2009年3月31日火曜日

世界一周(40)チリ/マチビトキタル







DATE:2009/03/31 Chile - Santiago -


部屋探しも終えてお迎え用にシャンパンも用意して準備は万端。

最近手に入れた詳しいが使えないガイドブック、ロンリープラネットにはなぜか載っていない
空港への行き方をどうにか調べて、エアポートバスに乗り一路空港へ。


そういやイースター島は国内線なのか国際線なのか?

となぜか到着の表示のないイースター島の便を待つ。
(スペイン語のイースター島の文字が読めなかっただけw)


ふと到着ロビーに見慣れた顔が姿を現す。

「マサミ!」

そう呼びかけて南米流のハグの挨拶を交わし僕らは久しぶりの再会を果たした。

一緒にイースター島でお世話になっていたと言う家族も今日のフライトだったそうで、
お言葉に甘えて家族と一緒に街まで送ってもらう。


部屋について荷物を下ろし、冷やし貰っていたシャンパンを「へっへっへ」と取り出す。

「乾杯!」久しぶりのその声が部屋に響いた。



Now,in Lover's TIME.なんちって。

2009年3月30日月曜日

世界一周(40)チリ/待ち人







DATE:2009/03/30 Chile - Santiago -


来るのか?来ないのか?

結局のところそれは今日の夕方ぐらいにならないとわからないらしく、
相方がLAN航空のオフィスで必死の交渉をしてくるのを黙ってここで待つしかないようだ。

仕方ない、今日の夜まで待って明日来れなければここを発とう。

そう決めて一応チェックアウトを済ませ、
特にやることもないサンティアゴの街へと繰り出した。


と言ってもやっぱり本当にやることがない。

ふらふらとしてみたものの特に面白いことも見つからず、
おいしそうなソフトクリームをほおばった後はやっぱり宿に戻って日記でも書くことにした。

日記を書いている今もいまだにマサミが今日来るのかもわからない。
まんじりとしない感じで日記にも飽き特に目的のないネットサーフィンを楽しむ。



午後5時。
それをタイムリミットと決めていた。それを過ぎれば今日の夜行に乗り遅れてしまう。
実際のところ既に5時を切っていたが最後の最後まで粘ろうと刻まれる時計をただ見つめた。
携帯のバイブが動き出したのはそんな時だった。

「明日!明日帰るから!絶対に!」

その声を聞いてなんだか少しほっとした。
そしてついでにチェックアウトしたのにもう一泊って言うのちょっと恥ずかしいな。なんて事を考えた。
それでもうれしいことは変わらない。
了解。明日、空港で待ってる。と伝え電話を切った。


「やっぱりもう一泊するよ」
そう言った僕に顔見知りの受付は驚いたが、笑って「じゃぁもう一度」とチェックインの紙を渡した。

荷物を部屋へと戻し久しぶりにでた外の空気は少し肌寒くなっていた。
もうすぐ次の季節がやってくる。少し色づき始めた街路樹の色が街灯に照らされてそう語っていた。

明日はこの街を二人で歩くのか。
なんだかそう思うとさしてやることのないこの街も少し楽しくなった。

そうだ二人で市場に行こう。そして美味しいものをたくさん食べよう。

小さな商店でビールを買い、夜道を歩きながらそう考えた。

2009年3月29日日曜日

世界一周(40)チリ/山を越えて行こうよ











DATE:2009/03/29 Chile - Santiago -


なんてもったいないことをしていたのだろう。

目の前をゆっくりと流れていく景色を見ながら、
夜行バスでここを訪れたことを思い出してそう思った。

白い雪を抱いた山々、そして竜の鱗のようなうねり狂う山肌。
ブドウ畑を後にして僕が見たアンデスの山々は単に美しいを通り越して凄みさえもあった。

雪山からごつごつとした岩山までなんでもありの美しい道を
10人乗りのミニバンはジェットコースターのように走り抜けていく。
どうやら最も早い運転手を選んでしまったようで他の車を寄せ付けず、
1時間ほど前に出発したはずの別のバスをぐんぐんと追い抜いた。

山々の間に流れる川はいつの間にか大きくなりいつの間にか小さくなる。
最も大きな川が流れていた場所では山が削り取られ、
一直線のがけ崩れのように不自然な垂直が続いている。
その川もまた時の流れに姿を消したのか、今では小さな流れだけが大河の後を流れている。


こんなきれいなところをタダで見れるなんてお得じゃん。

もと来た道を戻るなんて無駄なことはやりたくなかったが、
この景色を見ているとそんなことは忘れてしまった。
やはり南米は自然が美しくダイナミックな場所らしい。

これから氷河を見に行くかを迷っていたがこの景色を見ていて吹っ切れた。
予定になかったパタゴニアを追加することで予定の多くを削らなくてはならないが、
それもまた仕方ない。南米を旅するということはこの大地の自然に触れるということ。
そう悟った以上、それをしなければ意味はない。

それにこれまでの南米の旅の中でわかったことは、
僕が大好きな町歩きがそれほど面白くないという事で、
逆に言うとそれを捨てて自然を満喫することは悪くない選択に思えた。


スピード違反のミニバンはあっという間に山々を潜り抜け、
僕のパスポートに二つ目のチリのスタンプを刻んだ後、たった5時間でサンティアゴへとたどり着いた。
ほぼ同じ距離のバルパライソからメンドーサまでは8時間もかかったのだから、
どう考えてもそれは交通違反ぎりぎりアウトの仕業としか思えなかった。


たどり着いたらたどり着いたで、今日はひとつ仕事がある。
今日、サンティアゴに戻ってくるはずのマサミを迎えるべく部屋探しをしなくてはならない。
物価が高いサンティアゴにおいてそれは結構大変なことでもある。
いくつかのホテルを回り値段交渉をしてみたが、条件に合うところが見つからず、
エリアを変えて探してみようかと思ったころ、僕の携帯が着信を知らせた。


「ごめん、てっちゃん。今日行けない」

なんだか泣きそうな声でマサミが受話器の中でそう言っている。
いきなりの事でまったく状況を理解できていない。
そう言えばエジプトのカイロではこんな感じで乗り遅れてたっけか、とふと思い出した。

ともかく状況確認をしようと聞いてみると、
どうやら乗り過ごしとかではないことがわかる。
なんとLAN航空のミスで搭乗の予約がされていなかったらしく、それで今日は出発できないそうだ。

「まじ?」と思わず言ってみるも僕も彼女の状況はわかっている。
なんと彼女はイースター島に2週間以上も閉じ込められている。
元々は帰りの飛行機の予約が取れなかったらしいがようやく取れた今日のフライトも駄目になってしまった。
なので責めることもできず、とりあえずわかったと言い電話を切った。


なんじゃそりゃ。

なんだか一気にテンションが下がってしまった。
会いたい人に会えない時はそんなもんだ。

ともかく適当な宿を探そうとしたがそれも面倒になり、
以前泊まっていたユースホテルへと足を伸ばし、顔見知りの受付のチリ人に一泊するよと伝えた。


うーんどうしたもんか。

私、待つわ。なんて言ってられるほど日程の余裕はないが、
ここまで来てしまった以上、やっぱりちょっとは会いたいし。


まぁ、ともかく明日。と考える事を放棄してベッドに横になり、そのままぐっすりと眠った。

2009年3月28日土曜日

世界一周(41)アルゼンチン/アルゼンチンワイン















DATE:2009/03/28 Argentine - Mendoza -


朝からはじめたワイナリーツアー探しは失敗に終わり、
よいツアーを発見したものの値段が高く、
そんなものに参加するならばそこのワインを買うつーの、と
宿のオーナーが紹介してくれたお手軽ツアーに参加することにした。

ワイナリーを二つ巡り、
もうひとつの名物オリーブの精製工場をまわり、
もひとつおまけに何故かチョコレート販売所をまわる
なんだか後半はお土産攻勢なツアーだ。



町を離れたツアーのバンは、
そこから10キロほど離れたマイプーという町へと走る。
そこは多くのワイナリーが集まる小さな村。

町を出るとすぐ、
アンデス山脈の雄大な自然が右側に広がる。
まだ夏だというのに雪を抱いた山々が、
空の青と同化するように青く染まり、遠くのほうへ見えている。

この景色はチリからアルゼンチンに入る際に見えたはずなのだが、
それを夜行バスにしてしまいスルーしたのは非常に残念なことだ。
そんなわけで密かにまた同じルートを通ってチリへ戻ろうかとも考えている。


マイプの町の付近に来るとさすがにブドウ畑の姿が多くなる。

フランスのような美しい田園風景とも、
オーストラリアの大規模な工業的な農業風景とも違う独特な風景。

ブドウ木が整然とずらりと並んでいるのは同じなのだが、
その間に木が植えられていたり、
ブドウの木も背が高かったりと、
なかなかどうして興味深い。

とは言え感覚からいうと、
どっちつかずの田舎農業という中途半端なイメージを受ける。
ワインとしては後進のアルゼンチンでは、
こんなものかと思った。




1件目のワイナリーに着くと、
お決まりのコース、
醸造から熟成、そして地下蔵と見学して回る。

面白かったのが小さいワイナリーだったからか、
いまだに樽での醸造を行っていることだった。

ステンレス全盛のこのご時勢で、
こういうワイナリーは少ないと聞いた。

温度管理が難しい樽での醸造だが、
この小さな農家が懸命に努力している様子を思うとうれしくなった。

ワインの質は・・・まぁまぁだったけど。



続いては二件目のワイナリー。

こちらは大きなワイナリーで、
到着すると大きなトラックいっぱいのブドウが、
加重を搾り出すためにミキサーのようなものにかけられている途中だった。

その様子やミキサーの大きさからも、
このワイナリーの規模がわかる。

代々続くワイナリーの様子を聞くと、
ついにはお待ちかねのテイスティングタイム。


アルゼンチンには沢山のブドウ品種があるが、
その全てがほぼフランスから輸入された、
フランス系のブドウ品種だそうだ。

カベルネ・ソーヴィニオン、
メルロー、シャルドネ、
ソーヴィニオン・ブラン。

などなどの聞いたことのある名前も並ぶが、
近年ではシラーなどの品種も人気が高まってきているそうで、
生産にチャレンジするワイナリーも多いそう。

そしてアルゼンチンワインの固有種としての、マルベック。
この品種はアメリカから輸入したらしいのだが、
今ではほぼアルゼンチンでしか生産していないのだそう。

テイスティングはこのマルベックと、
アルゼンチンの白では一番お勧めというシャルドネを味わうことになった。


一杯目。白、シャルドネ。

良いワインだということは見ればわかった。
少し黄みがかったその色は上質のワインの印。
そしてグラスを回すまでもなくフルーティーなよい香りがする。

一口。

うまし。

まー正直なところやたらと飲んでいるだけで、
ワインの評価なんてのは良くわからないのだが、
ともかく美味ければなんでも良いのだ。

味、香り。
後で聞いた価格300円にしてはかなりの上出来だと思う。
二杯目のテイスティングにも期待がこもる。


二杯目はマルベック。
グラスに注がれた瞬間から、これもまたおいしそうな香りを発している。

マルベックという品種は、
強い香りが特徴でそのくせしっかりとコクのある味なのだそう。
1つめのワイナリーで飲ませてもらったが、
確かにその通りだが、そこのワインはコクというよりも、
なんだか苦みのような感じだった。
なのでマルベックという品種の本質はあまり良くわかっていない。


ワインはまだ若い年のものなので、
光にかざすと真っ赤な透明な色をしている。

香りを楽しみ口の中に流し込む。


あ。うまい。


まるでメルローとカベルネの良い所取りのような品種。
僕は一発でこの品種が気に入ってしまった。

年代としては2002年、2003年、2005年が当たり年なのだそう。


すっかり満足してそのワイナリーを後にした。

著名ワイナリー巡りとはいかなかったが、
しっかりアルゼンチンワインを堪能。

続くオリーブ工場と、チョコレート工場については。。省略!
ま、地元の小遣い稼ぎのお土産屋さんまわりって奴。




その夜は。

しっかり自炊マニアになってしまった僕は、
有名なアルゼンチンの牛肉を購入し、
単にステーキにして食べてみる。
もちろん傍らにはマルベック品種のワインを片手に。

1キロ500円。そんな肉が・・・


うめーーーーーーーー!!!!!!


骨がまだついたあばら肉。
レアでも食べられるぐらいの柔らかさ。
肉汁を使ったワインソースと醤油の両方でぺろり。
700グラムもあった牛肉が瞬く間に姿を消した。

おいしい牛肉に赤ワイン。

なんて幸せな生活なのだアルゼンチン人。


おいしいお肉においしいワイン。
きれいな女性に、文化的な生活。

なんだかここなら生活できそうな気がしてくる。


とはいえアルゼンチン生活もここでいったんお終いだ。
わけあってチリのサンティアゴへと帰ることにする。
これから行く予定のチロエ島はサンティアゴから行くほうが安くて快適だったりするし、
明日イースター島から戻ってくるマサミに久々に会いたくなったからでもある。

全ては愛のために。なんてね。

たっぷりとボトルに残った赤ワインをゆっくりと飲み干した。

2009年3月27日金曜日

世界一周(41)アルゼンチン/木漏れ日の街で。











DATE:2009/03/27 Argentine - Mendoza -


朝、6時。

たどり着いたバスターミナルはまだ人もまばらで、
さらに日の出さえもまだだった。

そのまま宿に行くかを迷ったが、
まだ知らないアルゼンチンを早朝とは言え暗い道を歩くのは危険だと思い、
バスターミナルのベンチに腰掛けて、
荷物を体にくくりつけると、うとうとしながら時間を過ごした。



8時ごろ。

ようやく日が昇り始めたメンドーサの町。

観光案内所で地図をもらい、
町へ向かって歩き出した。

最初の横断歩道で欧米人のグループと会い、
彼らと共に宿を探すがさすが欧米人。

最初から自分のリストの中で
「ここは遠すぎるから無理」と思っていた宿へとがんがん進む。

その距離3キロ近く。

普段ならば別に苦にもしないが、
重いバックパックを背負ったままでのこの行進は苦行以外のなにものでもない。

しかも辿りついたところは満室!

欧米人達は近くの高い宿に泊まることにしたが、
僕はどうせならとバスターミナルの近くの宿へと、
また来た道を戻っていった。


メンドーサの町は驚くほどにきれいだ。

どこの道を通ってもきれいなプラタナスの並木が騒然と続いていて、
その両側をガラス張りのショーウィンドーが軒を連ねている。

アルゼンチンとは思ったよりも近代的な国なのかもしれない。

宿への道を歩きながらそんなことを思った。


宿にたどり着くと、
なんだかそのアットホームさにやられてしまい、
ほのぼのとした中庭でのんびりを時間を過ごした。

洗濯をしたり、ネットをしたり。

久々のインターネットで、
mixiの移行作業なんてのを始めてしまったのが運の尽き。

ツールをダウンロードしたり、
移行用プログラムを作ったり、
なんやかんや。
プログラミングなんて久しぶりにしたもので、
急に動き出した脳みそがあっという間に火を噴いた。

なんとかmixiから画像やら日記やらをダウンロードして、
あとはひたすらコピーして張り付ける地味ーな作業。
1ヶ月分ほどコピーしたら飽きてしまい、
今日の作業はおしまいということにした。
1年分を移行するのはいつのことになるのやら。


しかし昔の日記を読み返すのは面白い。

旅の始め。いろんな国の思い出。

文体も最初のころからは大きく変わっていて、
最初は高橋歩のようなメッセージ性の強いものだったのが、
いつの間にか深夜特急のようなエッセイ的なものへと変わっている。

日記を書くという作業。

やはりやっていて良かったと思う。

1年後、10年後。

旅が終わった後の僕は、これを読んでどんな事を思うのだろう。
そんな未来のことを思うとタイムカプセルのようでワクワクした。



それはそうとメンドーサはアルゼンチンワインの町である。

アルゼンチンワインの70%を生産しているというこの町。
何はなくともワイナリーめぐりは欠かせない。

そんなわけで情報を集めるために、
旅行代理店めぐりを始めた。



心地よい日の傾き始めた道を歩いていく。

ぽつぽつと斑点のように落ちた影。
染みのような影が道端に絨毯を広げている。
道を歩く人もまた洗練されて都会的だ。

この町の美しさは「影」にあるのだと思う。
町全体が並木道に覆われていて、
どこを歩いてもお日様と影の混じった世界の下だ。

空を見れば青々と茂る木々から空の青が覗き、
それを見上げながら歩くのは一枚の巨大な絵を眺めているようでもある。

路上に張り出したカフェテラスでは、
ゆったりとコーヒーを楽しみながら寛ぐ人たちが、
ただのんびりとその時間を味わっている。

4時ごろの町はシエスタのためなのか、
お店のシャッターがしまり人通りもうっすらとしている。

そんな静かな町を一人で歩くのもまた良いものだと思った。
木漏れ日の街の静かな午後ってやつだ。



アルゼンチン人なるものを観察しながら歩くのもまた面白い。

南米などみな同じ、と思っていたのだが、
やはり来てみるとそれぞれに違いがあり、
アルゼンチン人はどこかのんびりしているように見える。


そしてアルゼンチンの女性はとても美しい。

スペイン系の彫りの深い顔に大きな目を抱いた女性たちは確かに魅力的だ。
しかし、なぜアルゼンチン女性が美しいのか、
それはきっと日本人にはわからないかもしれない。


アルゼンチン女性がなぜ美しいか。

それはみな「痩せている」からなのだ。


日本人にはわからない、と思うのは、
それは日本人にとって痩せているというのはそう大したことではなく、
きわめて一般的なフツーのことなのだが、
世界へ出ればそれが羨望の的になることがわかる。


ヨーロッパ、南米。

この国々を旅してきた人はほぼ全ての国で、
女性があり得ないほどに太っていることに気づくだろう。


白人の遺伝子なのか、
それとも食べ過ぎのせいなのか。
それはちっともわからないが、
ともかくある年齢を超えれば女性はみんな「どーん」となる。
そりゃぁ、見事な「どーん」だ。

日本で言う「太った」などは比にならない。
何段もあるおなかをTシャツの下から惜しげもなく見せ付けるその姿は、
ある意味では潔いとしか言いようがない。

そりゃぁ、あれだけ食べればそうなるよ。
と言う気もしないでもない。
ともかく食べている量が半端ではないのだから。

日本を旅してきた欧米人に聞くところによれば、
「日本では定食を2つ食べる」のだそうだ。
そりゃそうだと思う。
僕はヨーロッパで定食をこの半分で良いのに。と思っていたのだから。

そんなわけで「どーん」な女性が多い中、
ここアルゼンチンはなぜか痩せている女性が多いのだ。

それは驚くべきことで、
しかも欧米人並みのスタイルとルックスとなれば、
「アルゼンチン女性は美しい」と言われる訳も納得できる。

そんな美しい。美しい女性を見ながら歩くのは、、、。いや、これ以上はやめとこう。



いくつか旅行代理店を回ってみるも、
何百とあるメンドーサのワイナリーの中から
お目当ての有名ワイナリーを回るツアーは見つからず
それはとりあえず明日へとお預けすることにした。

自分で回ることも可能らしいのだが、
この僕のスペイン語能力でワイナリーを巡ることは到底現実的ではなかったし、
そもそも予約の電話さえもかけられそうになかった。


代理店めぐりの途中で見つけたスーパーへより、
ワインの調査をしてみることにした。

フランス系大型スーパーマーケット、カルフール。
世界各国に触手を伸ばすその大型店舗はアルゼンチンにもあるようだ。

そしてそのワインの品揃えたるや・・・。

ずらり!と並んだアルゼンチンワイン。
思わずフランスを思い出すような品揃えだ。
さすがワインの町、メンドーサと言ったところだろう。
その何百もあるワインを眺めるのは相当に楽しい。

カベルネ・ソーヴィニオン、メルロー。
そしてシラーやシャルドネ。
ありとあらゆる種類の品種があり、
マルベックというアルゼンチンの固有種も多く売られている。

値段は安いもので2~5ペソ(約100~200円)。
ミドルクラスのワインで10~20ペソ(約300~600円)
最高品質のリザーブクラスで50ペソ(約1500円)
、と言ったところだ。

日本で輸出されているのはミドルクラス以上のものだが、
それでも日本で買うよりは5割ほどは安い。

暑い日だったので10ペソの白ワインを購入し、
それに合わせてチキンとトマトを買い込んだ。

アルゼンチンは噂どおりに肉が非常に安い。
何せ最高級の牛肉が1キロ500円もしないのだ。
こりゃぁ、自炊生活に熱がこもるってなものだ。


予想外に旅行代理店めぐりが買出しになってしまい、
宿から遠いスーパーから重い荷物を持って家路へと戻った。

夕暮れに染まるメンドーサの町は、
影が家や道路へと塗りこまれていくようで、
木々の影がどこまでもどこまでも伸びている。
熱い夕日がその影と混じり徐々に溶けていきながら夜へと変わった。




両面を少し焦げ目がつくまで炒めた後、
一度チキンを取り出してその油で刻んだ玉ねぎとニンニクを炒める。

玉ねぎが透き通り色がブラウンに近くなったら、
同じ鍋につぶしたトマトを放りこんで、
先ほどのチキンを入れてぐつぐつと煮込む。

隠し味にスープの素を少々、しょうゆをひと垂らし。


出来上がったチキンのトマト煮込み。付け合せにパスタを添えて。
そしてしっかり冷やしたアルゼンチンワインをグラスに注ぐ。


辿りついたワインの町。
今日もこうして贅沢なひと時が過ぎていく。

2009年3月26日木曜日

世界一周(40)チリ/ぐーたら再び







DATE:2009/03/26 Chile - Valparaiso -


朝のバスに乗ってメンドーサに行っても良かったが、
結局目的地に到着するのは夜になるため、
今夜の夜行バスに乗ってメンドーサへ行くことにした。

そんなわけで今日もまたぐーたらな一日が始まる。


チェックアウトを済ませて荷物を預けると、
特にやることもなくなってしまったので、
またもや宿のロービーで日記や写真の整理に明け暮れる。

宿の女将さんやなんかと写真を見て遊んだり、
旅の予定を考えていたりすると、
なにやら宿が騒がしくなりいきなり工事が始まった。


何をしているの?と聞くと、
インターネットの接続工事をしているのだそう。

なぜ、チェックアウト後にと思うも、
パソコンでWifiの接続テストをしたりと僕も協力し、
めでたくもResidencial Veracrusの第一ユーザーとなったのであった。


その後もご飯を食べに行ったり、
またもやガイドブックを読んだりと、
特に生産的なことは何もしていない。

そんなこんなで遊んでいるとあっという間に8時になり、
アルゼンチン行きのバスはバルパライソを出発したのであった。


ここからアルゼンチンを南下し、
さらにチリのチロエ島へと戻り、
そこからパイネ国立公園までのフェリーに乗るつもりだ。

アルゼンチンとチリを行ったり来たりの、
スタンプばかりの旅になりそうだが、
こればかりは国境線上に見所があるこの地理ではしかたない。


バルパライソを出発したバスは、
ロス・アンデスという聞いたこともない場所で止まり、
荷物と共に放り出された。
あの何でも書いてあるロンリープラネットでさえも記載がない町だ。

ともかくここでバスを乗り継がなくてはならないらしい。

バルパライソのチケット売り場のおばちゃんの言葉を信じ、
近くの人に聞いてみると、それはどうやら正しいらしく、
「ここでまて」とジェスチャーで教えてくれた。

そのまましばらく待っていると別の人が出てきて、
僕が持っているバス会社のスタッフだと言う。
なにやら説明しているようだが、
僕の車を持ってくる。とよくわからないことを言っている。

どういうこと?と思っていると、
彼はおんぼろの自家用車に乗ってきて、
「さぁ、別のターミナルへ行くぞ」と僕と荷物を詰め込んだ。

僕を乗せたその自家用車は、
ロス・アンデスの町を疾走する。

最初は、何か詐欺やなにかかといぶかしんだが、
どうやらそれはただの親切だったらしく、
ラジオを聴きながらのドライブを楽しんだ。

彼の言うとおり、
バス会社のバスターミナルへ着くと、
彼はそのまま「チャオ」と言って職場へと戻っていった。


チリ人ってのは陽気で都会的で、
なんだかとても気持ちいい人たちだ。

今日出てしまうこの国を僕はやっと気に入り始めている。

アルゼンチン行きのバスは写真とは別のおんぼろバスだったが、
まぁ、その辺はご愛嬌というやつだろう。

ともあれアルゼンチン行きのバスは走り出し、
険しい山道の中をぐねぐねと国境線に向かって走り出した。


真っ暗闇の山道を通り抜け、
眠気眼でスタンプを押すと次の国、アルゼンチン。


また新しい国での出会いが始まった。

2009年3月25日水曜日

世界一周(40)チリ/今日もまたぐーたらな







DATE:2009/03/25 Chile - Valparaiso -


朝、6時に目覚まし時計が鳴った。

・・・眠い。


久しぶりに葛藤がおきる。
今日行くべきか、ぐーたらな一日を送るべきか。

8時のバスに乗りアルゼンチンのメンドーサへ向かう。
昨日はそう決めて眠りについた。

せっかく盛り上がってきた旅気分だ。
行ってしまうのが正解のようにみえた。

つい先日も休んだじゃないか。

そう思いベッドの上でもがくも、
一向に体はベッドを出る気配がない。


・・・やーめた。


そうして僕はまたベッドの中で深い眠りについたのであった。



目を覚ましたのは10時過ぎだった。

宿の人にあれ?出発はと言われるも、
バスを逃したからマニャーナね、と言って延泊を申し込んだ。


リオのカーニバルまでは、
時間制限のある旅立ったため、
さくさくと進むことに目的があった。

なのでそれまでは高速バックパッカーだったが、
なんだかそれ以降はずいぶんとのんびりしているようにも思える。

それもまた旅としては面白いのだけれど、
なぜか後ろめたい気分になってしまうのはどうしてだろう。

そーいや仕事してたときも遅刻ばっかりしてたっけ。

あんまり変わってない自分を思い出す。
目的がなければ人間などぐーたらな方向へ流れていくのだ。

ま、それも悪くないか。

そう思い直し今日のぐーたらな一日を楽しむことにした。



朝から昼間では曇り。
午後3時ごろからやっと晴れ間が射す。

どうやらこれがバルパライソのパターンらしく、
今日もまた朝はどんよりとした曇り空だった。

と言うわけで朝からはのんびり日記を書いたり、
映画を見たりして過ごした。

晴れ間が射してきたからは町を少し散歩し、
パスタを作ろうと食材を物色して帰った。


何も特別じゃない一日が今日も終わろうとしている。

さて、明日は。そう思って今日もまたワインを飲んだ。

2009年3月24日火曜日

世界一周(40)チリ/その雲が晴れれば











DATE:2009/03/24 Chile - Valparaiso -


バルパライソの町は曇り空に覆われていた。

あまり乗り気はしなかったが、
予定をこなそうとビーニャという隣町のビーチへと行ってみた。


曇り空のビーチ。
しかも肌寒ささえ感じる秋の始まり。

そんなものが面白いわけもなく、
ビーニャの町を2時間も歩いた頃にはやることもなくなり、
仕方なく寒空のビーチへと腰を下ろした。


やはり気分がまだ晴れない。

なぜ旅をしているのだろう。
なぜ旅を続けなくてはならないのだろう。

そんな事を考えた。


僕がこの旅で失った幾つものことを数えた。

28歳という時間。
何百万というお金。
一流会社の肩書き。
大好きだった女の子。

そんな事を考えると
取り返しのつかないことをしてしまったかのように思えた。

後悔などする気はないが、
それでもいま、この場所にいる理由が見つからなかった。

旅を終える。

それを真剣に考えた。
なんてことはない。チケットは手元にあるのだ。
全ての飛行機に乗れば日本に辿り着く。


ただ寂しいだけなのかもしれない。
そうも思った。

日本にいるときは自分にそんな感情があるなど思いもしなかったが、
どうやら人間としての機能はきちんと動作しているらしく、
旅に出てから時たま、寂しさという感情を覚えることがあった。

それは誰か好きな人がそばにいないから、というだけなのかも知れない。
今までそばにいてくれた誰かは、今ここにはいない。

誰かと話がしたかった。
くだらない話を延々と出来る誰かが欲しかった。



海岸を見るとなぜかハトがカモメと混じって、
何もなさそうな波打ち際にくちばしを忙しなく突き立てていた。
僕には見えない何かを必死についばんでいた。

そう言えば同じ事を昔、旅の初めにオーストラリアで思っていた。

僕が見えない何か。彼らには見える何か。



いつの間にか犬が来て、
しばらく僕のそばにいてまたどこかへ行ってしまった。
犬もまた別れを告げる。それがなんだか笑えてきた。




さて。旅を続けるか。



なぜかそういう気分になっていた。

そもそもウジウジ悩む事になんて慣れていないのだ。
それさえも2日も続ければ飽きてしまうということだろう。
自分のそのお気楽な性格を愛しむことにした。


立ち上がり砂を払うと、
雲間から光が差しているのが見えた。

その雲間はあっという間に広がって、
空に青い絵の具をぶちまけた。


僕はその青空の中を歩いた。

すっかり心は晴れていた。
きっと太陽のせいだ。そう思った。
僕の心はそんなに複雑にはできていない。
太陽仕掛けの狂ったハートはお日様と共に正常に動き出したのだった。



ビーニャから戻りバルパライソに着くと、
時間もあったのでまたもう一度、坂道を登ってみることにした。


なんだ綺麗な町じゃないか。


心からそう思った。

坂道を一つ登ればまた別の景色が広がっている。
くねくねと幾つもに分かれる坂道や階段。
それを一つ一つ選びながら進むのは冒険に近い。
進む度に新たな発見があり、
それが面白くて僕は目的もなく、
山の上を登ったり降りたりして楽しんだ。


昨日は気づかなかったこの町の楽しさが今日は良くわかる。

きちんと目を開いてなければ、
どんなところに行っても意味はないということか。

旅というのはそういうものなのだ。

旅人の数だけ別の思い出が作られる。
それが旅ってやつなのだ。


帰り道、市場に寄って沢山のハマグリを買った。
今日はこれで白ワイン蒸しを作ろう。

そうやって僕の心は旅の中に戻っていった。

2009年3月23日月曜日

世界一周(40)チリ/バルパライソの憂鬱











DATE:2009/03/23 Chile - Valparaiso -


今日はサンティアゴを離れて、
近くの世界遺産の町バルパライソへ移動することにした。

サンティアゴから車で約2時間の場所。
日帰り旅行でも良かったが、
なんとなく気分を変えてみたくなったのだ。


バックパックに荷物を詰め込んで、
バルパライソ行きのバスへと乗り込んだ。

サンティアゴの町は相変わらずスモッグに覆われている。

またこの場所へ来るのは1ヶ月後ぐらいだろうか。
このままチリを南下しパタゴニアの世界へ。
そしてアルゼンチンのブエノスアイレスからまたサンティアゴへ戻ってくる。

ウユニ塩湖に無理やり行ってしまったため、
なんだかグチャグチャなルートになってしまったが仕方がない。
南米をぐるぐると無鉄砲に回るのも悪くはない。


バルパライソへ着くと町は曇り空。
サンティアゴから比べると長袖のシャツが必要なほど肌寒い。

バスターミナル近くの宿に身を落ち着かせると、
しばしゆっくりして晴れ間がさしてきた町へと繰り出した。


この町は世界遺産に登録されていると言うが、
それほど特別な町には思えなかった。

確かに小高い山に囲まれた盆地で、
その山肌にびっしりと家が立ち並んでいる様は特別ではあるが、
それだけの町ならば今までいくつも見てきた。
ヨルダンのアンマンやスペインのグラナダ。
そのどちらも世界遺産ではないが、
この町との違いは大差ない。

それよりもこの町もまたスモッグで多いつくされていて、
世界遺産の町並みなのに灰色の絵の具をかぶったように見える。
それが何よりも残念なことだった。


なんだかよくわからない町の探索だがそれなりには面白い。

久しぶりの太平洋を間近で見ながら
遠くに見えるタンカーや軍用艦を眺める。

潮の匂いがした。
大して久しぶりはないはずなのに、
なぜだか懐かしさを感じてしまう。

前に嗅いだのはいつの頃だっただろう。
ブラジルの海岸のはずだから1ヶ月も前の話だ。

南米に来て1ヶ月が経っていた。
なんだかあっという間だった気がする。
移動に費やす時間が多いからか、
それほどの町を歩いたという気はしないが、
それでも1ヶ月経ってしまったという事実があった。


町を歩いているとたくさんの路上アートが目に付いた。
そのレベルが非常に高くまるで美術館にでも来ているようだ。
いつの間にか夢中になりその辺りの路地をくまなく回っているうちに、
お気に入りのアーティストまで出来てしまったほどだ。

そう言えばグラナダもこんな町だった。
大好きな町を思い出し、
何の変哲もないと感じていたこの町が少し好きになった。


日が暮れ始めていたがせっかくなので、
坂を登り山の中腹まで行ってみることにした。

見た目通りの急な山の腹には、
張り巡らされるように坂や階段が張り付いている。
まるで植物の根のような人の営みがそこにあった。

その内の一つの階段を登ると、
一軒のミュージアムへとたどり着き、
その場所からの眺めに一息ついてのんびりと考え事をした。

高台から眺める景色はさすがに世界遺産で、
教会の時計台やうねるように走る道路が真下に広がり、
さらにその奥には港に並ぶ船が、
そして最後には太平洋が広がっている。
登ってから気づいたが高台にはロープウェイが張られていて、
そこかしこで50メートルにも満たない短いロープウェイが動いていた。

しかしながらやはり町はスモッグに覆われていて、
その灰色の絵の具はなぜか心をどんよりさせた。


なんだか最近、旅をすることに面白さを感じていない。

以前ならば新しい町に着けば、
そんなことは一気に吹っ飛んでいったのに、
なぜかここ最近はただ惰性で旅をしているような気分になる。

決められたルートをなぞるだけの旅。
なんだかそういう感覚に捕らわれた。


旅に飽きてきたのかもな。そんな事を考える。

自分の性格からいって、
1年も続ければたいていの事は飽きてしまうのだ。
旅だってその例外ではない。

このまま惰性で旅を続ける意味はあるのか。
そんな疑問が頭の中によぎった。

もちろんまだ行きたい場所はある。
アマゾンにパタゴニアの氷河。
ニューヨークにジャマイカ。

ただ、そんな夢の場所へ行くことさえも億劫になっている。

なぜかどうしようもない倦怠感が僕を襲っていた。



山を降りて宿に戻り、
気分を変えようと今日は自炊をすることにした。

久しぶりのキッチン。腕が鳴る。

とは言ってもそう長居をするつもりはないので、
南米らしく大きなステーキ肉と、
味付け用にキッコーマンの醤油を買い込んで、
ご飯を炊いて赤ワインと共にステーキを胃袋の中に押し込んだ。


明日になれば。

何かが変わるかもしれない。

何はともあれ旅はまだ続くのだ。
こんなところで萎れている場合ではない。


明日になれば。明日になれば。


そう思いチリワインを飲み干した。


旅に疲れた旅人は何をすれば良いのだろう。
旅を辞めれば良いのだろうか。
そしたら旅人は何者になるというのだろう。


終わることのない無限ループが僕の頭の中に渦巻いていた。

2009年3月22日日曜日

世界一周(40)チリ/「Soy JAPONES」











DATE:2009/03/22 Chile - Santiago -


高台から見下ろすとサンティアゴがやはり大都市であることがわかる。

遠くアンデスの麓まで続くビルの群れ。
そこを縦横無尽に走る道路が切り裂いたように空間を作っている。


しかしやはり交通量の少ない日曜だというのに、
町を覆うスモッグは灰色に空を染め、
アンデスの山々を覆い隠していた。


今日は朝から山登り。そう決めていた。
サンティアゴを一望できる2つのスポットを回るのだ。

サンタルシアの丘とサン・クリストバルの丘。

二つも登ってどうすんの。という気もするが、
それ以外に観光スポットもないサンティアゴ。
山があったら登るのだ、が合言葉だ。


まずはサンタルシアの丘を登るため、
徒歩でそこを目指す。

日曜日の街はひっそりと息を潜め、
人通りもまばらである。
ことごとくシャッターの閉まった通りは、
出勤前の銀座の町を思い出し、少し感傷に浸った。


サンタルシアの丘は市内の中心にある小高い丘で、
それほど高い丘ではないが中には教会が立てられ、
ビルの屋上から眺めるように市内を一望できる。

登ってみるとすでに視線よりも高いビルも建ち、
きっとこのあたりの景色は10年前と比べて
すっかり変わってしまったのだろうと思った。

それでも日曜日だからかのんびりと散歩する人たちが沢山いて、
家族連れが子供と遊んでいたり、
老夫婦がベンチに座り日光浴なんかをしていたりする。
市民の憩いの場としては十分な役割をしているらしく、
きらきらと輝く芝生の上は休日を楽しむ人で溢れていた。



そこからサン・クリストバルの丘を目指すのは少し一苦労だ。

なんらかバスでも乗ればすぐに付くのだろうが、
何の情報もない僕はただひたすら丘の方向を目指して歩く。

サン・クリストバルの丘はサンティアゴで最も高い丘で、
歩いていればその姿はすぐに見つかる。
サンティアゴの道自体も殆どがまっすぐ縦横に走っているため、
方向だけわかれば後はそれを目指して進むだけである。

丘の付近まで来るとさすがに観光客向けのレストランなどは開いているらしく、
久々に活気のある通りに出た。

歩いていると小腹が空いてきたので、
一軒のサンドイッチ屋さんでピザを一切れ食べた。

サンティアゴにはあちこちにこのサンドイッチ屋があり、
ホットドッグやら焼肉を挟んだスペシャルサンドイッチなどを売っている。

このサンドイッチ屋と、
ステーキなどを扱うレストランの2種類がチリの主な外食だ。
夕方になるとこのサンドイッチ屋でホットドッグをパクつく学生やサラリーマンを良く見かける。
ホットドッグにはアボガドを潰したソースがかけられるのがチリの特徴だろう。
アボガドにマヨネーズに刻んだトマト。それに各々ケチャップやマスタードをかけて食べる。
単なるジャンクフードだが、これはこれで結構おいしい。


丘の麓までたどり着くと、
ケーブルカー乗り場があり殆どの観光客はそれにのって一息に丘を登る。

僕は少し迷ったがバックパッカーであったことを思い出し、
その丘を自分の足で登ることにした。

ハイキングコースのようなその道を、
地元民だろうか家族連れがけっこう歩いている。
確かにそれほど急ではない坂道は散歩には最適かもしれない。
ぽかぽか陽気の道を少し汗をかきながら登った。

登っていると自転車で登るチャレンジャーにも出くわす。
なんだか自転車から降りて登ったほうが早いんじゃないか、
なんてことを思うがそれでは意味がないらしく、
相当の汗をかきながら頂上まで立ち漕ぎで登っていく。
頂上で出会った彼らは汗だくで、
さらにその自転車を担いで階段を登っていった。


30分ほど登ると丘のてっぺんへと辿りついた。

さすがサンティアゴで一番高い丘だけあって、
先ほどのサンタルシアの丘とは比べ物にならないほど遠くまで見渡せる。

なるほどサンティアゴはやはり大都会である。
遠くまで数階建てのビルがいくつも立ち並んでいる。

ここから見る景色はヨーロッパよりも東京に近いかもしれない。

石造りの西洋風の建物よりも、
近代的なコンクリートの建物が目立つ。

先日町を歩いて銀座のようなと感じたのは、
その西洋風の建物とコンクリート造りの近代ビルが並存する様から感じたのかもしれない。


丘の上から遠くまで見渡すと、
やはりこの街がスモッグに覆われたくぐもった街だということがわかる。

遠くに見えるアンデスの山々も、
その輪郭だけがうっすらと見え残りは灰色の空気に隠されてしまっている。

数十年前。
車や排気ガスがなかったころ。

この街はどんな姿をしていたのだろう。

現在のこの街の発展はすばらしいが、
失ったものが遠くに見えそれを少し残念に思った。


そう言えば、東京はどんな街だったのだろう。

暮らしている間は気にも留めなかったが、
東京もまたスモッグに覆われたくぐもった灰色の街だったのだろうか。

多くの街を回るうちに、
それが当たり前でないことに気づいた今。
東京の街をもう一度見て、何を思うのだろう。

目の前に広がる灰色の街に、昔暮らした大都会を重ねた。


ぐるぐると山道を迷いながら降りて、
丘の下まで来るとすっかり日は傾いていた。

そう言えばご飯を食べていなかったことに気づき、
まだ開いているかわからないが市場を目指した。

市場自体は開いていなかったが、
その付近のレストランはまだ開いていて、
そのうちの一軒で食事をとることにした。

メニューはいつもの通りわからなかったが、
唯一スープという単語がわかり、
それを頼んでみるとかなりの当たりで、
パクチーが効いたタイを思い出させるそのスープに舌鼓を打った。


チリのビールは1リットル入りのビンが普通だ。

どう考えても途中で冷えてしまうその大きさは、
消費者のことを考えているとは思えないけれども、
それ以外の選択肢がない以上、
ビールを頼むときはある程度覚悟しなくてはならない。
ペットボトルのようなプラスチックの蓋を開け、
今日もまたそいつにチャレンジすることになった。

飲んでも飲んでも減らないビールビンの中身。

それをちびちびと飲み干していると、

「ハッポン?」

と目の前の席から声がかかった。


「Si. Soy JAPONES」と言うと、
一人のおじいちゃんがうれしそうに「日本人か」と言った。

片言だが日本語の話せるおじいちゃんに驚く。
聞いてみると17年の間、日本で働いていたことがあるそうだ。

日本語が話せると言っても、
僕のスペイン語程度で、つまりは片言とすらも言えない程で、
結局はスペイン語でぺらぺらとまくし立てるおじいちゃんと、
なんだかわからない話が始まった。

おじいちゃんは、
日本で17年間働き、名古屋、大阪、北海道と、
日本各地でいろいろな会社で働いていたそうだ。

ある日、警察に捕まったおじいちゃんは、
恐らくは不法滞在だったのだろう、
そのまま母国へと強制送還されたそうだ。

チリ人だと思っていたが、
どうやらペルー人のようで、
とても澄んだ潤んだ目をしていた。

殆ど会話にもなっていない会話だったが、
日本人と出会えたことをとても喜んでいて、
僕らは何度も乾杯をくりかえした。


それにしても色んな人生があるものだ。

17年間も国を働き、
挙句の果てに強制送還された人生とはどんなものだろう。

良い悪いは別にしてこういう外国人労働者がいるからこそ、
現在の日本があると言う事実は忘れてはならない。

その反面、無計画に移民を受け入れるとどうなるか。
それを僕はこの旅で身をもって経験している。

スペインやイタリアのような、
移民が犯罪を犯して暮らしている国。
イギリスやドイツのように、
移民が国民の仕事を奪ってしまっている国。

日本も含め、
多くには労働力の問題を抱えている。
その解決策として移民の受け入れというのは
旅に出る前には早く導入すべき当然の対策だと思っていた。

しかし実際にそれが起こっている国を見て、
その気持ちは揺らいでいる。

移民は決して日本人ではないのだ。

その常識を合わせることなしに、
それを受け入れることはできないと思う。
そして常識を合わせるとは、
ほぼ不可能に近いものだという現実も知っている。

遅々として進まない外国人受け入れ。
それを単に非難することができなくなった自分がいる。


とは言え。
今目の前に座っているおじいちゃんが、
日本のために働いてくれたと言う事実は忘れてはならない。

もちろん彼らの生活のためと言う側面が大きいのは確かだが、
それを利用して日本が成長してきたというのも確かなのだ。


アミーゴ!

そう繰り返す僕らの会話は中身はないが、
それでも本当に親しみを覚えたのは確かだ。

日も沈み始め席を立った僕におじいちゃんはこう言ってくれた。

「ありがとう。良い旅を」


その言葉は冷え始めた夕暮れ時にひどく温かく胸に残った。


正直なところ南米においては「人」が楽しみではなかった。

優しいがフレンドリーとは言いがたい南米人とは、
少し距離のある関係がちょうど良い。そう思っていた。



また、こんな出会いがあればいいな。


心からそう思う。

それが旅を楽しくさせる最も大きなものなのだから。