2009年5月31日日曜日

世界一周(43)ペルー/ジャングルへと向かえ











DATE:2009/05/31 Peru - Lima -


アヤワスカ。

その聞きなれぬ、と言うより聞いたこともない言葉に僕が出会ったのは最近の事だった。


ジャングルに生きるシャーマンの儀式薬。
それがアヤワスカに対する大まかな説明だった。

最初に知っていたのは今は別々に旅をしている相方だったし、
アヤワスカと言う言葉自体はマチュピチュでも時たまガイドが話している事を聞いたことがある。

その怪しげな言葉に興味はあったものの、
今回の旅では特に意識はしていなかったし、実際に体験する事はないと思っていた。


事実この薬は一部では「最強のドラッグ」として知られているのだ。

LSDの50倍と言われるアヤワスカの幻覚作用の強さは、
神聖なシャーマンの道具というよりは、その効き目の方で有名になっているようだった。


正直言うとドラッグ自体にはあまり興味がない。
確かに1度ぐらいは試してみたいという好奇心はあるものの、
それに対しての欲望自体はまったくといってない。

そもそも、そんなものがなくたって十分ハッピーなのに、
なんのために必要とするのかが不思議なくらいだ。
世界は十分楽しみに溢れている。僕にはそれで十分だった。



が、僕はいまジャングルへの道、つまりはアヤワスカへの道を走り出している。

予定にはないルート。
もちろん時間に余裕があるわけでもない旅のスケジュール表。

それでも僕がそこを目指すのはいくつかの理由があった。

1つは既に相方が向かっていて何やら素晴らしい体験をしていること。
もうひとつは、この旅にもう少し特別な体験を求めていた矢先であったこと。

正直、町や世界遺産を巡る旅も1年も経てば特別感が薄れてくる。
南米の自然は驚きの連続だったが、これから先楽しみと言えばガラパゴスぐらいだ。
何か別の、普段の自分では思いもつかないような所へ行ってみたかった。

この旅にしかない特別をわかりやすい形で求めていた。



「watashiwa kamitoiu sonzaiwo rikaisimasita」


そんなローマ字だらけのメールが届いたのはそんな時だった。


なんじゃそりゃ!!!

神だろうが悪魔だろうが信じちゃいないが、
これはとても特別なことが起きている。ただのドラッグには無い何かがある。そう直感した。

それにもう一つ、気になる言葉もある。


「アヤワスカは呼ばれていないと体験する事はできない」



よーし、行ってやろうじゃねーか、アマゾン。試してやろーじゃねーかアヤワスカ。





そんな訳でいまはもうバスの中。
ついに晴れることの無かった、薄暗い夕方のリマの町をゆっくりと抜け出した。

ジャングルの奥地での1週間の未知の世界。
未知の中に踏み入れる心地良い恐怖と期待感。

旅を始めたばかりのような、そんな快感が久しぶりに満ちていった。

2009年5月30日土曜日

世界一周(43)ペルー/カメラを買おう















DATE:2009/05/30 Peru - Lima -


ジーッ、ジーッ、ジーッ。。。キュイーン!


え。。。カメラ治った。

朝起きて、念のために起動してみたカメラは驚くべきことに、
暗い部屋の中でフォーカスをきちんとあわせた。


てめー、どっちだよ。

と治ったにも関わらず悪態を付く。


しかし幾つか試してみると、時たま起動しないこともあり、
やはりカメラの状態が完璧ではないことがわかる。

さぁてどうしたもんかね。

と実際のところ昨日よりも悩みは難しくなった。


もちろんこのまま騙し騙し使い続けることもできる。
が、もし完璧に壊れた場合にリマのような首都に滞在しているとは限らない。
田舎町で壊れたとなるとまた大きな都市まで引き返さなくてはならないのだ。
そう考えるとリスクのある状態で旅を続けるのはあまり好ましくない。

それに、、、実のところこのカメラ。
既にレンズに傷が付き、さらにゴミが写りこむなど、カメラとしてはどーなのよ、という状態でもある。
使えなくは無いが、なんだかイライラする。という奴だ。


やっぱ新しいの買いますか。

小一時間ばかり復帰を果たしたカメラをいじりながらそう決めた。


しかし買うにしてもけっこう値が張るものだ。
特に好みの機能を考えると日本のカメラで最新式に近いものになり、
少なくても日本で買う価格の1.5倍ぐらいはする。
しかも売っているのは1年~2年は前のものばかりで、
それを高い値段で買わなくてはならないのだから、なんだかなんだかだ。

画質はまぁ適当なもので良いとしてやはりズーム機能は捨てがたい。
今のカメラは壊れまくってはいるものの機能的にはかなり優れていて、
だからこそ4台も壊れるリコーのカメラを買い続けていたのだ。

ズーム機能7倍以上。

それを目標にして街を歩く。
この辺りで手に入るのはソニー、ニコン、キャノン、そしてパナソニックぐらい。
品揃えも良いとはいえないが仕方ない。


旧市街のショッピングセンターを見て周り、
もしかしたら新市街の方が良いものがあるかもしれない、と新市街ミラフォレスへと足を伸ばす。

ついでに観光もしてみるが、こちらにも特に何があるわけではない。
リゾート地のようなきれいな町並み。それがミラフォレスの街並みだ。

大抵の大都市にはある電気街を探そうと観光案内所に行ってみるが、
なんだか駄目な人で「私はカメラなんて買わないので知らない」そうだ。
東京に住んでいれば秋葉原の名前ぐらいは知っている。
リマに暮らすだろう彼女もまたそれぐらいは知っていそうだが、
がんばっても無駄そうなので諦めて新市街を自分の足で歩いた。


いくつかのお店を見つけたが品揃え、値段共に旧市街との違いはない。

今まで見たお店のいくつかの商品を頭の中で比べる。



パナソニック、TZ5.

ズーム機能10倍、画素数9百メガ。

値段4万円也。


日本で言えば1年以上の前の型遅れ。
だがこれがこの地では最新機種、値段も高いが仕方ない。
少し重いがズームも写真の色も、液晶もなかなか良いし悪くは無い。

なにせこれからガラパゴスが待っている。
動物を取るにはある程度のズームが必要なのだ。


と言うわけで、唯一それがあった旧市街のお店に戻り、
MAID IN OSAKAと書かれたその機種を購入した。
南米ではなぜか「大阪産」がブランドらしい。



さてこれで準備も整った。

次に目指す地は・・・ジャングル!!!

たぶん今までで見たことの無い体験が僕を待っている。

アヤワスカ・・・その謎のキーワードに惹かれて僕はジャングルの奥深くの村を目指す。

2009年5月29日金曜日

世界一周(43)ペルー/強盗と追悼











DATE:2009/05/29 Peru - Lima -


残念だが今日もまた曇りのようだ。

とは言えこの街に長居するわけでもないので、
今日もまた観光三昧の日々に街へと出かけるのであった。


リマの街。旧市街は世界遺産にも登録されているのだが、
今まで同様、南米の町の世界遺産登録基準は不明確で、
悪くはないが別にこれといって良くもない街並みが広がっている。

スペイン統治時代の建物、コロニアルな町並み。そして教会。いつもの通りだ。


そんな旧市街は今では商業の中心にもなっているようで、
いくつかの高層ビルと共にショッピングセンターが軒を連ねている。

そんな街を歩いていた時のことだった。




!!!!!!!!


後ろから来ただろう男の行動に最初は「え?」としか思えなかった。

なんとその男、白昼堂々僕のズボンのポケットに手を入れて、
携帯電話を持ち去っていったのだ。

!?、と最初は意味がわからなかったが、
どうやら携帯電話が盗まれているのだという事らしい。
ともかくその男を追わなくては。

そう思い、まだ目と鼻の先にいる男を追いかける。
街の人の声を引くように声を出して、その男を追いかける。

そもそも小太りのおっさん。しかも街には人が多いとあって、
どう考えても逃げ切れるわけもない。

すぐに彼に追いつくと、彼は仕方なさそうに携帯電話を道に置いて逃走を続ける。


逃がすわけないじゃん・・・。

と携帯電話を拾うと、そのまま彼を追いかけ、すぐに彼を追い詰めた。

壁際でうろうろする中年のおっさん。さてどうしたものか。

ともかく警察を呼べ、と辺りの人に呼びかける。とその時だ!


ギュルルルる!と音を立ててネイビーのバンが目の前に止まった。

何だ!?と思う間もなく、何者かがそこから飛び出してくる。

2人組の男、車の中にはまだ誰かが乗っているらしい。

そしてそれよりもまず目に付いたのは、、、


銃!!!!


やばい!と思う間もなく銃を手にした男は、、、なんと盗みをした中年のおっさんを車へと押し込んだ。

もう一人は僕の前に来て何やらまくし立てている。
なんなんだよ!と僕はたまらず彼に怒鳴り散らす。

車と同じくネイビーの制服を着た彼らは警察に見えなくもないが、
どう考えても警察のやり方には見えない。

なんだ!なんなんだ!

と、僕が言い続けているうちに、あっという間に彼らは中年男をバンに押し込み、
そのまま急発進でどこかへと連れ去っていった。


で・・・いったい何?


今起きた出来事がまったく理解できない。
特に何か盗られた訳でも怪我をしたわけでもない。
ただ中年のおっさんが武装集団に連れ去られた、それだけだ。
が、いったいなんなんだ!

騒ぎが収まったからか街の人々も声をかけてくる。
その中の誰かが「あれはポリスだ」と言っていたが、そんなポリスはいるわけがない。
仕方なくその場所を後にしたが、なぜか付いてくる男がいて、
「ポリスに行こう」とどこかに連れ去ろうとしたが、
まぁこれも何かの手口だと直感し、ありがとうと言って振り切った。



で、何?

と少し落ち着いた場所へ腰を下ろしいまの出来事を考える。

どう考えても稚拙としか思えない盗みの手口。
そして連れ去られた盗人。

シンプルに考えれば強盗集団の一人が盗み、失敗したので回収した。
そんなストーリーだろうが、それにしても手口が酷すぎる。

あれだけの人数がいるのならば、
最初っから全員で脅し取った方が簡単だろうし、
そもそも盗みをする人の人選が悪すぎる。

考えられるのは、盗んだ奴がそのまま危険地帯へ逃げ込み、
そこで仲間が出てきて強盗をするというストーリーだが、
それにしても彼の逃げ足では誰もが途中で捕まえられるだろう。

なんだか腑に落ちなかったが、ともかく無事なのは確かだ。


まぁ結構面白かったし、いっか。とすぐに気分を切り替えて観光を続けた。

これもまたリマの街の一部だと思えば、悪くない経験かもしれない。
しかしこんな事があってもこの国が嫌いにならないのは不思議だ。
南米に来て犯罪を犯す人がその国の一部であることがわかってしまっているからかもしれない。
それが起きたからといってその国の全てを嫌いになる気はしないのだ。

逆に言うとそれが格差というものの姿で、結果だった。
もちろんそれは日本のマスコミが騒ぐ格差社会という話題づくりの為の言葉とは
質も現実感もまったく異なる異質のものだった。




排気ガスの漂う大通りをようやく抜けてセントロまで付き、
ふらふらと観光を始めたが、やっぱりめぼしい物はこれと言ってない。

いつも通りの町並み。正直飽きてしまった町並み。

観光案内所に行ってお勧めをたずねる。

無料の美術館。ぜひ行くべしといわれた教会。

実際のところそれはかなりすばらしい、と言える。
特に教会は木造で美しく、今まで見たことがない装飾が施されている。
イスラム美術のような色合いで彩られた回廊は見事なもので、写真が取れないのが残念に思えた。


が、実際のところはまたも例のトラブルに巻き込まれていたので写真どころではなかったのだ。


そう、これで4度目。まさかのまさか。


カメラが壊れる・・・。


何回壊れんじゃい!リコーのカメラ!!

実は日本に一時帰国した際に持ち出したカメラは2台。
1台は壊れたものを修理し、1台は念のために新規に購入したもの。
その片方は既に壊れていたし、新規購入したものはいまここで朽ち果てた。

さーてどうしたもんかねぇ。

あまりにもカメラのトラブルに慣れてしまって、
なんだか別にこれと言って悲しさも無くなってしまっているのだけれど、
現実的にはカメラ好きとしては何か対策を考えなくてはならない。

カメラの無い旅なんて。
旅をする前にはカメラなど持ったことない人間とは思えないほど、
なんだかこの旅でカメラが大好きになっている。



ま、日も暮れたことですし。

ペルー産のワイン(やはりあんまり美味しくなかった)とチーズで乾杯し、
壊れたカメラの追悼式を行う。


しっかし・・・なんてカメラ運悪りーんだ。

壊れたカメラを試しにもう一度押してみた。

ジーッ、ジーッ、ジーッ。。。そんな音だけが部屋の中に響き渡った。




<おまけ>
↓なぜか冷静に撮ってた犯人たちの写真。

2009年5月28日木曜日

世界一周(43)ペルー/博物館











DATE:2009/05/28 Peru - Lima -


まだ日の昇りきらない頃、僕はリマの町へと到着した。

旧市街にある宿へと向かうことも考えたが、
なんだか面倒になりバスターミナル近くの安宿に腰を落ち着けた。
どんよりと曇る薄暗い朝だった。


しばらくゆっくりと休んだ後は曇りなので町歩きをやめて博物館へと向かった。

大通りには沢山の車が行き交い、いくつものビルが立ち並ぶ。
高層ビルの数は多くはないがリマは紛れもない大都市だった。

不安だった治安もそれほど悪いわけでもなさそうで、
危険だと感じた場所さえ避けていればどうにかなりそうだ。
久しぶりの四車線以上の大通りに少しどきどきしながら横断歩道を渡った。


博物館へ行く道の途中でスーパーを見かけたので入ってみる。
異国のスーパーはその国の食文化が良くわかり面白い。
見かけたら1度は必ず入ってみることにしているのだが、予想通りペルーのスーパーは面白かった。

まず驚くのはその品揃えである。
大型スーパーだという事もあるが肉、魚、野菜、果物、そして幾つもの調味料。
なんと驚くべきことにマルチャンのインスタントラーメンまで。
チリやアルゼンチン辺りとは一線を画す品揃えにやはりペルーの食文化が豊かだという事がわかる。

西洋化の度合いが低いからなのか、もともとの文化なのか、
町を歩けば様々な料理が目に入るし実際に味もおいしい。
特に気に入っているのはセビッチェと呼ばれる魚の料理で、
新鮮な魚をレモンで〆たこの料理をほとんど毎日のように食べている。

そんなわけで南米一のお気に入り料理になったペルー料理だが、
やはり家庭料理も充実している様子で大型スーパーの中には豊富な食材を買い求める人々が多くいた。
ご飯がおいしい国に悪い国はないね、なんてひとり呟きながら大型スーパーを後にした。



さて、博物館と道草を食いまくってたどり着いたのは12時ごろ。
なぜだか無料になっていた美術館めぐりを開始した。


インカの歴史、ペルー周辺の民族文化。

国立博物館に集められたペルーの文化は面白い。
クスコや他の町でも今まで見てきたものだったが、
それでもこの辺りの文化がかなりユニークなものであることがわかる。

特に面白いのはやはりインカ帝国の頃の文化で、
集められた壷には人やらサルやらの様々なデザインが施され、
アジアやヨーロッパとはまったく異なる文化であったことが良くわかる。

それにインカ時代のデザインはとてもキュートなのだ。
ハプティーダンプティーのような丸い人の形の壷、
となりのトトロのような太っちょの動物。
ピエロのようなペイントをされた人の文様。
水木しげるの妖怪に出てきそうなへんてこなペイント。

そのどれもが唯一無二のデザインで一つ一つに心を奪われた。


それにペルー周辺の民族文化も面白い。

顔に幾何学的なラインでペイントした壷や、布。
祭りの時にはそれを顔にペイントする人々の写真。

その独特な文化に驚く。インカを終えてもこの国の文化はユニークだ。


と言ってもこの国の歴史は平和一辺倒であったわけでもなく、
内戦の歴史が写真展として展示されていた。

ペルーの歴史に詳しくはないが、
ただの一般市民らしき人たちが銃を握り、血を流す姿は、
紛れもなくこの国の歴史であったしリアルであった。

銃を持つ市民。
その不自然な姿に僕はただ戦争の恐ろしさを思った。



博物館を回り終わり、いつもどおりセビッチェを食べて宿に戻った。

リマという街が気に入ったわけではないが、やっぱりこの国は良い。
いまだ溢れるユニークな文化に、今日もまたそう思った。

2009年5月27日水曜日

世界一周(43)ペルー/ナスカの地上絵















DATE:2009/05/27 Peru - Nazca -


高度三千フィートから眺める地上の景色に思わず声を上げる。


「前方斜め右。ハチドリ」

そう告げたコックピットの機長の声にそちらを見ると、
まっすぐな直線と機械的な曲線で出来た地上絵が僕らの前に姿を現した。
地上絵の周りには何本もの無数の大地の直線が描かれていて、それは水の通り道を示しているはずだった。


「NEXT ONE!左側の山にロボット!」

その声と同時にセスナは急旋回を始め心地よいGの中、
僕らは機長の声に振り回されるように右へ左へと視線を揺らす。

助手席に座る僕の位置からは流れるように動くパイロットの腕が良く見える。
ジェットコースターのように旋回するセスナの中、僕は地上絵よりもその手に見とれていた。


フライト時間は40分。
最悪だと言われていた乗り心地は3人乗りのセスナの為か意外なほど快適で、
むしろセスナ機の旋回の面白さに子供のように心がはしゃぐ。

このとき、僕は思った。

きっと僕は空を飛ぶ。

面白すぎるセスナ機の乗り心地に将来の夢がまたひとつ連なった。



10以上の地上絵が現れては去り、現れては去った。
もう一度見返したい地上絵の姿もあるが、その刹那のアート鑑賞がこのフライトの醍醐味でもある。


大地をキャンバスに描かれた絵。

昔の人はなんて器がでけーんだ。
宗教的な意味もすべてひっくるめてこの大地のアートのスケールに完敗した。



30分ほどの飛行で全ての地上絵を見終わった後は、
ゆっくりと町へ向けて引き返していく。

もう旋回も下降もないが、ゆったりとしたセスナの中、
この空の旅の中にもう少し居たいものだ、と思った。



地上を見れば真っ直ぐな道が伸び、人々が耕す農地が見えた。
町は空から見るとパズルのようだ。


なんだ、これだってアートじゃん。


空から見た地上の姿を見て僕はそう思った。

数分後、ゆっくりと下降を始めたセスナ機は静かな衝撃の後に、大地へと降り立った。




いやぁ、しかしセスナ楽しかったなぁ。

2009年5月26日火曜日

世界一周(43)ペルー/コロニアの町、アレキパ















DATE:2009/05/26 Peru - Arequipa -


なぜか僕はアレキパという町に着いてしまった。

昨日マチュピチュの町を出たときには露とも思いもしなかった町に、なんでまた。
と、深堀りしても特にたいした理由ではない。
単にアレキパ経由の方がクスコからナスカへ直接行くよりも安かった。それだけの事だった。

距離的に考えればペルーの国をチリの国境近くまで戻るアレキパ経由の料金が
クスコから直接ナスカへ行くよりも安いことは腑に落ちないが、安いものは安い。

それにアレキパという町は元々の予定では行くことになっていた所だ。
丁度、午後発のバスがあると言うので荷物をバスターミナルで預かってもらい、
タクシーに乗ってアレキパの町へと繰り出したのであった。



プラザ・デ・アームス。

この名を何度、南米に来てから聞いたかはわからないが、
南米の殆どの都市にあるこの広場はその多くがその町の中心である。

アレキパの町も例外なく、この広場から観光が始まる。

アレキパは世界遺産の町である。
例によってスペイン征服時代に作られたコロニア風の町と言うのが登録基準だが、
南米に数ある「コロニア風の町並み」の中でもとりわけ美しいという評判なのが、アレキパの町だった。


確かにそれが噂だけではないのは町を歩けばすぐにわかる。
大きな建物がないアレキパの町はほぼ全てと言っていいほどに、
昔ながらの美しい町並みが続いている。

最初に到着したプラザ・デ・アームスもまた、
白い美しいアーチを描く建物と大きな教会に囲まれて小さくはあるがやはり美しい。

コロニアと名がつく町の特徴に飽きてしまった僕でさえも、
このアレキパの町は面白く久しぶりに町歩きの楽しさを覚えた。


町の様子もけっこうユニークで広場には「ジャマー」と呼ばれる携帯レンタルのサービスがあったりする。
携帯電話を時間貸しするというシンプルなサービスだが、
まだ携帯の普及率が低いからか時たま声がかかる所を見ると、中々の需要があるのだろう。
ただ待つだけではなく客の呼び込みも行っているが、
「電話する?」と言われても、ちょっと困ってしまうのがこの商売だ。
ただ苦笑いして小さく手を振って広場を僕は後にした。


町のホテルは古い建物を改装して作っているところが多く、
小さな住宅のいくつかにはHOTELの看板がかかっている。
中をのぞいてみると美しく整えられた中庭が美しく、建物の雰囲気もかなり良い。
今回この町に滞在することができなかったのが少し残念だった。


小さな路地の中に迷い込むと真っ白な壁が続いていて、
壁を切り取るように向かい側から壁が黒く落ちている。

美しい町は影がきれいだ。そう思う。
思い返せばメンドーサやサクラメントもまた影の美しい町だった。
コントラストの強いくっきりとした影がなぜか美しい町には落ちている。


そういえばペルーのキリスト教の教会で面白いことのひとつに、
服が着せられた十字架がある。
おそらくは人を模して服が着せられているのだろうが、
木にぴったりと合う煌びやかな衣装を着せられた十字架は中々に面白い。
アレキパにあった十字架はさらに手まで生えていて、
十字架と言うよりはなんだか案山子のようにも見えた。

ペルーの教会を見てもわかるように、
同じだと思っていたキリスト教の教会もまたその土地それぞれに独自の発展をしている。
じゃぁ、これがどうスペインの影響を受けているのかと言われると、
それが良くわからないのが残念なところだ。

なにせスペインの教会といえばあのサグラダ・ファミリアしか見ていないのだ。
あの奇抜な教会をスペインの教会と呼ぶのはいささか無理がある。
数日を過ごしたスペインで一度でも普通の?教会を見てこなかったことが残念に思えた。



教会も見終わってコロニアの町並みも一通り見て歩いた。
さて帰ろうかと思い辺りを見てみるとふと大きな事に気がついた。

あの民族衣装姿の人々がいないのだ。

クスコまでの町には至る所にいた民族の姿がここでついに途切れた。
しばらく注意して町を歩いてみても見かけたのは数人ばかり。
それに変わってというのかはわからないが、
アレキパの町の人々は一様にお洒落でなんだか垢抜けている。

ショッピングセンターが並ぶ商店街を歩いてみると、
今までのペルーの町にはなかったようなガラス張りのお洒落なお店が多く、
この辺りの人々が垢抜けているのも頷ける。

ついに途切れてしまったボリビアからの文化の糸にほんの少しがっかりしたが、
これもまた新しいペルーの姿だと、それはそれで面白く思った。



プラザ・デ・アームスに戻りタクシーを拾いバスターミナルへと引き返す。
バスターミナルにはここに来てやっとと言うべきかインフルエンザの張り紙が見えた。

致死率1%程度の普通のインフルエンザに大騒ぎするほど馬鹿ではないが、
南米という場所でこういうのを見ると逆にドキリとするのは確かだ。
「あの南米でさえ」という意味での警告が心のどこかに突き刺さるのだ。

さーてメキシコどうしようかな。
なんて事を考える。
予定は大きく変更になるかもしれない。
その時はその時だ、まだまだ行きたい場所はたくさんある。



アレキパを出たバスは延々と砂漠の道を走った。
南米の西側はどうもこういう景色がお決まりらしい。


ナスカにたどり着いたのは夜だったが、
案の定客引きがうじゃうじゃいて宿探しには困らない。


さて、明日は飛びますか。

ナスカの地上絵はもう目の前だ。
客引きのマリアおばちゃんにそそのかされ、
60ドルのセスナ機のツアーに申し込み準備は既に整った。


空の上から見る地上絵になんだか胸がわくわくした。

2009年5月25日月曜日

世界一周(43)ペルー/まちゅぴちゅ温泉







DATE:2009/05/25 Peru - Machu Picchu -


アグアとは水。カリエンテとは熱する。

つまりマチュピチュ探索基点の町、アグアカリエンテとは
「温泉の町」だ。


マチュピチュ近くに温泉があるなんて、なんていい話だろう。
昨日はマチュピチュ探索で朝から夕方まで歩き回ったため、ちょうど疲れも溜まっていたところ。
本当ならばこのまま朝からクスコへと戻りナスカへ行くつもりだったが、
朝発の列車を午後へと繰り伸ばしてちょっくら温泉へ、と繰り出した。


渓谷の中に作られた町だけあって、町の中心には大きな河が流れている。
それを10分ほど上っていくと温泉施設へとたどり着く。

もちろん温泉、とは言っても日本の温泉とは違うので
水着着用が必須の、どちらかというと温水プールという感じの場所である。

実際に着いてみると想像以上にプールらしいプール。
真四角のコンクリートの浴槽の中には観光客が足をバタつかせて泳いでいた。


入り口で料金を払い後はプール、もとい温泉に飛び込むだけ。

もともと水着を履いて来たのでTシャツを脱ぐだけで準備万端だ。
辺りにはやはり温泉らしき硫黄の匂いが立ち込めている。

さてマチュピチュの温泉とはどんなもんじゃ。と足を温泉に。


・・・ぬるい。

日本人の中の温泉のイメージと言えば熱いお湯の中で、
外の冷たい風を受けながらのんびりと入浴するのが通というものだが、
ここマチュピチュの温泉はぬるい。なんか中途半端な温度だ。
水ではないが、温泉と言うよりは水が日光で温まっただけのような温度で、
温泉の水もなんだかにごっていて少し汚い。


ま、いっか。温泉温泉。

と気を取り直してぬるい温泉に身を埋める。
探してみればお湯が出る出湯口がありそこにいれば、まぁ温泉気分みたいな感じは味わえる。
それに真っ青な青空の下、こうやってのんびり水に浸っているのも悪くない。

ビーチリゾートに来た気分になりビールを片手にのんびりと。

あっという間に2時間が経って、列車の時間になりましたとさ。



幻の天空都市マチュピチュの、そんなおまけのエピソード。

2009年5月24日日曜日

世界一周(43)ペルー/マチュピチュ


























DATE:2009/05/24 Peru - Machu Picchu -


まだ誰もいない遺跡の中、鳥の声だけが生きていた。
そびえ立つ山で遮られた朝日はまだ、この天空の城をまだ照らし出してはいない。

何百年もの間、こうして在ったのだろう。
人知れず捨てられた幻の遺跡の発見前の姿を見たような気がし、
門をくぐったその先に見た只在る遺跡の姿にただ沈黙した。


ワイナピチュへとぞろぞろと向かう人たちを尻目に、
僕は朝の誰もいないマチュピチュの中を歩いてまわった。
日中は人であふれるこの遺跡の中も今は未だまばらな声しか聞こえない。

精巧な石組みは500年経った今もその姿を保っている。
崩れかけた一部の遺跡の跡だけに唯一その歴史を感じることができた。

まだ人が少ないからか逃げもせず鳥が石の壁の上で鳴いている。
何百年もの間、繰り返されてきた儀式のように鳴いている。
ふと影が横切ると小さな野うさぎが壁の上を駆け抜けていった。



マチュピチュの姿が見下ろせる少し高台に登った。
周りを囲む山から朝日のこぼれ日がすぅっと斜めに伸びている。
こぼれた日の光が徐々に角度を増していく。そして遺跡の先端から少しずつ影を生んだ。
朝日に染まる。と言うよりは元々あったモノが生まれ出るようだった。
そうやってマチュピチュの遺跡は何万回目かの再生を果たした。


生まれたての遺跡の中に僕はまた足を踏み入れた。

生き返ったインカの歴史は呼吸すら聞こえるような気がした。