2008年12月20日土曜日

世界一周(27)エジプト/ツタンカーメンめ!




DATE:2008/12/20 Egypt - Luxor -


王家の谷への一本道をひとり自転車をこいでいる。

ルクソール対岸の王家の谷への一本道は、
意外にも畑や家が立ち並ぶ豊かな道だ。

ツタンカーメンやラメセス3世など多くの王が眠る、
王家の谷を今日は自転車で巡ることにした。

ほかの皆はツアーに参加するとの事で、
久しぶりに一人の観光。
宿で借りた自転車を渡し舟に載せ、
王家の谷への4キロほどの道を自転車に乗って走っている。


道を走っていると畑で働くたくさんの人を見かける。
何を作っているのかはわからないが、
刈り入れの時期らしくせっせと鎌を振るい、
緑豊かなその作物を山のように積み上げている。

エジプトに来て驚いたのはその豊かな農作物で、
人が生きている以上当たり前なのだが、
以前はそれを作れる環境があることを想像もしていなかった。

ここでも日本のジャイカなどのたくさんの機関が、
農作物の生産のため多くの支援をしているというが、
何千年も前からここに住み続けている以上、
それがなくても生きていくだけの生産力はあったということだろう。

彼らにカメラを向けていると、
その中の一人が話しかけてきて、
僕はジャパニーだと答える。

何をしているの?と聞いてみると、
身振り手振りでどうやら学校の授業だということがわかった。

農業学校なのか、それとも普通学校の授業の一環なのかはわからないが、
この砂漠で生きるすべを彼らは学んでいる。
機械もなく手でクワを振るう昔ながらのスタイルだが、
その姿はたくましくとてもすがすがしく思えた。


彼らに手を振って別れを告げてしばらく進むと、
二つの大きな石像が見えた。

その何とかという椅子に腰掛けたかっこう石像は崩れかけていて、
それほど美しいものではなかったが、
その崩れかかった姿もこれから訪れる王家の谷のエピローグのような感じがして、
道の向こうに見える遺跡たちへの期待が高まった。

すでに道の向こうには遺跡らしい姿が見えている。
王家の谷の近くには遺跡が点在しており、
各王の祭壇やら女王のための遺跡、さらに貴族の墓なんてのもある。

遠くに見える岩山にはいくつも無数の穴が開いていて、
それは一つ一つ墓になっているのだという。


さらに自転車をこいで行くと二股の分かれ道になっていて、
僕は最初の目的地、ハトシェプスト女王の葬祭殿がある右側へと曲がりさらに進んでいった。

もう目の前に見えている岩山には、
いくつかの住居が張り付くように建てられている。
そこに暮らす少年たちなのか日陰で何かをしながら遊ぶのが見えた。
さらに進むと遺跡が右側に見えて、
それよりさらに進むとまた別の遺跡が左側にも見えた。

地図によるとその少し先に女王の葬祭殿があり、
そこから一つ山を越えたところに王家の谷があるのだという。

ここまで自転車で来た理由は、
実はその山越えにあり自分の足で登ると王家の谷を一望できるポイントにたどり着くそうだ。
ツアーでは味わえないそのダイナミックさを一目見ようと、
少し上り坂になり始めた遺跡への道を自転車をこいだ。


また別の遺跡が目の前に現れ、
女王の葬祭殿への道を聞いていると、
後ろから追いかけていたヨウコさんと合流した。

ヨウコさんは同じ宿に泊まっている日本人の女性で、
現在は旦那さんと二人で世界一周旅行の最中らしい。
その旦那さんはダイバーの先生をしていて、
旅の途中、急遽エジプトのダハブで代理の先生をしなくてはならなくなったらしく、
ヨウコさんだけ今ここでルクソール観光を楽しんでいるそうだ。

昨日ロビーで知り合い、話していたら
今日は同じように自転車で回るかもとのことだったが、
どうやらその決心をしたらしく、
のろのろ進む僕にあっという間に追いついたというわけだ。


というわけで、
二人は一緒に女王の葬祭殿への道を自転車を漕ぎ出した。
なんだかエジプトに来てから日本人づいている。
それが妙に心地よいのだからエジプトとは変なところだ。



女王の葬祭殿にたどり着くと、
まずその外観に驚いた。

ギリシャ神殿のような整ったシンメトリーの姿。

今まで見てきたエジプトの遺跡とはまったく異なる姿。
その姿はむしろ作り物のようで、
岩山の中を切り出して作られた遺跡は、
ぽっかりとそこだけ浮いた不思議な存在だった。

中に入るとそれもまたオフィスビルのような、
なんともシンプルな姿をしている。
ずらりと並んだ柱は正確に一直線に伸びている。

オフィスビルのようなその姿だが、
やはりそこは遺跡であり、その壁面に描かれた壁画は、
今でも色彩を失っておらず美しく青や黄色で彩られている。
ところどころ剥げ落ちた色が歴史を示している。


そこを後にして神殿の右手から伸びる山道を、
今度は歩いて上る。

今までいろんな山を登ってきたので、
別にこの程度の山はどうってことないのだが、
さすが砂漠の中の岩山だけあって崩れやすく、
たまにずるりと足元が滑る。

それに気をつけながら登りきると、
目の前には王家の谷の姿が広がっていた。


なぜこんなところに墓を作ったのかはわからないが、
そこは山の中にぽつりとできた大きな谷になっており、
その中に小高い丘がいくつも連なっている。
恐らく観光のために人が作った道だろう、
いくつもの白い線が谷の中にうねうねと引かれている。
その白い道にはたくさんの人が歩いており
その姿はどこか血管のようで、
そこが生き物のような不思議な感覚を覚える。


山のてっぺんまで登りしばらくそれを眺めながら、
持ってきたお菓子を食べながらのんびりとした時間を楽しむ。

この下に王たちが眠っている。

ピラミッドや多くの神殿と比べて、
なんとシンプルな墓なのだろう。
もちろんツタンカーメンの墓の中を見ればわかるように、
そこには多くの金銀財宝が一緒に埋められていたのであるが、
とは言えピラミッドの規模から見ると、
それは単なる穴にしか見えないほどだ。

エジプトの歴史はなんと謎が多いことだろう。
もう少し考古学かなにかを知っていれば、
もっとたくさんのインスピレーションを得られるのだろうが、
それがないことが残念で仕方がない。
知識とは今を楽しむためのものでもあるのだ。


上からの眺めを楽しんだ後、
急な斜面をずるずると降りながら谷の下までたどりついた。

谷にはたくさんの王の墓かがあり、
その中からいくつか選んで入る仕組みのようだ。

山を越えてきたからか、
なぜか入場料みたいなものは取られなかったが、
それと引き換えに入場料にセットされている、
3つの王の墓への入場チケットももらえなかったので、
どうせなら、と入場チケットとは別に買う必要がある、
ツタンカーメンと、ラメセス6世の墓に入ってみることにした。


ここで最初に告げなくてはならないことがある。

「ツタンカーメンの墓は異常なほどにがっかりさせられる」


これはエジプトの王家の谷に訪れた人誰もが言う言葉である。
しかも入場料が100エジプトポンド、つまり1600円もする。

じゃぁなぜそれを知っていながらそこに入るのかというと、
それはやはり「どんだけがっかりするんだよ」というのは、
それはそれで興味の対象であったりもするのだ。
言うなれば見世物小屋のようなもので、
がっかりすると知っていながら見ずにはいられないものもあるのである。
というわけで高い入場料をはらってがっかりしに行くことにしたのだ。

そして、結果から言おう。


「ありえないほどがっかりだ。」


いや、まじでありえない。
これで100ポンドを取ろうとする、
エジプト人の度胸に感服する。
しかもそれは毎年値上がりし続けているのだ。
恐るべしエジプシャン。


まず入り口には細い階段があり、
それが奥まで続いている。
その細いシンプルな階段にはなかなかドキドキさせられる。
この先には何があるのだろう、だ。

階段を降りるとぽっかりとした空洞があり、
右手のほうに8畳ぐらいの中ぐらいの部屋と何やら壁画らしきものがある。

そして、それだけだ。

これだけかよ!!!!


右手のほうにはポツンとさみしげに、
ツタンカーメンのミイラが置かれているが、
なんかそれも物悲しいぐらいの簡素さだ。

異常なほどの簡素さにしばらく立ち尽くす。
せっかく100ポンドも払ったのだからと、
じっくりと壁画を見るがそれもそれほどきれいなものではなく、
すぐに見飽きてしまう。
でも、もったいないのでまた見る。飽きてるけど見る。
なんかその行動がむなしさを増長させる。

ミイラだって初めて見るならまだしも、
イギリスからフランスまでいたるところのミイラを見てきた僕にとって、
ミイラなんて別に萎びたシイタケみたいなもんだ。
それがツタンカーメンと言えど、シイタケはシイタケなのだ。

そんなわけで、
思った以上にがっかりしたツタンカーメンの墓。
ネタ的にはまぁ、これはこれでありなのだが、
なんだか釈然としないもやもやを残しながら、
次の墓、ラメセス6世の墓へと訪れた。



断言しよう。

確実にこのラメセス6世の墓がこの王家の墓で最も美しい墓だ。

もし、これから王家の墓を訪れる人がいるならば、
絶対にこのラメセス6世の墓は見てみるべきだ。
そこには王家の墓という名にふさわしい完璧な壁画が広がっている。

その細いスロープを下っていくと、
両側の壁には隙間もないほどびっしりと埋め尽くされた、
ヒエログラフと神に捧げる絵の数々。
そのどれもが彩色に溢れていて古代の美しさが蘇る。

天井を見上げれば宇宙のような色で埋め尽くされ、
そこには王の復活を描いた古代エジプトの世界観が刻まれている。

細いスロープを抜けると広い部屋に出る。
そこには昔置かれていた像の崩れた姿や、
何か儀式的なものだろう石のようなものが中心に置かれている。
もちろんその周りの壁や天井には、
いっそう美しい壁画で埋め尽くされていて、
埋め尽くされたその絵の中、たっぷりと古代の雰囲気を味わうことができる。

修復されたものではあろうが、
その古代の色使いは思い描いていたエジプトのイメージとぴったりで、
しばらくどの絵を見るでもなく、
壁を見回しながらその雰囲気を楽しんだ。


ツタンカーメンはあまり力のない王だった。
それを思い知らされる今ここにある光景。

考古学博物館で見た数々のツタンカーメンの墓の金銀財宝。
この美しい墓にはいったいどれほどの財宝が詰め込まれていたのだろう。
この美しい墓に住む王はいったいどれほどの人間だったのだろう。
ちっぽけな墓の中、そんな過去の世界に身を浸した。




もう一度、谷をよじ登りもと来た道に戻る。
目の前には先ほどの見てきた王家の谷が広がっている。
王たちの夢の跡。生の跡。それを残して僕らは来た道を引き返した。

今日これからダハブへと向かうヨウコさんと別れ、
僕はもう一つの遺跡、ラメセス3世の葬祭殿を目指すことにした。

日が暮れ始めて土の色が白から赤みがかった色に変わっている。

そのラメセ3世の葬祭殿は遠くからでもよく見えた。
自転車をこいで目の前のその大きな神殿を目指した。


目の前にしてみるとそれが本当に大きな神殿だということがわかる。
10メートル以上もありそうな壁のような大きな塀が四方を囲んでいるのだが、
その正面は一枚の大きな絵のように巨大な壁画を刻んでいる。

最初はその規模に驚かされたが、
中に入ってみるとこの神殿はそれが序章であったことに気づく。

一歩神殿の中に入るとまず静けさに驚く。
観光客もまばらなその静かな遺跡をゆっくりと歩く。
第一の門をくぐるとそこにはテニスコートぐらいの大きな広間があり、
その内側をぐるりと覆うように大きな円柱の柱がずらりと並んでいる。

まずその大きさに驚く。
が、次にはその美しさに驚く。

その大きな円柱を取り囲むように刻まれた壁画。
それはどれもが精密で彩りに溢れている。
柱一つ一つにストーリーがあり、
その回廊を歩くといくつもの物語を語り聞くことができるのだ。

天井もまた同じように壁画が刻まれていて、
大きな青い鷹が天井を覆うように飛んでいる。


壁画の中には削られたものもある。
それは顔だったり、体全体だったりするが、
恐らくは宗教的な敵、もしくは別の権力者によって行われたものだろう。
復活を信じる彼らにとって、
神殿の壁画の中の王の顔を削り取るという行為は、
永遠の死を与えるという意味なのかもしれない。
それでも壁画の中の神は傷つけられることもなく、
古代の姿のまま現在に残り続けている。
権力者が変われど神は殺せないという事なのかもしれない。



神殿をあるいていると一人のガイドと知り合いになった。
最初は勝手に案内をしてガイド料をせがむ、お決まりの人間だったが、
適当に話して遊んでいるとなぜか仲良くなり、
彼の家族の話を聞いたり、給料の話や日本の話をしていると、
タダでいいからガイドをしてやると言い出す。

怪しいがまぁそれもいいかと思い、彼にいろいろな話を聞く。

これは戦争の歴史。
切り落とした敵の首や手を数える絵、格闘技の鍛錬の絵。弓を射る王の絵。

今まで景色でしかなかったその壁画たちが、
たちまち物語になってしまう。

結局、最後までガイド料を請求することもなかった彼と笑顔で別れた。



昔。僕は歴史というものに興味がなかった。

それは教科書に書いてあるもので、
調べさえすればすぐにわかる価値のないものだと思っていた。
それを覚えるという行為に何の意味があるんだ、と。

今でも僕はそう思う。
インターネットが発達したこの時代。
価値はさらになくなっていくものだと思う。

ただこの歴史の前に立つと、それはそうもいかなくなるのだ。

楽しむために必要な歴史もあることを知る。
もちろんそれはさらに世の中が進化して、
いまこの壁画の前で情報を引き出せる世界になれば、
そう思うことも少なくなるのかもしれないけれど、
歴史の流れを知り古代に触れるという行為は、
人生を楽しむ中で一つ大切な力なのかも知れない、なんてことを思う。


歴史の先生もさ。

「お前がいつかエジプトに行く時にそれを楽しめるように」
って理由を教えてくれれば真剣に歴史を勉強したのかもしれないのに。
そういう馬鹿みたいなきっかけで人生はけっこう変わってしまうものなのだ。

ま、「一生日本を出ない」なんて言って、
英語をろくに勉強もしなかった僕には何の意味もなかったかもしれないけれど。
人生とはわからんものだ、ね。



帰り道、自転車を飛ばして夕暮れの道を走る。

荷車をロバに引かせて走る父親と二人の子供。

のんびりとしたロバを追い抜いて町へと戻った。

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