある避暑山荘めぐり。
5時の北京行きのバスには間に合うように観光するため、
けっこう急ぎ足で回らなくてはならない。

なにせ、この避暑山荘は広いと思っていた頤和園の約2倍の広さがあるそうで。


万里の長城を思わせるような外壁で覆われた避暑山荘。
昔は夏の間だけ行政を行う、皇帝の避暑地として作られたらしい。

故旧のきらびやかさとはまったく異なり、
なんだか質素な作りの建物が多い。

それでもその静かな空間は気持ちいいぐらいに、澄んでいる。

木造の建築物の間々にひんやりと石畳が続いている。
観光客が少ないせいもあってか、その空間が中国の町の喧騒とは対照的で心地よかった。


行政を行っていた建物を抜けると大きな湖が見えてくる。
この大きな湖の周りと、さらにその奥にある小高い山の中に、
小さな建物が点在しており、これがこの皇宮の広さを作っている。


今日の最終目的地は、昨日見た外八廟が山の上から見下ろせる避暑山荘最深部。
遠くからでもその建物はかすかに見えるが、
そこへ行く為には湖を越えて、さらに山をいくつか登らなくてはならないらしい。
地図上の距離では約3キロほど。

とりあえず湖を抜けてみるが、なかなか目的地が近づく気配はない。


いくべきか、戻るべきか。


これまで何度もしてきた選択がまたもや僕を悩ませる。
すでに登山口の入り口まで来てしまってはいるが、
目の前にそびえる小山は意外にも急勾配である。
しかも5時には出発するため、遅くともここを4時には出る必要がある。
時刻は既に1時半。行って戻ってくるだけの時間はあるのか???



なんて、ことで悩むことは当然のごとくありませぬw


山があったら登るでしょー!
と、近くの店で水分補給をしてから山登り開始!


30分後・・・んー意外と辛いかも。。。

案の定というべきか、登ってみると結構上り下りが激しい細い道。
僕以外でこの道を進んでいる人はどうやらいないようだ。


とりあえず30分かけて、中継地点までたどり着く。

すると以外にもざわざわと人の姿が見えてくる。
なんだ、けっこういるじゃん登山者。

と思いきや・・・。

目の前を電動カートが走り抜けていく。


どうやら、ここの観光客たちはこれに乗ってここまで来たようだ。
しかし無常にもこのカートは逆周りらしく、
今から途中参加してもスタート地点に戻るだけらしい。

先に言えよ~、と思うもたぶん中国語が読めなかっただけ。
ここは自らの力で進むしかない。


とはいえ、カートが走っているということは、
それだけ整備された道があるということ。
今まで登ってきた道はどうやらここまでで、後はカートの道と合流するようだ。


行くっきゃないよね。つーかもう引きかえせん!


というわけで、時折すれ違うカートに乗った観光客に
「おまえ一人でなに登ってんの?」的な視線を投げかけられつつ登山は続く。


野生なんだか、飼育されてるんだか良くわからない鹿に出会う。
なんだか顔が細長く、日本で見る鹿とは結構イメージが違う。

アップダウンを繰り返し30分ぐらいすると、
端っこらしいレンガ積みの塀が見えてきた。
観光客の声も聞こえてくる。


ひーこら言いながらたどり着いた最北端。

そこには想像した通りすばらしい世界が待っていてくれた。

昨日訪れた普陀宗乗之廟の全景が目の前に広がっている。
近くからでは感じられなかったその大きさも手に取るようにわかる。

さらに全体を囲む塀も以外にもしっかりした作りであることに気づく。

塀自体は上をずっと歩いていけるような構造になっている。
眼下に広がるお寺の全景を見ようと、塀の上を歩いていってみる。

左側に見えていたお寺が少しずつ真ん中になり、やがて右側に抜けていく。
空から眺めているようなその行為が結構楽しい。

塀の上をずんずん進む。
だんだんと整備が甘くなり所々レンガの間に草が見え出す。

それでも延々と続く蛇のようにうねる道。
どうやら本当にこの庭園全体をぐるりと囲っているらしい。
今まで訪れた町や庭園でもそうだったが、
中国の「囲う」という行為の規模の大きさにはいつも驚かされる。
何キロにも及ぶ塀をいたるところに築いていく。
非効率にも思えるが長い歴史の中でそれが必要だったということだろう。
そしてそれを作るだけの力や権力を持っていたという証拠でもある。
そのダイナミックさは他に類を見ないと思う。



さて、そんなこんなで塀の上をずんずん進んでいったのだが、
10分ぐらい進んだあたりであることに気づく。




あれ?降りられないじゃん・・・。






途中まで、下の道に降りていく階段がたまにあったため油断していたが、
いつの間にかその階段も見当たらなくなり、
さらには下を通っていた道さえも遠くのほうに離れている。


またもや選択の時が現れる。


進むべきか、戻るべきか、はたまた飛び降りてみるか。



5メートル近くもあるそこを飛び降りるのは早々と却下したが、
進むか戻るかは難しい。

なにせ戻ったとしても、どうやら眼下の道をさらに進まなくてはならないらしい。
でもこのまま塀の上を進んでいけば、道の先にたどり着けるとも限らない。
最悪の場合、塀の上を一周という恐らく前人未到の暴挙に出ることになる。


まいっか。進も。




何とかなるさ。この道を進めばどうなるものか・・・迷わず行けよ!行けばわかるさ!
と、なんとも無責任な言葉を胸に秘め、ひたすら塀の上を歩いてみることにする。

もともと人が歩くことが前提ではない塀の上。
いつの間にか、急角度のアップダウンが続いていく。
あぁ、もう戻るのもめんどくさいなぁ、と思いつつ前進は続く。

地図上では、何か裏門らしきものにたどり着くはずなのだが、
その姿は一向に見えず。
誰もいない塀の上を一人とことこ歩いていく。



と、道の先に端らしき様子が伺えるようになる。
どうやら何か建物も見える。

ゴール!!

庭園の裏口に着いただけなので、
道程的にはまったくゴールでもなんでもないのだが、
なんだか変な達成感。

建物の中で休んでいた従業員に、
「おまえどっから来たの?」と不思議そうに見つめられるも無問題。

ついに僕はやりました!


庭園を見に来たはずなのに、
なんだかこの塀ウォーキングの方が印象深くなってしまった。

帰り道はそこから入り口に向けて森の中をハイキング。
なぜだかチョウチョだらけのその道。
ぽかぽか陽気も相まってほのぼのとした気持ちになる。


無事に5時のバスに乗り込み北京を目指す。
バスの中では20歳の高校生(本人曰く)と話しながら過ごした。
どうやら彼は小学生のときに落第したらしい。
さらに今は家出中。久々に実家に帰る途中らしい。
父親はレストランやホテルを多数持つ、お金持ち。
なかなか厳しそうな家庭。波乱万丈な人生だ。


北京到着後、へとへとになりながら宿にたどり着く。

夕飯を食べていなかったので、辺りを探すも見つからず。
時刻は深夜0時。都会とは言え北京の夜はまだ早いらしい。

30分ぐらい探し回りようやく一軒のお店を探し出して、
坦坦面とビールを平らげる。
北京の燕京ビールはあんまり美味しくない。これが残念なところだ。

ちなみに中国は地ビール的なものがたくさんあって、
各都市によって飲んでいるビールが異なる。
唯一、青島ビールだけが全国区なのだが、
どちらかというとそれは高級ビール的な扱い。
一般の人が飲んでいるのは地元のビール。

各都市で必ずその土地のビールを試すようにしてきたが、
今までのベストは雲南地方の「大理ビール」
中国のビールは冷えていないことも多いのだが、
このビールは冷えてなくても美味しい!という完璧なビール。
日本で売ってもぜったい売れる気がする。
ちなみに第二位は洛陽の「洛陽ビール」
地元ではあんまり人気がないようだったが、個人的には大好きだった。


そんなわけで残念なことに美味しくない北京のビールは置いておいて、
くたくたになりながらご就寝。


なんか色々あった気がするけど、塀の上のことしか覚えてないなー、今日は。

2008年7月20日日曜日

世界一周 in (9)中国/外八廟とスイカ







DATE:2008/07/20 China - Chengde -


今日は承徳にある外八廟のうち3つをまわった。
できればもう少しまわりたかったが、
点在する寺院を1日でまわるのはこのぐらいが限度かもしれない。
特に僕のゆったりスタイルではね。

外八廟といっても実際には12もあるらしい。
承徳にある、チベットの影響を受けた寺院の総称を外八廟と呼ぶ。




まず一つ目に訪れたのは普寧寺。

この寺院は前半が中国式仏教寺、
後半がチベット式仏教寺になっている不思議なお寺である。

入り口を通り抜けると中国式の寺が迎えてくれる。
その後方に真っ白な建物が見え隠れしているのがわかる。
チベット寺院である。

チベットの寺院は台のような高台を作り、
そこの上に建物を作るのが一般的らしい。
ここでも壁のようにそそり立つ白い台座が鎮座している。

なんだか融合と言うよりも「合体」という言葉が似合うこの寺。
まったく異なる二つのものを無理やりくっつけた感がある。

中国寺院のまわりにはチベット仏教ではおなじみの、
「ぐるぐるマシーン」が置かれている。

これは回転する円柱の中にお経が入っていて、
一度まわせば一回読んだのと同じ効果があると言う、楽チン装置。

シャングリラなどのチベット寺院では良く見かけたが、
中国の寺院では見たことが無かった。
それがここでは堂々とドーンと置かれている。
なんとなく取り合えず置いてみました感は高いのだが。

寺院の前では民族音楽を奏でている人たちがいる。
良く見ているとどうやらお布施をしてお祈りをする度に演奏をしている模様。
お布施金額はなんと100元(約1600円)。
他の寺院でもそうだが、けっこうな額のお布施をぽんぽんと置いていく中国人。
これは信仰心なのか、ご利益目当てなのか。
良くはわからないが、お寺では沢山の人がお香をお供えしている。
とは言え、そのお布施額を見てから、
時折流れてくる民族音楽の調べを聴くたびに、
チャリーンと音が聞こえてしまうようになってしまったのだが。


この寺院の最大の見ものは「千手千眼観音菩薩」

これが非常に美しい。さらに世界最大の木造観音菩薩とのこと。
最大との言葉通り、下からは見上げるようにしないと全体像が見えない。
細部まで掘り込まれた木造の観音様には、
漆塗りの茶褐色に反射した光が取り巻いている。



次に訪れたのは今日のメインイベント、普陀宗乗之廟である。

ポタラ宮を模したとされているこのお寺。
シャングリラの美しい寺院たちを思い出す。


外八廟で最大のこの寺は外からでも良く見える。
赤く色づいた紅台を取り囲むように白い壁が覆っているのがわかる。

そのコントラストが非常なまでに美しい。

シャングリラの松賛林寺は、寺自体の美しさもあったが
それを取り囲む家々をあわせた風景の美しさだった。

この場所は、それ単体での美しさを見せてくれる。


寺の中に入ると広い境内の中を山登りのように上り下りする。
まるで迷路のような建物の中を行ったりきたり。
それだけこの寺院が大きいと言うことでもあるが。

壁のようなチベット仏教独特の台座を階段を使って登っていく。
そういえばこの壁にはいつも窓のような飾りがあるが、なぜだろう。

この寺院は全体的にチベット様式のようなのだが、
建物の屋根や飾りに北京の故宮で見たような、
黄色や緑の瓦を使っている。

中国の美とチベットの様式が上手くマッチしていて
非常に面白い寺院だった。


そう言えば、この建物も含めて北京あたりから
中国語の文字と併記して異なる文字が書かれていることが多い。
なんとなくモンゴルの文字のような気がする。
北京の成り立ちがにじみ出てくるような変化である。



最後の須弥福寿之廟は真っ赤に彩られた建物だ。

外壁の美しさ以外に特にこれと言った所は無いのだが、
一番奥に立てられている塔に刻まれている彫刻は、
建設当時のものらしく古く崩れ落ちてはいるものの、
それがまた迫力を感じさせ、面白かった。

ほとんど人が訪れない場所らしく音のしない寺の中をひっそりと歩く。
なんだかそれだけで、凛と引きしまる。

とは言え、暇そうな従業員のおしゃべりは聞こえてくるのだけれどもw



観光を終え、ご飯の時間♪

今日は昨日気になっていた路上鉄板焼きのお店で食べることに。
牛肉とイカを具材に選び、レッツクッキング♪

と言っても全部鉄板の上に広げて適当に混ぜるだけ。
それで調理はおしまい。
たまねぎも入れるのでどちらかと言うと野菜炒めみたいな感じの料理になる。

焼けた肉をたまねぎと一緒に箸でつまみ、
ゴマだれにパクチーと唐辛子をいれたソースに付けて食べる。


おいひ~♪


シンプルな料理だがビールに合う!

路上を行きかう人を眺めながらお肉をほおばる。
なんだかのんびりしたディナータイム。


帰りにスイカを買って帰る。

なんとこちらのスイカは1玉150円弱。安っ!

しかも今はシーズンらしくいたるところでスイカが売られている。
それもトラックに山積みになった状態で、直接販売。
軽く100個は越すスイカを積んだトラックが何台も並ぶ。
まさにスイカ天国。


宿に帰り包丁を借りて久々にスイカを切る。
日本にいると一人では食べきれないため、
なかなかスイカを買うことはなかった。

しかしこの値段なら、残ってもいいやと思えてしまう。

切ってみて、やはり食べ切れそうもないので、
宿を運営している家族に半分おすそ分けをする。


目の前には丸半分のスイカ。
子供のころに夢見た光景が今そこにあるw


しっかりと身が詰まった赤いそいつにかぶりつく。


んま~い♪


やっぱり夏はスイカだよねー。と言うのは中国でも当てはまるらしい。
そのまま勢いで半分のスイカを完食。さすがにおなかいっぱい。


半年間ずっと夏だったのだが、
やはり7月になると、夏だなぁという気がしてくる。

この辺はやっぱり体に染み付いた感覚のほうが季節を覚えているらしい。


日本の夏。花火、海の家、ビアガーデン。

ちょっとだけそれがうらやましいかな。

2008年7月19日土曜日

世界一周 in (9)中国/中国のバスってさ







DATE:2008/07/19 China - Chengde -


承徳という、世界遺産の外廟がある町に今日は移動。
まだ万里の長上を見ていないため、
再度戻ることになるが北京とはしばしお別れ。


本当は早朝のバスで移動するつもりだったが、
寝坊してしまったので予定を変更してゆったりと10時ぐらいに宿を出る。

承徳への長距離バスは北京内にかあるいくつかの長距離バス乗り場から出ているのだが、
今回は宿の近くの四恵の長距離バスステーションを利用。

無事、12時のチケットを手に入れる。
承徳へは約4時間の旅。時刻どおりにバスは出発し、旅が始まる。


と、思ったら途中のなんだか良くわからないところでバスは停止する。


何やら満員でないバスの客引きをしているようである。
途中の道で人を拾っていくのはよくあるが、
バス停でもない場所で長時間留まって客引きするのは初めて。
しかも北京でなんて。

今日の観光は諦めていたので、特に問題はない。
どうせならと、これはどういうビジネスなんだろうと考える。

そもそも中国の長距離バスのシステムというのが良くわからない。
日本では長距離バスのバス停に止まっているのは、
固定の国営だか民間の大会社だか、指定されたバス会社の車である。

中国でも大体はそうなのであろうが、
たまに明らかに個人運営のようなバスも存在する。

そしてなぜか彼らはチケットオフィスではないところで、
チケットの販売を自由にしているのである。
しかも複数の人間が同時に。


普通に考えたら売り上げ管理ができないし、
バス会社としたら勝手に虚偽の申告をされて売り上げをピンはねされる可能性もある。

このビジネスで考えられる可能性は、


①チケットオフィス自体が代行販売で、バス運営会社から一定のマージンをもらっている。
そのため、バス運営会社は自らでチケット販売した方が利益は上がるし、その権利を持っている。
複数のチケットバイヤーがいるのは、彼らも代行販売を任されているため。

②運転手と組んだ、ピンはねビジネス。
空席を勝手に売って、利益はみんなで山分け♪



これだけ大っぴらにやってるところを見ると、
やっぱり①のビジネスなんだろう。

始発から乗っている人から見れば迷惑この上ないのだけれど、
バス停のない途中の道なんかからも乗れるので地方に住む住民にとってはありがたい。
到着時刻の読みが難しくなるという難点もあるけれど。


中国のバスや列車は出発時間についてはかなり正確である。
その割りに到着時間はけっこういい加減。
出発時間の遵守は運営側、利用者側双方にメリットがあるが、
到着時間については利用者側のみのニーズ。その辺が関係あるのかもしれない。


北京のユースでもらった日本語のフリーペーパーなんかを読みながら、
4時間のバスの旅はあっという間に過ぎてしまう。




承徳の町は、小さなこじんまりとしたところだ。
田舎、とまでは行かないが地方都市ならではのゆったりした時間間隔。

町をふらふらして見ると、
夕方から始まるらしい夜市のようなものの準備でみなが忙しそう。
広い歩道の両側にはずらりと洋服が並べ始められている。

なぜだかこの辺りでは、
野外の鉄板焼き屋台のようなものを良く見かける。
高さ20センチぐらいの小さな椅子が並べられた小さなテーブルに、
ガスコンロのような台の上に鉄板を置き、その上で肉や野菜をジュウジュウ焼いている。
肉は羊だろうか?なんだかうまそう。明日トライしてみようっと。


この町に暮らす民族もまた、他とは異なっている。
どこかチベットのような顔立ちだがなんだか違う。
北方のモンゴルあたりで暮らす民族なのだろうか。
丸い顔に丸い表情。なんだか笑顔が似合う民族だ。


さて明日からはお寺と避暑地めぐり。
ここにもシャングリラの松賛林寺のようなポタラ宮を模して作られた建造物が立つ。
南方から始めたこの中国の旅で、最後北方でまたチベットに出会うのも面白い。


さていつの間にか延長に告ぐ延長の中国編。うーん、旅は長くなるばかり。

2008年7月18日金曜日

世界一周 in (9)中国/ぼくは日本人である。







DATE:2008/07/18 China - Beiging -


今日もモンゴル大使館を逃す。寝坊したー!


まぁ、さして急ぐものでもないので気にせず頤和園へと向かう。
世界遺産だらけの北京にある、これまた世界遺産の庭園。

宿の前からバスが出ているのを発見したので、
遠回りではあるがゆったりと北京市内見物を兼ねてバスで移動。
まさか1時間半も乗るとは思ってはいなかったけれどw

北京の東側から出たバスは、
中心をぐるりと左回りに走っていく。
その北西の終着駅が頤和園である。

バスに乗ると改めて北京の大きさを知る。
山手線を一周する程度の大きさはあっただろう。
景色はオフィスビルから小さな商店街へと変わり、
秋葉原的な電気店街、北京大学の学生街へと続いていく。


終点の頤和園には2時ごろに辿りついた。
さっそくチケットオフィスで入園券を購入する。

そこで園内全ての建物に入れるチケットを買おうとしたが、
おばちゃんに断られる。
なぜ?と聞いてみると、「時間ないから全部はまわれないわよ」
と言ってくる。
しかたなく、園内の入園券だけを購入し入場してみるとその理由がわかる。

とてつもなく広いのだ。この頤和園。


歩いても一日がかりで周りきれるかどうかわからない。
昆明湖という大きな湖を取り囲むように作られた庭園は、
湖の周辺に建物が点在しており、遠くからでも湖の反対側に建物があるのが見える。

おばちゃんの言うとおり。周りきれない。
親切なおばちゃんに感謝をして、入り口付近のメインスポットだけを回ることにする。
それだけでも相当広い範囲になるのだが。


湖のまわりを散歩しながら建てられた建築物を見てまわる。
そのゆったりしたペースがなんだか心地良い。
西太后がここに居を構えた気持ちもわかる気がする。


その建築物。圧巻なのは装飾の決め細やかさと豊富さだ。
建物一つ一つ。柱一つ一つに装飾が施されており、
特に豊かな色彩で彩られた絵が天上を埋め尽くしているのは圧巻。

七百メートル以上もあるというまっすぐな廊下の天上全てに
その絵は描かれていて、一つ一つ異なったストーリーを描いている。
見とれながら上を向いて歩いたため、首がなんだかいたくなるぐらい。


そしてもう一つ。個人的にもっとも気に入ったのが、
壁に施されたガラス窓の細工。

外側と内側の両方にガラスがある二重窓になっているのだが、
そのガラスに描かれた花などの模様が、
内側から外を見る際に湖に映りこみ、
そこに花が咲いているかのように見える。
窓自体も四角や六角、三日月形など様々だ。

その工夫と美しさが、単なる豪華な建物とは違うセンスの良さを感じさせ、
眺めるたびについにんまりしてしまう。
ここで暮らしていた西太后が少しうらやましい。


万寿山と呼ばれる小高い山を登る。
作られた寺院は、これもまた黄色や緑の瓦で彩られた北京らしい建物だ。
そこの頂上から湖を見ると頤和園の大きさを再確認できる。
湖ではボートを借りて漕いでいる家族連れやカップルの姿が見える。


帰り際にもう一度、廊下に描かれた絵と、
絵窓をぶらりと眺めながら外に出る。




北京の街に保存された文化は素敵なものばかりだ。
そのオリジナリティーに中国という国の広さと、
多民族国家ならではの異文化の融合を感じる。

街を歩くと多くの人間にあうが、
その一人ひとりが違う民族であることがわかる。

日本にいると、他民族ということを意識することは少ないが、
アジアにおいては特殊な国なのだということがわかる。
それはきっと島国の特性なのだろう。
日本で民族と聞くとアイヌの人々ぐらいしか思いつかない。
沖縄の人々も、少し本州の人間とは異なるかもしれない。

それでも中国や他の東南アジアの国々のように、
まったく別の種族とまでは感じない。


中国にいると、そのまったく別の民族が
なんだか普通に街の中に共存しているのが少し不思議だ。

同じく他民族国家であるマレーシアは、
中華系やインド系などはけっこうグループが分かれていて、
住む場所も行動範囲も別だと感じた。

中国では漢民族と少数民族の人々が同じ街に住み、同じ店による。
若干、少数民族の人々が低所得者と感じることも多いが、
それでも「混ざっている」という感じは受ける。

これは中国の四千年の歴史がなせる業なのか、それとも別の何かなのか。


中国を縦断してきて色んな顔の人々を見てきた。
そしてこの国が1つではないということも感じている。
それでも何か、やはり「国」という繋がりは持っている気がする。
そういう団結力みたいなものがこの国にはあるのだろう。


中国大好き!ばかりで、他国の常識を省みないのは困るけれど、
こういう愛国主義って少しうらやましい気もする。


旅をして僕は日本人であることに誇りを持つようになった。
でもそれはまだ国のために何かをするほどに、国を愛しているわけではない。


僕は国を持ったことがあるだろうか。


旅に出れば僕らは「日本人」になる。
ではそれ以前の僕らは何者だったのだろう。

そんなどうでも良いことが最近気になる。


僕はいま「日本人」だ。
そのレッテルは気持ちの悪いものではない。

2008年7月17日木曜日

世界一周 in (9)中国/天壇公園と北京ダック







DATE:2008/07/17 China - Beiging -


今日は友人のカミヨシ女史が休みとのことで、
一緒に北京の天壇公園に行くことに。

体調の回復度合いは60パーセントといったところか。
約束は午後からにしたので、午前中はモンゴル大使館へ。


そうモンゴル大使館!
急遽予定を変更しモンゴルへ行くことにしたのであーる。

なぜならば、それはもちろんオリンピックを見るため!
どうやらチケットも手に入るらしく、
中国のオリンピック熱にもほだかされ、
やっぱり見たくなっちゃったオリンピックw

せっかく来てるんだしね。ということで、急遽予定を変更し中国編を延長することに。

とは言え僕のビザリミットはオリンピックまで持たないため、
ビザの延長か他国へ出国してのビザクリアが必要になる。

そこで思いついたのがモンゴル脱出案。

もともと行きたかったモンゴル。
時間の都合上、今回はいけないと思っていたが、
急遽ぽっかり明いた2週間のオリンピックまでの空白期間。
中国で行きたいところもまだまだあったが、
ここは一つモンゴルに行ってこよう!
とモンゴル行きを決めたわけでございます。


そして意気揚々とたどり着いたモンゴル大使館。
北京の大使館は秀水街というエリアに密集しており、
ものものしい警備が張り巡らされている。

モンゴル大使館に行くにも警備員が立つ門を開けてもらって、
訪れる必要がある。

中国語の勉強でならってまさか使うとは思っていなかった、
「大使館」の中国語を繰り返しとりあえず潜入成功。

モンゴル大使館の前には人だかりができている。
他の大使館はひっそりしたものなので、やはり隣国ビザを取る人は多いようだ。

その列に並ぼうとすると声をかけられる。
何を言ってるかは中国語なのでよくわからないが、
なんだかまずそうなのがわかる。
彼がしきりに指を指す方向を見ると

「ビザ受付時間11時まで」

ほう。既に12時ですが何か?

という訳であえなくビザを断念して、
もう一つの用事、JALへと向かう。
世界一周チケットについてあれこれ確認し、カミヨシと合流する。

久しぶりに冷やし中華のランチを食べて、
天壇公園へ向かう地下鉄に乗り込む。


天壇公園は世界遺産にもなっている、中国最大の祭殿。
つーか中国、世界遺産ありすぎじゃね?と思うのだが、
その一つ一つがやはり素晴らしいので文句は言えない。


地下鉄を降り、チケットを買い入場すると、
そこには意外なものが待ち受けている。

トランプや歌に没頭するおじちゃん、おばちゃん達だ。

よくわからないのだが、
祭壇へ続く回廊でかなりの数のおじちゃん、おばちゃんが
なぜかトランプや音楽、踊りなどを練習している。

既に中国に1ヶ月もいると見慣れたものだが、
この中国民族文化紹介コーナーのような回廊は、
はじめて中国を訪れた人たちにとっては
十分なカルチャーセンターとして機能するかもしれない。

入場にもチケットがいるため、この人たちがどうやって入ってるかはわからないが、
もしかして政府に雇われているのかもしれない。
それにしては気持ちよく歌ったり、胡弓を弾いたりしてるが。

よくわからないまま、意外なオープニングを満喫して
祭壇へとたどり着く。


はじめて見た丸い木造建設。


なんだかモンゴルのパオを思い起こさせるような姿だ。
やはりここを収めた北方民族の影響があるのだろうか。

円形のその姿はの下には故宮と同じように、
大理石の円形の台座に支えられている。

色使いや建築手法などは故宮に似ているのだが、
やはり円形というのが目新しくて印象に残った。
世界の仏教系の建築で円形であるものはどれだけあるのだろう。
けっこう特殊な建築物なのではないかと思った。

音が反響するといわれる回音壁などを抜け、
大理石でできた三段の丘の上に上る。

風邪が抜けていくさわり心地と、
沈んでいく太陽の雰囲気が心地良く、風に吹かれてゆっくりと時間を過ごす。



夜からはカミヨシの友達と北京ダックを食べよう企画があるので、
ちょっぴり空いた時間で国貿の近くにあるショッピングセンターに行ってみる。

ここは高級ブランドショップが立ち並ぶ、北京の最先端ビルらしい。
なぜかスケートリンクが併設されていて、
時間が来るまでの間、飽きずにずっとそれを眺めていた。


そして待ちに待った北京ダックタイム♪
彼が焼きあがるには1時間ほど時間がかかるとのことで、
適当な中華料理をつまみながら彼を待つ。

1時間後、彼は肉だけになったあられもない姿で現れたのである。

食べ方を教わって、
肉を甘辛いタレに付けたあと
ライスペーパー?に包んで、残りの野菜を乗っける。
それを左右から折りたたむように包んで口の中に放り込む。

んま~い♪

ジューシーな油が口の中に広がる。
甘辛いタレも絶妙な上手さ。



しかし・・・体調が完璧ではないこの私にはやはり油が強すぎたようで。。


2つ3つ食べるも、後が続かない。
うまいとわかっているものが目の前にあるのに、
手を出せない、なんと無念。

まぁ、おいしかったからいいや。腹八分目。
おなかいっぱい食べるのはまた次回ということで。

再開を近い店を出る。


体調もあんまりだったので、そのままホテルに帰りご就寝。
北京ダック。また会えるかなー。

2008年7月16日水曜日

世界一周 in (9)中国/おにぎりのやさしさ







DATE:2008/07/16 China - Beiging -


やっぱし朝から調子が悪い。

昨日のバスケが祟ったか、
そもそも元々体調が悪かったのか。


とりあえず準備をして朝食を食べに出る。
弱っているときは体に合うものを、
ということでセブンイレブンでおにぎりを購入。
久々に食べたおにぎり。
中国仕様だけどなかなか美味。やさしさに酔いしれる。

日本食が恋しくはならないが、体が弱っているときはこういうのもいい。
というよりも体調が悪いときの中華料理はどうみても凶器。
あの脂っこい物体を体に入れる気にはなれない。
中国人が体調悪いときは何を食べてるのだろう。やっぱお粥かな。きっと。

そして冷たい牛乳♪
なぜか中国では冷やした牛乳が見つからない。
たまに、あった!と思って買ってみるとヨーグルトだったりする。
そういえばこの国はヨーグルトをストーローで飲む。
飲むヨーグルトではない。ヨーグルトをだ。
最初、四角い紙パックに入ったヨーグルトを飲んだときは衝撃だったが、
その行為の面白さにハマッて牛乳の代替品としてけっこうよく飲んでたりする。
ゴクゴクってより、ジュルジュルって感覚がなんだか気持ちいい。



体調は回復しなかったがとりあえず言ってみるかー、と地下鉄に乗り込む。
今日の目的地は頤和園。
北京の中心から少し遠いため、移動時間も1時間程度。
長い間、電車に揺られるも体調回復の兆しはなし。

最寄の駅で下車し、とりあえず体調回復を待つことに。
なんだか久々にマンゴーシェイクが飲みたくなり、
近くのファッションビルにあったカフェに逃げ込む。

そう言えば東南アジアでは毎日のように飲んでいたシェイクも、
中国になるとあまり見かけることはなくなった。
あったとしても科学添加物満点の合成シェイク。
そもそもシェイクという飲み物は欧米人向けな気もする。
欧米人観光客がメインターゲットではない中国に、
シェイクが見当たらないのも道理かもしれない。


冷たいマンゴーシェイクを飲みながらぐったりとへたる。



んー無理!



やっぱし、体調は回復せず。
今日は無理せずお家に帰りましょー。
バックパッカーだもん、時間だけならいくらでも。

そんなわけで来た道を引き返す。
電車に揺られどんぶらこ。
とは言え、ただ帰るのも癪なので一駅前で降りて、
散歩しながら帰ることにする。


現在宿泊しているユースホステルは、
真新しいオフィスビルやファッションビルが立ち並ぶ、
新興開発地区にあるのだが、隣駅には気になる建物が建設中だ。

聞くところによるとテレビ局のビルらしいのだが、
それがまた変てこな形をしている。

言葉で言うと難しいのだが、
昔遊んだカクカク曲がる蛇のおもちゃを思い出す不思議な建物。
左右に二本のタワービルが建ち、それを最上部で横に繋いでいる。

50階建て近くの大きな建物で、
かなり難しい建築技術を使っていそうなのだが、
それはまた中国のやること。
うわさでは途中で左右の高さが変わってしまい、
鉄骨やらフロアの高さやらを調節して二本のビルを繋ぎ合わせたそうな。
うそみたいな話だが、中国ならありえそうな話。

さらにオリンピック前に完成する予定だったこのビルは、
いまだ工事中。
なんとかオリンピック前には間に合わせようと、
外のガラスだけを綺麗にし外装だけ完成させるそう。
そんな境遇の建物が北京にはごまんとあるらしい。

そういえば北京市内はいたるところで工事をしている。
地下鉄も新規に開通させようとしているそうだが、
これまたまだ未完成。オリンピックには間に合うだろうか。


この街を見ていると「オリンピック」というものに向けて、
まっしぐらに開発をしてきたというのが良くわかる。

オフィスビルもファッションビルも、
日本のように新旧がいりまじるのではなく、
ほぼ全てが新しいビルで構成されている。

地下鉄やバスなどの交通インフラも、
液晶ディスプレイ付きの新車ばかりだ。


オリンピック特需。
それによる経済効果は計り知れないものかもしれないが、
中国がオリンピックにかけている費用は異常と言えるかもしれない。
そもそもこの費用はどこから出ているのだろうと考えると、
社会福祉をはじめ色々なものが犠牲になっている気もする。

それでもこの国の、「やると決めたらやる!」という姿勢は徹底的で気持ちが良い。
明らかにこのオリンピックにより北京の街は、変化をしている。

しかしながらそれに伴うインフレやバブルも起きているよう。
一度膨らんだ泡を一度はじき、再構成するタイミングに来ているのだろう。
中小企業が乱立し、全国的な企業が少ない中国にとってはいいタイミングなのではないか。
非効率な経営状態を見直すチャンスなのではないかと思う。




変てこビルを外から眺め、
道の途中にあった図書館を覗き見してみることに。

館内は意外にも静かで清潔。
入り口の近くにはインターネット端末が置かれ、無料で楽しめるようだ。
図書館の利用者はバックをロッカーに入れて、本棚へと向かう。
その際には図書館の会員カードで入退出の管理をしている。

僕はその管理のおかげで入場することはできなかったが、
ちらっと見た限りでは、けっこうちゃんとした品揃え。
パソコンの参考書が並び、経営書や小説、過去の新聞など、
品揃えとしては日本の図書館とそう変わらないと感じた。


中国人はけっこう本を読む。
まぁ、AERA的な雑誌を読んでいる人も多いが、
地下鉄なんかでも本を読んでいる人をたまに見かける。
これは今まで訪れた東南アジアでは、一度もなかったこと。
中国人の勉強欲は高いと聞いたが、その一端を示しているような気もする。



宿に帰る頃には体調もいくらか良くなっていたが、
今日はこれでおしまいにしてゆっくりと休むことにする。

んー旅は健康第一だなぁ、やっぱし。

2008年7月15日火曜日

世界一周 in (9)中国/北京と言ったら天安門!







DATE:2008/07/15 China - Beiging -


朝から友人カミヨシと待ち合わせて、念願のヘアーカットへと赴く。

北京に暮らすカミヨシは東京にいた頃からの友達で、
今は北京で一軒の美容室を任されている立派な女子だ。

この子に切ってもらうために旅の途中から髪を切るのをやめていたが、
やめるタイミングを間違えて既に2ヶ月髪はのびっぱなし。
うざいっ!というのがしっかり似合うボサボサ頭。
というわけで今日は念願かなったりの日なのである。

待ち合わせ場所で合流しすぐにタクシーに乗り込む。
さすがに二年も北京にいるだけあって、
流暢に中国語で行き先を告げてくれる。

でもなんかおかしい。



訛ってますよね、カミヨシさんの中国語w


本人曰く、先生となる従業員の中国人が南方生まれらしく、
彼女から教わった中国語はすべて訛ってしまうとのこと。
中国人にも訛りがあるとは聞いていたが、まさか日本人が訛るとは。
日本で言うと、ケント・デリカット状態というわけだ。


そんなこんなで、美容室にたどり着き、
「いい感じに」という僕の適当なオーダーにもめげず、
素敵なオシャレ坊主にしていただきました。
やっぱしインドネシアの美容室とはレベルが違うw

さらに日本からカミヨシ宛に送ってもらったカメラをゲット。
これで再出発。しかし既にカメラ三代目。
三代目虎鉄と名づける。もう壊れるなよー!


カミヨシとは、また次に会う約束をして午後は観光をすることに。
北京市内の近場ということで故宮へと足を伸ばす。



北京の中央にドーンと鎮座した故宮。

中国の都市は昔の都だったところが多く、
風水の教えに従って東西南北に都市設計されている。
塀で四角く囲まれた内側に碁盤の目のように道が走り、
そのマスの中に家が立てられ宮殿が立てられた。


北京でその塀の中心に置かれているのが故宮だ。

要は都の中心。


故宮の前には天安門広場がある。
歴史の舞台に何度かなった場所で、よく話題にもなるところ。
北京と言ったらやはり天安門である。


いやしかしこの広場でかい。ほんと。


全部で50万人を収容できるそうな。
でもホントただの広場、コンクリートで固められた広場がただ広がっている。
毛沢東のミイラが納められている場所などもあるそうだが、
遠くからながめただけで十分と、行かずに故宮を目指す。



広場の目の前には天安門がある。
まっかに彩られたその門には毛沢東の写真が飾られている。

赤い壁に掲げられた毛沢東の写真はなんだか社会主義だなぁという実感がわく。

天安門は観光客でごった返している。
まさに中国の象徴とも言うべきその場所を一目見ようと、
たくさんの中国人観光客たちがここを訪れている。


門をくぐるとこれまた広い敷地が広がっていて、
その先にやっと故宮の門が見えてくる。
広場ではお土産やさんが立ち並び、
天安門と書かれた扇子やら子供のおもちゃやらを売っている。

天安門含めて故宮の入り口までは真っ赤な壁に囲まれる。
社会主義の象徴とでも言いたげな彩りである。

そもそも赤という色が社会主義の象徴として使われたのはいつからなのだろう。
単純に考えるとロシアの影響だろうか。
とはいえ、その色に赤を使った理由はどこかにあるはず。
色彩学をかじったことのある自分としてはなかなか興味をそそられる謎である。


チケットを購入するとやっと故宮の中に入ることができる。

門をくぐるとさらに大和門という門が見えてくる。
現在、改修中とのことで中には入れなかったが大きな立派な門である。
門の前にはやたらと凛々しい狛犬が見張りに立っている。

だがそれを越えるとさらに驚くべき建築物群が現れるのである。


目の前に広がる石畳。
百メートル以上はあるだろうと思われるその広場の真ん中には、
大理石で作られた三段にもなる台座の上に設けられた大和殿が立つ。


うーーん、思ったよりもぜんぜん立派。つーか良い!

実はいうと、この故宮というところを、
単なる昔の都でしょ?となめてかかっていた。

それというのも、ベトナムのフエで見た王宮が
北京の故宮を模して作られたということだったが、
正直言ってこれといった感激もないものだったため、
この本物の故宮もたいしたことねーぜ、と高をくくっていた。

しかしながら、この故宮。
意外にもというと失礼だが大きさだけではなく、
その意匠や彩りも中国らしい美しい建物なのだったのである。


つーかフエ、ぜんぜん真似できてねーし。。。


あえて言うなら最初の門だけ、似てたような。
でもアレを紫禁城(故宮)というのは失礼にも程がある。さすがベトナムと言うべきか。


そんなこんなで意外にも楽しめてしまった故宮。

個人的には黄色い屋根の瓦の色が今まで見たことのない彩りで、
それがとても気に入ってしまった。

さらに建物に施された装飾。
その中でも内部の天上に描かれた模様や彫刻が異常なまでに美しかった。



ここに来て、寺院などの様式がまた少し変わってきた。

恐らくはこの北京がモンゴルから来た民族によって作られた都だからだろう。
北京は明、清と比較的新しい時代の首都である。

成都、西安、洛陽。
これまで通ってきた都市は漢民族の都だった。

その違いがどれだけあるかはわからないが、
故宮の建物に使われている黄色い瓦、
そして多用されている龍の模様は今までの町ではあまり目にしなかったものだ。
また金の色も多用されるようになったようだ。
しかしながら、模様に使われている基本の色使いは
緑、青、白、赤と共通しているようにも思える。

この都では漢民族とモンゴル族との交流により、
文化の融合や淘汰が行われたのだろうか。
歴史の流れを故宮の中に見た気がした。


結局、閉門の時間まで故宮に入り浸り、
その後は故宮の裏にある景山公園に行き、
高台の上から故宮の全体を眺めてみる。

やはり大きい。故宮の規模の大きさを改めて実感する。

帰り道は少しだけ胡同の古い町並みを散歩してみる。
オフィスビルの立ち並ぶ北京にひっそりと横たわる胡同の路地。
喧騒の中、軒先にかけられた洗濯物がゆれる姿は
なんだかそこだけ時を無くしたように見える。




日も沈み始めたので一度宿に戻る。

そして準備、準備。さて、なんの?


もちろんバスケでしょー!!!




そう、カミヨシに今朝会ったときに彼女が参加している
北京のバスケットサークルの練習に誘われたのである。

なんとなく体調はあまり良くなかったが、
まぁ大丈夫だろうとバッシュはないので、
スニーカーを綺麗にして室内用にしたりと準備開始。

迎えに来たカミヨシとカフェでちょっと時間をつぶす。
カフェ。あぁ、なんか久しぶりのカフェラテ♪


時間も来たので体育館へと向かう。
既にメンバーは集まっているようでシュートを打つ音が聞こえる。

10人ぐらいのメンバーは全員日本人。
北京市内でバスケ好きが集まって作ったサークルらしい。


久々のバスケ。借りたハーパンに着替え、
シューズを履きしっかりと準備体操を行う。

まだその時は軽い気持ちで参加していたのだが、
リーダーの小松さんから「ランニング~」の声が。

その後も、ランニングシュートやらスリーメンやら、
フリースローやらと練習メニューが続いていく。


う・・・遊びサークルじゃない。。。


参加する前は、スリーオンスリーとかで楽しくやる遊びサークルだろうと、
高をくくっていたのだが、どうやらマジサークルだったらしい。

高校以来となる練習メニューに必死についていく。

練習は後半になるにつれ過酷さをまし、
だんだん付いていけなくなる。体力の限界です・・・。

なんとか休み休み練習メニューをこなし、
最後の5対5の試合形式の練習までたどり着く。

もともと中長距離のシュートは得意ではないため、
基本的にはドリブルで抜いてからシュートするプレースタイル。
でもその為には、足を使わなくてはならない。
さらにポイントガードのポジションは他の人に譲ったので、
中をかき回すスモールフォワードをやることに。
体力が激減している今の体にはそれがしんどい。まじで。

今更ながら高校時代にシュートの練習しとくんだったと嘆く。


しかしながら久々の練習はけっこう楽しかった。
やっぱりバスケはいいねぇ。

2時間ほどで練習は終了し、飲みに行くことに。


しかしここで体力の限界が訪れる。
そして体調不良が再発。やはり無理をしていたか・・・。


食欲がわかないため、ビールだけを飲み続ける。
とは言え結構会話は盛り上がる。
現地で暮らす駐在員の方々の話、やっぱり面白い。


なんだか異常に体力を使った一日だった。

へろへろになりながら宿に着く。

たまにはこういう日本人の集まりもいいもんだ。
次は体調万全でバスケにリベンジしたいなぁ。

2008年7月14日月曜日

世界一周 in (9)中国/北京到着!







DATE:2008/07/14 China - Beiging -


朝、7時に北京に到着。

決めていたユースホステルに電話をする。

北京は大きい。
地図でざっと眺めただけだが、
おそらく東京の23区と同じぐらいはあるだろう。
宿探しも今までと同じ適当にというわけにはいかない。

というわけで、旅に出て初めて
予約の電話というのを入れようとしたのである。が、


つながらない・・・。



まだ朝7時。従業員は眠りこけているのだろうか。
二回ほどかけてみるがつながらない。

そうこうしている内にバスが来てしまったので、
取り合えず行けばどうにかなるさ、とユースホステルに向かうことにする。

バスと電車を乗り継ぎ、目的地の近くへ到着。
そこから5分ほどとの情報を頼りに、
あっちに行ったりこっちに行ったりと探しまくる。

何度か迷ったがようやく目的地の看板が見えてきた。
受付は地下にあるらしく、階段でそこへ向かう。



そして、そこはもぬけの空だった。





一瞬、目を疑う。
ドアはある。看板もある。
なんとなく中を覗くとホテルらしき設備もある。


しかし目の前のドアには無常にも、
これでもかと言うぐらい大きな鍵がかけられている。


閉店。。。。?・・・まじですかーー!


地下の薄暗い照明の下で、しばし放心状態になる。
えーと、えーと、えーと。。。。頭がなかなか切り替わらない。

宿探しの疲れもあり10分ほど放心した後、
再起動し次の場所を探すことにする。


今度は間違いなくいこうと、次のユースに電話をしてみる。

繋がった!

なんとか予約まで済まし、一安心。

宿に移動し取り合えず今日からの住まいを確保する。


まだお昼だったが、なんとなく宿でまどろんでいると雨が降り出す。
北京市内の観光でもしようかと思ったが、
体調もあんまり良くなかったので、めんどくさくなり休養日にすることに。


しかし北京は思ったよりも大きな都市だ。
上海からは遅れていると言われていたので想像していなかったが、
高層ビルが立ち並び地下鉄が整備された現在は、
上海と比べても遜色はないほど発展してきている。
ほぼ東京と変わらない。その言葉に違和感はない。

この数年で一気に発展したのだろう、
新築のショッピングセンターや高層ビルが目立つ。

中国の成長が如実にこの町に映されている気がする。


そういえばこういう大都市はタイのバンコク以来久しぶり。
ちょっとだけ、この何でもある場所に慣れずに戸惑ってはいる。


北京ではやることが沢山あるのだ。

万里の長上はじめ、見所沢山の都市。
さらに友達に会ったりといろいろ。


さぁ、中国の首都までたどり着いた。
中国編も終盤に・・・向かうのかなぁ。なんか終わる気がしないw
んーオリンピックどうするかが、今後の鍵だなぁ。

ともかく楽しみまーす。

2008年7月13日日曜日

世界一周 in (9)中国/ここが変だよ中国人!







DATE:2008/07/13 China - Luoyang -


次はついに北京!
と思うが、移動が上手くいかず夜のバスで北京を目指すことに。
ぽっかり空いた1日を、映画でも見ようかと探すが洛陽では見つからず。
無念。


なのでここは一つ、中国の不思議をまとめようかと。

中国に来てからいつの間にか1ヶ月近くが経っている。
思えばこの国はカルチャーショックの塊だ。
これだけ東南アジアを旅してきても、
まったく異なるこの中国という国。

だからこそ興味は尽きないのだが、
これは明らかに変!というところもママある。

そんなところをメモ書き程度にチョロっとまとめる事にする。




■1.ニーハオトイレ

まずいきなりトイレの話かよ。と思うが、
中国に入国して最初にカルチャーショックを受けたのはやっぱりこれ。

通称ニーハオトイレと呼ばれるこのトイレ。
なんと、


ドアがない。



それどころか、



隣の人の間に壁もない。



完璧、お披露目スタイルでトイレの用を足すのである。

周りの人に見られるのはもちろん、
こちらも相手を見ながらのウンチングスタイルである。

時には順番待ちの列ができ、
中国人は中の人と並んだ人で話込んでいたりもする。

さらには流すところも隣の人と一直線につながっていて、
用を足している途中で誰かのブツがドンブラこと流れてくることもママある。


いままでこう、水でお尻を洗うとか、
そういったトイレットペーパーを使わない文化は見てきたが、
さらにドアさえも取っ払うとは中国人の感覚はどんなもんじゃ。
しかも中国人はトイレットペーパーは使うのである。
そんなものよりドアを着けろと言いたい。

しかしなぜ、ドアがないのだろう。
建物内にトイレがあるので完全フリーというわけではない。
何ゆえドアだけ・・・。

中国人の一般家庭のトイレは1つだけなので、ドアはある。
ないのは公共のトイレだけである。

中には隣との敷居だけはあるところもある。
なぜ、あと一歩がんばってドアを付けないのかは不明である。

なんだろう道教か何かの教えなのだろうか。

それとも昔は世界中、ドアの無いトイレだらけで中国だけが取り残されたのか。


ちなみに新しく建った建物や高級デパートなどに行くと、
ドアはキチンと付いている。
ということは中国人自体もドアなしはおかしいと思っているのだろうか。
ドアを付けられなかった理由はなんなのだろう。


1ヶ月経つ今も謎は深まるばかりである。





■2.おしりまるみえ


中国の子供、特に1歳ぐらいの子供はお尻にぽっかり穴が開いた服を着ている。
男女問わずそれを履いているので、大事な部分は丸見えだ。

と言うわけで何にも知らない子供たちは、
おちんちん丸見えで町をよちよちと歩いている。


服を見ると特に切った後は見えないので、もともとそういう作りなのだと思う。

いやはや効率的と言えば効率的。
オムツなど使ってなるものか!である。エコシステム。


と言うわけで子供たちは所かまわず、おしっこし放題。

道端だろうが公園だろうが、彼らは思いのままに自らを解放する。
中国ではそれが普通なのだろうか親もそれを手伝ってたりなんかする。


最初見たときは「尻っ!」と驚いていたが、
なんだか今はむしろ微笑ましい。

そう言えば僕たちは男の子と女の子の体が違うことをいつ知ったのだろう。
中国の子供たちは相当早期に知ることになるんだろうな。


でもあれ、いつまで着るんだろう。
僕だったら物心付いた時には着ていたくない代物だ。




■3.成人用品


町に出て驚くことの一つに「成人用品」がある。

町の中に普通によくあるので、
最初は気にも留めなかったが、ある日そっとのぞいてみるとそれは、


「大人のおもちゃの店」


であることに気づく。


え??

大人のおもちゃの店であふれているって事!?
はい、そのとーりなのであります。

何故なのかは良くわからないが、
道を歩けば成人用品。なぐらいに1つの道に1軒ぐらいは存在する。

最初は地方だけのものかと思っていたが、
どこの町にいっても同じような状況なため、中国全土がそうなのではないかと思う。


小林リサーチ結果によると、
売っているものは男性用の自慰補助器から女性用のバイブ、
ローションやエロ本、コンドームまで多岐にわたる。
さらに看板を見ていると妊娠促成薬やバイアグラ的なものも扱っているようだ。

まさにエロの王国。

ちなみに男性用~は輸入しているのか洋物のパッケージが多かった。
中国人は洋物がお好きということか。


そう言えば、バスなどに乗っている時に日本で言うと
アエラとかSPA的なエロ要素が高い雑誌を読んでいる人も多い。
男性だけでなく女性もそうだから、一般的なのだろう。


これもまた一人っ子政策で溜まった性欲の影響かなんかなんだろうか。

町を歩けば~な程にあふれていると言うことはそれほど市場があるか、
圧倒的に利益率が良いということなんだろう。
なんとなく前者な気がするのだけれど。


良く考えればAV合法という、
先進エロ大国日本はある意味ビジネスチャンスなのではないだろうか。
ヌードシーンもNGという、文化統制の厳しい中国でどこまでできるかはわからないが、
そのノウハウを生かせば一儲けできるであろう。

13億人総エロ。


エロ帝国、中国。そう言われる日も遠くは無い・・・かもね。




■4.マージャンとカードゲーム


中国と言えばマージャン。
そのイメージを裏付けるように中国ではいたるところで
マージャン牌をジャラジャラする音が聞こえる。

別にこれは比喩とかそういうことでもなくて、
店先やホテルの中には必ずと言っていいほどマージャンの台があり、
大概暇そうな店は家族なのか仲間なのかで、
一日中マージャンをやっているのである。

その成果なのかわからないが、
中国人のマージャンは異常に早い。

牌の列を組み立てるや否や、
各自それぞれの牌を手元に引き寄せ、
最初の人は全員が牌をとり終わる前には一つ目の牌を捨てている。
牌の並べ替えなどしないのである。
したとしてもやりながら徐々に組み立てていく。

ある意味、これはものすごい能力だ。
そりゃ毎日何年もやり続ければこうなるのかもしれないが、
この中国人達の中で一番マージャンが上手い人ってどんな奴なんだろう。
想像もできやしない。


その他にはトランプを使ったカードゲームなんかも良くやっている。

なんのゲームなのかは良くわからないが、
見たところ大貧民に近いゲームが良く遊ばれている。


夕方近くになると、
町はいつの間にかゲームパラダイスになる。

公園なんか行こうものなら、
カードゲームに群がるおっさんおばちゃんがわんさか見れる。


ちなみにもちろん全て「賭けマージャン(カード)」
合法違法なんのその。日々、彼らは生活をかけて戦っているのである。
そりゃ上手くなるわけだ。


しかし店に客が多くて賑わってそうなところを選ぼうと思うと、
その客が全て関係者でみんなカードゲームをしていただけ、
なんて事が良くあるの少し困る。
彼らは客の姿を見ると、そそくさと立ち上がり仕事を始めるのだ。


そんなわけでゲームは、サクラの役も兼ねた一石二鳥の暇つぶしなのである。




■5.偽札疑惑


どういうわけか中国に入ってからやたらとお金をチェックされる。
100元とか大きめなお金ならまだしも、
20元とかも新札の場合はチェック。

そのチェックの仕方も本格的で、
キチンと偽札チェッカーの機械を通して、さらに透かしてみたり。


どうやら最近、中国では偽札が流行っているらしい。


いつの頃からかはしらないが、
お金をチェックする習慣が付いたようす。


受け取ったお金を手に空を見上げる姿はなんだかかわいくもある。




■6.第26中学校


中国の中学校はなんと「第26中学校」まで存在する。
通りがかりにみた中学校がそうだっただけだから、
もしかしたら最大50ぐらいはあるのかもしれない。

さすが人口13億人の国。スケールが半端じゃない。
しかし第26中学とは。想像もつかない。

中学対抗運動競技会なぞやろうものなら大変な騒ぎ。
一つの競技で予選から本選までどれぐらいの時間がかかるのだろう。
さらに、全国大会までいったら・・・。


でもこれはいつの時代に作られたのだろう。

なにせ今、中国は一人っ子政策中。
これが最近作られたのであれば、一昔前はさらに沢山の学校があったはずだし、
その逆ならばこの第26中学というのは無駄な過去の遺産になる。

なんだか気になるところである。


はぁ、でも第26中。って。


おまえ何中?


26中。。。。。なんか変な感じ。




■7.元自転車大国の現在


一昔前まで中国と言えば「自転車」のイメージが強かった。

いま、中国の町を歩けばそのイメージは一変し、
大量の自動車が走る自動車大国へと姿を変えているのがわかる。


それでもやはり自転車族の皆様はまだまだ現役だ。

そして彼らは今、進化した姿で僕らにその存在を見せ付ける。


彼らのマシーンはなんと「電動自転車」へ進化したのである。


町中いたるところで見かける電動自転車。
日本でもラクーンなどの自転車が販売されているが、
その数、性能共に中国の電動自転車には足元にも及ばないだろう。

なにせ、彼らの電動自転車はめちゃくちゃ早い!

自転車の癖に、時速20キロぐらいのスクーターぐらいのスピードは楽々出せるのである。
自転車の格好をしたモンスターマシーンが町中をびゅんびゅん駆けていく。


中国の道路は自転車なのかバイクなのかに配慮されたつくりになっていて、
広い自動車用の道路の両側に、別に一本の二輪車用の道路が作られている。
そこをスクーターや自転車が通るルールになっているらしく、
夕方になるとその電動自転車が大量に走り抜けていくのである。

どういう仕組みになっているのかはわからないが、
人に聞いた話だとバッテリーが積まれていて、
自宅で充電して走っているそうなのである。
ホントかどうかは疑わしいが、それならあのスピードにも納得いく。

そういえば観光地などで使われている自動車も電気自動車。
さらに町を走るローカルバスも電動ケーブルカーが多い。

しかしながらそうなると、
中国の電化スピードは意外と速いんじゃないかと思ったりもする。
日本の電動自動車なんて、ほんのわずか。
中国の石油問題の深刻さも後押ししてか、
圧倒的なスピードで中国の電化は進んでいくのでないか。


中国の町並みを見てると日本って遅れてる?と思ってしまうのも確か。


日本のおばちゃんが電動自転車で団地を駆け抜ける日は来るのか!?







■8.マナー


結局のところ、一番これが言いたいのかも知れない。



マナー最悪!!!!!



四千年の歴史。発展した経済。

これだけの歴史や経済を持っていながら、
なぜかマナーだけが東南アジア含めても最悪の国、中国。

ほんと、「なんで?」


路上でつばを吐くなんてのは当たり前。
店の中だって当たり前。従業員だって自分の店でつばを吐く。

ゴミだってポイ捨て御免。
アイスの袋をポイポイッと。
目の前のゴミ箱。ん、なによそれ?って感じ。
リサイクルと書かれたゴミ箱。不回収と書かれたゴミ箱。
どちらも同じものが入っているのはどうしなのだろう。


順番だって守らない。
列?なにそれ?アピールしたもの勝ちでしょう。
窓口に横から割り込んでお願いすれば早いもんね。



そしてトイレは流さない。断じて流さない。動かざること山の如し。
公衆トイレに入れば当然のように残留思念がごとく、茶色いご老体が鎮座している。
流れまいと必死の抵抗をするそれは、気持ちよいぐらいど真ん中に・・・。

なにがそんなに心残りなのだろうか、この残留思念たちは。
中国人はトイレでマーキングでもしてるのだろうか。
必ずと言って良いほど残っているこの残留思念。思いの強さは計り知れない。


唯一、交通マナーだけは厳しい指導の成果があってか、
東南アジアの国々に比べればまだマシと言えるだろう。
オリンピックが過ぎて、通りに立つ指導員がいなくなったらどうなるかはわからないが・・・。




これだけ長い歴史があり、立派なビルが立ち並ぶ国で、
そこに住む人間だけがおかしいのはなぜなのだろう。

別にシャツがはだけてたり、半裸で歩き回るのは、
「だらしない」と思うものの価値観の違いと考えれば納得がいく。
暑い日にキチンと服を着るのが正しいなんて誰が決めた。非効率じゃないか。
確かにそれはその通りだと思う。


でも、衛生面や道徳面はマナーとして価値があるはず。

その証拠に中国では圧倒的な人員が清掃員にあたっている。
なので町自体はけっこうキレイに見えてしまう。
でもさ。そのコストは誰が払うのよ?と思うと、
ゴミを捨てたり唾を吐くことで
自分たちが不利益をこうむっている事に気づいていない現状を感じる。



中国のビルは全て新しい。
これはけっこう、この状況を説明している光景なのかもしれない。

経済はここ10年ほどで急速に発展してきた。
そのため、見た目的には先進国に近い形に成ってきた。

それに文化が追いついていない。それがこの不思議な国の状況を作っている気がする。


でもこの国は道徳を尊ぶ儒教の国なんだよなぁ。
文化大革命の際に儒教精神が大打撃を受けたからって、
ほんの50年でその道徳観がここまで揺らぐとは思えない。
となると、四千年の間、こういった状態だったのだろうか。

うーん、不思議だ。



2008年。オリンピックイヤー。

沢山の外国人がこの国を訪れる。


そしてきっと誰もが口々に言うだろう。




「うんこ大国、中国!」




せめて、トイレは流そうね。


以上、ここが変だよ中国人でした!

2008年7月12日土曜日

世界一周 in (9)中国/少林カンフー!!!







DATE:2008/07/12 China - Luoyang -


偶然にも昨日の夜にドラゴンボールをやっていた。
中国語の吹き替えの悟空の声は明らかに変だったが、
久しぶりの「ちゃ~ら~へっちゃら~」になんだか燃える。

そして今日はなんと「少林拳」を見学に!


昨日のドラゴンボールでテンションは見事にMAX!
依頼しておいたツアーで嵩山にある少林寺を回っていく。

ちなみに「少林寺拳法」と「少林拳」は別物だそうである。

僕も以前、たまたまテレビを見ていて知ったのだが、
日本で有名な少林寺拳法はなんと、日本の四国が発祥の地。
現に、四国の高知には少林寺拳法の本部が置かれている。

なんであの地味っぽい少林寺拳法が、
中国ではあんなに派手なカンフーができるんだろうと思っていたら、単に別物だったそうで。

というわけで僕らがイメージしている、
棒術を使ったり、気功を使ったり、蠍拳を使ったりの、
派手なパフォーマンスの武術は「少林拳」という、
中国古来の武術なわけなのである。

少林寺。というのがその武術の総本山であるところ。
その武術で、唐の天下統一を成し遂げたというからすごい。
さらにココは達磨が「禅宗」を開いた由緒正しき場所でもある。


ウンチクはさておいて、
もう既に気分は天下一武道会♪

はやる気持ちを抑えてツアーのバスが目的地に到着するのを待つ。


1時間ほどするとバスは停車。


ついたー!!!!!!!!!!


と思うと着いていない。
なにここ?と思う、なにやら小さなお寺らしきもので降ろされる。

聞いてみるとここは

「三蔵法師生誕の場所」

だそうだ。



いらん!!!!!そんなのいらん!!!

俺は、ドラゴンボールが見たいんだ!!!




しまった・・・。やはり伝わってなかったか、あの客引きのおばちゃん。

宿を紹介したついでに(例の公安が乗り込んできた宿)、
やたらと少林寺ツアーを進めてきたおばちゃん。
少林寺はもともと、自分でバスに乗りゆっくりと周りたかったので断るも
執拗に勧めてくるので話だけでも聞いてみることに。

なにやら少林寺と白馬寺という中国最初の仏教寺院を訪れるツアーらしい。

もともと白馬寺も行きたかったので、
「少林寺に5時間ぐらい居れるなら良いよ」
とオーダーを出してみた。
出発時間と帰りの時間などをチャートにして念入りに確認。
僕のオーダーを満たしてるとのことなので、そのツアーに申し込むことにした。


そのとき僕は忘れていた。石林での失敗を。
中国のツアーは要らんところに、いろいろ寄るという事を。


というわけで、少林寺には向かわず、
どんどんと良くわからない観光地を次々とめぐっていく。
途中からはもう成るように成れモードになったので、
イライラすることもなく、なんだかわからない場所なりに楽しむ。
自分では行けないような所にもいろいろ行ってくれて、
まぁまぁ満足はできました。



というわけで、目的の少林寺には午後2時ごろに到着。
少林寺を1時間程度で見学し、3時からは念願の武術見学である。

塔林と呼ばれる、僧侶の墓石群を見学し、
少林寺本殿を急ぎ足で見学する。

少林寺の建物などは特に特別なものはないのだが、
そこに刻まれた武勇伝を物語る痕跡はけっこう面白い。

修行僧が石の床を撃ち続けてできたといわれる「武僧脚杭」
48もあるその石のへこみは、ほんとかよ?と思うけれど、
なんだか中国だとありえそうな気もしてくる。

寺の中の壁面も武術に関する壁画が多く、
この寺が特出したものであることがわかる。



と、どこか上の空で少林寺を見学して目指すは一路


「演舞場」


3時から始まる演舞。席取りのために既に多くの人が並んでいる。
演舞場の周りにはへんてこな演舞をしている像が立っている。
この辺はやはり中国の観光地。変なところに金をかける。

そして見つけた「武」と書かれた大太鼓!
うーーん、天下一武道会♪


人の波に乗り演舞場内に入るもその席はほぼ全て満席。

その中に1つだけ開いた席を見つける。
しかも中央ど真ん中。ラッキー♪
こういう時、一人というのは便利だ。


10メートル四方ぐらいの演舞台にはまだ誰も姿を現さない。

ふと、会場の電気が落とされディスプレイに広告が流される。
その中に日本映画らしい、少林拳を学ぶ中国の子供が日本に留学してくるというものがあった。
明らかに無茶な内容だったが流行ったのだろうか。


その広告の音がふと途切れる。
場内に中国語のアナウンスが流れる。どうやら始まりらしい。

暗い演舞台の上に10人ほどの人間が現れたのがわかる。
観客もそれがわかり、一瞬の静寂が訪れる。

瞬間、



「バッチーーーン!!!!!!!!!!!」



といきなりの大音響が場内に響く。
それはリズムを取り、バチーン!バチーン!と繰り返される。
何の音かはわからないが、凶器的な響きのある音である。

その大音響が鳴り響く中、いきなり場内の照明が演舞台を照らす。
音の正体が観客にそこで知らされる。

なんと鞭!

鞭を振り回すだけで、これだけの音を作り上げていたのである。
それは単に演技ではなく、武術であるということを観客に知らしめる効果があっただろう。

一気に明るくなった演舞台の上を、
鞭や剣や棒などの各々の武具を持った演舞者が駆け巡っていく。

一瞬で、体に鳥肌が立つ。


めちゃくちゃカッコいいぞ、これ。


一人ひとりが自分の武器での演舞を次々に披露していく。
その姿はまさにカンフー映画のよう。
サーカスを見ているようなその動きからは、
持っているものが武器だからか緊張感がぴりぴりと伝わってくる。


10人ほどがそれぞれの武器を披露し舞台を引き上げていった。

その後は、鋼体術や気功、演舞などの演目を次々に披露。
そのどれもが美しく、かっこいい。

途中観客を巻き込んで武術トレーニングを行うなど、
笑いも含めたステージは約30分程度で終わってしまった。



マジデスゲー。




冗談じゃなく、本当にすごい。
アニメとか映画の世界がそのままあった。

もちろんそれは武術というよりもショーアップされたものだけれど、
少林拳というものがそれだけショーに向いている美しい動作だということだろう。
北京や上海で行われている少林拳のショーも見てみたいと思った。


あぁ、もう一回見たい。


そう思うもツアーのバスは無常にも出発する。
それでも「いいもの見た」感でにやけ顔。


ちなみに、一緒にバスに乗っていた4人組が帰ってこず、
あっけなく彼らを置いてバスは進むのでした。中国とは無常なり。


その後はなんだか「三蔵法師霊廟」なる、
明らかに寂れた感のある場所につれて行かれる。
あまりにも寂れていて、本物なのか何のためにあるのかもわからない。
でも、なんだか「いる」感がある嫌な感じの場所だった。


そして最後は白馬寺へ。
ここはなんと最後閉園30分前に到着w
日も暮れかけた寺の中を、さらさらとなぞっただけで観光は終了。
まぁ、いいけど。



少林寺の影響が抜けず、子供相手にクンフーごっこをやりながらツアーは解散。
宿に戻る。



いやぁ、良かった。
今日の演舞は忘れることができないだろう。

ほんのちょっぴり習いたくもなったりしてw
旅の目標が「俺より強い奴に会いに行く」に・・・ならんか。

2008年7月11日金曜日

世界一周 in (9)中国/美しい顔







DATE:2008/07/11 China - Luoyang -


遠くから見ると巨大な砂場のイメージ。

河沿いに切り立った岩の山に蜂の巣のように無数の穴が開く。
その光景はなんだか、砂場遊びで作った小山に子供が穴を開けたようで。

でもそれが子供の遊びではないのはすぐにわかる。

表情まで読み取れる精巧な石の彫刻がその穴には眠っているのである。


洛陽の町からバスで1時間程度だろうか。
郊外にある龍門石窟を今日は訪れた。


例によって長いお土産やさんの列が入り口の前で歓迎してくれるw
なにせ入り口からは1キロほど歩かないとチケット売り場にたどり着かない。
その移動のための有料カートまであったりするから、
中国人の商いに対する貪欲さは尽きることはないw


見慣れたお土産やさんをすり抜けて、チケット売り場へ。
今回は80元(約1200円)。
良心的と思えてしまう、慣れというものは凄いもんだ。


チケット売り場を抜けると門がある。
そこを抜けると穴ぼこだらけの岩壁のご開帳!

その千を超える穴の中、ひとつひとつに仏像やら仁王やらが刻まれている。

もともとあった岩を削りながら彫刻を作る。
なんだかもの凄い作業だ。


万仏洞と呼ばれる石窟にはなんと、
一万五千を越える仏像が刻まれている。

もちろん仏像のサイズは10センチ程度のミニサイズ。
これが逆に凄い。

この小さな仏像を刻むのにはどれだけの技術が必要なのだろう。
一つ一つポーズや顔の形まで変わっているのだから、
想像もできない圧倒的な技術力。
そして年月がそこには刻まれているのだろう。

壁一面に刻まれた一万の大仏は、
その中央に置かれた5メートル以上はあろうかという大仏に圧倒的に勝っていた。


さらに壁沿いに進むとぽっかりと空いた空間が見えてくる。
何やら石の壁に何かでえぐられたような空間がある。

その空間の中央に向かって階段が続いている。
息を切らせながらそこを登り、ふと顔を上げてみる。

そこには巨大な石の大仏と4体の守護神が壁から生まれたように立っていた。


10メートル以上もあるだろう、大仏。
僕が驚いたのはその大きさだけではなく、
この大仏の表情が非常に美しいことだ。

女性的な表情。やわらかい、ふわりとした。


こんな表情の仏像を始めて見た気がする。

いつも仏像を見るときはまず顔の表情を見ることにしている。
特別な知識なんてないし、変な薀蓄よりも、
「いい顔してるか」が一番大事な気がするからだ。

この仏像は間違いなく今までのベストだと思う。
それほど圧倒的な美しさだった。


気づけばここは奉先寺という龍門石窟の最大の見所だったようだ。
なんだか離れ難く30分ほど仏像を見上げて過ごす。


なんだかハッピーな気持ちで後を去り、
残りの石窟を見て回る。

川の両岸に無数に掘られている石窟は両岸合わせて2キロほどになろうか。
見て回るにも結構、時間がかかるもの。

結局お昼も食べずに観光して午前中の10時から昼の2時ぐらいまで、
あっという間に4時間も経過してしまった。





お土産ストリートの一軒で昼食を食べ、
帰るついでにと三国志で有名な「関羽」の首を祭ってあるという道教寺を訪れる。

関羽は「忠臣」として有名な人物なのだが、
いまはなぜか「商売の神」として祭られている。

なぜかはまったくわからないが、
歴史上の人物が神としてあがめられているというのも凄い。

日本でも神道なんかは、歴代の王を神としてたりするし、
人物を神化するのは意外と一般的なのかもしれない。

それでも「関羽」と書かれた、
いかめしい顔をした像をありがたそうに拝むのはやっぱり変な感じ。


そもそも道教の神様というのは、仙人なのだが、
修行して不老不死になって神様=仙人になるって、
なんだかジャンプのマンガみたいな発想が宗教だというのが信じられない。

とは言え結局のところ「死」へとつながってるのはやはり宗教の特徴なのだろうなぁ。
実際、仙人がいるのならば今もまだいるはずなのだけれど。
おそらくこの度の北京オリンピックでは彼の活躍が期待されようw


さて今日は公安も来ない様子。ゆっくりおやすみ~♪

2008年7月10日木曜日

世界一周 in (9)中国/夜10時。忍び寄る影!







DATE:2008/07/10 China - Luoyang -



夜10時。



なにやら部屋のドアをたたく音がする。

何よ?こんな時間にと不承不承ドアを開く。
そこにはホテルのスタッフらしい、
一人のおばちゃんが仁王立ちして何やらまくし立てている。

「☆○■☆×■×☆○■!!!!!!」


まったくわからん。



たまにあるように中国小娘でもお勧めされているのだろうか。
それにしてはなんだか、様子がおかしいなんだか相当あせっているのだ。
おばちゃん必死に何かを伝えようとするが、ぜんぜんわからない。

何やらノートを出せというので、ペンと紙を渡すと、
それに感じで何か書いてくれる。

うーーーん、やっぱりわからん。


泣き出しそうなおばちゃん。
よくわからんが困っているようだ。

そうこうしているうちに、そのおばちゃんはどこか行ってしまう。

なんじゃろね。と良くわからなかったが、
そのままベッドの上でお休みモードに入る。



すると、またもやドアをノックする音が。


なんじゃい!

と、ドアを開けると新メンバーが追加されている。
新メンバーの二人めもノートに何か書いてくれる。



身分証。




ん?なんだか良くわからんが、あるよ。とパスポートを差し出す。

「☆○■☆×■×☆○■!!!!!!」

と、またおばちゃんがわめく。いや、わかんないから・・・。
でも何だか言ってることが何となくわかってくる。
どうやら之じゃない身分証はないのと言ってるらしい。


没有(ないよ)。と言う。

顔を見合わせる二人。
なんだかまずい状態らしい。


ノートを取り出してさらに何か書き出す。


「☆○■☆×■×☆○■下楼!!!」



え???

下の階に下りろだと???


なんだかわからんが必死なおばちゃん二人。

新手の盗みの方法かしら、と貴重品だけとりあえずまとめる。
僕が下に降りている間に部屋に入られたりしたら大変だ。
しかしこんな強引な盗みなどあるかしらね、とやっぱり何が起きてるかがわからない。

そうしてる間にも、おばちゃん焦る×2。
なにやらしきりに下の階を気にしている。

早くしなさいよ!そんなものいいから!
と言ってるのが何となくわかる。





ん?


もしや。




すこし思い当たる節があったので、ノートに書いて聞いてみる。




「来公安?」(警察来たの?)




おばちゃん大きくうなずく。



これか!!!!


そうとわかっては、やばいと僕も急いで準備をして下の階に下りる。
通常の入り口は既に公安の人たちが来てしまっているようなので、
奥の非常口の方から出るようにと指示され、
寝巻き姿のまま外まで逃げ出す。


危ねー。まさか本当にこれに当たるとは。



実は中国の宿泊施設は、外国人が泊まれるところと泊まれないところがある。


そう、僕はいつの間にか外国人が泊まれないところに宿泊していたのである。
時折、公安の抜き打ち検査的なものがあるらしいと聞いていたが、まさか本当に当たるとは。
つーか泊まる前に何か言えよホテルの方々。

一般的に安い宿を探すと中国人専用的なところに当たることが多い。
断られることも良くあり中国での宿探しはけっこう大変だったりする。

一般的なバックパッカーは、
そんなわけもありユースホステルに泊まったりするのだが、
ユースホステルは外国人向けと言うこともあり値段の割には施設はいまいちだったりもする。
それに駅やバスターミナルから遠いところが多く、結構不便。

と言うわけで、けっこう好き好んで着いた場所の近くの適当な宿泊施設に入ってるのだが、
幸か不幸か知らずに今回は外国人NGのところに入ってしまっていたようである。

ちなみに公安に見つかるとどうなるかと言うと、
ホテル側に罰金が科せられ、当然のごとく宿泊者は別の宿を探さなくてはならない。
このケースの場合、深夜10時から宿探しという過酷を強いられることになっていた。

ちなみに罰金額は50元以上500元未満の罰金だそうで。


中国の宿泊施設はいろいろ面白くて、
未婚のカップルが同時に同じ部屋にいるのが違法だったりする。

夜中、美人局のおばちゃんがやってきて女性を紹介した後、
偽公安がやってきて賄賂を要求するなんて詐欺もあるぐらい。
売春が悪いのか、同居がまずいのかがいまいち不明だが。。

とはいえ、なぜかラブホテルらしき休憩用ホテルとか、
怪しげなピンクホテルもあったりもする。
なにやら中国人はOKとかローカルルールがあったりなかったりするらしい。
その辺も人治国家らしいご様子だ。


というわけで、中国での宿探しは結構苦労する。
断られた宿でどこなら良いのかを聞いてみたり、タクシーの人に連れてってもらったり。

今回は断られもしなかったけど、駄目だったというケース。
今までOK!と言っていたところも、きっと駄目な所もあったんだろうなぁw


洛陽の駅前は何にもない。
20分ぐらいしてから戻って来いとのことだったので、
とりあえず短パン+タンクトップの寝巻きのままふらふらとする。

宿のすぐ近くで、朝来たときに知り合った客引きのおばちゃんたちと混じり、
あれこれと会話をしているうちに時間が過ぎる。

宿に戻るとめっちゃ笑顔でお出迎え。
なんだかお互い共犯者のような連帯感。
・・・いや、僕は別にわるいことしようとしたわけでは。。



無事、寝床に着く。なんだか眠れなくなってしまったのだが。


あ、そういえば洛陽という町に着きました、ハイ。
ここには龍門石窟という、中国三大石窟がありまして、
岩山の中にボコボコと空いた穴の中の彫刻がすごいのであります。


そういえば、
西安から洛陽への移動のときに、
「無座」の席で4時間移動したっていうネタも公安にかき消されたなぁw
電車一本乗り過ごしたっていう大技もあったのに・・・。


・・・さて、ビールでも飲んで寝るか。