2008年7月23日水曜日

世界一周 in (9)中国/万里の長城







DATE:2008/07/23 China - Beiging -


万里の長城。



おまえ、北京来てんのにいつまでそこ行かねーんだよ。
とお気づきの皆様。

ついにやってきました万里の長城!

途中でモンゴル行きたくなったり、
体調不良だったりテンション不良だったりと、
長々とかかりましたがついに本日、出発の日が訪れる。


出発は天安門広場近くの前門から。
カミヨシの知り合いの女性が万里の長城までの行き方を知っているらしく、
お言葉に甘えて地下鉄の駅で待ち合わせて案内してもらうことに。

顔もわからず、携帯も持っていないデンジャラスな待ち合わせ。


しかしあっけなく彼女に発見される。
いわく、

「黒いからすぐわかった」


・・・そうですね。ごもっとも。

きっと今、指名手配されたら一瞬で逮捕されることだろう。



その彼女に案内してもらい無事に万里の長城行きのツアーに参加。
まぁ、お決まりのように良くわからん場所へも連れてかれるようだが良しとしよう。



朝出発したバスは途中、明皇帝陵とやらに到着する。

おおここは、世界遺産の場所じゃないか!!

もともとは行かない予定だったところに、偶然たどり着く。
いやはやうれしい次第である。
しかしながら現実はそう甘くはなかった。

なんだか良くわからない建物に入ってみると、
そこはなんと明の歴代皇帝の歴史を紹介する博物館。
リアルな蝋人形で歴史の舞台を再現したものである。

奴隷や戦のシーンもあれば、密告を行っているシーンもあり、
なかなかに楽しめるのだが、僕が求めてたのはこんなんじゃない。
もうこー、もっと陵墓っとした奴なのだ。

しかし無常にも、どうやらそこで皇帝陵見学は終了。

横目ですれ違っていく、遺跡やら門やらを涙目に追っていく。
なぜにスルー・・・。

そしてなぜに、宝石ショップ。。

観光名所はスルーするのに、
しっかり宝石ショップは回るのだ。中国のツアーは。

まぁ、いいや目的は万里の長城。ランチを食べていざ行かん!


車は30分ぐらい走り続け、
山々っとしたところを抜けていく。
同じような風景にうとうとしていたところ、
目の端に土色のものが見えてくる。


万里の長城だ・・・。


しかし周りの様子を見ていると観光地にはまだついていない模様。
そんな場所にも長城は広がっているのだ。

人気のない森の中に延々と続いていく長城の姿に圧倒される。


バスは長城前の停車場に着き、2時間半のフリータイムになる。
ロープウェイやソリなど色々あったが、ここまで来たら


登るでしょー!!!



と、万里の長城の登り口まで歩いていく。

やはり万里の長城、観光客の数も半端じゃない。
まだ遠くに見える長城の上にも観光客の姿がびっしり見える。
ちなみに今は万里の長城もオリンピックバージョン。
「One world One dream」の看板が長城の横に大きくそびえる。


10分ぐらい歩くと、長城の入り口にたどり着く。
チケットを係員に渡していざ登らん。

そして当然のごとく長城は左右に伸びている。
右か左か。まずはそれを選択しなくてはならない。


どうやら右側の方がなだらかでほとんどの観光客はそちらを選んでいるようである。



じゃぁ、左だな。



当然のごとく左を選択。愛すべき天邪鬼。


右側には何百人も見える観光客が、
左側には10人ぐらいしか見えない。

きついとは言え軽い上り坂程度なので難なく歩いていける。
ただし天候は晴れ。ぎらぎらと照りつける太陽はたいそう暑い。

10分も歩けば山の頂に近いところにたどり着く。
そこからさらに奥へと進んでいく。

観光客が少ないこともあってか、
奥に行くに連れて整備がだんだん甘くなっていく。
ついには整備がまったくされていないだろう場所までたどり着き、
そこで観光客が歩けるところは行き止まりになる。

それでもはるか向こう、山の奥の奥の方まで長城は延々と続いていくのだ。
同じように歩いて来た逆側にも延々と長城は続いている。


誰もいない長城の端っこに座りながらゆっくりと長城を眺める。



時の流れを考える。

千年も前にこれを作り始めた人がいる。
何百年前までそれを直し続けた人がいる。

永遠に見えるこの長城もいつか終端にたどり着く。
既にもうただの土塊となってしまっている所もあるだろう。


永遠はない。


それは誰しもわかっていることなのに、なぜこれを築いたのだろうか。


今では多くの観光客がにぎわうこの場所も、
その昔は片側に味方、片側に敵が並ぶ戦いの場所だったのだ。
長城の大きさに絶望し、それでも諦めなかったものは死に向かったのだろう。


絶望。

きっとそれを敵に感じさせるための装置なのだろうこの長城は。
永遠に続くこの城の前に、それ以外の感情はない。


それでも今はただの緑の中に埋もれた観光地でしかない。
絶望などそう長くは続かないということかもしれない。


自分の人生の短さ。

何百年もかけて作られたこの長城は僕の人生をかけたところで目に出来るものではない。
人生の長さとはその程度のものなんだなぁ、とも思う。
それでも現に長城は足元に存在する。
人生とはそういうものなのだなぁ、とも思う。

誰かの人生がこの長城には埋まっている。ほんとうに沢山の人生が。


のんびりと長城を眺めていると、沢山のことを思う。
圧倒的なものを目の前にすると人は何かの装置が動き出すらしい。





いつの間にか30分以上経っていたので、
帰り道を急ぐ。

時間が余ったので少しだけ逆側も登ってみる。
その途中、一人の少年がナイフで長城に文字を刻んでいた。

とりあえず叱っておいたが、少年には理由がわからなかったかもしれない。

それほど沢山の文字が長城には刻まれている。
他の観光地でもそうだ。そういった行為は日常に行われているのだ。

それが良いのか悪いのか。僕には良くわからない。

イタリアの世界遺産に名前を刻んで非難された大学生がいた。
それは明らかに悪いと言える。
なぜなら、それはその国が、その場所が代々守ってきた場所だからだ。

じゃぁ中国はどうなの?と言われると良くわからない。
もしかしたら、過去から現在までそうやって彼らは暮らしていたのかもしれない。
刻まれた名前ももしかしたら何百年も前の行為である可能性だってあるのだ。
彼らが守るつもりがないならばそれは悪い行為とは言えない。


でもさ。


とやっぱり僕はそれを悪い行為だと思う。
なぜならそれは自分のものではないからだ。

公共のものは自分のものではない。
だから「何をしても良い」

という常識がこの国にはある。いやアジア全体なのかもしれない。

平気で路上にゴミを捨てるのと同様の意識が、
長城に文字を刻ませるのだ、きっと。




僕はこの旅をして気づいた。

先進国と行進国、これを分ける圧倒的な違いは。


「公共」という考え方だと思う。

僕ら日本人には「自分」と「他人」のほかに「公共」という意識がある。
後進国の人々にはそれがない。
もし、あるとしたら公共ではなく、
「誰のものでもない」という意識だ。

誰のものでもないから、誰も怒らないし、何をしても良い。のである。

公共のものは、みんなのものだから、
誰もが気持ちよく利用できるようにしなくてはならない。


この違いは小さくはない。
そしてそれを理解するのは簡単ではない。



長城から北京に戻り宿に着くまでの帰り道。

沢山のオリンピックのスタッフシャツを着た人たちを見かけた。
首からスタッフ証明書を提げている人たちも目立つ。

この町はオリンピックに向けて動き出している。

スタッフ証明書をつけた彼らの姿は誇らしげだ。
シャイでプライドが高い北京っ子がそうやって、
自分を表現している姿はなんだかかわいらしくもある。

彼らは見られていることに誇りを持っている。

きっと彼らは公共のマナーを守るだろう。
守らない人間を注意するだろう。


そうやって一歩ずつ何かが変わっていけばいいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿