DATE:2009/05/26 Peru - Arequipa -
なぜか僕はアレキパという町に着いてしまった。
昨日マチュピチュの町を出たときには露とも思いもしなかった町に、なんでまた。
と、深堀りしても特にたいした理由ではない。
単にアレキパ経由の方がクスコからナスカへ直接行くよりも安かった。それだけの事だった。
距離的に考えればペルーの国をチリの国境近くまで戻るアレキパ経由の料金が
クスコから直接ナスカへ行くよりも安いことは腑に落ちないが、安いものは安い。
それにアレキパという町は元々の予定では行くことになっていた所だ。
丁度、午後発のバスがあると言うので荷物をバスターミナルで預かってもらい、
タクシーに乗ってアレキパの町へと繰り出したのであった。
プラザ・デ・アームス。
この名を何度、南米に来てから聞いたかはわからないが、
南米の殆どの都市にあるこの広場はその多くがその町の中心である。
アレキパの町も例外なく、この広場から観光が始まる。
アレキパは世界遺産の町である。
例によってスペイン征服時代に作られたコロニア風の町と言うのが登録基準だが、
南米に数ある「コロニア風の町並み」の中でもとりわけ美しいという評判なのが、アレキパの町だった。
確かにそれが噂だけではないのは町を歩けばすぐにわかる。
大きな建物がないアレキパの町はほぼ全てと言っていいほどに、
昔ながらの美しい町並みが続いている。
最初に到着したプラザ・デ・アームスもまた、
白い美しいアーチを描く建物と大きな教会に囲まれて小さくはあるがやはり美しい。
コロニアと名がつく町の特徴に飽きてしまった僕でさえも、
このアレキパの町は面白く久しぶりに町歩きの楽しさを覚えた。
町の様子もけっこうユニークで広場には「ジャマー」と呼ばれる携帯レンタルのサービスがあったりする。
携帯電話を時間貸しするというシンプルなサービスだが、
まだ携帯の普及率が低いからか時たま声がかかる所を見ると、中々の需要があるのだろう。
ただ待つだけではなく客の呼び込みも行っているが、
「電話する?」と言われても、ちょっと困ってしまうのがこの商売だ。
ただ苦笑いして小さく手を振って広場を僕は後にした。
町のホテルは古い建物を改装して作っているところが多く、
小さな住宅のいくつかにはHOTELの看板がかかっている。
中をのぞいてみると美しく整えられた中庭が美しく、建物の雰囲気もかなり良い。
今回この町に滞在することができなかったのが少し残念だった。
小さな路地の中に迷い込むと真っ白な壁が続いていて、
壁を切り取るように向かい側から壁が黒く落ちている。
美しい町は影がきれいだ。そう思う。
思い返せばメンドーサやサクラメントもまた影の美しい町だった。
コントラストの強いくっきりとした影がなぜか美しい町には落ちている。
そういえばペルーのキリスト教の教会で面白いことのひとつに、
服が着せられた十字架がある。
おそらくは人を模して服が着せられているのだろうが、
木にぴったりと合う煌びやかな衣装を着せられた十字架は中々に面白い。
アレキパにあった十字架はさらに手まで生えていて、
十字架と言うよりはなんだか案山子のようにも見えた。
ペルーの教会を見てもわかるように、
同じだと思っていたキリスト教の教会もまたその土地それぞれに独自の発展をしている。
じゃぁ、これがどうスペインの影響を受けているのかと言われると、
それが良くわからないのが残念なところだ。
なにせスペインの教会といえばあのサグラダ・ファミリアしか見ていないのだ。
あの奇抜な教会をスペインの教会と呼ぶのはいささか無理がある。
数日を過ごしたスペインで一度でも普通の?教会を見てこなかったことが残念に思えた。
教会も見終わってコロニアの町並みも一通り見て歩いた。
さて帰ろうかと思い辺りを見てみるとふと大きな事に気がついた。
あの民族衣装姿の人々がいないのだ。
クスコまでの町には至る所にいた民族の姿がここでついに途切れた。
しばらく注意して町を歩いてみても見かけたのは数人ばかり。
それに変わってというのかはわからないが、
アレキパの町の人々は一様にお洒落でなんだか垢抜けている。
ショッピングセンターが並ぶ商店街を歩いてみると、
今までのペルーの町にはなかったようなガラス張りのお洒落なお店が多く、
この辺りの人々が垢抜けているのも頷ける。
ついに途切れてしまったボリビアからの文化の糸にほんの少しがっかりしたが、
これもまた新しいペルーの姿だと、それはそれで面白く思った。
プラザ・デ・アームスに戻りタクシーを拾いバスターミナルへと引き返す。
バスターミナルにはここに来てやっとと言うべきかインフルエンザの張り紙が見えた。
致死率1%程度の普通のインフルエンザに大騒ぎするほど馬鹿ではないが、
南米という場所でこういうのを見ると逆にドキリとするのは確かだ。
「あの南米でさえ」という意味での警告が心のどこかに突き刺さるのだ。
さーてメキシコどうしようかな。
なんて事を考える。
予定は大きく変更になるかもしれない。
その時はその時だ、まだまだ行きたい場所はたくさんある。
アレキパを出たバスは延々と砂漠の道を走った。
南米の西側はどうもこういう景色がお決まりらしい。
ナスカにたどり着いたのは夜だったが、
案の定客引きがうじゃうじゃいて宿探しには困らない。
さて、明日は飛びますか。
ナスカの地上絵はもう目の前だ。
客引きのマリアおばちゃんにそそのかされ、
60ドルのセスナ機のツアーに申し込み準備は既に整った。
空の上から見る地上絵になんだか胸がわくわくした。
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