2008年12月31日水曜日

世界一周(28)ヨルダン/ある大晦日の撃沈








DATE:2008/12/31 Jordan - Amman -


「ニューイヤー?そんなものは何もないさ。ここはイスラムなんだぜ?」


・・・一同、固まる。


ヨルダンの首都アンマンに着き、
乗り込んだタクシーの運ちゃんに知らされたのは衝撃の事実で、
それはつまり今日、大晦日にナニゴトもなく過ごせという
強制的な命令でもあった。


そうなのだイスラムにとって西暦の1月1日は何でもないただの平日なのだ。

考えてもいなかったがそれもそのはずで、
西暦とはキリストが生まれた時から始まった暦なわけで、
イスラム国家ではまったく何の意味もなく、
実際のところ西暦とは別の暦を使っているぐらいで、
そんなこんなでニューイヤーイベントもなければ、
もちろんカウントダウンイベントもないのであーる。



ないのであーる。

ないのであーる。

ないのであーる。

ないのであーる。




不覚。。




まぁ、イスラム国家だから。
ということでそんな盛大なことは行われないだろうと予想していたが、
まさかこの首都たるヨルダンでさえも、
何事もなかったかのようにスルーされるとは思ってもいなかったのだ。

せめてどこかのクラブでカウントダウンパーティーぐらい。
なんてことも思っていたが、
そもそもクラブなんてものもあるのかさえ怪しいほど、
ヨルダンの首都、アンマンは何もない町であった。



本当ならばイスラエルのパーティープレイス、
テラヴィブでニューイヤーを大騒ぎで迎える予定だったのだが。。。

この戦時中だ。

そんな浮かれたことは言ってられない。
未だにイスラエルの情勢は良くわからず、
街中には悲惨な写真が新聞の紙面を飾っている。

爆撃で殺された子供を担いでいくパレスチナ市民。

そんなリアルが今ここにはあった。



アンマン唯一の観光名人、
サメールのいるコーダホテルに宿を取り、
なぜか旅人の間で親切で有名なサメールと会うも、
さして特別ではなくアンマン観光もあっという間に終了。
ただ何をするでもない大晦日の一日が始まった。

あまりにも暇すぎて、
ドイツでナツホホテル宿泊時にコピーした有頂天ホテルの映画を見ると、
これが以外にも当たりで、
盛り下がっていた年末気分がもっこりと首を上げた。

もともと日本にいたときから、
トランス系のファッションデザイナーをやっていて
パーティー大好きな相方マサミも機嫌が直ったようで、
少し期待を込めてアンマンの町を歩いてみることにした。



町を歩けばニューイヤーの文字が躍る。

なんてことを期待をしていたのだが、
これが情報封鎖でもされているかと思うぐらいまったくなく、
町には新年らしさがまったく見当たらない。

市場もお店も滞りなくつつがなく、平日を続けている。


くそー!!ニューイヤーなのに!大晦日なのに!!!


意地になり探し回るも新年の気配さえない。

そりゃそうか、どうせ新年なんて人間が決めたもの。
常識が違えばそんなものは無意味な決め事でしかなかったのだ。

最後には諦めというか、そんな発見をしてしまった。



一年は365日。一週間は7日。一日は24時間。

そんなアタリマエは、いつから始まったのだろう。

一日が48時間だって問題ないだろうし、
一週間は10日だっていいのだ。
そもそも1分60秒って何なんだ?キリが悪い!

いつの間にか良くわからない常識の中に僕らはいる。
まぁ、だからと言って何の不都合もないわけだが、
アタリマエ。だからそれがどうした?この国でそう言われた気がした。




諦めた僕らは部屋でワインとシャンパンを開けて最後の晩餐を楽しむことにした。
中東の国だってシャンパンぐらいは手に入れられる。

チーズとなんだか良くよくわからない中東のデザートなんかをつまみに、
話しているうちにうとうとしてきて、
新年の明ける30分まえにはもう意識が朦朧とし始めた。

ワインも開けたまま半分以上残っているしシャンパンなど開けてもいない。
マサミはあっという間に寝てしまっているし。

新年10分前。

マサミをたたき起こし無理やりカウントダウンに参加させる。

外は一向に騒がしくもなく、
ただ淡々とした夜の静けさが漂うばかりだ。


10秒前。

9・8・7・6・5・4・3・2・1・・・・0!!!


ハッピーニューイヤー!!!!!!!!!!


静かなヨルダンの首都アンマンで、僕らの声だけが鳴り響いた。
そしてまた静寂が戻った。


「明けましておめでとう」


そう言うとなんだかもう疲れてしまい、
新年を祝う間もなくあっという間に眠りについた。
シャンパンは開けることもなく寂しそうに部屋の隅に置かれたままだった。






そんな中東での大晦日。
何もない普通の一日のできごと。

ともあれみなさま今年もよろしくお願いいたします!


明けましておめでとう!!!!!

2008年12月30日火曜日

世界一周(28)ヨルダン/ペトラの秘宝







DATE:2008/12/29 Jordan - WadiMusa -


「チャ~ラ、ラッチャ~♪チャララ~♪」

軽トラの上の3人の陽気な日本人は、
ペトラへと向かう送迎バスの中、
張り切ってこの歌を歌っていた。

意外にもここまでノリノリなのは僕らしかいなく、
クレイジー日本人全開で歌を歌う。


そう今日はヨルダン唯一の楽しみペトラ遺跡の観光。

ペトラと言ったら・・・。

インディージョーンズ!!


そんな訳で朝からハイテンションの3人は、
インディージョーンズのテーマ曲を歌い、
意気揚々とペトラ遺跡の入り口へとたどり着いたのである。


たぶん、ほとんどの人が知らない事実だが、
インディージョーンズ/最後の聖戦の後半の遺跡シーンで、
使われたのがこのペトラ遺跡なのである。

こんな事実を知っているのは映画オタクか旅人ぐらいのものだが、
意外にも欧米人の観光客でペトラ遺跡は早朝にも関わらずにぎわっている。


入り口で3000円近くもするチケットを購入し、
いざインディージョンズへの道を歩き出した。

しかしペトラ遺跡は大きなもので、
全長4キロを越える巨大な遺跡群。
目的の遺跡へ着くまでも延々と谷の間を歩き続けなくてはならない。

しかしなんともまぁ、これが良いのだ。

風の浸食で出来た岩の風情が
今迄で見たこともないほどに多彩な表情を見せてくれる。

あるものは渦巻状に、
あるものはウロコの様な絵を刻み、
あるものはただ平行線を描く。

見上げるほどの深い岩の谷の下、
その両岸を見上げればどこへ行ってもそこにしかない景色を発見する。
それが楽しくて目的地の遺跡にも辿りつかぬまま、
30分が過ぎ、1時間が過ぎた。


飽きることがないその曲がりくねった細い谷底を歩いていると、
突然、ペトラの遺跡が姿を現した。
あまりの突然さに「今のなしね」と言って、
もう一度、後戻りしてしまったほど。

谷の細い隙間から覗くように、
見覚えのある遺跡の姿が見える。
細い谷底を抜けるといきなり広い世界になり遺跡が姿を現した。

そこへ至るまでの道のりはひどくドラマチックで、
映画の中にいるような気分にさせてくれる。
そんな映画のセットのような場所にペトラ遺跡はあった。

しばらくそのドラマチックさに見とれていたが、
なんだかそれも可笑しくなってきて、
思わずあの曲を口ずさむ。

「チャ~ラ、ラッチャ~♪チャララ~♪」

もちろんインディージョーンズのテーマ曲。
テンションはまたもトップスピードに乗り、
おかしな日本人たちはさらにペトラ遺跡の奥へと探検を続けた。




それにしてもペトラ遺跡は広い。

谷底を抜けて見た最初の遺跡はまだ入り口で、
さらに奥まで歩くには2時間は優にかかる。

しかもその間の道にもたくさんの遺跡が点在していて、
全部回っていればあっという間に日が暮れてしまう。

まったくやる気のないお土産屋、
それに鼻水を垂らしながら遊びまわる、沢山の現地の子供たち。
からかいながら乾いた大地を歩いていく。



自然の岩に刻まれた沢山の遺跡はどれもが個性的で、
それぞれに別の顔を持っている。

単に岩に穴を開けた鳥の巣みたいな遺跡もあれば、
ローマ時代に作られたローマ風の遺跡も、
柱のように岩を削りだしたハリボテみたいな遺跡もある。

その外観も素晴らしいのだが、
中に入ればペトラ遺跡の真髄はこの岩自体にあることに気づくだろう。



龍の鱗。


それを連想させる石の紋様。

岩自体がいくつもの層が重なってできたもので、
それを切り出すとその層が模様のようになる。

赤や白や黒。
何種類もの飴をマーブル上に混ぜ合わせ包丁で切ったように、
切り口によって、角度によってその姿は待った区別のものになる。
四角く切り抜いた遺跡の内部の部屋は、
その石の紋様で埋め尽くされることになるのだ。

その姿が美しく僕らは何十分も四角い岩の部屋に留まった。
極上のアートを見ているような、そんな気分だった。


自然とは美しいものだけど、
人が手を加えることによって輝くものもある。

この荒れた土色一色の大地に、
誰がこんな豊かな色彩を想像するだろう。

人がこの地に手を入れなければ、
この岩の紋様は現れることはなかった。

この紋様をはじめて発見した遠い昔の誰かのことを思う。

きっと嬉しくて嬉しくて、笑ってしまったに違いない。
人の営みとは時に奇跡を生むのだ。




夕方になり暗くなってきたので、
歩き回りへとへとに疲れた足を引きずって、
観光用のラクダや馬車といっしょに入り口まで戻った。

それでもまだペトラ遺跡の半分ほどしか見て回れていない。
まだ見ぬ美しい何かがこの地にあることを思うと少し心残りはあるが、
きっと自然のことだから何世紀経ってもこの場所にあるに違いない。
なにせ何百年も人に知られず眠っていた場所なのだから。



「チャ~ラ、ラッチャ~♪チャララ~♪」


帰り道もまたこの曲を歌う。
宿に帰ったらインディージョーンズの鑑賞でもしようか。

夕焼けに染まった空の色。
赤や黒やオレンジや青。

空もまた、ペトラの魔法にかかったように美しい紋様を描いていた。

2008年12月29日月曜日

世界一周(28)ヨルダン/脱エジプト記







DATE:2008/12/29 Jordan - WadiMusa -


別れの朝。

ウルルンのようなセリフが良く似合う朝。

残されるものと去るもの。
どちらが楽かはわからないが、
去るものは準備であたふたと過ごすため、
何かと気が紛れるものだと思う。

僕とマサミ、そしてエイタくんはやっとのことで荷造りを済ませ、
宿のロビーでみなと最後の時間を楽しんでいた。

次の国はヨルダン。

ここからヌエバアへとバスで行き、
そこからヨルダンのアカバ行きのフェリーへと乗り換える。
できれば今日中にペトラ遺跡のあるワディームーサまでたどり着きたいところだ。

しかしこのアカバ行きのフェリーが旅人には有名な遅延路線で、
料金が異常に高いわりには(なんと1万円弱)、
3~5時間の遅延は当たり前というトンデモフェリーで、
しかも場合によっては1時間前に出発、
なんていうありえない事態も発生するらしい。

というわけで僕らは最悪の事態を避けるため、
フェリー出港時刻14時の2時間前、12時頃にはヌエバアへ。という予定だ。

しかし・・・。


「あれ、タクシー来ないね」


気づいた時には10時をまわっている。
長距離バス停まではここから15分。
チケットを買うことを考えれば10分前には着きたいところだ。


あれ。やばくね?


一同、焦る。

タクシーをお願いした宿の人にもう一度確認する。
宿の人、なにやら別のスタッフに声をかける。
そのスタッフがついて来い、と合図をした。

僕らはそれに従い急いでリュックを背負い、
重い荷物を背負って宿の外にでる。

そこにはタクシーは。。待ち構えてはいない。

どういうこと?

と思うと、スタッフは歩みを止めず、
さらに裏道をぐんぐん歩いていく。

事態が把握できず、とりあえず追う一同。

スタッフは大通りへ出る。

そして迷うことなく、


すっと手を突き出してタクシーを止めるポーズを取った。




アホかっ!!!!!

いまから止めるんかい!

さっき宿で30分も前に予約をした意味はなんだったのだ。
一同、時計を見ながら焦りに焦る。
既に10時10分をまわっている。
長距離バスステーションに着いてもバスに乗れるかは微妙な範囲だ。


運よくタクシーが通りかかり目の前で車を止める。
タクシーとは言っても軽トラで、
それに荷物を乗せて人も乗せて走るダハブ式タクシーだ。

まぁ、ともかくこれに乗ればバス停までは行けるのだ。
とりあえず乗り込もうとするとスタッフがなにやらタクシーの運ちゃんと話している。

「20ポンドだそうだ」

・・・バカやろう。

さっき10ポンドで予約をした宿との契約はどこへ行った。
流しのタクシー捕まえてボッタクリ価格で乗るのならば、サルでもできるのだ。

だめだ。10ポンドの約束だ。

それを繰り返しタクシーとの交渉を続ける。
時間はないが、ここで負けるのはバックパッカーの名折れだ。
そもそも10ポンドも相場よりは少し積んだ値段なのだ。
タクシーとしても悪くはないはずなのだ。

5分ほど押し問答してようやく10ポンドで話がまとまり、
3人は急いで荷台へと乗り込んだ。

残ったゆうこりん達は僕らに手を振っていて、
なにやら青春の一ページのような感動の別れだ。

去っていくクルマ。

手を振り続ける仲間たち。


あぁ、これでエジプトが終わるのだ。

なんだかそれをしみじみと感じた。

クルマが角を曲がり姿が見えなくなるまで荷台の僕らも、
手すりにつかまりながら大きく手を振って別れた。


感動の別れのシーン。

とは言えだ。これでバスに間に合わなくては意味がないのだ。

次のバスの時間がわからないため、
最悪の場合、このまま宿に戻り感動の再会、もとい
おまぬけ野郎の帰還となるかもしれない。

それだけは避けねば。

あまりにも美しい別れに一同が思いを一つにした。


長距離バスステーションが遠くへ見える。
ただいまの時刻、10時25分。

バスに乗れるかどうかはギリギリのラインだ。

バスステーションにたどり着くなり、
僕とエイタくんが荷台から飛び降りた。

「マサミお金と荷物、エイタくん右からバスを探して!俺は左から行く!!」

荷台での打ち合わせどおり、
脱ダハブ大作戦が開始される。


左の入り口を入ると受付カウンターのようなものが見えた。

今回はこれをとりあえず無視する。
カウンターで悠長にチケットなどを買っていては、
バスが出発してしまうかもしれないのだ。

ともかくバスが並ぶターミナルまで行き、
左側から順にヌエバア行きのバスを探す。

と言っても、バスに書かれたアラビア語の行き先はまったく読めやしない。
手当たり次第にバスの運転手に「ヌエバア!?」
と聞いてみて反応をうかがうしかないのだ。

1件目のバスの運転手に聞くと、
「違う」と言い別のバスを指差す。

「ありがとう」と言ってそのバスの運転手に、
「ヌエバア?」と聞くと、「違う」と言って、
僕の立つ駐車スペースを指差した。

どういう意味?それをジェスチャーで示すと、

「ヌエバア」と言う。

周りを見渡すとそう言えば何人か待っているような様子の人々がいる。

その人たちに「ヌエバア?」と聞いてみると、「そうだ」と答えた。


つまりは。


「まだ来てない」ということだった。




なんじゃい、そりゃ。

行ってしまってないだけ文句は言えないが、
なんだかこんだけ焦ったのに無駄な徒労になっただけだ。

結局、エイタくんも同じ情報を確認したとのことで、
二人で窓口でチケットを買って無事にダハブ脱出を成功させた、


ちなみにバスが到着したのはさらに30分後。

なんじゃい、そりゃ。だ。



ヌエバア行きのバスがそこにたどり着いたのは結局12時ごろだった。

チケットオフィスを探し当て、
やたらと高いフェリー代を払うと、
出港まで1時間の余裕があったので
近くのレストランで焼き魚を食べると、
これが非常においしく、
紅海で魚をあまり食べなかったことを後悔した。


出発の30分ほど前になったので、
フェリー乗り場に行き出国の手続きをする。

出国スタンプが押されて帰ってきたパスポートに、
ついに別れのときが来たことを実感した。

フェリー乗り場にはたくさんの人がいて、
アカバ行きの船を待っている。

係員に「アカバ?」と聞き乗り場を聞いてみると、
少し待て、との返事で僕らはイスに座り出港を待つことになった。


3時間も。



をぃ、こら。少し待てとはこういうことかい。
海割るぞ、モーゼ呼んで来いこのやろ。

噂には聞いていたが、
一向に出港しないフェリーに一同イライラが募る。

遅れるならまだしも、
それが当然のように何のアナウンスもないことが一番のイライラだ。
3時間遅れると言ってくれれば、
何かしら時間のつぶし方を考えるのに、
何も言われないのでその場でじっと出港を待つしかない。
本を読んだり日記を書いたりしていたが、
いつしかそれも飽きてしまい、
ただただ死体のようにぼーっと船を待つ、
旅人の群れがロビーに転がっていた。

ロビーには意外にも日本人の団体客らしい人が多くいる。
ツアーの内容は「エジプト、中東を周る魅惑のアラビアンナイトツアー」
てな感じなのだろうか、
バックパッカーしか使わないだろうと思っていた路線に、
日本人のおじちゃんおばちゃんが一緒に乗り合わせていることが、
なんだか不思議な光景だった。


なにやらアラビア語でアナウンスが流れ、
ようやく出港となる。

待ったのは3時間。航海も3時間。
すっかり暗くなった海の外を見ても何の旅情も感じない。
夕日にきらめく紅海を見ながらエジプトを出国する。
という、ロマンティック出国企画も水の泡だ。

船内にはバーと書いてあるのにお酒がないバーや、
ヨルダンの入国カウンターがある。

入国手続きをこんなフェリーの上でするなんて、
さすが中東というべきか。
世界唯一の動く入国管理だ。

船の上でヨルダンの入国スタンプを押してもらうと、
28ヶ国目のヨルダンの入国が完了した。

まさかエジプトの紅海の中でヨルダンに入国するとは・・・。

中東は摩訶不思議なことが時たま起こる。


あっという間に3時間が過ぎて、
ヨルダンのアカバにたどり着くと時刻は夜8時を回りすっかりと日が暮れている。

どうやらアカバからワディムーサへ向かうバスは、
すでに出発してしまった後で、
向かうならばタクシーを使って移動するしかない。

最後の手段として、
さっきのツアー客のバスにお願いして乗せてもらおうとするも、
さっさと出発してしまったらしくバスの姿すらない。

ワディムーサまではタクシーで1時間ほどの距離。

こりゃ高くつくかも。

そう思ったが3人でシェアすればそれほどコストは高くなく、
許容の範囲内に思えた。
これがみんなで旅をすることのメリットなのだ。

考えてみればアカバで一泊すれば、
その分の宿泊費もかかるのでタクシーで移動したほうがコストは少ない。

しかしタクシーには4人乗れるのだ。

そう考えてしまうのがバックパッカー。
近くで誰かワディムーサへ向かう人がいないかを探していると、
ヨルダン人に囲まれて一人おろおろする日本人を見つけた。

ドランクドラゴンの塚地じゃない方に似てる彼は、
会社の夏休みの1週間で中東を旅しているという、
超高速バックパッカーだ。

彼もやはりペトラ遺跡観光のため、
ワディムーサへ向かうそうなので4人でタクシーをシェアし、
夜の道をびゅんびゅん飛ばしてアカバを後にした。



ようやく目的地のワディムーサに着いたときには、
夜10時過ぎ。

日本の温泉街のような山がちの土地に張り付いたように家が建てられている。
そのびっしりと張り付いた家の明かりが美しく、
また別の土地に来たのだと感慨にふけった。

ヨルダンはエジプトの暖かさとはうって変わって、
ダウンジャケットが必要なほどの寒さだ。
息はいつの間にか白い煙へと変わっている。

宿は暖房器具もなくビールも高い、
いまいちなところだったが毛布に包まり眠りについた。


アフリカ大陸から中東へ。

ここからヨルダン、イスラエル、シリア、レバノン、
そしてトルコへと抜けていく。

イスラエルの情勢はいまだ不明確だが、
その時はその時。風に任せて旅をすればよい。


未知から未知へ。


まだ何も知ることのない中東の旅が今始まる。


世界一周28ヶ国目、ヨルダン入国!!

2008年12月28日日曜日

世界一周(27)エジプト/あなたに会えて本当によかった






DATE:2008/12/28 Egypt - Dahab -


ニュースから1日経った今日も特に状況は変わらず、
情報もないまま出発を明日へと延期した。


集まった情報としては、
12月の始めからパレスチナ人側のイスラム原理組織ハマスが、
停戦調停が終わったことを理由に、
イスラエル領土にミサイル攻撃を開始、
それに業を煮やしたイスラエル軍が、
ハマスを一掃するためにガザ地区へ大規模な空爆を行ったとのことだ。
パレスチナ人に多数の被害が出ており、
民間人や子供も含めて死者が続出しているとのこと。

問題の本質がわからない以上なにも言えないが、
どちらが悪いという話ではなさそうだ。

聞いている限りだとイスラエル領土は、
それほど心配するほどの被害はなく、
旅行もエルサレム程度ならば可能な気もする。

不確かな情報であるため、
ぜひイスラエルから戻ってきた旅人の話を聞きたいものだ。

というわけで今日はのんびりと、
何もせずにダハブで過ごすことにした。



とは言えやることもあまりあるわけでもない。

幸いなことにここダハブは
「なにもしない」ということに寛容な町で、
それが自然なことでもある。

そんなわけで午前中はぼーっと宿の屋外ロビーで、
ソファーなんぞに座りながら過ごした。

午後になりなぜかコシャリが食べたくなり、
久々にコシャリを食べにレストランへと出かけた。

そこでもなぜかぼーっとしてしまい、
コーラを飲みながら窓ガラスに映る人々を眺めて、
1時間近くを過ごした。



宿に帰ると何もしないのもなんだなぁ、と思い始め
ボサボサになった髪の毛を切ることにした。

急に思い立ったので美容院などもなく、
仕方なく自分で髪を切ることにした。

屋上に上がり正面用と後ろ用に鏡を二枚用意し、
持参してきている梳きバサミを持って仕事を始める。

仕事、とたいそうなことを言っては見ても、
髪を切ることなんて東京で何度も自分でやったことがあるし、
インドやインドネシアで無残に切り刻まれた髪の毛を、
セットしなおしてきたのも僕なのだ。
いつも通り適当にざくざくと髪を切りそろえていった。


1時間もするとなんとなくまぁ、いいかな。な髪形になり
散らばった髪の毛たちを回収し仕事を終える。

ちょっぴり右側に段ができてしまったが、
さっきまでのボサボサ頭よりはましだろう。

何にもしない一日に、少しは労働をした気がして、
すこし気分がよくなった。



夕暮れ近くになりぶらぶらと外に散歩に出かける。

ちょうど壊れかけていたクロックスのサンダルの偽者が
500円ぐらいで売っていたので試着してみることにする。

本物に比べれば少し硬いが履けないレベルではない。

見比べてみれば本物よりも靴に空いた穴が少し大きく、
偽者とわかるデザインだったが、
そもそもこの靴の楽さを気に入って履いているので、
それは一向に構わない。

サイズ合わせをして1足、グレーの偽クロックスを購入した。


宿に戻るとロビーに人が溜まっていて、
その輪に入るとどうやらヨルダンから今日エジプトに着いた人らしい。

話を聞くとヨルダンは特に情勢に変わりはなく、
いままでと同じように旅行ができるそうだ。
また、イスラエルから来たという人に会ったとのことで、
特に問題はなく移動や出国はできたとの事だ。

それを聞いて少し安心し明日エジプトを旅立つことに決めた。

ともかくヨルダンまで行けば情報も集まるだろう。
そんな安易な気持ちだが、行かなければわからないことも沢山ある。



出発を決め皆に別れを告げ、最後の宴が始まった。

「みんなと会えてほんとよかったっすよ」

サトルくんが本音で語った言葉が良く似合う。

エジプトではたくさんの人とであった。

マサミをはじめ、
ゆうこりん、キョンちゃん、マサシさん、
サトルくん、イッセイ、ヨウコさん、エイタくん。
フェルナンドやジョナサン、そういやハッピーなんてのもいた。

今までの旅してきた中で、
こんなにも人と関わってきたことはあったのだろうか。

避けていたわけではないが、
あまり日本人と絡むことのなかった旅の中で、
エジプトの旅はとりわけ特別だったと思う。

しかしそれがとても心地よかったのもエジプトの魔力だ。

それはやはりこの国が「人」で成り立っていることにあると思う。


勇んで望んだ入国から肩透かしを食らったように、
エジプトの人々はみな親切で明るい気さくな人々だった。

人によってはコミュニケーション過多と思うこともあるだろうけれど、
僕には彼らのイケイケの好奇心が心地よかったし、
意外にもさっぱりとした引き下がり方にも好感を持った。

もちろん一部の人間には嫌な思いをさせられたけれども、
彼らが与えてくれた楽しみに比べれば微々たるものだ。


ピラミッドであった大家族。
アスワンで出会った澄んだ目のイスラムブックショップの店員。
ルクソールで見た超美人のお嫁さん。
毎日ダハブで顔を合わせたお土産屋の店員。

エジプトを思い出すと、
たくさんの遺跡よりもまず出会った人のことを思い出す。

ピラミッドやアブ・シンベル神殿なんかよりも勝る、
世界に誇る宝物がエジプトには息づいている。

砂漠の中に住む民。
その広大な土地に住む人間だからこそ、
ちっぽけな人間と人間の繋がりを大切にするのかもしれない。


だからきっと。

僕ら旅人は自然に仲間となり、
いくつもの笑い声となっていまここで酒を酌み交わしているのだろう。

別れることが決まっている出会いだから、
こんなにも楽しいのかもしれない。


あなたに会えて良かった。

そう思える人がいまここにいる。
それだけで十分ではないかと思う。


Nice To Meet EGYPT.

この国を旅して本当に良かった。



「みんなと会えてほんとよかったっすよ」


そうだ、本当に。

2008年12月27日土曜日

世界一周(27)エジプト/戦争のある世界







DATE:2008/12/27 Egypt - Dahab -


今日、ダハブを離れようか。
つまりはエジプトを離れようか、ということだが、
そんなことを考えながらぼーっとしていると、
いきなりのニュースが僕らを襲った。



「イスラエル軍ガザ地区に空爆」


ぬわにぃ!!!なんて事をおっぱじめるんじゃい!!!!




最初、その事実が何を示しているのかがわからなかった。

そりゃそうだ、日本に生きていて、
イラク戦争や中東戦争なんて言われても、
遠い海を越えた国の話で現実感など持ったことがないのだ。

だから今回もまた、初めて聞いたときは、
「あぁ、そうなのか」と他人事のようにしか思わなかった。



思い出した。

僕はエジプトにいるのだ。
そしてイスラエルはあと1週間後には着くはずの場所なのだ。


なんてことを・・・。


旅をしている限り他人事なんてことは一つもない。
それをいま久しぶりに思い出した。

ニュースを調べるもはっきりとした情報はまだなく、
実際には何が起きているのかはわからない。

ただしガザ地区といえば今いるエジプトからは目と鼻の先。
行こうと思えば10時間もすれば辿りつける場所なのだ。

そしてそれは、これからの旅の予定にも大きく影響を与えることも意味している。

戦争が起これば隣国の国境もまた警戒態勢になるし、
そもそもイスラエル自体への入国は難しくなるだろう。

もともとの予定では年末のカウントダウンパーティーは、
イスラエルのテラヴィヴで、という計画だったが、
それもまた難しいかもしれない。


情報がないままただその場にいる旅人全員が凍りついた。


ともかく未確認のままここを離れるのは得策ではないだろう。

そう思い出発は延期し事態が把握できるまで、
少しの間この場所に留まることに決めた。

この場所にいればこれから行く予定のヨルダンから来る旅人に出会えるだろうし、
その人たちに隣国の現状を聞くことにしよう。


まだ何もわかってはいないが、
僕らが当事者の中に含まれていることはわかった。


世界はどこも繋がっているのだ。
生きている限り僕らは当事者であることから逃れられることはできない。

誰かが傷つくことも、誰かが泣き叫ぶことにも。



ニュースに揺れ、少し平常心を無くしたエジプトの町。
2009年12月27日、僕はその中にいた。

2008年12月26日金曜日

世界一周(27)エジプト/手に入れろドラゴンボール!







DATE:2008/12/26 Egypt - Sharm ash-Shaykh -


船の上で目を覚ました。

寝袋を敷いた船の甲板の上、
朝6時、朝日もまだ昇らない白ずんだ朝。

空が段々と色彩であふれ出す。
暗闇から白へ、そしてオレンジが混ざる。
そのオレンジは徐々に色を増しそして朝日となって弾けた。

いつの間にか動き出していた船は既に海の真ん中を静かに進んでいく。


そんな朝の世界。
まだ誰もが起きだす前。海の上の世界はこんな感じだ。



朝日も昇り少したつとダイバー達はひとり、また一人と起きだし、
朝食の準備が始まった。

船に乗り込んだのは約15人のダイバーで、
その誰もがあるひとつのものを目的にここにいた。


紅の海に沈む船。


THISTLEGORM。

その船はイギリスの軍用船で、
第二次世界大戦中、物資を運ぶ途中、
紅海にばら撒かれた機雷に沈められた。

それ以来、紅海に沈み続けるその船には、
備え付けられた大砲や機関銃が甲板に並び、
その船内には軍用のバイクや車が今もなお整然と並んでいる。
船の中にはバスルームやキッチンがあり寝室がある。


その船に潜る。

それが今ここにいるダイバーたちの全ての目的だ。

みな期待に目を輝かせている。
各スキルによってチーム分けをしたあとのブリーフィング。
誰もが目の前に置かれた沈潜の絵を前に興奮を露にした。



さて、ここに日本人だけに伝えられた一つの伝説がある。


昔、ある旅人がいた。

その旅人は世界を周っている。

旅人はあるひとつの事をしでかした。


なにをしたのか?



あるものを世界中に置いて周っているのだ。


何を?



・・・ドラゴンボール。


あのドラゴンボールをだ。

世界中に置いて周っているそうなのだ。
そのひとつがなんとここ紅海の沈潜の中にあるという噂なのだ。



こりゃ潜るっきゃないっしょ?



そんなわけでこれは憧れの沈潜ダイブ、
憧れの紅海ダイブの上に、
「ドラゴンボール探索ダイブ」でもあるのだ。
期待にテンションは最高潮だ。

ちなみに日本人が誰もいなかったので、
同じチームのフランス人やらイギリス人やらに話をしても、
「へーそうなの」ぐらいの反応だ。
やっぱりこのネタで熱くなれるのは日本人ぐらいなのだろう。
そんなわけで一人だけの探索ダイブが幕を開けたのだ。


今日のダイブは
一本目で沈潜の周りを回り、
二本目で沈潜の中を探索する。

三本目はポイントを移動して
紅海の中の海洋国立公園でのダイビングと計3ダイブの予定だ。



というわけで沈潜ダイブ一本目。


船のデッキからジャイアントスイングで海へ飛び込む。

船から離れマスクを装着し機材の最終チェックを行う。
波は少し強く体勢を維持するのに少し苦労をする。

マスクのチェックをしようと海に顔を突っ込むと、
そのいきなりの世界に仰天した。

足元には既に沈潜の姿が見えた。

思っていたものよりかなり大きい。
全長100メートルのその船は大きいと思っていたが、
それが足元にあることが異常なことに気づく。
地上で生きる限りこんな世界は見えるわけがないのだ。

20メートルも下の船の姿は、
暗く青くただハッキリと形を留めたまま海の底に横たわっていた。

それが見えるというのは紅海の透明度もまたすばらしいということだろう。
みながその足元に気づいたらしく、興奮で声を上げている。

ガイドの合図で一斉にみなが海へと沈降する。

船の姿がだんだんと近づいてきて、
あっという間にビルのようなその姿が目の前に横たわった。


ガイドの合図で船のまわりをゆっくりと泳いでいく。

目の前を大きな筒のようなものが通り過ぎていった。
灰色の泥のようなものをかぶったその筒は、
その足元に大きな台座を備えた巨大な大砲。
そんな映画のような光景が目の前を、
これもまた映画のようなカメラワークで目の前を通り過ぎた。


船に空いた幾つかの穴からは船の中の光景が見える。

まだ遠くからはわからないが部屋のようなものがいくつか。
そして大砲の弾だろうか、魚雷だろうか、そんなものがいくつも。
ダイバーが吐いた息だろうか空気の粒がいくつも昇っていく穴もある。

この中に入ればもっと多くの発見があるだろう。
次のダイブへの期待も膨らんだ。


ガイドがこれを見ろ、と合図をする。

何の変哲もない船の甲板。
ここに何があるのだというのだろうか?

じっくりと見てみると何か魚のようなものが横たわっているのが見え、
それがワニのような口をしたクロコダイルフィッシュだということがわかった。

沈潜には既に多くの生き物が住み着いていて、
サンゴや海草なども多く付着している。
その周りを多くの魚たちが泳ぎまわり、
ひとつの生活空間を形成している。
50年もの時が経てば、
どんな異物だろうが生活の一部となる。
そんな海の世界の出来事を垣間見ている気がした。



船の先端近くまでたどり着くと、
パックリと二つに分かれた機雷の直撃の後が見える。

機雷を食らったこの船は、
この場所からポキリと船体をへし折られ、
そのままこの場所へと沈んでいったのだろう。
折られた先端の部分は横たわり船底を横に向けていた。

その大きな穴からは戦車が見える。

置き去りにされた戦争の跡がなにか不自然で、
時を止めた世界のようにも見えた。



ぐるりと船の周りを一周し一本目のダイブは終了し、
海の上にあがった時にはみな興奮を抑えきれず、
口々にその美しさを称えあった。

メッカを目指す聖職者達のように、
この場所にたどり着いた僕たちは喜びに満ち溢れていた。

休憩時間の間、僕らはずっと太陽を浴び、
ただのんびりと今見た光景を思い出していた。
そしてそれがまだ僕らの足元に転がっていることを不思議に思った。



のんびりと日向ぼっこをしていた僕らを急かすように
ダイビング二本目は始まった。


船の中は意外にも暗く、しんとした止まった世界が
身動きもせずに時代に取り残されていた。
残念ながら懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまったが、
それでも深い海の底に届くわずかな光で照らされた船内は美しい。

船内に入るとまずは小さな部屋を上に登り、
アスレチックのような動きをしながら徐々に奥へと進んでいく。

その部屋を抜けると一直線の倉庫が目の前にあり、
足元にはずらりと軍用バイクが整然と並んでいる。

その真上をすぅっとフィンをゆっくりと蹴って通り過ぎる。

灰色の海ほこりを被った機械達はただ沈んでいるだけだ。
ただ沈んでいるだけというのにこんなにも美しいなんて。

目の前の世界は現実なのに。

何か信じられないものを見ているような。
フィンをひと蹴りすれば世界は変わる。
その自分の動作さえも非現実的なものに思えた。



大切なことを思い出した。



ドラゴンボール!!!



そうだ、うっかり感動ばかりしてるわけにはいかないのだ。

バイクの上からその下まで、
目をしっかり見開いてオレンジの珠を捜索に入る。


次の部屋に入り軍用車が並ぶ倉庫にたどり着いた。
しかし最初の感動はどこへやら、
既に気分はドラゴンボール!
全身のドラゴンレーダーを全開にするのだ。

つかもうぜ!ドラゴンボール!

いつの間にか頭の中はドラゴンボールの主題歌が流れている。
そうだ、この世はでっかい宝島なのだ。
世界一周中の僕がドラゴンボールを見つけないでどうする。
7つの珠を揃えるのだ。
そしてギャルのパンティお~くれ!と言うのだ!!


軍用車の部屋ではドラゴンボールは見つからず、
次の部屋に入ると空気が溜まっている天井があり、
そこから顔を出すと朽ちた船内が見えた。

ちなみに次の部屋に行っても同じような空気溜まりがあり、
同じように顔を出そうとすると、
なんとそこはただの天井で強かと頭を打ちつけることになった。
しばし一人で水中でかえるの様に悶えた。



しかしこの偽空気溜まりの部屋が怪しい。
僕のドラゴンレーダーにびんびんキテいる。

僕がドラゴンボールを置くとしたら。
どんなところに置くのだろう?そう考えた。

誰もが見る見所ポイント?それとも甲板?
いや、、、そんなことをするクレイジーな旅人ならば。

何の変哲もない何もないところにひっそりと置いていくだろう。

それにこの仮説にはひとつ理由があった。


ダイバーは海にごみを捨てちゃいけないのである。


海から何かを持って帰ってもいけないし、
何かを置いていってもいけないのだ。

だから。

何かを置いていったのだとしたら。。
誰もが注目しているバイクや車が並ぶ倉庫ではなく、
注意が向かない何もない部屋である可能性が高い・・・のだ!きっと。


何の変哲もないこの部屋でなぜか一人熱心に何かを探す日本人。
エジプト、紅海。12月の珍事。

しかし探せど探せどオレンジの珠は一向に姿を現さない。
走行しているうちにチームのみなは次の部屋に向かってしまう。

船室の中のバスルームやキッチン。

いや、そんなものどーでもいいのだ!
ドラゴンボールを探すのだ!!!




海から顔を出したダイバーたちの顔にはただ達成感のような、
喜びの表情が浮かんでいた。

そして一人の男の手の中には・・・。


ふんっ!ねーよドラゴンボールなんて!!


そんな訳で無念のまま後にした沈潜。
そこにはまだ何かが眠っているのかもしれない。

世界中のダイバーよ!後は任せた!!残りの6つは僕が探す!







三本目のダイブ。海洋国立公園でのダイブである。

正直、このオマケのようなダイビングに期待してはいなかった。
が、海に入りそれが間違いだったことに気づいた。


今まで見た海の中で最も美しい世界が360度。

色とりどりの珊瑚、それに群れるさらにカラフルな魚たち。


天国のような世界。


それ以外に表現する方法がないような海。
ただその中に漂うだけで僕は満足した。


その珊瑚の海を泳いでいると、
足元には異様な光景も広がっている。


トイレ。。。。。


なんじゃこりゃ?


トイレだよなぁ。便器だらけだよねぇ。

なんと足元には数百個もあろうかというトイレ畑。
生まれてこの方知ることはなかったが、
トイレはこうやって海から収穫されるものらしい。

そんなアホなことを想像してしまうぐらい、
海の中とは似つかわしくないトイレの山。
なにやらこれも沈潜の一つらしいが、
どうも積荷が便器だったらしく、
こうやって沈んだ後も便器を撒き散らしているらしい。
なにも、便器積んで沈まなくても・・・。
船長はさぞ無念だったに違いない。



トイレ畑に珊瑚に魚。

そんな素敵な海もそろそろお別れの時間。
上昇前の安全停止を海中5メートルで行っていた。


すぃっ、と目の前を何かが通り過ぎた。




僕は最初、それが信じられなかった。

紅海でそれが見られるとは聞いてもいなかったし、
もし見られたとしたらそれは奇跡の類だろう。



奇跡は起きた。






イルカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!







目の前を体をくねらせて優雅に泳いでいくイルカ。

興奮のあまりパニックになるほどだ。

急いで誰かにこの幸運を分けてあげようと、
隣にいたカナダ人の女性に指差ししてイルカの存在を伝える。

最初、何事かと思っていた彼女も、
その存在を認めるとぼうぜんと立ち尽くしたように、
そちらの方向を見て動きを止めた。


ゆっくりと尾で円を書くように上下に揺れる身体。

動物園でしか見ることのない世界が、
いまこの目の前で現実に繰り広げられている。


ただの生き物であるはずなのに、なぜこんなに美しいのだろう。

音も立てずに優雅に羽ばたき、イルカはあっという間に視界から消え去っていった。





アンビリーバボー!!!!!!!!!!!



目の前で起こったことが信じられず、
安全停止も忘れてただ今見た光景を思い出していた。


すげー!すげー!すげー!


頭の中で何度もその言葉を繰り返す。
何が起きた?いま何が起きた?







僕はこの興奮とあのイルカの姿を忘れることができない。

この幸運をただ喜ぶことしかできないが、
いつかまたこの海を潜れば
またあのイルカが会いに来てくれるのではないかとも思っている。


その夜。

ダハブに戻り、星空の下みなでまったりとビールを飲んだ。

ゆっくりと羽ばたくイルカの姿は僕の目の前に今も生きている。


僕はいま奇跡の中にいる。

その言葉が不自然ではないほど星空は強く瞬いていた。




僕はいま奇跡の中にいる。

2008年12月25日木曜日

世界一周(27)エジプト/クリスマス☆ダイバー





DATE:2008/12/25 Egypt - Dahab -


目の前を泳ぐ魚の群れは、
遮るもののない透明な海の中をゆったりと泳いでいる。

水面下には珊瑚のカーペットが、
海底を覆いつくすように一面に広がっている。
照りつける太陽を浴びた波の影が、
ゆらゆらと姿を変えながら珊瑚の上で遊んでいる。

すぃっ。

そんな音が聞こえるように、
目の前をオレンジと緑に染まった極彩色の魚が通り過ぎた。

すぃっ。

僕もそれを真似てフィンをひと蹴りし、目の前の魚を追跡する。
魚はしばらく目の前を優雅に泳いでいたが、
最後はめんどくさそうにプイと尾びれを翻し、
反対側へと戻っていった。

魚に別れを告げて穏やかな波の中、
あまりにも近い珊瑚に身を縮めながら、
水面をゆったりと流れていく。
フィンを蹴るのをやめ、ただ波に揺られる。

目の下を映画のような風景が流れていく。

魚のような気分。ではなくクラゲの気分。

ぼんやりと日を浴びながら波の中をたゆたった。

シュノーケルの息づかいと、波の立てるカラコロとした音だけが、
僕の世界を満たしていた。





重い機材を背負い海の中に入ったとたん、
目の前には真っ暗な黒い世界が広がっている。

まるで宇宙の真ん中に放り出されたような気分。

まだ足元には珊瑚や岩と、地球の名残があるのに、
たった一歩踏み出すだけで宇宙へと旅立てる。

海岸線から10メートル。
ぽっかりと海に空いた果てしない落とし穴。
ブルーホールとはそんな場所だ。

宇宙と地球の境界線のような壁をゆっくりと降下する。
地球側にはしがみつくように珊瑚が生息し、
そこを棲家とする魚たちが宇宙へと放り出されないよう、
おっかなびっくりに壁のあたりを行ったり来たりしている。
色鮮やかなそれ達は壁を染め日々姿を変えている。
赤い小さな魚の群れが壁に命を吹き込んだ。


真っ暗な宇宙の中、何かが動いたのが見える。

ぼんやりとした青い光の中、
ゆっくりとそれは形を取り戻し、
最後には巨大なナポレオンフィッシュへと姿を変えて通り過ぎていった。


いつの間にか世界は青へと変わっている。
水深30メートルの世界はただただ青に塗りつぶされて、
魚も珊瑚も人でさえも本来の姿を失っている。
それでも足元はまだ果てしない海が口を明けたまま。
ほんの少し浮力を減らせば、その世界へ落ちていく。
その気はないがほんの少しの間、
その暗い海の底をじっと眺めていた。

世界にはまだ僕らが知らないことがいくつもあるんだ。



そんな今年のクリスマスプレゼント。

シュノーケルのフィンが外れたり、
ダイブ中に機材が壊れたりしたけれども、
それもまたエジプトの小さな物語。


世界最高の海、紅海での出来事。




深夜1時。

ダイバーたちを乗せた船はシャルムシェイクの港をゆっくりと出航した。

目指すは紅海の底に沈む時を止めた船。

沈む船の中に何を見る?

2008年12月24日水曜日

世界一周(27)エジプト/メリークリスマス IN エジプト!







DATE:2008/12/24 Egypt - Dahab -


メリークリスマス!!

なんて言葉がちっとも似合わない中東の国、エジプト。
なんの因果かは知らないが、
クリスマスイブの今日この日、僕はエジプトにいる。

当初の予定ならば、
聖地エルサレムでクリスマス。という企画だったのだが、
エジプトが楽しすぎたのもあって、
いまだ彼の地には着かず、クリスマスを迎えてしまったのであった。


まぁ、それはそれとして。

イベント好きの僕としてはクリスマスを楽しまなくてはならない。

ここは紅海随一のリゾート地、ダハブ。
ここでは憧れのダイビングが待っている。

そんなわけで今日は紅海ダイブ一本目。
久々のダイブのため、スキルチェックを兼ねて試し潜り。



紅海といえば。


ダイバーにとって憧れの地であることは間違いない。

その透明度、そして個性豊かなダイブポイント。

落下度4000メートルのブルーホールから、
戦車や砲台が沈む沈潜ダイブ。
中には無数のトイレが沈むスポットなんてのも。

その豊かなダイブスポットが20メートルを越える透明度と、
さらに花畑のようにあふれるサンゴ礁に囲まれて海の中で僕らを待ち構えているのだ。


ダイバーとしては考えただけでも胸が高鳴る。
そもそも僕がアドバンスのライセンスまでタイで取ったのは、
今日ここで紅海を潜るためなのだ。
いまその成果がここで花開く。


ちなみにここダハブは安いダイブ料金でも有名な所である。

なにせ1ダイブ20ドル程度と超格安。
オーストラリアで潜ったときなんて2ダイブで200ドル近くもかかったのだ。

まぁ、それにはやはり訳があって、
エジプトの安い物価もあるのだが、
ダハブはビーチダイブが出来るスポットが多く、
ダイブショップから歩いて海に潜っていく。

そんなわけで紅海初ダイブは重い機材を背負って、
ダハブの町を歩くことから始まった。


町のみんなは慣れているのだろうが、
お土産屋さんや観光客向けのレストランが立ち並ぶダハブの町の中を、
テクテクと機材を背負ったダイバーが歩いていく姿は、
なんだかこっけい極まりない。

クリスマスになにやってんだか。

去年の横浜デートクリスマスとは雲泥の差である。
なんだかちょっと寂しくなってきた。



そんなわけで潜った紅海だが・・・。


ん~普通?


潜った時間が夕方前で、
光が弱くなっていたからか、
サンゴの色がほとんど青くしか見えず、
まぁこんなものか。といった感じ。

ただしそのサンゴの量は半端じゃないことはわかる。
これが昼間ならば・・・。

メインは明日のブルーホール。
楽しみはお預けである。



と、ダイブが終わった後は特に何もあるわけではない。

ダハブは欧米人が集まる観光地でもあるため、
イスラム教徒にも関わらず多くの店が
クリスマスメニューを用意して観光客を待ち構えている。

店員なんかも、
「メリークリスマス」なんて言っちゃって、節操がない。
宗教なんて金には負けるのだ。
キリストが生まれた日をなぜ祝う。

とは言っても、そこはエジプトのこと。
今までヨーロッパで見てきたクリスマスムードには及びもせず、
なんとなくクリスマスといった感じ。

でも中には粋にサンタクロースなんてのを店前に飾っているところもあり、
僕はその心意気が気に入ってそこで赤ワインを買った。



ぶらぶらと夜の海沿いを歩いているといつの間にか静かな場所に出た。

遠くには海岸を縁取るようにお店の明かりが線を引いている。
対岸にはサウジアラビアの光がぼんやりと輝いている。
そこで腰を下ろしてしばらくじっと海を見る。


気がつけば旅に出てからほぼ1年が経っていた。

こんなところで何してるんだろう。
一人のクリスマスはやはり寂しくもある。

一足先にクリスマスを迎えているはずの、
遠く海の向こうの好きな子を思った。

何もしてあげられないけれど。
ただその子のことを考えた。

旅をしていることが馬鹿らしくなった。




なんとなく馬鹿なことがしたくなって、
クリスマスだからといってチキンを丸ごと食べることにした。

それがお店の人に受けたらしく、
写真を撮ったり、冗談を言い合って、
ちっとも英語じゃない会話をした。

だから僕のカメラには丸ごとチキンを食べる僕や、
なぜか頭の上に靴を載せた写真が残っている。

そんな馬鹿なことをしていたら、
今ここにいることも悪くないと思えてきた。



ゆうこりんとダイブショップで知り合った悟君が呼びに来て、
みんなで部屋でクリスマスを祝うことになった。

マサミは病院でなぜか穴に注射を打たれていて、
彼女は彼女なりに散々なクリスマスを過ごしていたようだ。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて声をあげて笑った。


そんなことをしていたら、
なんだか一人のクリスマスだとかそういうことがどうでも良くなって、
ただみんなの中で今日を祝うことが今年のクリスマスなのだと思えてきた。

なぜかクールなみんなをよそに、
僕は一人でクリスマスのカウントダウンをする。

10、9、8、・・・2、1・・0!!

なんだかそのむなしい感じが逆におもしろくなる。

いいじゃないかこんなクリスマスも。

世界中でどんなクリスマスが行われたかは知らないが、
これが僕の今年のクリスマスだ。


メリークリスマス!!!

2008年12月23日火曜日

世界一周(27)エジプト/なーんもしない一日







DATE:2008/12/23 Egypt - Dahab -


アフリカ大陸を抜け、シナイ半島を横断し、
ダハブにたどり着いたのはお昼を少し回ったころだった。


ダハブに着いて今日一日やった事といえば
ビールを飲んだことと外をぶらぶら散歩したことと、
夜にみんなでご飯を作ったことぐらいだ。

なーんもしない一日にも夜空に星は輝いていた。


ほら、いつの間にかメリークリスマス。

あんな話やこんな話で夜はあっという間に更けていく。

2008年12月22日月曜日

世界一周(27)エジプト/デンデラの冒険







DATE:2008/12/22 Egypt - Luxor -


天井を眺めれば美しい円形のレリーフが目を潤し、
地下室に潜れば冒険の後に隠された女神の彫刻が目の前に現れる。

今日訪れたデンデラは、
今までにはないそういった冒険がいのある遺跡だ。


アブ・シンベル神殿、王家の谷。
そういった有名な遺跡と比べれば圧倒的に知名度が低い
デンデラのハトホル神殿に訪れようと決めたのは、
南米を旅してきたマサシさん曰く、
「全ての人が薦めてきた唯一の場所」
ということ意外に理由はない。

僕もまぁ1日ぐらいは余裕はあったので、
どうせならば人が行かないところの一つでも行っておこうか、
と考えた程度の軽い気持ちだ。
こういう時に限って、当たりが来る。
デンデラもそのひとつだ。


この遺跡は子孫繁栄を願う神殿で、
古代ではそこでお産なども行われていたようだ。
そんなわけで性的描写も多いなかなかにセクシャルな遺跡なのだが、
僕がこの遺跡を気に入っているのはそんな理由だけではない。

このデンデラの何がすごいって、
冒険心をくすぐる仕掛けに満ち溢れていること。

隠された地下階段やら屋上への階段やら、
アドベンチャー気分満載の遺跡なのだ。


まず神殿の入り口を入ると、
多くの柱が立ち並ぶ部屋がありそれを通り抜けると、
左右に小さな部屋がいくつか見える。

その中の一つに入ると上へと続く階段らしきものが見える。

石の階段にはびっしりとレリーフが刻まれていて、
そこからして冒険心をこそりとくすぐる。
その階段をぐるぐると上って行くと、
いきなり開けた場所に出て青空が天に広がる。

そこにもひとつ隠し部屋のようなものが奥にあり、
そこに入ると天井のレリーフに驚かされる。

宇宙を描いたものなのか、それとも古代の生命観を描いたものなのか。
頭上の円形のレリーフの中には神や人が描かれ、ぐるりと円を描いていた。

そこの壁を見ると男性がおしっこをしているような壁画もあったりする。
僕はそれをおしっこだと思ったが、
ここは性的な遺跡なので、もしかしたら違うのかもしれない。
それはご想像にお任せする。という奴だ。



屋上からレリーフの階段を下りて、
さらに遺跡の中を探検すると警備員が呼びかけてきて、
地下への階段を教えてくれた。

その狭い階段を屈みながら中に入る。

中の空気はもやっとして蒸し暑く、
何か違う世界に来たかのようにも感じる。

淡い光に照らされて隠されたレリーフたちが浮かび上がる。


ここの地下のレリーフは発見されなかったためか、
顔や神の姿がほぼ無傷のまま残っている。

外の主だった壁画は敵の侵略のためか、
王の姿やおろか神の彫刻、さらには性器にいたるまで、
徹底的に削り取られた跡がある。
子孫繁栄を願う神殿であるため、
前王の血筋を根絶やしにするという明確な目的があったのだろう。
なんだか大人気ないが、
勃起した男性器が削られた姿はおかしくもある。

地下遺跡にはそいういった性的表現はないが、
なにやら気になる大きな丸いものを持った人が彫られている。
後から知ったことなのだが、
実はこれは「電球」を描いていると言われていて、
この時代にはないはずの技術。つまり「オーパーツ」だと言われているのだそうだ。

隠された地価遺跡にオーパーツ。
なんて冒険心をくすぐる遺跡なんだ。



そんなこんなで約束の時間はすっかり過ぎ、
待たせていたドライバーをすっかり怒らせてデンデラ観光は終わりを告げた。


次の町、ダハブへ向かう。ついに憧れの紅海ダイブ!

夕日を背に受け走り出したバスは
ナイル川と寄り添いながらエジプトの道を北へと上る。

ナイル川に反射した夕日とやしの木が、ナイル川に絵を描いていた。

2008年12月21日日曜日

世界一周(27)エジプト/エジプトの至宝








DATE:2008/12/21 Egypt - Luxor -


この広大な遺跡の中にいると呆れてくる。

だから何だってこんなものを作ったんだい?


ルクソールのカルナック神殿は、
今までに見たこともないほど大きな、それは大きな神殿だった。

訪れたのは中心の神殿だけだったが、
それだけでも1キロ四方近くはあるだろう。
その中に各時代の王たちが捧げ沢山の神殿が寄せ集まっている。

大きな柱の群れを見て回ったり、
調子よいことを言って秘密の部屋にタダで入れてもらったり、
エロ警備員にマサミがセクハラされてたりと、
最後には広すぎてヘロヘロになりながら遺跡を回った。


王家の谷もそうだったが、
エジプトの観光地にはけっこう地元の、
つまりはエジプト人の観光客も多く、
それがこの国の豊かさを証明しているようにも思える。

僕ら日本人にとっては、
国内旅行も海外旅行も今は当たり前のことだろうが、
世界の中には自分の国を、
さらには自分の村さえも出ずに一生を過ごす人がいるのだ。
それは金銭的な問題でもあるし、
交通手段の問題かもしれないし、
単なる常識の問題でもあるかもしれない。
半世紀ほども前ならば日本だってそうだっただろう。

ともかくいま僕らはこうやって、
その気になればちょっとそこまでの旅行はできるのだ。
それができる国民的な余裕がこの国の人々にはある。


そんな色とりどりの布を巻いたエジプト人の中で
観光をするのはなかなか楽しい。
笑い驚き、時には子供に怒ったりなんかする、
エジプト人の日常を垣間見ることができるからだ。

それに人懐っこい、というか好奇心旺盛なエジプト人。
子供たちは外国人と見ると
「ウェア ユー フロム?」と「ホワット ユア ネーム?」
と話しかけてくる。
ちなみに英語が話せるというわけではなく、
単にこの二つの言葉を知っているだけで、
逆にこっちが話しかけてみると困って逃げ出してしまう子もいる。

それでもそんな状態で外国人に話しかけるという、
エジプト人気質ってやつは凄いと思うのだ。
日本だったら、なんて事は意味のないことかもしれないが、
僕らには到底できることではないと思う。
しかしこの国際化社会ってやつは、
それが大きな差を生むと思うのだ。
当たり前だ。コミュニケーションのできない奴など、
いないのと同じなんだから。

この砂漠の地で何が生まれるかはわからないが、
エジプトという国のポテンシャルはもの凄いと思う。
勤勉で夜遅くまで働き、さらに好奇心旺盛で友好的。
まぁ若干適当なところがたまに傷だが、
それでも僕はこの国に期待せずにはいられない。



ヘトヘトになってカルナック神殿から戻り、
ご飯でも食べに行こうかと地図を頼りにレストランを探したが、
それがなかなか見つからない。

困ったので地元の青年に聞いてみるとそれが大間違い。

変な暗い道をうろうろとつれてまわされ、
マリファナとセックスの話を延々と聞かされ、
結局最後にはガイド料を取ろうと手を差し出す。

疲れていたのもありけんか腰で追い払い、
どうにかたどり着いたレストランへと腰を下ろした。
先進国を旅しているわけではない。こういうこともたまにはある。


レストランでエジプト料理を食べる。

ショクシューカという料理。
ひき肉にトマトベースの味付けをして、
土鍋で煮込んで最後に卵を落としたシンプルな料理なのだが、
これがまた美味い。

エジプト料理って奴はそんなに幅があるわけではなく、
最近はケバブかコシャリなんてものしか見当たらず、
若干飽き始めていたところ。

さっきの気分はすっかり吹っ飛ばされレストランを出た時にはすっかりご機嫌。
気分なんてのはそんなものですっかり変わってしまう。

おいしいご飯においしいお酒。
あとは好きな子なんてものがいれば。

大抵のことは笑い飛ばせるのだ。

だから誰かが悩んでいるときにまず僕はこういう。
「まず、ご飯を食べよう。考えるのはそれからだ。」



ご機嫌でレストランからホテルへ戻る帰り道。
どこからか音が聞こえる。

アラブ音楽の独特の響き。
それに合わさる手拍子の音。

何事かと思い駆けつけてみると、そこはなんと結婚式。
ウェディングドレスを着た新婦とスーツ姿の新郎が車へと乗り込むところだった。

エジプトでもウェディングドレスとかスーツ着るのだねぇ。
なんてことに驚いていたのはつかの間。
凄いことに気づいた。


嫁、美人過ぎ!!!!!!


エジプト人。きれいだと思っていたが、
今まで見てきた中でもぶっちぎりで美人。
しばし見とれる。
すぐに車に乗り込みいってしまったが、しばし立ち尽くす。


あぁ、ええもん見たわぁ。


今日のカルナック神殿のなんて、
さっきの嫁に比べたら。

しばしマサミとエジプト人最強説について語り合う。
つーかうらやまし過ぎるぞ、夫!


ちなみにその後、もう一組の新婚カップルに会って、
アラブ音楽に乗って踊りまくったが、
それはまぁなかったことにしよう。
エジプト人最強説がもろくも崩れることになったのだから。


やっぱいーわ。エジプト。


しっかし。。。いいもん見たなぁ。

2008年12月20日土曜日

世界一周(27)エジプト/ツタンカーメンめ!




DATE:2008/12/20 Egypt - Luxor -


王家の谷への一本道をひとり自転車をこいでいる。

ルクソール対岸の王家の谷への一本道は、
意外にも畑や家が立ち並ぶ豊かな道だ。

ツタンカーメンやラメセス3世など多くの王が眠る、
王家の谷を今日は自転車で巡ることにした。

ほかの皆はツアーに参加するとの事で、
久しぶりに一人の観光。
宿で借りた自転車を渡し舟に載せ、
王家の谷への4キロほどの道を自転車に乗って走っている。


道を走っていると畑で働くたくさんの人を見かける。
何を作っているのかはわからないが、
刈り入れの時期らしくせっせと鎌を振るい、
緑豊かなその作物を山のように積み上げている。

エジプトに来て驚いたのはその豊かな農作物で、
人が生きている以上当たり前なのだが、
以前はそれを作れる環境があることを想像もしていなかった。

ここでも日本のジャイカなどのたくさんの機関が、
農作物の生産のため多くの支援をしているというが、
何千年も前からここに住み続けている以上、
それがなくても生きていくだけの生産力はあったということだろう。

彼らにカメラを向けていると、
その中の一人が話しかけてきて、
僕はジャパニーだと答える。

何をしているの?と聞いてみると、
身振り手振りでどうやら学校の授業だということがわかった。

農業学校なのか、それとも普通学校の授業の一環なのかはわからないが、
この砂漠で生きるすべを彼らは学んでいる。
機械もなく手でクワを振るう昔ながらのスタイルだが、
その姿はたくましくとてもすがすがしく思えた。


彼らに手を振って別れを告げてしばらく進むと、
二つの大きな石像が見えた。

その何とかという椅子に腰掛けたかっこう石像は崩れかけていて、
それほど美しいものではなかったが、
その崩れかかった姿もこれから訪れる王家の谷のエピローグのような感じがして、
道の向こうに見える遺跡たちへの期待が高まった。

すでに道の向こうには遺跡らしい姿が見えている。
王家の谷の近くには遺跡が点在しており、
各王の祭壇やら女王のための遺跡、さらに貴族の墓なんてのもある。

遠くに見える岩山にはいくつも無数の穴が開いていて、
それは一つ一つ墓になっているのだという。


さらに自転車をこいで行くと二股の分かれ道になっていて、
僕は最初の目的地、ハトシェプスト女王の葬祭殿がある右側へと曲がりさらに進んでいった。

もう目の前に見えている岩山には、
いくつかの住居が張り付くように建てられている。
そこに暮らす少年たちなのか日陰で何かをしながら遊ぶのが見えた。
さらに進むと遺跡が右側に見えて、
それよりさらに進むとまた別の遺跡が左側にも見えた。

地図によるとその少し先に女王の葬祭殿があり、
そこから一つ山を越えたところに王家の谷があるのだという。

ここまで自転車で来た理由は、
実はその山越えにあり自分の足で登ると王家の谷を一望できるポイントにたどり着くそうだ。
ツアーでは味わえないそのダイナミックさを一目見ようと、
少し上り坂になり始めた遺跡への道を自転車をこいだ。


また別の遺跡が目の前に現れ、
女王の葬祭殿への道を聞いていると、
後ろから追いかけていたヨウコさんと合流した。

ヨウコさんは同じ宿に泊まっている日本人の女性で、
現在は旦那さんと二人で世界一周旅行の最中らしい。
その旦那さんはダイバーの先生をしていて、
旅の途中、急遽エジプトのダハブで代理の先生をしなくてはならなくなったらしく、
ヨウコさんだけ今ここでルクソール観光を楽しんでいるそうだ。

昨日ロビーで知り合い、話していたら
今日は同じように自転車で回るかもとのことだったが、
どうやらその決心をしたらしく、
のろのろ進む僕にあっという間に追いついたというわけだ。


というわけで、
二人は一緒に女王の葬祭殿への道を自転車を漕ぎ出した。
なんだかエジプトに来てから日本人づいている。
それが妙に心地よいのだからエジプトとは変なところだ。



女王の葬祭殿にたどり着くと、
まずその外観に驚いた。

ギリシャ神殿のような整ったシンメトリーの姿。

今まで見てきたエジプトの遺跡とはまったく異なる姿。
その姿はむしろ作り物のようで、
岩山の中を切り出して作られた遺跡は、
ぽっかりとそこだけ浮いた不思議な存在だった。

中に入るとそれもまたオフィスビルのような、
なんともシンプルな姿をしている。
ずらりと並んだ柱は正確に一直線に伸びている。

オフィスビルのようなその姿だが、
やはりそこは遺跡であり、その壁面に描かれた壁画は、
今でも色彩を失っておらず美しく青や黄色で彩られている。
ところどころ剥げ落ちた色が歴史を示している。


そこを後にして神殿の右手から伸びる山道を、
今度は歩いて上る。

今までいろんな山を登ってきたので、
別にこの程度の山はどうってことないのだが、
さすが砂漠の中の岩山だけあって崩れやすく、
たまにずるりと足元が滑る。

それに気をつけながら登りきると、
目の前には王家の谷の姿が広がっていた。


なぜこんなところに墓を作ったのかはわからないが、
そこは山の中にぽつりとできた大きな谷になっており、
その中に小高い丘がいくつも連なっている。
恐らく観光のために人が作った道だろう、
いくつもの白い線が谷の中にうねうねと引かれている。
その白い道にはたくさんの人が歩いており
その姿はどこか血管のようで、
そこが生き物のような不思議な感覚を覚える。


山のてっぺんまで登りしばらくそれを眺めながら、
持ってきたお菓子を食べながらのんびりとした時間を楽しむ。

この下に王たちが眠っている。

ピラミッドや多くの神殿と比べて、
なんとシンプルな墓なのだろう。
もちろんツタンカーメンの墓の中を見ればわかるように、
そこには多くの金銀財宝が一緒に埋められていたのであるが、
とは言えピラミッドの規模から見ると、
それは単なる穴にしか見えないほどだ。

エジプトの歴史はなんと謎が多いことだろう。
もう少し考古学かなにかを知っていれば、
もっとたくさんのインスピレーションを得られるのだろうが、
それがないことが残念で仕方がない。
知識とは今を楽しむためのものでもあるのだ。


上からの眺めを楽しんだ後、
急な斜面をずるずると降りながら谷の下までたどりついた。

谷にはたくさんの王の墓かがあり、
その中からいくつか選んで入る仕組みのようだ。

山を越えてきたからか、
なぜか入場料みたいなものは取られなかったが、
それと引き換えに入場料にセットされている、
3つの王の墓への入場チケットももらえなかったので、
どうせなら、と入場チケットとは別に買う必要がある、
ツタンカーメンと、ラメセス6世の墓に入ってみることにした。


ここで最初に告げなくてはならないことがある。

「ツタンカーメンの墓は異常なほどにがっかりさせられる」


これはエジプトの王家の谷に訪れた人誰もが言う言葉である。
しかも入場料が100エジプトポンド、つまり1600円もする。

じゃぁなぜそれを知っていながらそこに入るのかというと、
それはやはり「どんだけがっかりするんだよ」というのは、
それはそれで興味の対象であったりもするのだ。
言うなれば見世物小屋のようなもので、
がっかりすると知っていながら見ずにはいられないものもあるのである。
というわけで高い入場料をはらってがっかりしに行くことにしたのだ。

そして、結果から言おう。


「ありえないほどがっかりだ。」


いや、まじでありえない。
これで100ポンドを取ろうとする、
エジプト人の度胸に感服する。
しかもそれは毎年値上がりし続けているのだ。
恐るべしエジプシャン。


まず入り口には細い階段があり、
それが奥まで続いている。
その細いシンプルな階段にはなかなかドキドキさせられる。
この先には何があるのだろう、だ。

階段を降りるとぽっかりとした空洞があり、
右手のほうに8畳ぐらいの中ぐらいの部屋と何やら壁画らしきものがある。

そして、それだけだ。

これだけかよ!!!!


右手のほうにはポツンとさみしげに、
ツタンカーメンのミイラが置かれているが、
なんかそれも物悲しいぐらいの簡素さだ。

異常なほどの簡素さにしばらく立ち尽くす。
せっかく100ポンドも払ったのだからと、
じっくりと壁画を見るがそれもそれほどきれいなものではなく、
すぐに見飽きてしまう。
でも、もったいないのでまた見る。飽きてるけど見る。
なんかその行動がむなしさを増長させる。

ミイラだって初めて見るならまだしも、
イギリスからフランスまでいたるところのミイラを見てきた僕にとって、
ミイラなんて別に萎びたシイタケみたいなもんだ。
それがツタンカーメンと言えど、シイタケはシイタケなのだ。

そんなわけで、
思った以上にがっかりしたツタンカーメンの墓。
ネタ的にはまぁ、これはこれでありなのだが、
なんだか釈然としないもやもやを残しながら、
次の墓、ラメセス6世の墓へと訪れた。



断言しよう。

確実にこのラメセス6世の墓がこの王家の墓で最も美しい墓だ。

もし、これから王家の墓を訪れる人がいるならば、
絶対にこのラメセス6世の墓は見てみるべきだ。
そこには王家の墓という名にふさわしい完璧な壁画が広がっている。

その細いスロープを下っていくと、
両側の壁には隙間もないほどびっしりと埋め尽くされた、
ヒエログラフと神に捧げる絵の数々。
そのどれもが彩色に溢れていて古代の美しさが蘇る。

天井を見上げれば宇宙のような色で埋め尽くされ、
そこには王の復活を描いた古代エジプトの世界観が刻まれている。

細いスロープを抜けると広い部屋に出る。
そこには昔置かれていた像の崩れた姿や、
何か儀式的なものだろう石のようなものが中心に置かれている。
もちろんその周りの壁や天井には、
いっそう美しい壁画で埋め尽くされていて、
埋め尽くされたその絵の中、たっぷりと古代の雰囲気を味わうことができる。

修復されたものではあろうが、
その古代の色使いは思い描いていたエジプトのイメージとぴったりで、
しばらくどの絵を見るでもなく、
壁を見回しながらその雰囲気を楽しんだ。


ツタンカーメンはあまり力のない王だった。
それを思い知らされる今ここにある光景。

考古学博物館で見た数々のツタンカーメンの墓の金銀財宝。
この美しい墓にはいったいどれほどの財宝が詰め込まれていたのだろう。
この美しい墓に住む王はいったいどれほどの人間だったのだろう。
ちっぽけな墓の中、そんな過去の世界に身を浸した。




もう一度、谷をよじ登りもと来た道に戻る。
目の前には先ほどの見てきた王家の谷が広がっている。
王たちの夢の跡。生の跡。それを残して僕らは来た道を引き返した。

今日これからダハブへと向かうヨウコさんと別れ、
僕はもう一つの遺跡、ラメセス3世の葬祭殿を目指すことにした。

日が暮れ始めて土の色が白から赤みがかった色に変わっている。

そのラメセ3世の葬祭殿は遠くからでもよく見えた。
自転車をこいで目の前のその大きな神殿を目指した。


目の前にしてみるとそれが本当に大きな神殿だということがわかる。
10メートル以上もありそうな壁のような大きな塀が四方を囲んでいるのだが、
その正面は一枚の大きな絵のように巨大な壁画を刻んでいる。

最初はその規模に驚かされたが、
中に入ってみるとこの神殿はそれが序章であったことに気づく。

一歩神殿の中に入るとまず静けさに驚く。
観光客もまばらなその静かな遺跡をゆっくりと歩く。
第一の門をくぐるとそこにはテニスコートぐらいの大きな広間があり、
その内側をぐるりと覆うように大きな円柱の柱がずらりと並んでいる。

まずその大きさに驚く。
が、次にはその美しさに驚く。

その大きな円柱を取り囲むように刻まれた壁画。
それはどれもが精密で彩りに溢れている。
柱一つ一つにストーリーがあり、
その回廊を歩くといくつもの物語を語り聞くことができるのだ。

天井もまた同じように壁画が刻まれていて、
大きな青い鷹が天井を覆うように飛んでいる。


壁画の中には削られたものもある。
それは顔だったり、体全体だったりするが、
恐らくは宗教的な敵、もしくは別の権力者によって行われたものだろう。
復活を信じる彼らにとって、
神殿の壁画の中の王の顔を削り取るという行為は、
永遠の死を与えるという意味なのかもしれない。
それでも壁画の中の神は傷つけられることもなく、
古代の姿のまま現在に残り続けている。
権力者が変われど神は殺せないという事なのかもしれない。



神殿をあるいていると一人のガイドと知り合いになった。
最初は勝手に案内をしてガイド料をせがむ、お決まりの人間だったが、
適当に話して遊んでいるとなぜか仲良くなり、
彼の家族の話を聞いたり、給料の話や日本の話をしていると、
タダでいいからガイドをしてやると言い出す。

怪しいがまぁそれもいいかと思い、彼にいろいろな話を聞く。

これは戦争の歴史。
切り落とした敵の首や手を数える絵、格闘技の鍛錬の絵。弓を射る王の絵。

今まで景色でしかなかったその壁画たちが、
たちまち物語になってしまう。

結局、最後までガイド料を請求することもなかった彼と笑顔で別れた。



昔。僕は歴史というものに興味がなかった。

それは教科書に書いてあるもので、
調べさえすればすぐにわかる価値のないものだと思っていた。
それを覚えるという行為に何の意味があるんだ、と。

今でも僕はそう思う。
インターネットが発達したこの時代。
価値はさらになくなっていくものだと思う。

ただこの歴史の前に立つと、それはそうもいかなくなるのだ。

楽しむために必要な歴史もあることを知る。
もちろんそれはさらに世の中が進化して、
いまこの壁画の前で情報を引き出せる世界になれば、
そう思うことも少なくなるのかもしれないけれど、
歴史の流れを知り古代に触れるという行為は、
人生を楽しむ中で一つ大切な力なのかも知れない、なんてことを思う。


歴史の先生もさ。

「お前がいつかエジプトに行く時にそれを楽しめるように」
って理由を教えてくれれば真剣に歴史を勉強したのかもしれないのに。
そういう馬鹿みたいなきっかけで人生はけっこう変わってしまうものなのだ。

ま、「一生日本を出ない」なんて言って、
英語をろくに勉強もしなかった僕には何の意味もなかったかもしれないけれど。
人生とはわからんものだ、ね。



帰り道、自転車を飛ばして夕暮れの道を走る。

荷車をロバに引かせて走る父親と二人の子供。

のんびりとしたロバを追い抜いて町へと戻った。