2008年6月30日月曜日

世界一周 in (9)中国/ビザをおくれ!







DATE:2008/06/30 China - Leshang -


AM9:00。

戦いの火蓋は切って落とされる。

既に準備は万端。
僕はもう公安をはさんで反対側の道路側に陣取っている。


6月30日。この日は今のビザが切れる日である。
今日もしビザが取得できなかった場合は明日以降の滞在は違法滞在。
見つかれば強制送還、さらに1日あたり500元(約8000円)の罰金が科せられる。
そればかりでなく、今後の中国への入国が制限される可能性も出てくる。

それを避けるべく、実は既にコンティンジェンシープランを用意。

ビザ発給が不可能とわかった段階で、
電話で香港行きのチケットを取得してもらうよう依頼している。
しかしながら成都発、香港行きの出発時刻は午後4時。
楽山から成都までは約3時間弱かかるため、
チケットの受け取りの時間を考えると、きわめて綱渡りなプランである。
しかしながらここまで来てしまった以上、最善の策がそれになる。


公安の前に立ち再度気合を入れ、入り口をくぐる。

どうやら先日来たときにいた担当官はいないようだ。
事情を知っている人がいないことに少し不安になる。

ビザ発給カウンターの前に立ち、
担当官らしい女性に思いを打ち明ける。


わたし:「ビ、、ビザをください!」

担当官:「はいわかりましたー。この紙に記入してくださいねー」




え?OK?



OKらしい。
僕の気構えもなんのその。
流れるように手続きは進み、
書類の記入、写真の添付、パスポートのコピーに銀行への手数料振込み。
およそ30分程度で申請は完了。

後は4時になったら発給できるのでそれまで待っててね。とのこと。


いやぁ。。あっさり。あっさり。

今までの苦労はなんだったのだというほど、あっさり。
バンコク、ビエンチャン。わざわざ行く必要なかったじゃないか・・・。

とりあえず僕はまだ中国に居られるらしい。
初めて思いが通じたのである。恋は一途。これ大事。


それだけでなく、
ビザ発給がギリギリまでできなかった事で、
実は時間的な余裕もできたのである。
ビザは申請日から30日の滞在許可がもらえる。
そのため、3日前に取得していれば3日間分のロスとなっていた。
今回はギリギリで申請したためロス0日。最大日数で中国滞在ができる。

確認したところ再更新も1回のみできるらしく、
なんとなくオリンピックへの欲望がむくむくっと湧き上がってくる。
うーん、ヨーロッパがまたまた遠くなる。



町をふらふらと歩き発給を待つ。
なんだか良くわからないが楽山のご飯はやたらと旨い。
特に有名でもないのだが、なぜか当りの店を引いたらしい。


午後4時になり、再び公安へ。
笑顔でビザが添付されたパスポートを渡される。

途中で3日前に会った、ニュージーランド人たちと出会う。
彼らも無事、ビザを取得できたようである。
よかったね~とお互いに喜びを伝え合う。


そのまま、成都までのバスに乗り込み快適宿に戻る。


おーーーー!
中国がまだまだ楽しめる!


ビザが追加されたパスポートをニヤニヤながめながら今日が終わる。

2008年6月29日日曜日

世界一周 in (9)中国/ぱんだ☆LOVE







DATE:2008/06/29 China - Chengdo -


中国来たらパンダでしょー!?

と、実はさして興味もないのにパンダ繁育研究基地に行ってみることに。
成都の近隣にはパンダ自然保護区が存在し、世界遺産にも登録されている。

さすがにそんなにパンダマニアではないので、
そこまで行くのはあきらめたが、とりあえず近場でということで、
成都の中心からバスで30分ほどの繁育研究基地で済ませることに。


最近では数えるのも忘れていたが、ここを含めると
訪れた世界遺産の数は既に22個目。

中国は世界遺産だらけ。何かの陰謀かと思うくらいだが、
訪れてみるとやっぱり世界遺産たる場所なため、
それだけ中国の自然や文化が優れているということかもしれない。


バスでパンダ繁育研究基地までたどり着く。
そこでまず目にするのが

「熊猫大路」

保護センターの前の道。
英語訳でパンダロードと書いてある。
けっこう大きな道なのだが、道沿いに研究基地があるだけで
そう命名してしまう中国の政府の力はものすごい。


チケットを買い、入り口をくぐるとまずはパンダ博物館なるものに歓迎される。

博物館と聞くと巨大な施設を思うだろうが、
単なる資料館みたいなものだ。

そこにはパンダの生態から始まり、
交尾のシーンやパンダの子供のホルマリン漬けなど、
生々しい資料もたくさん展示されている。さすが博物館だ。
使われている剥製らしきものは、
どう見ても剥製ではなく子供の工作のような動物だったけれど。

ちなみにその二階にはなぜか蝶の展示館がある。
意味は不明だ。


なんだか良くわからない博物館から進むとようやくパンダにたどり着く。

この研究基地は、パンダの生態を知るために
野生と同じような環境を基地内に作っていて
観光客はそこで遊ぶパンダの姿を見学することができる。


らしいが、当たり前のように人口の森の中にはパンダなどいやしない。

どうやらパンダは朝と夜以外は運動しないらしい。
後はひたすらご飯を食べて寝るという、ぐーたらな生き物なのだ。


そこは諦めて、檻の中で飼育されているパンダを見ることに。

ガラス張りになっているその檻はパンダの姿を間近で見ることができる。

ガラスの向こうを覗いてみる。




パンダいたー!!!いた!



さして興味はないはずなのだが、
やっぱり実物を見ると興奮する。ミーハーな生き物なのである、僕は。

それからはパンダ。出るわ出るわ。
総計で言うと30匹以上は見ただろうか。
一度にこれだけのパンダを見たのは初めてかもしれない。

飼育小屋も「成年パンダ」「青年パンダ」「幼年パンダ」などと分かれており、
それぞれの姿を見ることができる。


しかしまぁ、パンダ。やっぱしキュートな生き物なのである。


背中を丸めてオニギリみたいになってる奴や、
一心不乱に笹を食べ荒らしている奴などなど。

そして最高にキュートなのが幼年パンダ。
だらだらと寝てる姿がこれまたかわいい。


ちなみに幼年パンダの飼育小屋のみクーラーが効いている。
なんだろうこの至れり尽くせりは。
こんなんじゃ良い大人になれないに決まってる。
そりゃ朝と夕方しか動かなくなるわ。ぐうたらめ。

でもかわいいから許す。



そしてなぜかオマケみたいに飼われているレッサーパンダもいたりする。
パンダと名がつけば何でも良いらしい。節操ないなぁ、ここ。


そんなわけで意外と広いパンダ繁育研究基地をくまなく周り、
パンダ尽くしで一日が終わる。

いやぁ良いなぁ、パンダ。らぶり~♪きゅ~と♪

でも笹を食べているときの目は確実に笑ってないんだけどねw



パンダの後はビザ取得のために、楽山へ移動。
明日に備えてビールを体に充填する。


さぁ、勝負の日。まさかの違法滞在?強制送還?

神よ我を救いたもう。

2008年6月28日土曜日

世界一周 in (9)中国/くつろぎ~







DATE:2008/06/28 China - Chengdo -


やばい。今日何もしてないや。

そう気づいたのは夜9時ごろ。漫画を片手に寛いでいたときだ。


今日は峨眉から成都へと駒を進める。
バスで約3時間ほどの近場の移動だ。

たどり着いたバス停から、
パンフレットを頼りにユースホステルへと向かう。

当初はパンフレットどおりのユースを探していたのだが、
どうやら移動してしまったらしく休館は閉店していた。
まよったが新館の方へ行ってみるとする。


そしてその新館が異常なほどに居心地の良い宿であったのである。


シンガポール人と日本人の夫婦がオーナーらしく、
宿には日本語の本や漫画などもおいてある。

そしてなぜか共有スペースには、
卓球、ビリヤード、ダーツ、さらにはギターなどなど。
至れり尽くせりのレジャー施設が並んでいる。

さらにはフリーのインターネット。

旅人に必要なものがほぼ完璧にそろっているのだ。
そして宿の雰囲気も清潔でお洒落。

確実に今までで最高の宿である。


そんなわけで、到着後はパートナーのアキラ君と、
いきなり卓球勝負に相成る訳で。

約2時間ばかり、お互い夢中でラケットを振る。

それが飽きると今度は漫画。
なんと「三国志」が全巻ある。

そしてこの成都という町は、
劉備元徳が収めた三国の一つの国、蜀の首都だった町なのだ。
これは嫌がおうにも盛り上がる。



と言うわけで夜の9時ごろまで、まったく何もせず漫画を読みふけってしまう。
そしてやっと9時だということに気づき夜ご飯を食べに行くことにしたのである。

いやぁ、恐るべし三国志。はまる、はまる。
しかし60巻もあるこれが読み終わるのかという不安もある。


あぁ、しかし何もしていない一日だった。
なのに何故か充実感がある気がするのはなぜだろう。


なんだかすっかりくつろいでしまった。
最高の宿に出会った。はたしてここから僕は抜け出せるんだろうかな。

2008年6月27日金曜日

世界一周 in (9)中国/へんがお大仏 and VISA







DATE:2008/06/27 China - Leshang -


世界最大の大仏は楽山にある。
峨眉山と共に世界遺産として登録されている楽山大仏。

泊まっている峨眉からはバスで1時間程度の距離。
そしてここにはもう一つの目的がある。


ビザ取得。


バンコクから悩まされてきた中国ビザの取得。
それに再度挑むのである。

ちなみに今はビザなしで入国しており、
日本人は15日間のみ滞在が可能。
すでに10日ほど経っており、ここでビザが取得できなければ、
どこか別の国に急遽移動する必要が出てくる。
これからの予定に大きく影響する、一大イベントなのである。



ともあれまずは大仏見物。

大きさは71メートル。でかいぞー。
なんと、近くから見ただけでは全景が写真に納まらないため、
目の前を流れる川をボートで渡る見学ツアーもあるほど。
さすが世界一の大仏である。


入り口でチケットを購入。ここもまた震災価格で安くなっている。
とは言え結構な観光客が訪れている。
観光客のみんなが流れる方向に一緒に進んでいく。

少し傾斜が掛かった階段を上ると、何かが見えてくる。


頭だ・・・。



大仏の頭だけがちょこんと見えている。
しかも大仏のパンチパーマ部分だけなので、なんだか愉快。

近づいていくと大仏の全景がちょっとずつみえてくる。


でかい・・・。

でもなんか可笑しな顔・・・。


確かにでかい。でかいのだが、変だ。
いやでかいから変に見えるのか。

顔は中国仏教の仏像のそれなのだが、
もともと個人的に中国の仏像の顔が面白顔だと思っているので、
さらにそれがでかいとなると「変」としか言いようがない。

なにせ15メートルもある変顔である。

すごいのだが、なんかすごくない。
ありがたいのだが、なんだかありがたくない。


横顔から始まり、
階段を下りて全体がだんだん見えるようになる。
やはり71メートル。大層でっかい。階段を降りるのも一苦労だ。



階段を下りる途中で、えんじ色の袈裟を着たお坊さんたちと知り合う。

えんじ色の袈裟。そう彼らはなんとチベット仏教の信者たちだった。
チベット仏教なのに中国仏教の大仏見学。もう観光客オーラ出しまくりである。

このお坊さんたち。写真とりまくり。ポーズとりまくり。

そのうちの一人が英語を話せたので、なんだか仲良くなる。

途中からはお互いの言葉で「Very good!」を連呼。
チベットの言葉では「モミチヤカ」というらしい。
大仏めがけてモチチヤカを連呼。連呼。

ちなみに彼らにはなんと教えたかというと、




「マジですげー!」



チベットのお坊さんが、マジですげーw

・・・すまぬチベット仏教徒。間違ってはないが正しくはないw

そんなことも露と知らず、彼らは大仏めがけて
「マジですげー!マジですげー!」と嵐のように畳み掛ける。
さらに川に向かって畳み掛ける。「マジですげー!」

いやぁ。。おもしろ過ぎるw


その後はお互い事あるごとに「マジですげー!」「モミチヤカ」を繰り返す。
周りの人たちはほぼ中国人。日本語とチベット語、まったくわからない様子。

最後はなぜか大仏と一緒にお互いに
「マジですげー!」と「モミチヤカ」と叫んでいる姿を動画に取る。
恐らく彼らはチベットで最初に「マジですげー!」と言った人間として伝説となるだろう。


この言葉がチベットで変な流行語にならないことを願うw

(どうしよう。チベット独立デモの時にこの言葉が出てきたら・・・)


そういえば、彼らと一緒に歩いていると何人かの中国人が、
「いっしょに写真取らせてください」
と言って写真を取ってもらっていた。

中国人はチベット問題の事をほとんど知らない。
それを裏付けるような光景だった。

彼らにその問題の事を聞いてみると、
やはり独立をしたいと言っている。
立ち入ったことまで話せるほどお互いの英語力はないので断念したが、
気持ちの上ではやはり別の国だと思っているのだろう。

しかし独立した時に彼らはきっと今までと同じ生活レベルは保てない。
デジカメなんてもってのほかだろう。

この問題には彼らにとっても単純ではない。

まぁ、「マジですげー!」なんて言っている彼らにそんなシリアスさはまったく感じないのだけれどw


途中で彼らとも別れ、大仏観光は終了。
なんだか大仏よりも彼らの印象の方が強くなってしまった。
だって変顔なんだもの。




さて、次はビザ!と公安外事局行きのバスに乗り込む。

バスを1つ乗り継ぎ、到着したその公安の前で一つ深呼吸。
ここで更新ができなかったらすべてのプランを変更する必要がある。

気合を入れて公安のドアを開く。
さてどこの窓口か。スタッフの一人にビザ!ビザ!と連呼して用件を伝える。

わかった。ここの席で待ちなさい。
とスタッフに言われ、担当者が来るのを待つ。

5分ほど待つと、担当者らしい女性が姿を現す。
さすがにビザ担当、英語が使えるだろうと話しかけてみる。


わたし:「ビザをください」
担当者:「今日は無理です。コンピューターが壊れちゃったの」




なにーーーーーーー!!

それだけ言って担当者の女性は席を立ち外に出て行ってしまう。
なんだかお昼の時間だったようである。


ちょっと待たれい!!!

と言う暇もなく、一人取り残される。



え・・・どうしよ。


ここで2つの考えが頭をよぎる。

1つめは本当にコンピュータトラブルがあり、発行ができない。
2つめは、「単にランチに行きたかった」

2つめ・・・ありえる!


担当者の態度は明らかに「めんどくさいなぁ、もう」な感じだった。
というよりも「それにすがるしかない」


このまま帰ってもしょうがないので、とりあえず担当者の帰りを待つことにする
とは言えランチタイムならば1時間ぐらいは帰ってこない。

一人なんか放置プレーをされている気分。
まわりのスタッフも「なにあれ?」的な視線を投げかける。

ここで負けてはいけない。この道しか僕には残されていないのである。

望みはあった。
担当者の机の上には明らかにビザ発行中と思われるパスポートがいくつか積まれている。


約1時間後。担当者の女性が戻ってくる。
僕を見たその目は明らかに「なにあんた、まだいたの?」である。

負けるもんか。

そう思い再度彼女に食らい付いてみる。

コンピューターのトラブル?なら僕が直すよ。
そこのパスポートはなに?ビザじゃないの?
トラブルがなければ、ビザの発行は可能?
僕のビザはあと3日しかないんだ。助けてくれよー

いろいろ聞いてみる。必死×3×3。


聞いてみるとどうやらコンピューターではなく、
ネットワークのトラブルらしい。
ビザの発給はこれが直らないとできないらしく、
通常は僕にもビザ発給はされるらしい。

んーネットワークトラブル・・・。
ありえるなぁ、中国なら。

以前、中国で仕事をしていたときに
その辺のシステム周りの信頼性はいろいろ調べていた。
結論から言うと中国のシステムは落ちてもOKなものとして作られているのである。

その前提知識からいうと、このトラブルはありえるのである。
まさかこんなところでその影響を食らうとは思っていなかったが・・・。


さらに追い討ちをかける様に3人のニュージーランド人が訪れる。
どうやら彼らもビザ申請をしに来たらしい。
しかもなんと彼らは机の上のパスポートの持ち主たち。

彼らと担当者とのやり取りを聞いてみるとやっぱりトラブルは本当らしく、
彼らの場合、ほぼ完了までいっているのだが登録の処理が終わっていないとの事。
結局は受け取れないようだ。


さてどうしたものか。

今日のビザ発給はまず無理なことは確定したようだ。


問題は次どうするかだ。
明日、明後日は土日のため公安は開いていない。
望みはビザリミットである月曜日。

月曜日にビザが取得できなかったら違法滞在である。

信じてこの場所に再度訪れるか、
確実に取れそうな場所に土日を使って移動するか、
それとも中国は次の機会にして香港あたりに逃げ出すか。


悩ましい・・・。




が、ここは今日の担当者の「月曜日は大丈夫よ。きっと」
の言葉を信じて再度、この楽山での更新をしてみよう。

取れなかった場合は・・・。
できるか?香港脱出・・・。


というわけで、ビザも取得できないまま、愉快な大仏見学で一日が終わる。

またもや中国ビザで悩む日々。
僕は中国に愛されていないらしい。


片思いは辛いなぁ・・・。

2008年6月26日木曜日

世界一周 in (9)中国/ヒッチハイク。できるかな?







DATE:2008/06/26 China - Emei -


さぶっ!!!


そりゃ標高3000メートルともなれば寒くて当然なのだが、
舐めてかかった僕たちは見事撃沈。
峨眉山の山頂、金頂での観光もそそくさと切り上げ帰りのロープウェイに乗り込む。

僕はまだロングTシャツだったけれど、
一緒に行った友達はなんとTシャツ一枚。


霧がかった山頂からの風景は、
「中国!」的な山々のイメージ。
山々をヌラリとした霧が撫でるように流れていく。
白い絹をまとったその姿は神々の山のイメージにぴったりだ。

その美しさに見とれる。見とれてはいるが、震える。
歯はガタガタ、手はカジカジ。。。


山頂からの風景は風光明美ですばらしいのだが、
その周りに立てられた寺院は最近立てられたものらしく、
なんだかゴテゴテした金キラキンの建物。

無いほうが綺麗なんじゃないの?
という気もするが、中国人観光客はありがたそうに1メートルもあろう線香をあげていく。
まぁ、価値観の違いだろうなぁ。


ここ峨眉山は近くの楽山大仏と合わせて世界遺産に登録されている。

峨眉山の観光範囲は広く観光バスを乗り継いでまわることになる。
なので普通の人は8時ぐらいに出発し、ゆっくりと回るのだが、
僕らが山頂へのバスへ乗り込んだのは午後11時。

ちょうどバスが出発してしまった後に到着したのも痛かったが、
なんと銀行のATMが壊れて、友達のカードが取り込まれるという事件が発生。

ATMのトラブル!
日本でそんなもの起こしたらシステム会社は大混乱を起こすかもしれない。
システム会社で働いていた僕としては、
「ありえない!」はずのことなのだが、まぁここは中国なのである。
英語が使えない銀行員になんとか説明し、わかってもらう。
けっきょく、処理は明日にならないとできないらしかったが。

そういやカンボジアのATMもよく、
「Out of Service」ってなってたっけかなぁ。
国が変われば常識も変わるか。



まぁ、そんなわけでゆるゆると観光を開始。
山頂の金頂をめぐり、万年寺、清音寺とめぐる予定。

そういえば地震の影響からなのか、
入山チケットやロープウェイのチケットが少し安くなっていた。
こんなところにも目に見えない影響は広がっている。
とは言えバス代やロープウェイなど全てを合わせると、
300元(約5000円)ぐらいの中国観光標準プライスなのだけれど。



山頂の観光を逃げ出すように終えた僕たちは、
万年寺を目指すためバスに乗り込む。


カップラーメンと共に・・・。


いや意図して、ではないのだ。
出発まであと20分あるよ~、と言ったバスの運転手を信じ、
すでに3時と、とうに昼食時間を過ぎていたため遅いランチをと、
急いでカップラーメンを食べることに。

そして10分後にはバスは出発したのである。

嘘つき!



そして乗り込んだバスの運転手が悪かった。
山道を猛スピードで下る、峠攻め系走り屋ドライバーだったのである。

カップラーメンを持つ手は常にカーブで緊張を強いられる。
両手でバランスを取るのが精一杯だ。
最初はがんばって食べていたが、とても食べている場合じゃない。
食べるたびにお湯が顔にかかり惨劇が繰り返される。

まるで中国雑技段のごとく、
カップラーメンを両手で抱えバランスを取り続ける二人の日本人。
隣に座る中国人の顔は笑ってはいるが、
「おまえ、絶対こぼすなよ」と目が言っている。

そんなわけで、多数のバス酔い被害者と、
カップラーメンバランス取り大会を経てバスは万年寺に到着する。


万年寺へのロープウェイに乗り、
上からほのぼのとしたお茶畑を眺める。
山頂とは違いこちらは半そでで十分な暖かい場所だ。

白い像で有名な寺院を観光。
そして僕らには二つの選択肢が与えられる。


進むべきか。退くべきか。



既に時刻は17時半。
最終のバスは18時半である。

ここから進んで清音寺を訪れた場合、最後のバスに乗れない可能性もある。

でもこんなときバックパッカーの答えは単純だ。



「ヒッチハイクすれば良くね?」




うん、そーですね。ということでいざ清音寺。
途中、地元の人たちが荷物の運搬で使っているらしく、
かごを積んだ馬の集団に出くわしたり、
お祈りをしながら山を登るおばあちゃんたちに遭遇したり。

この万年寺から清音寺の道は、峨眉山は聖山なのだということを実感させてくれる。

日本で言うとお遍路みたいなものらしく、
一番下の報国寺から途中のお寺に泊まりながら
徒歩で登山をするというのが巡礼ルートのようだ。
各お寺には宿坊が設けられており、参拝者が休む姿がよく見られる。


山を下山しながら景色を楽しむ。

流れる川と共に山を下っていく。
その川は時には緩やかな流れとなり、時には激流へと変わる。
鏡のように映りこむ山の緑がなんとも美しい。

夕暮れ間近とは言うものの、
ほのぼのとした時間が流れている。

この景色を見られただけでも峨眉山に来て良かったと思う。
美を堪能し、寺をまわり、山を降りる。



そして当然のことながらバスはないのであった。



あ。やっぱし。。。

バスはないぜ!俺が町まで乗せてってやるぜ。
と、バイクタクシーのみなさまのお誘い。

へんっ!俺たちはバックパッカーだぜ?と、
彼らを振り切り、広い道までとことこ歩く。
そうヒッチハイクだ!

時刻はすでに7時をまわっているがまだ外は明るい。
とは言え日没まではあと1時間ほど。
日没までに帰れなければ、暗い山道が待っている。


広い道に出る。
とは言え山道には変わりない、車の数は少ない。というよりほぼ通らない。

まぁ、歩きながら捕まえようと山道を歩き出す。

後ろから車が来る気配がする。
振り返り、笑顔で手を振る。


通過。


そんなに簡単に行くはずはない。
またまた歩き出す。車が来る。


通過。


・・・。つかまらない。

10台ほどの車が通過した後に気づく。
中国ってヒッチハイク無理!?


あきらめずにとりあえず進んでみるが、
車が止まる気配はない。

どうやら選択を誤ったらしい。

とは言え、こうなってしまったら歩いて帰るしか道はない。
幸い距離は5キロほど。道も一本道。
1時間も歩けばたどり着く・・・筈である。

そこからは日没との戦い。
この山道。暗くなってしまったら何も見えなくなる。

薄暗くなり始めた山道を歩く。歩く。

そして無常にも日は沈んだのであった。

暗いよーーーーーーーーーー!
怖いよーーーーーーーーーー!



それから約30分後。
へとへとになりながら宿にたどり着く。


峨眉山は美しかった。
しかしなんだか疲れる一日だったなぁ。

2008年6月25日水曜日

世界一周 in (9)中国/いざ四川省へ!







DATE:2008/06/25 China - Emei -


夜中11時。


・・・。

・・・。

・・・。

・・・。

めっちゃトイレ行きたいんですけど・・・。


既に最後のトイレ休憩から2時間ほど経過。
そろそろ止まっても良いころなのだが止まらない。


待つ。

待つ。

待つ。

待つ。

待つ。

待つ。

・・・。


モジ。

モジ。

モジ。

モジ。

モジ。

・・・。



無理!


運転手のおじちゃんに小声で「・・・トイレ」と伝える。

おじちゃん?な顔。

体をモジモジさせて、もう一度「トイレ」と伝える。

おー、とおじちゃん判った様子。
中国語で、「この辺は停めらんないよー」的なニュアンスを伝えてくれる。
確かにココは山道。細い道が続いているため、停車は難しそう。

まぁ、何でも良い。伝わったらどうにかなるだろうと、
おじちゃんの隣に座り込みモジモジしながら停車を待つ。

待つこと約20分ほど。限界的な顔をおじちゃんに向けて待っていたとき、


おじちゃんが「ここだ!」と車を停めて、指をさす。

勢い良くドアから飛び出し、真っ暗闇の中で開放。


ぁあ、男で良かった瞬間。


というわけで、バスを停めながら早朝5時に「拳枝花」という町に到着。
そこから列車の駅までタクシーで向かい電車のチケットを手に入れる。
行き先は「峨眉」世界遺産の町である。
成都へはそこを経由して向かうこととなる。


列車の出発時間も12時とまた時間があったので、
町を観光し(でかいバナナ以外といっても何もなかったが)
ぶらぶらして時間をつぶす。

列車に乗り込み10時間もすれば「峨眉」である。
当初は明日の朝につくと思い寝台車にしてしまったのだが、
どうやら夜の9時にはつく模様。
使い道のない寝台車で無理やり寝てみたり、
いっしょの部屋になった中国人とバナナを使った下ネタを話したりして、
列車の旅は過ぎていく。


午後9時についた峨眉。
客引きのおばちゃんに付いていき何とか宿を確保。
ドミトリーなのに僕ら2人だけ。
この辺は地震の影響なのかもしれない。

とは言え、目に見える地震の影響はまだやはり無い。

家も人も普通に暮らしている。

観光客の量だけがまだ回復していないのか、宿はがら空き状態。
町を通る人の数も少ない。


ついに雲南省から四川省へとたどり着く。
峨眉では峨眉山をめぐり、日帰りで世界一の大仏、楽山大仏を見る。


そして最大の目標「ビザの取得」が待っている。

我に幸あれ。

この関門は果たして越えられるのだろうか、自らの幸運を祈る。

2008年6月24日火曜日

世界一周 in (9)中国/旅立ちの朝







DATE:2008/06/24 China - Shanglila -


今日は朝5時から早起きし、早朝のバスに乗るためにバスターミナルを目指す。

眠い目をごしごしし、バックパックを担ぎ、
バスターミナルまで到着!

今日からのルートは四川省の西部を北上し、
省都の成都へと向かうルート。
ここもチベット自治区のため、面白い風景が続いていく。

バスのチケットカウンターで「稲城」というところまでのチケットを買う。
片言の中国語とメモ張でここに行きたいんだとアピール。
おばちゃん、わかった様子。そして厳しい顔で、


「だめ、行けない」



え?なんで!?

最初バスが無いのかと思い、
時刻表を指差し書いてあるじゃんとアピール。
なんだか違う様子。

「△●×■中国人○×■」


なにやら中国人がどうやらと言っているようだ。

試しに「日本人」と言ってみる。

オバチャンうなずく。

もう一度「不 日本人」と書いたノートを見せてみる。

オバチャンうなずく。

・・・まさか、外国人は通れないの!?!?


情報では今年の春ごろまで通れてたのこと。
しかし今現在、僕らの旅には2つの問題がいつも付きまとう。

「四川省地震」
「チベット問題」

今まさに中国で現在進行形の問題として存在する。
この二つは避けては通れないし、情報もまた今までとは違うことが多くなる。
古い情報は参考程度にしかならない。
ルートがあるかないかだけではなく、
今そこにいけるかどうかさえもわからないのだ。

直接の問題がそれだったのかはわからないが、
ここに来て影響らしきものを感じ始める。

これから向かう省都の成都ではさらにそれが如実になるだろう。
完璧に遊び気分で来ている僕ら旅人と、
その現実のずれが少し怖い。
圧倒的に絶望的な現実の中で必死に生きる彼らの前では、
僕らはただの邪魔者でしかないのかもしれない。




結局のところなんで通れないのかはわからなかったが、
予定を変更し雲南省の中央部を北上し成都へ向かうこととする。

バスのチケットを予約して、さぁどうしたものか。
既にチェックアウトを済ませて荷物は持ってきてしまった。
ただいま7時。バスの時間は17時。

まぁ、どうにかなるねと宿に戻ることに。
チェックアウト後のキャンセル。という新しい技にチャレンジし見事成功。
12時までのチェックアウトまでしばしオヤスミ~♪


宿ではなんかイスラエルのテレビクルーがドキュメンタリーを取ってたりして騒がしい。

チェックアウト後も、町を歩き、
昨日別れたはずの友たちと苦笑いの再会をし再度別れを惜しむ。


また来るねー!


そう誰ともなしに話しかけ、この町を出て行く。


さあ、今日から明日は移動移動!広いぞ中国!


そして地震の中心地へと向かう旅でもあるのだ。
そこにはどんな現実が待っているのだろう。
怖くもあり楽しみでもある。僕はまだ傍観者だ。

そしてそれはいつしか変わり行くものなのかもしれない。


ともあれそこへと進む道はシャングリラの香りする
お花畑を抜けていく。

2008年6月23日月曜日

世界一周 in (9)中国/連鎖する文化






DATE:2008/06/23 China - Shanglila -


小ポタラ宮とも呼ばれる松賛林寺を目指し自転車を漕ぐ。

今日は偶然の出会いを果たした彼(アキラ君)と、
彼に着いてきた中国人の二十歳の女の子と3人で自転車の旅。


この女の子が面白い。
なんでも麗江でアキラ君と会ったらしいのだが、
それ以来、懐かれてしまったらしく彼を追いかけてシャングリラまで来たらしいのだ。

この子は簡単に言うと「不思議ちゃんタイプ」。
とは言え迷惑をかけないタイプなので、見てるだけで面白い。
奇想天外な言行は思わず笑みがこぼれる。
とはいえ小さな女の子なので自転車での移動はけっこう大変そうだったが。



シャングリラから10キロ程度のところに松賛林寺はある。
まずはそこを目指して自転車を漕ぐ。

間違って観光名所でもなんでもないところで写真を撮ったり、
なんの文化紹介もないカルチャーセンターなどによりながら、
小高い丘を越えると、また別の丘の上にチベット風の寺が見える。



・・・すごい。


思わず息が漏れる。
丘の上に立てられたその寺はまさにチベットのもの。
金色に彩られたその寺の周りにはびっしりと民家が張り付いていて、
丘は一つの白のようにも見える。

その規模の大きさと美しさは、いままで見たことが無いほど。
お寺と民家が渾然一体となって作り出している光景が目を圧倒する。


これで小ポタラ宮。
ますますラサへの願望が高くなってしまった。


自転車を停め、寺の中に入る。
複数のお寺で構成されたそこは全て回るのもまた一苦労。
結局、3時間ほどもそこで過ごしてしまった。


その中でもっとも印象的だったのが、
読経のシーンに出くわしたこと。

20人ほどの僧侶が寺の中で儀式をしている様子は、
チベット的であり、まさに圧倒された。
ただ眺めているだけで30分ほどの時間が過ぎる。


チベット仏教はやはり今まで見てきた仏教とは明らかに異なるようだ。そして同じでもある。

タイ式の仏教、中国式の仏教を見てきたがそのどちらとも異なる。
やはりインド的な部分が多いしヒンドゥーの影響が多く見られる。

色使い、建築物、儀式。
なんだかどれもがいろいろな仏教をまぜこぜにした感じもするが、
どちらかというとこちらが起源でそれを他の仏教が取り入れた、
といった感じのほうが強い。

モチーフとなる絵も地獄や四天王など面白いものが多かった。




世界をまわる。世界を知る。

そのもっとも面白いところは、「比較」ができるということだろう。
国との違い、またその影響。
さまざまな国をめぐっているとやはり世界は繋がっているということを良く感じる。
オリジナルとは言え、またそれも何かの繋がりのなかのものなのだ。


「僕らは連鎖する生き物だよ」


そうだ、過去も未来も今だって。そうやって世界は動いているんだ。



寺を後にし、またもやリメンバー「ナパ海」ということで、
自転車でそこを目指すことに。

アップダウン、アップダウン。

排気ガスが漂う丘陵地帯を自転車で駆ける。

なんてことは体力的にできないので、
女の子と一緒に自転車を降りて坂道を自転車押し歩き。

坂は頂上にたどり着き、
あとは下り坂を駆け下りるだけ。帰り道のことは気にしない。


本当は昨日と同じところを目指すつもりだった。


のだが、なんだか違うところにきてしまったみたいで、
行けども行けども昨日の場所にはたどり着かない。

とはいえナパ海はナパ海。
ということで、のほほんとした雰囲気を楽しむ。


一つの牧場に下りて、のんびりと牛や馬を眺める。

その帰り道。
中国人の女の子が馬の糞の前で立ち止まる。



「ぐしゃ!」




え・・・え?

その子はなにを思ったのか馬糞を思い切り踏みつけたのであった。
若干、生気味であった馬糞は彼女の足元に飛び散る。

え・・・なに!?

良くわからんが彼女は満足そうだ。不思議っこ全開。


そんなこんなで帰り道もひーこら排気ガスをくらいながら坂道を登り、
美しい風景を後にする。



帰り道の途中。
町の中心の施設の前でなんだか祭りのようなものが開かれていた。

日本で言うと盆踊りのようなものなのだろう。
100人以上の人たちがみんなで踊る姿は、なんだか愉快。
伝統舞踊のような華やかさは無いのだが、
何曲も在る踊りを全て覚えているらしく、みんな軽やかに踊っている。

ちょっと輪に混ざらせてもらって、見よう見まねで踊ってみる。
踊る阿呆に見る阿呆。だよねー。
と、意外にハードな踊りに精一杯ついていく。

的屋みたいなのも出ていて、
輪投げ投げならず、輪投げころがしなど中国ならではのものもある。

結局なんだかわからなかったが、
民族のお祭りにちょこっとだけ参加。

シャングリラ。この町が大好きになった。

そんな町もまた今日でさようなら。
明日はまた別の町に旅立っていく。
これが旅と言うものなのだ。

出会った仲間に別れを告げて、また旅は続いていく。

2008年6月22日日曜日

世界一周 in (9)中国/心の溶かし方







DATE:2008/06/22 China - Shanglila -


香格里拉。シャングリラ。
理想郷と呼ばれるその町に今日は向かう。


麗江からそこへ向かうバス。

バスターミナルで、一人の日本人を見かける。
なんだか見かけた顔である。

どうやら彼もまたシャングリラへと向かうようで、
同じバスに乗り込んだ。

僕も荷物をバスに積み込み、車内へと乗り込む。
そこで声がかかる。


「えっと・・・どこかで会いましたよね?」

先ほどの彼が話しかけてきたのである。

「うーんそうだよねぇ」
「ランカウイあたりで・・・」
「・・・ランカウイ!!!」


そうだ、この男の子はマレーシアのランカウイで
偶然にもルームシェアをすることになった子なのだった。
3日ほど、同じ部屋で過ごし、お酒をたらふく飲んだ。

「あれ?あれから南下してインドネシア行くって言ってなかった?」
「行ってきましたよー!そこからまたタイに戻ってラオスから中国に入りました。」



まじで!??



今まで同じルートで出会う旅人はままいた。
特にタイからカンボジアまでのルートは、
みんな似たり寄ったりなので町中では同じ人と何度か会うこともあった。
ラオスのスローボートで一緒だった2人組のフランス人なんて
ルアンパバーン、ビエンチャン、パクセー、シェムリアップと4回も会った。


しかし、別ルートで。というのは初めて。
さらに中国というまた変なところで・・・。

偶然の再会に驚き、お互いの旅を話し合う。


かくして彼とは出会い、しぼし旅を共にすることになったのである。


偶然とはやはりあるものだ。
別ルートで世界を旅してきた二人が、
偶然同じバスに乗る確立などほぼ0に近いだろう。
でもそれは起きてしまう。

考えてみれば世の中に起きていることなんて、
全て偶然と言ってもおかしくない。
偶然を楽しむ。それもまた人生なのだろうなぁ。
必然なんてまるでないんだから。




シャングリラへと向かう道は美しい。

縫うように山道を抜けていくと、
突然と平原地帯が広がり、黄色に色づいた菜の花畑がそれを覆う。
その黄色と緑の絨毯の上を、ゆるりと馬や牛が草を食む。

理想郷という言葉に依存はない。
なにせ町中をブタが歩く町なのだから。

美しい平原を抜け町へとたどり着く。

近代化された建物が立ち並ぶ。
それでもどこか違和感というか、他との違いを大きく感じる。

それはこの町が「チベット自治区」だからなのだ。


そうここは中国の雲南省でありながら、チベット自治区であるという
文化が交流する町なのだ。

建物の形も異なり、
両壁は斜めに少し傾いており、それが独特の景観を生み出している。


遠くへ来た。


なぜかそう感じる、異国感。
東南アジアでも中国でもない場所がそこにはある。



ユースホステルを探し、宿にたどり着くとチェックインする間もなく
10人ほどの若者が声をかけてくる。

「ナパ海に行かない?」


彼らはそう言っているようである。

聞いてみるとなんと15,6の高校生。
彼らは片言の英語が話せるらしく、コミュニケーションも取れる。


お昼ごはんも食べてなかったが、
どうせ行くところ。面白そうだったのでついていくことに。


チャーターしたバスに揺られて30分ほどでたどり着く。
※彼らが話しかけてきたのはこのチャーターバスの定員が余っていたからだ



理想郷。

それが広がっていた。


ナパ海とは山の間に広がった草原のことで、
青い牧草で彩られたその草原が永遠と広がっている。

馬が嘶き、牛がモーと鳴く。
鳥の囀りが聞こえ、青、黄、白の花が咲き乱れる。


まさにピースフル。


いるだけで心が解けていきそう。笑顔が止まらない。


そこを馬に乗り散歩することに。

そう言えば馬に乗ったことなんて無い気がする。
それなのに俺は一人で乗りたいんだ。と言ってみる。
意外なほどにあっさりと手綱は僕に手渡される。


ぱか。ぱか。ぱか。


ぱか。ぱか。ぱか。


ぱか。ぱか。ぱか。


ぱか。ぱか。ぱか。


ぱか。ぱか。ぱか。


ぱか。ぱか。ぱか。


ぱか。ぱか。ぱか。







あーーーーーーーーーー平和!!!



草原の中を馬に乗って散歩する姿はまさに「平和」の一言。
この間にもチベットと中国の戦いは続いているなんて考えもしない。

馬もだんだん馴染んできたらしく、
最初は併走している係員よりも前にはでなかったのだが、
いうことを聞いてくれるようになり、
最後にはちょっと小走りができるようになったり、
なんとか馬に乗ってる感を出すことができる。



うーーん、よいぞ。よいぞ。シャングリラ。

すっかりファンになったこの町。



馬から下りた後は、高校生たちとちょっと奥の湖まで散歩。

結局たどり着けなかったのだが、
やっぱり高校生10人組みは青春!って感じで面白い。
日本も中国もその辺はやっぱり変わらない。
10代の思い出っていうのはかけがえの無いものなのだ。
そう思い、戻れない自分に少し痛みを感じる。僕はもう10代ではないのだ。


なぜか途中休憩で中国版ハンカチ落し的なものをやり、
2回も罰ゲームで芸をやらされる。

カラテとプロレスのショーを実演。


理想郷でなにやってんだかw



宿に戻り、彼らと鍋を囲む。これがまた旨い。


理想郷で友と会い、笑いあう。


溶け出した心。

僕はいま、幸せの中にいる。

2008年6月21日土曜日

世界一周 in (9)中国/聖なる山と、金なしオバサン







DATE:2008/06/21 China - Lijiang -


中国人の友達が言っていた。


「玉龍雪山ってのはね、私達にとって神様のような山なのよ!」



おーし。
登っちゃろーじゃねーか!


と言うわけで行って来ました標高5596メートル♪

と言っても登れるのは4500メートルまで。
その場所までもバスとロープウェイで行けるので楽々~☆


麗江から車で1時間弱の場所にあるその場所へはまずバスで向かう。

ところがなんだか見つからない。
近くを30分ほどウロウロした挙句、
恐らくは私営の乗り合いバスであろうモノを発見!
どうにか雪山への道のりが始まる。

あとはボーっとしてるだけで、雪山についてしまう。


しかしここの入場料もま~た高いのだ!

入山料が190元(約3000円)
麗江古城観光料が80元(約1300円) ※昨日払ってなかったらしい
さらにロープウェイ代金が170元(約2700円)

合わせて7000円成り~。って高いだろー!それは。。。


トータルで3時間ほどの滞在でこの値段。日本だってありえない。
ディーズニーランドより高い料金ってなによ!?



この辺でやっと気づく。

「中国の観光ビジネスはお金持ちが対象なんだ・・・」


ここからは憶測でしかないのだが、
社会主義である中国。
本来ならば「お金持ち」など存在しないはずなのだが、
それはそれ、もともと商人の国。
当然のように格差は存在している。
その差は日本など比べ物にならないぐらい大きい。

そう考えると「観光」などできるのは、
「あぶく銭」を持っている人間なのである、きっと。

どうせお金持ち。どうせ道楽。
ならばそこからお金を巻き上げて、
国に(もしくは役人?)に還元するのは社会主義の道理!

そんな匂いを感じるのだ、ここ中国の観光地は。


「美しいもの、良いものを見て心を豊かにしよう」

的な発想はあんまりないのかもしれない。
貧しきものは「働け!」なのである。

なんだかんだ言って
中庸ばかりを取り揃えた日本社会ではあまり考えられないのだが、
ここには圧倒的な差が生じる。

貧しきものは美も知らず、学も満足に受けられない。
そこから来るのは「永遠の格差」である。

社会主義であるその国に、その矛盾を見た。気がする。


単に「高いんだよ!」と言いたいだけなのかもしれない気もするw




料金所の関門を抜けバスは雪山に入山。
最後はロープウェイでスイッと終点までたどり着く。
3500メートル地点から4500メートル地点まで。
高山病なんのその。ものの20分で否応なしに頂上まで連行される。

そんなわけで現れるビジネスが
防寒ジャケットのレンタル。そして

「酸素マスク缶販売」


・・・これを見るとなんだかデンジャラスな山に見えてくる。
そう言えばいつの間にか富士山よりも高いところにいるのである。
当然と言えば当然の酸素マスク。
でも観光客達が片手に缶を抱えながらロープウェイに乗り込む姿は、
なんとなく決死の覚悟が見えなくもない。観光地・・・だよなぁ。


ともあれ。ともあれ。

無事辿りついた頂上。
完璧な青空とはいかなかったけれど、
時折見せる空の青さが万年雪を抱いた山頂と合わさって、
「さすが聖山!」と思わせるような姿でありました。


そしてこの山が凄いところが「永久凍土」があるところ。
さらにそれが「現代性」という、
わかるようなよくわからんような冠が付いているところである。

それは恐らく「最近出来た」的なイメージなのだが、よくわからん。
ともかく凍土自体の迫力は厳つく、硬く眠っているようで素晴らしかった。


ちなみに人類未登頂の山でもあるらしい。
高さは他のエベレストとかの方が高いので
要は「登り辛い」んだそうで。
しかしそれも聖なる山としてのイメージにはピッタリなんだろうな。



そういえば、来る時のバスで中国人のオバチャンに懐かれて、
ロープウェイ乗り場から御一緒することになる。

中国語がわからんのに、ガンガン話しかけてくるオバチャン。
僕も片言の中国語とメモ帳を片手になんとか会話する。
まぁ、ほとんどは「不明白(わからん!)」って言ってたけどw


このオバチャンに頼まれて、
「オバチャンと聖山」シリーズの写真を沢山撮る。
まだまだカメラを持っていない中国人は多いらしく、
この手の観光地では写真を撮ってその場でプリントアウトするサービスが流行っている。
まぁ、それが高いのでこうして僕が撮っているわけだ。




そしてまさか、このオバチャンが全く迷惑な奴だとはこの時点では気づかない僕なのであった。

オバチャン撮影会の後は、
ロープウェイに乗り雪山を下山。
バスに乗り、麗江へと戻る。

そこでなぜかオバチャンにバス代をおごられる。
きっと写真の御礼だったりするのだろう、快く受け取る。


市内についてからはオバチャンと印刷屋探し。
ここ中国でも東南アジアでもこの手のサービスは充実していて、
観光地にはフォトコピーとか印刷サービスの看板がいたるところにある。

その一軒で印刷をすることにして、
オバチャンとコレがいいとか、コレは駄目とか言いながら、
撮った写真から印刷する対象を選ぶ。
10枚ほどの写真を選び、撮影大会は終了。

さて、ご飯でもとオバチャンについて古城の中を歩く。

ところがところが、立ち並ぶ飲食店を抜けて、抜けて。
それでもオバチャンは止まらない。

途中、予算らしきものを聞かれるが、
なんだかコミュニケーションが上手くいってる気はしない。
そもそもこのオバチャンの中国語など、
10パーセントも理解できていないのに一緒にいるのもおかしな話だ。


オバチャンが客引きらしき人間と話し始め、
その人について行き始める。


そしてなぜか宿の中に入っていく。

やっと気づく。
あ。この人、宿を探していただけだw


そしてさらに何故か僕の分まで部屋を取ってくれる。
いや、あなた。先ほど俺のホテルはここだと地図を見せて教えたばかりじゃないですか。

最初は差し出されたレシートがまったく意味不明だったものの、
会話をしているなかでようやく間違いに気づき、
「我 有 酒店」
と合ってるんだか、間違ってるんだか良くわからない中国語で、
こと無きを得る。

「チー ファン(ご飯を食べる」
「チューファン(宿)」

を間違っていたらしい。

そりゃ間違うわ。まさか、観光しているのにとまるところがないなんて思いもよらない。
これが中国イズムという奴なのだろうか。


まぁ、誤解もなんとか解け、
ようやくご飯を食べることに。既に3時を回っている。

オバチャン次は銀行に行きたいと言い出す。
いいだろう、付き合おう。

オバチャンに連れられて街中をうろうろ。
こっちの銀行に入り、あっちの銀行に入る。
なんだか様子がおかしい。


結果。


「下ろせない。私お金なくなっちゃった♪」


をぃ。をぃ。。


そもそもこのオバチャン。
銀行の口座のレシートらしきもので預金を下ろそうとしていたらしい。

そりゃ無理だって、人治国家中国と言えどもさ。


それでもオバチャン、なぜか明るい。
「さぁご飯を食べましょう!」



おーい。お金ないんだよねーw



まぁ、いいや。
ここで会ったも何かの縁。
二人で食べるご飯もまた楽しいし。
ここは一つおごっちゃろうじゃないか。

町中の川辺の雰囲気の良いレストランでお食事。
古都の清らかな小川がそばに流れていて、
店員のオバチャンが編み物をしている。
そんなゆったりとした雰囲気の少し遅めのランチタイム。

うーんいい感じ。やっぱりこの町は大好きだ。

オバチャンのまったく理解ができない中国語を聞きながら
おいしい中華料理を食べ、ひと時を楽しむ。


食事と雰囲気に満足し、お勘定。お勘定。
案の定、オバチャンは払うそぶりも見せないので、
やっぱりおごってあげることになる。

でも、アリガトウぐらい言おうねオバチャンさ。


お腹もいっぱいになったことだし、
ここでお別れと最後のお散歩と町外れまで二人で歩く。

途中で電話をする。なんだか、お金の送金の話をしているようだ。
これで無事一件落着。


するとオバチャンいきなりタクシーを捕まえる。



え?



だよ。まじで。

なんだか聞いていると荷物をどこかに預けているらしく、
それを取りに行かなきゃならないらしい。


知るか!!


さすがにそこまでは付き合えないので、
俺はホテルに戻るよ。とオバチャンに別れを告げる。

「いやいや、後から戻ればいいじゃない。一緒に行きましょうよ。」


オバチャンのたまう。

いや、あんたお金ないんでしょ?
タクシーとか乗っちゃ駄目じゃん。普通。


さすがにコレを払う気にはなれない。

でも、この人この後どーすんだろう?
っていう好奇心の方が勝ってしまう。

そして全てはここが始まりだった・・・。


とりあえずオバチャンと一緒にタクシーに乗り込んでみる。
オバチャンが行き先を告げると、タクシーは進む。
そして目的地を間違えるw
なんだか発音が悪かったらしく別のホテルに着いてしまったようだ。
ホテルの従業員に目的地の場所を聞き、再出発。
ホテルについてからはオバチャンは大量の荷物をそこから取り出してくる。
どうやらココに昨日泊まっていたようだ。

そこから町中に戻り、写真の印刷を受け取り、
さぁ降車の時間!


オバチャン降りる。

僕、取り残される。



なによ?と見ていると、
「お金払ってよ。私お金ないんだから。」


いやいや、あんた返せないじゃん。

僕は次の日に別の町に移動する予定。それをオバチャンは知っている。

知るか!とすることもできたのだけれど、
やっぱりこの人がどうするのかが気になって、
18元(約300円)のタクシー代を払ってあげる。


この時点ではまぁ、どうにかして返してもらう。と考えていた。


オバチャンと荷物を抱えて宿に戻る。

当然のごとく「お金を返して」と言う。

オバチャン動き回る。銀行、銀行、銀行。
そもそも下ろせなかった上に既に5時を過ぎ、店舗もクローズ。
どうしようもない。


困った。オバチャン、困った。


町中の休憩スペースを見つけ、僕に座れという。
そして僕のノートにこう書く。


「あなた18元払った。わたしバス代10元払った」


ほう、そう来たか。
さらにオバチャン書き出す。


「あなた日本人。日本人にとって8元なんて、安いでしょ。」



ここで呆れてしまう。
怒ったというより、呆れただ。

謝りもせず、感謝もせず、「日本人だから」だって?
それは人としてどうなんだい?


むくむくと感情が高まる(いま思うと意地悪だ)



「こいつを謝らせてやろう」



中国人は謝らない。これは本当だ。
非を認めることはプライドに関わるし、
それは個人的な責任を負う可能性を伴う。

日本がペコペコ謝るのは美徳でもあるけれど、
個人の責任が圧倒的に少ないからというのもあるのだと思う。


というわけでオバチャンに「絶対払え」勧告を突きつける。

とりあえずオバチャンの宿に戻り、話をする。
当然ながら中国語アウェーとして、
宿の人たちもオバチャンの仲間だ。

そもそもオバチャンに、あまり悪気はなかったのだろうが、
最後のタクシーに乗る前には、
「お金ないから、助けてよ」
と一言いうべき。そんな会話をノートで繰り返す。

あんた写真を撮ってあげた恩を忘れたのかい?
見たいなことを伝えると、態度を翻し
「大変感謝している。ありがとう。ありがとう。」
的な中国語を書き出す。


こっちは別に悪いことをしているわけではないので、
余裕の態度でオバチャンの「ごめんなさい」を引き出そうとがんばる。
しかし誰も英語がわからないので、話はなかなか進まない。


そしてオバチャンは最後の手段に出る。




「公安(警察)を呼ぶわよ」




え?????

良いけど、負け戦だよそれオバチャン。。。


何度も言うので、よし行こうと立ち上がる。
オバチャン拒否する。なんでも電話する、待て。とのこと。

なんだか良くわからんが宿の電話を借りて、
電話越しに中国語で会話をするオバチャン。


そして悲しそうにこう言う、



「たった8元じゃ、公安は来ないって言ってるのよ!もう!」


ん・・・まぁそりゃそうだ。中国の法律はわからんが、しかもこれは民事だし。


振り出しに戻る。まだまだバトルは続く。
こちとら旅人、暇人なのだ。時間はいくらでもある。

それでも何だかんだともめていると、
宿の玄関から人がやってくる。




・・・公安キターーーーーー!






黒い制服を着た2人組と、一人の女性。
明らかに公安とわかる3人の新参者がこのバトルに加わる。

オバチャン必死に説明を始める。

「たった8元なのよ!」と言ってるのは、
僕の中国語レベルでも良くわかる。

さて、どうしたもんか。
悪いことはしてないが、伝える手段はあるだろうか。
状況説明をノートに書き出す。
パワーポイント的な図解伝達ならなんとかなるだろう。

そしてここで声がかけられる。


「What’s happen?」



英語だーーーーーーーーーー!!!!!!!

この制服を着ていない女性。なんと英語が話せるようなのである。

つたない英語ではあるが、状況を説明する。
わかってくれたようである。


「それで今、あなたはどうして欲しいの?」


と彼女は言う。

当初の予定では謝らせればそれで良かったが、
ここまで拗れたらもう面倒なのでお金を返して欲しいと言ってみる。


公安の人々がオバチャンに何かを言う、
宿の人たちも集まって何かを話している。



5分後。


部屋に置いた荷物を全て抱えて宿のロビーに立つオバチャンがいた。



そう。チェックアウトし、
今日の宿泊費を返してもらったようである。

そのお金でしぶしぶ僕のタクシー代を返すオバチャン。



いや・・・そこまでしなくても。。




達成感もあったのだが、罪悪感もまま残る。


公安の人が伝えたのか、「僕は単に謝って欲しかったんだ」
ということが伝わったらしく、


「ごめんね!ごめんね!ごめんね!(これで良いでしょ!)」

と嫌みったらしく繰り返してくる。
まぁ、その気持ちもわかる。泊まるところさえないって・・・。



もともと無一文のオバチャンは僕と会わなければこうなる運命だった。
そう思うのだが、なんだかなぁという気がする。

公安の人に急かされて宿を離れる。



中国人は謝らない。


んーこれはやっぱり本当だなぁ。


無一文になったオバチャンを残し、僕はまたビールをあおる。


聖なる山の麓。ここでもまた事件は起きている。

2008年6月20日金曜日

世界一周 in (9)中国/撮りたくなる町







DATE:2008/06/20 China - Lijiang -


麗江の町を歩く。

やはりこの町は美しい。
なにせ「全てが絵になる」のだ。

写真を撮ろうとすると迷う。
一歩歩くごとにまた撮りたくなる。
上を見上げればまた家を撮りたくなり、
下を見下ろせればまた石畳を撮りたくなる。
瞬く間にメモリーが町並みで埋め尽くされる。


まぁ昨日は気づかなかったが、
その町全体がお土産やレストラン、ホテルで構成されているという
恐るべき観光都市なので、若干の違和感はあるが
それでもなお美しいとしか言いようがない。

どのわき道に入ってもお土産屋なのは、ちょっと困ることもある。
いやはや、迷いまくるのであるこの町は。
ぐねぐねと曲がる道、同じようなお土産屋。
いったいどこに居るのやら。
一日歩き回ったがまったく覚えられなかった。
まぁ、迷い、うろうろするのもこの町の楽しみなのだろう。



トンパ文字。

という日本でも数年前に流行った象形文字はこの地で使われていた文字である。
今ではお土産や観光用にしか使われていないようだが、
この文字がけっこうキュートなのだ。

人間だったり魚だったり動物だったり。

まさに絵心がないと物書きさえできないような文字たち。
そもそも全ての文字がただの絵で、各人が勝手に作ったのじゃないかという気もするほど。
それほどに文字というにはあまりにも絵画的で自由な言葉。

これを使ってた時代は異常なパワーを使ってモノを記録していたに違いない。
とりあえずエゴコロがない僕には無理。
きっとこの時代の識字率なんて3%ぐらいだっただろう。


昔の城であった木府を訪れ、
小高い丘の上に建つ万古楼に登る。

中国建築はやはり美しい。
そして他の国にはない中国独自のものというのがはっきりわかる。

特に木を多用した建築物は中国文化の象徴だろう。
日本もこの文化の影響を受けているのがひしひしと感じられる。
彩りも緑、青、白、黄色と鮮やか。模様も面白い。


万古楼に登ると古城地域全体が見渡せる。
木造建築の屋根屋根がいっぱいに広がる姿は壮観。
さらにここからは玉龍雪山という中国の聖山が望める。

日本で言うと富士山のような位置付けであるその山は、
標高は5596メートルもあり、永久凍土を抱えている。

聖山にふさわしくやはりその山は美しい。
高さはというと、そもそもこの麗江の町が3000メートル以上の場所にあるため
それほどは感じないのだが、雪を抱いたその山と
眼下に広がる古都の町並みの組み合わせは最高だろう。



夜になる。

なんと情緒溢れるこの町はディスコクラブに姿を変える。

えーもったいない・・・。

そう思うのは僕だけではないと思うのだが、
四方街と呼ばれる中心地の回りの道ではズラリと大音響をかき鳴らす店が立ち並ぶ。

その店全部が大音響であるため、
まぁほとんど店内での会話は楽しめなさそう。
とは言えクラブのように踊れるわけでもない。

たぶん、一軒の店が始めたお店が繁盛し
それにあやかろうとどんどんとその手の店が増えていったのであろう。
この辺のビジネスへの貪欲さはまさに中国人。

競合が多いからか、店内は民族衣装のダンサーが踊ったり、
パーッカッションをかき鳴らす黒人ミュージシャンが歌っていたり、
それぞれ特徴を出そうと、がんばるがんばる。
中にはカラオケつきの店があったりして、素人の歌声がその中にまじってたり。

けっきょく、全部のお店がそんな感じのため、
外から見てるとなんだかまったくわからないのだが・・・。


そしてこの町は眠らない。
午後10時近くなってもお土産屋さんは開いたまま。
観光客もぞろぞろと歩いている。

なにせこの辺りの日没は8時以降なのである。

これはうれしいが結構疲れる。
思っているよりも動き回れてしまうので、
気づくと一日中ずっと歩き回ってたりするのである。



何はともあれこの町の美しさが大好きになる。

騒々しい町並みも不意に途切れる時がある。
その静かな姿は凛として美しい。

三眼井でいつものように野菜を洗うその姿。
僕ら観光客をものともせずに日常を続ける彼ら。

その背中には自らの文化を守ろうとするが見える。


そのうしろ姿は強く美しい。

2008年6月19日木曜日

世界一周 in (9)中国/古都の「美」







DATE:2008/06/19 China - Lijiang -


あ。ここ好き。

思わずそう思ってしまった。

昆明からバスに揺られて辿りついた麗江の街。
この街もまた世界遺産に登録されている。


この町並みが実に美しいのである。
夕暮れの町を歩いただけだが、
京都の市街のような中国風の木造建築が立ち並ぶその姿はまさに「美」。


三眼井と呼ばれる井戸がある。

飲用、野菜専用、洗濯専用と分かれたその井戸では、
今でも生活は続いており、野菜を洗う人、洋服を洗う人でにぎわう。

町には少数民族であるペー族が暮らしている。
町中を色とりどりの衣装で着飾った人々が自然と歩いているのは、
なんだか異国情緒という言葉がぴったりだ。


中国という国。特に雲南省という所になぜか懐かしさのようなものを感じている。

それは今まで旅してきた国と比べて日本に近い、
建物や風景という部分がそうさせるのかもしれない。

日本では失われつつある風景。

文化、生活、人種。
全てが異なるこの場所に懐かしさを感じるのはなぜだろう。


ただ僕はこの土地を愛してしまった。

そう言ってしまうことに違和感は感じないのは確かだ。

2008年6月18日水曜日

世界一周 in (9)中国/石林







DATE:2008/06/18 China - Kunming -


世界遺産、石林。

まさに石の林の名の通り、
草原のような丘陵地帯に突き刺さったように石が乱立している。

もうね、すげー!としか言いようのない景色。

これでもかってぐらいにゴロゴロしている石には、
やっぱり色んな名前が付けられていて、
ライオンだとか象だとか好き勝手に呼ばれている。


この石林へはツアーに参加することになった。

と言うよりも「ツアーに参加してた」w


自分では石林までのバスのチケットをお願いしたつもりだったのだが、
乗り込んだバスはなぜかツアーバスw

なんだか良くわからないが、いろんな所に連れ回される。

良くわからないが有名らしいお寺を巡れたのは良かったが、
なんと宝石店に3つもまわらせられる。
金、銀、翡翠。オンパレードの内容だ。

中国人5人とツアーに参加していたのだが、
意外と中国人はまんざらではないらしく宝石を買いまくる。
どどどっと店に押し寄せては、帰りには腕には金の腕輪という感じ。
なんとなく「THE 中国人」という感じもしてしまうのはなぜだろう。

8時に出発するバスも9時に出発。
いろいろ回っていたため石林に着いたのは午後一時。
なかなか着かないバスに最初はイライラしていたのだが、
なんだか中国っぽいので最後はただ次どこ行くのー、ってな感じでエンジョイ・エンジョイ。
結局行ったのは宝石店だけだったけどw


ほとんどの中国人は英語を話せないのだが、
偶然にもこのツアーに参加していた上海人の女性が話せたため、
ガイドが説明する石林の内容もなんとなくわかった。

ちなみにこの女性達のグループは「上海電子台」のスタッフ達。
上海電子台はテレビ局。昔、上海に仕事に行ったときに、
仕事先にオフィスがその近くにありタクシーに行き先を、
「上海電子台!」とお願いしていたもんだ。なつかしい。

まぁ、そんな彼女達はやっぱりリッチな人たちなんだろう。
140元(約2000円)もする入場料を苦もなく払ってしまう。

2000円の入場料!
日本だってこんなところないぞー!ってなくらい。
普通の食事が20元ぐらいだから、
イメージで言うと1万円ぐらいの入場料なわけだ、中国人にとっては。

そんな入場料をぺろっと払う彼女達、しぶる僕。

リッチカントリー日本の名は廃れていくw


そんなわけで色々あったけれど、石林を満喫!
中国の自然遺産は選り取り見取り。
一ヶ月。うーん、やっぱり「たった一ヶ月」だなぁ・・・。

どこに行けるか、誰と出会えるか。
すっかり中国に馴染み始めている。

2008年6月17日火曜日

世界一周 in (9)中国/歓迎光臨!







DATE:2008/06/17 China - Kunming -


「歓迎光臨(いらっしゃいませ!)」


いらっしゃいませ!?
当たり前のこの言葉、久しく聞いていなかった。
「お客様」という立場に急に立たされる。

サービスという概念がこの国には生きているようである。
この「いらっしゃいませ」という言葉に、
東南アジアとは一線を画す文化の発展度合いの違いを感じてしまった。
そして何やら感動めいた感情さえ芽生える。

日本から中国に入ると、欠点ばかりが見えるのかもしれないが、
東南アジアから中国を比べてみると圧倒的に良い点のほうが多い。
結局は相対的なものなのだなぁと気づく。


今日は昆明の街をめぐる。



昆明は大きい。

紛れもない都市である。

立ち並ぶ百貨店街は渋谷の様であり、
ずらりと並んだ銀行の支店は大手町の様でもある。
さらに京都駅を彷彿させるような、近代的な駅が中心に構える。
全ての商圏を合わせれば恐らく仙台ほどの大きさはあろう。



中国で進んでいるのは上海など一部のみ。


そんなイメージがあったのだが、
雲南省という地方も地方の省庁所在地でさえ、この発展具合。

中国という国の評価が一変に変わり、
それがまた怖くも感じる。


意外なほどの発展具合が、
日本という立場があぐらを掻いていられるほどのものではないと気づかせる。


それほどまで意外なほどの発展した都市だった。

まだまだ高層ビルなどはなく、あっても30階建てほど。
またその建築物の質なども怪しいことはある。

それでも見せかけだけでは都市に見える。


そして立ち並ぶマンション郡。
東南アジアではほぼ見たことがない光景である。
これもまた、中国の人口を如実にあらわしている姿なのかもしれない。

マンション郡は社会主義らしく同じ型がずらりとならぶ。
そしてその姿は町の発展に取り残されたように古くくすんだ建物が多い。
全ての人々が豊かさを手に入れるのにはまだまだ時間が必要なようだ。

とは言え経済は発展しているようで、
町中いたるところで人材募集の張り紙を見かける。
そういえば、東南アジアの国と違い働いているのかよくわからない人間が少ない。
またバイクタクシーなど職にあぶれた人間がついているような、
仕事をしている人間も少ない。きっとそんな暇はないのだろう。
それほどまでに経済の急成長を感じる。


中国といえば自転車のイメージがあるかもしれない。
それは以前、上海に行ったときに覆されたが、
この昆明でも同じように町中をあふれる様に自動車が走っている。
自転車の量はむしろ上海などよりも少ない。

そしてバイクの量が圧倒的に東南アジアと比べて減るのである。
走っていたとしても今までよく見かけていたスクータータイプではなく、
250ccなどいわゆるバイクと呼ばれる型のものが多い。
ここにもまた豊かさを感じる。

危うかった交通マナーもオリンピック効果なのか、
町中に交通監視員が立ち、せわしく働いている。
それによって改善をしているのだろうが、
逆にまだそういった交通監視員のような基本的なことを教える人が必要と言う裏返しでもある。
まだまだマナーの向上には時間が必要な様である。


マナーと言えば、この国の人間は誰も彼もが道端に唾を吐く。
うら若き乙女がオヤジよろしく「か~っ、ぺッ!」と、
勢いよく道端に唾を吐く姿はなんだか残念この上ない。
そう言えばホテル内にも「唾吐き禁止!」の注意書きがあったり。
場所などお構いなしの習慣のようである。

そこかしこに「I am a 中国」と言うような、
今まで見てきたことのない独自の文化が垣間見える。



ただしこの独自、と言うよりも唯我独尊の文化には困ることもある。


例えば、
中国は英語がほぼ通じない。

「英語なんて使える国は少ないぜ」
と挑んだこの旅だったが、今まではほぼ全ての国で
「英語さえできればなんとかなる」
状態であった。

それもそのはず、これまでの国はある程度
「観光」という産業が外貨獲得の大きな位置をしめており、
それに関わる現地人は自ずと英語を話すようになるのである。


この国はまったく異なる。
そもそも教育自体に英語を取り入れていない学校も多いので、話せないのは当然だ。
さらに観光産業自体がほぼ自国民向けのため、
外国人に対する配慮はほぼされていない。
それだけこの国の国民が豊かであると共に、
圧倒的な人口という武器が、国内経営だけで産業が成り立つ仕組みを作っているのだと思う。


というわけで中国とは、

「中国人の、中国人による、中国人のための国」

なのだ。外国人に対する配慮などはまったくない。


しかし気づいてみれば日本だって似たようなもんだ。
漢字、ひらがな、かたかな。
ほとんどの看板がこれで成り立っている。
タイに居たころタイ語の看板が読めなくて文句を言っていたが、
日本だって似たようなものなのだ。
そして日本も外国人の受け入れには消極的だ。
だからこそ、国民にのみわかる表記ですむのである。

マレーシアを思い出す。
多民族国家であるこの国の看板はなんと3ヶ国語で書かれていることが多かった。
マレー語、英語、中国語。
こんな多民族の国で広告産業に関わるのは大変だなぁと思ったものである。


人のふり見て我がふり治せ。

日本と言う国が、国際的であるようで排他的であることにようやく気づく。
先進国。とは言ってるものの、
そういった国際化では一歩も二歩も遅れているのが日本なのかもしれない。




中国はやはり面白い。一日歩き回った感想だ。


そしてご飯はやはりおいしいのだ。
意外なほどに中国LOVERになっている。なんだかちょっと恐ろしいw

2008年6月16日月曜日

世界一周 in (9)中国/さあ中国を始めよう!







DATE:2008/06/16 China - Kunming -


中国へたどり着く。

夜中11時。
昆明のバスターミナルへたどり着く。


ついに来たぞ中国に!



ビザ取得で悩まされ結局未取得のまま入国した中国。
そのためどこかで入国の延長をしなければならない難関が待ち受けている。

そしてこの中国という国は、巨大なのである。
中国を全てめぐるのには1年ほどの月日が必要なのではないか。いやそれでも足りないか。

それを今回は1ヶ月ちょっとで掻い摘む旅となる。
いろいろ行きたいところはあるが仕方がない。
予定では昆明から入り、北上しその後北京へと東へ移動する。
ウルムチやラサなどチベット系の西側は残念ながら今回はあきらめる。
いまだに後ろ髪を引かれながらだが・・・。

見所としては世界遺産めぐりとなるが、最大の目標は九寨溝。
しかしながら中国大地震の影響もあり、無事たどり着けるかは不明。
基本的に陸路を進む予定なので、その辺りがネックとなりそうな旅である。


たどり着いた中国。
手始めにベトナムのラオ・カイという国境の町で、中国側の河口という町への国境を徒歩で移動。
初めての徒歩国境越え。やはりちょっとワクワクする。

列車に乗りたどり着いたラオ・カイ駅ではまたいつものごとくベトナム式ビジネスが待っている。
ちょっと知り合いを探しうろうろする。
うるさい客引きがひっきりなしについて来る。
そして最後には

「お金払わないなら、お前ここから出てけよ。」

なのだ。
さらばベトナム。僕は中国へ行くのだ。


適当なバイクタクシーを捕まえて国境まで移動する。
徒歩での国境越えとは言え手続きはいつもと同じ、書類にちょこちょこっと記入するだけだ。

国境付近には大荷物を抱えたおばちゃんや、
手押し車の集団でいっぱい。
この国境が中国とベトナムの物流の拠点になっていることがわかる。
カラカサ、アオザイのオバチャンたちが、
どしどしと中国になだれ込んでいく姿は面白く勢いを感じる。


たった数十メートルの国境の緩衝地帯。
その境界を越えるとそこは漢字文化と変化する。

全ての看板が漢字・漢字・漢字。
これまでの国よりもなんとなく意味がわかり伝わりやすいが、
驚くべきことに英語の表記がほぼ見当たらない。
完全な中国語圏内に入ったのである。


脱東南アジア。
それを如実に感じさせる変化。

東南アジアをめぐる度に感じてきた、「中国」の影響。
この国への興味は高まるばかりだった。
ようやくたどり着いた。気持ちが高まる。


とは言え、この中国という国にほぼ無防備で入ってきてしまった。
行き先を「昆明」と決めてきたものの、
バスや電車など行き方も、さらには泊まるところも、
なんの情報もない状態での中国入国。
久々の失態。うーん計画不足。


そんなわけで、
仕事仲間から餞別でいただいた「中国元」が、
いきなり僕の中国ライフを救うこととなる。
(※みんなありがとう!)

なんと国境の町、河口には両替所がなかったのである。
まさかの国境トラブル。一文無し。


なんとかたどり着いた長距離バスターミナル。
昆明へのバスは120元(約2000円)。

しかし我、無一文・・・。


そこでふと思い出す。輝くばかりの餞別を。
中身は250元。


神がいた。



というわけでどうにかバスに乗り込み、
しっかりご飯も食べ、なんとか昆明に到着したのである。
ありがとう仕事仲間たち!


この昆明までのバスの道がひどい、ひどい!
この旅始まって以来であろう悪路をがんがん突き進む。
穴ぼこ、砂利道なんのその。
明らかに獣道的なその道を大型バスが突き進む。


しかしこの道がなんとも美しい。
山々を縫うように抜けていくのだが、
その山々に張り付くようにちりばめられた田畑が、
美しく棚田を形成していてそれが延々と続いている。

棚田だけで言えば、今まで何度も見てきていたので
あまり驚きはないのだが、
その規模の大きさは今までと比べて郡を抜いている。
中国の国土の大きさを見せつけられると共に、
急勾配の山々を全て農地に変えてしまう技術力にも驚かされる。

10時間以上の道のりだったが、
なんだかんだその風景を見ているだけで飽きもせずに昆明に着いてしまった。

昆明には着いた。しかし着いたものの宿の情報など何もない。
期待通り客引きがいたが、中国語なので何を言ってるのかわからないw

そしてここにも神がいた。


同じバスに乗っていた姉妹2人組みが、
見かねたのか一緒に宿探しを手伝ってくれたのである。

自分たちも泊まるところを探すついでではあったが、
この女神たちにのこのこ付いていくだけで宿の問題はあっという間に解決。
んー助かった。


中国人のイメージ。
いろいろあるのだが、意外にもここ雲南省の人間はやさしい。
ベトナムで毒毒していた心に、なんだか沁みるものがある。

雲南省は少数民族が数多く住む辺境の省。
ここもまた「中国」という国の名をした多国籍国家として、
中国全体に抱いているイメージとは違う、
ひとくくりにはできない世界があるのかもしれない。


東南アジア7カ国を抜け、ついにたどり着いた中国。
仕事で覚えた、片言中国語で僕は挑む。

中国編、ただいまから始まります!!!

2008年6月15日日曜日

世界一周 in (8)ベトナム/あばよ!ベトナム!







DATE:2008/06/15 Vietnam - Hanoi -


船の中で目を覚ます。
そういや昨日は船中泊だったっけ。

今日も朝ごはんを食べた後はのんびりお日様を浴びるだけ。

ベトナム最後の一日はこんな感じだ。

なんだか疲れたベトナムもなんだか許せる気もしてくるw

船の上はやたらと平和な雰囲気。
海に飛び込む奴もいて。太陽を体いっぱいに集める奴もいて。


港に戻るために進みだした船。
名残惜しさは残るも、平和な気分に満たされる。




しかしここからはやはりベトナム式である。

到着した港でなぜか1時間も待たされる。
レストランに到着するも到着してから30分しても何も出てこない。
さらに席も決まっていなかったらしく、てんやわんや。

食事の後、帰りのバスがレストランに到着。
そこからが大変である。

何せ明らかに旅行者の数よりもバスの席数が少ない。
旅行者はあっちのバスに乗れ、こっちのバスに乗れと、右往左往。
サブシートも満席、助手席も満席。
さらには旅行者の荷物のことは計算にないらしく、
運転手の横に山積みになったバックパックたち。

詰め込みに詰め込んだバスは走り出す。

当然こういう時は最悪のクジ引く役回りなので、
一番狭い席をあてがわれる。

そして隣のもう少し最悪な席に座ったガイドが僕に言う。


「ちょっと僕眠いんだけど、席変わってくれない?」


アホなのだ。

最悪の旅行会社を引き当ててしまった可能性もあるが、
ベトナムでの経験を考える限り、そうも思えない。

急激に経済の自由化を取り入れたからか、
全体的に「仕事」と言うものが何で、
「お金」と言うものがなんだかを理解している人が少ない。

日本ならありえない。

その言葉を当てはめるにはひど過ぎる。
こんな国は世界中にどこにもないだろう。



さらに。
追い討ちをかけるように、
ホテルに戻ってからも列車のチケットについても、またもめる。

「たった20ドルじゃないか」

そういったオーナーの言葉にこの国が透けて見える。
1ドルだろうが20ドルだろうが100ドルだろうが、
仕事は仕事。ビジネスはビジネスなのである。
いつだってお金は対価として支払われるのだ。


喧嘩別れしてホテルを去り、
駅へ向かう。

寝台車へ乗り込み、最後の夜を思う。

寝台車で同室になった親子と遊ぶ。
やはりこの国の人間は悪い人ではない。
ちょっと何かが足りないだけなのだ。




ベトナムという国。


ホントはいろんな思いを書こうと思うのだが、
1週間以上たった今も書ききれない。

書いているのだがまとまらない。
最悪だった。という言葉ではない何かがここにあるのだ。


また、この国を最後に東南アジアを去ることになる。

この特別な思いもまた書き出そうとするが、終わりを見ることがない。


ここは一つ、筆を置いて少ししたら更新することとしよう。


未来は進んでいるし、僕もまた進んでいるのだから。



バイバイ、ベトナム!


バイバイ、東南アジア!!


そして「ありがとう」


でもやっぱり「またね」なんだろうな。

2008年6月14日土曜日

世界一周 in (8)ベトナム/ハロン湾







DATE:2008/06/14 Vietnam - Ha Long -


ハロン湾。

個人的にはベトナムで最大の目的地。


海の桂林と呼ばれるその場所には、
波の浸食で彫刻された山々が海の上に立ち並ぶ。


ハノイからのツアーはボートで一夜を過ごす、
一泊二日の旅である。

バスは朝、ハノイを出発し4時間ほどでハロン湾へ到着。

朝のピックアップが遅れたり、途中タイヤのトラブルがあったり、
船のチケット予約に30分以上もかかったりと、
またもやベトナムらしさが随所に現れる。


しかしそんなイライラを吹き飛ばしてくれるくらい、
ハロン湾の景色はすばらしく異形だった。

日本の昭島が近いと思うのだが、
圧倒的にスケールが異なりまさに岩の乱立。
船が進むたびに出るわ出るわ。


一つの島にある洞窟の鍾乳洞もその規模は桁違い。
ほんの一部しか歩き回れないにも関わらず、1時間近くもかかるのだ。
赤青黄色の証明に彩られた鍾乳洞は美しく、艶かしい。

またガイドの説明も面白かった。
説明一つでただの岩がライオンになり龍になる。
なかには、こじつけ?なのもあるけれど、
ベトナム人の想像力は中々のものらしい。


鍾乳洞のあとはカヤックで岩の間を通り抜けたり、
船から海に飛び込んで水遊び。
のほほーんとした時間を楽しむ。

途中、イギリス人の女の子がカヤックから落っこちてたりしたけれど、
そんなの気にしない。気にしないw

夕暮れに色を変える岩々を眺める。
船中でのディナーを楽しみ、
デッキの上で語り明かして夜更かしをする。


最高の景色の中で一日を過ごす。

ハロン湾最高!