2008年7月18日金曜日

世界一周 in (9)中国/ぼくは日本人である。







DATE:2008/07/18 China - Beiging -


今日もモンゴル大使館を逃す。寝坊したー!


まぁ、さして急ぐものでもないので気にせず頤和園へと向かう。
世界遺産だらけの北京にある、これまた世界遺産の庭園。

宿の前からバスが出ているのを発見したので、
遠回りではあるがゆったりと北京市内見物を兼ねてバスで移動。
まさか1時間半も乗るとは思ってはいなかったけれどw

北京の東側から出たバスは、
中心をぐるりと左回りに走っていく。
その北西の終着駅が頤和園である。

バスに乗ると改めて北京の大きさを知る。
山手線を一周する程度の大きさはあっただろう。
景色はオフィスビルから小さな商店街へと変わり、
秋葉原的な電気店街、北京大学の学生街へと続いていく。


終点の頤和園には2時ごろに辿りついた。
さっそくチケットオフィスで入園券を購入する。

そこで園内全ての建物に入れるチケットを買おうとしたが、
おばちゃんに断られる。
なぜ?と聞いてみると、「時間ないから全部はまわれないわよ」
と言ってくる。
しかたなく、園内の入園券だけを購入し入場してみるとその理由がわかる。

とてつもなく広いのだ。この頤和園。


歩いても一日がかりで周りきれるかどうかわからない。
昆明湖という大きな湖を取り囲むように作られた庭園は、
湖の周辺に建物が点在しており、遠くからでも湖の反対側に建物があるのが見える。

おばちゃんの言うとおり。周りきれない。
親切なおばちゃんに感謝をして、入り口付近のメインスポットだけを回ることにする。
それだけでも相当広い範囲になるのだが。


湖のまわりを散歩しながら建てられた建築物を見てまわる。
そのゆったりしたペースがなんだか心地良い。
西太后がここに居を構えた気持ちもわかる気がする。


その建築物。圧巻なのは装飾の決め細やかさと豊富さだ。
建物一つ一つ。柱一つ一つに装飾が施されており、
特に豊かな色彩で彩られた絵が天上を埋め尽くしているのは圧巻。

七百メートル以上もあるというまっすぐな廊下の天上全てに
その絵は描かれていて、一つ一つ異なったストーリーを描いている。
見とれながら上を向いて歩いたため、首がなんだかいたくなるぐらい。


そしてもう一つ。個人的にもっとも気に入ったのが、
壁に施されたガラス窓の細工。

外側と内側の両方にガラスがある二重窓になっているのだが、
そのガラスに描かれた花などの模様が、
内側から外を見る際に湖に映りこみ、
そこに花が咲いているかのように見える。
窓自体も四角や六角、三日月形など様々だ。

その工夫と美しさが、単なる豪華な建物とは違うセンスの良さを感じさせ、
眺めるたびについにんまりしてしまう。
ここで暮らしていた西太后が少しうらやましい。


万寿山と呼ばれる小高い山を登る。
作られた寺院は、これもまた黄色や緑の瓦で彩られた北京らしい建物だ。
そこの頂上から湖を見ると頤和園の大きさを再確認できる。
湖ではボートを借りて漕いでいる家族連れやカップルの姿が見える。


帰り際にもう一度、廊下に描かれた絵と、
絵窓をぶらりと眺めながら外に出る。




北京の街に保存された文化は素敵なものばかりだ。
そのオリジナリティーに中国という国の広さと、
多民族国家ならではの異文化の融合を感じる。

街を歩くと多くの人間にあうが、
その一人ひとりが違う民族であることがわかる。

日本にいると、他民族ということを意識することは少ないが、
アジアにおいては特殊な国なのだということがわかる。
それはきっと島国の特性なのだろう。
日本で民族と聞くとアイヌの人々ぐらいしか思いつかない。
沖縄の人々も、少し本州の人間とは異なるかもしれない。

それでも中国や他の東南アジアの国々のように、
まったく別の種族とまでは感じない。


中国にいると、そのまったく別の民族が
なんだか普通に街の中に共存しているのが少し不思議だ。

同じく他民族国家であるマレーシアは、
中華系やインド系などはけっこうグループが分かれていて、
住む場所も行動範囲も別だと感じた。

中国では漢民族と少数民族の人々が同じ街に住み、同じ店による。
若干、少数民族の人々が低所得者と感じることも多いが、
それでも「混ざっている」という感じは受ける。

これは中国の四千年の歴史がなせる業なのか、それとも別の何かなのか。


中国を縦断してきて色んな顔の人々を見てきた。
そしてこの国が1つではないということも感じている。
それでも何か、やはり「国」という繋がりは持っている気がする。
そういう団結力みたいなものがこの国にはあるのだろう。


中国大好き!ばかりで、他国の常識を省みないのは困るけれど、
こういう愛国主義って少しうらやましい気もする。


旅をして僕は日本人であることに誇りを持つようになった。
でもそれはまだ国のために何かをするほどに、国を愛しているわけではない。


僕は国を持ったことがあるだろうか。


旅に出れば僕らは「日本人」になる。
ではそれ以前の僕らは何者だったのだろう。

そんなどうでも良いことが最近気になる。


僕はいま「日本人」だ。
そのレッテルは気持ちの悪いものではない。

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