DATE:2009/03/22 Chile - Santiago -
高台から見下ろすとサンティアゴがやはり大都市であることがわかる。
遠くアンデスの麓まで続くビルの群れ。
そこを縦横無尽に走る道路が切り裂いたように空間を作っている。
しかしやはり交通量の少ない日曜だというのに、
町を覆うスモッグは灰色に空を染め、
アンデスの山々を覆い隠していた。
今日は朝から山登り。そう決めていた。
サンティアゴを一望できる2つのスポットを回るのだ。
サンタルシアの丘とサン・クリストバルの丘。
二つも登ってどうすんの。という気もするが、
それ以外に観光スポットもないサンティアゴ。
山があったら登るのだ、が合言葉だ。
まずはサンタルシアの丘を登るため、
徒歩でそこを目指す。
日曜日の街はひっそりと息を潜め、
人通りもまばらである。
ことごとくシャッターの閉まった通りは、
出勤前の銀座の町を思い出し、少し感傷に浸った。
サンタルシアの丘は市内の中心にある小高い丘で、
それほど高い丘ではないが中には教会が立てられ、
ビルの屋上から眺めるように市内を一望できる。
登ってみるとすでに視線よりも高いビルも建ち、
きっとこのあたりの景色は10年前と比べて
すっかり変わってしまったのだろうと思った。
それでも日曜日だからかのんびりと散歩する人たちが沢山いて、
家族連れが子供と遊んでいたり、
老夫婦がベンチに座り日光浴なんかをしていたりする。
市民の憩いの場としては十分な役割をしているらしく、
きらきらと輝く芝生の上は休日を楽しむ人で溢れていた。
そこからサン・クリストバルの丘を目指すのは少し一苦労だ。
なんらかバスでも乗ればすぐに付くのだろうが、
何の情報もない僕はただひたすら丘の方向を目指して歩く。
サン・クリストバルの丘はサンティアゴで最も高い丘で、
歩いていればその姿はすぐに見つかる。
サンティアゴの道自体も殆どがまっすぐ縦横に走っているため、
方向だけわかれば後はそれを目指して進むだけである。
丘の付近まで来るとさすがに観光客向けのレストランなどは開いているらしく、
久々に活気のある通りに出た。
歩いていると小腹が空いてきたので、
一軒のサンドイッチ屋さんでピザを一切れ食べた。
サンティアゴにはあちこちにこのサンドイッチ屋があり、
ホットドッグやら焼肉を挟んだスペシャルサンドイッチなどを売っている。
このサンドイッチ屋と、
ステーキなどを扱うレストランの2種類がチリの主な外食だ。
夕方になるとこのサンドイッチ屋でホットドッグをパクつく学生やサラリーマンを良く見かける。
ホットドッグにはアボガドを潰したソースがかけられるのがチリの特徴だろう。
アボガドにマヨネーズに刻んだトマト。それに各々ケチャップやマスタードをかけて食べる。
単なるジャンクフードだが、これはこれで結構おいしい。
丘の麓までたどり着くと、
ケーブルカー乗り場があり殆どの観光客はそれにのって一息に丘を登る。
僕は少し迷ったがバックパッカーであったことを思い出し、
その丘を自分の足で登ることにした。
ハイキングコースのようなその道を、
地元民だろうか家族連れがけっこう歩いている。
確かにそれほど急ではない坂道は散歩には最適かもしれない。
ぽかぽか陽気の道を少し汗をかきながら登った。
登っていると自転車で登るチャレンジャーにも出くわす。
なんだか自転車から降りて登ったほうが早いんじゃないか、
なんてことを思うがそれでは意味がないらしく、
相当の汗をかきながら頂上まで立ち漕ぎで登っていく。
頂上で出会った彼らは汗だくで、
さらにその自転車を担いで階段を登っていった。
30分ほど登ると丘のてっぺんへと辿りついた。
さすがサンティアゴで一番高い丘だけあって、
先ほどのサンタルシアの丘とは比べ物にならないほど遠くまで見渡せる。
なるほどサンティアゴはやはり大都会である。
遠くまで数階建てのビルがいくつも立ち並んでいる。
ここから見る景色はヨーロッパよりも東京に近いかもしれない。
石造りの西洋風の建物よりも、
近代的なコンクリートの建物が目立つ。
先日町を歩いて銀座のようなと感じたのは、
その西洋風の建物とコンクリート造りの近代ビルが並存する様から感じたのかもしれない。
丘の上から遠くまで見渡すと、
やはりこの街がスモッグに覆われたくぐもった街だということがわかる。
遠くに見えるアンデスの山々も、
その輪郭だけがうっすらと見え残りは灰色の空気に隠されてしまっている。
数十年前。
車や排気ガスがなかったころ。
この街はどんな姿をしていたのだろう。
現在のこの街の発展はすばらしいが、
失ったものが遠くに見えそれを少し残念に思った。
そう言えば、東京はどんな街だったのだろう。
暮らしている間は気にも留めなかったが、
東京もまたスモッグに覆われたくぐもった灰色の街だったのだろうか。
多くの街を回るうちに、
それが当たり前でないことに気づいた今。
東京の街をもう一度見て、何を思うのだろう。
目の前に広がる灰色の街に、昔暮らした大都会を重ねた。
ぐるぐると山道を迷いながら降りて、
丘の下まで来るとすっかり日は傾いていた。
そう言えばご飯を食べていなかったことに気づき、
まだ開いているかわからないが市場を目指した。
市場自体は開いていなかったが、
その付近のレストランはまだ開いていて、
そのうちの一軒で食事をとることにした。
メニューはいつもの通りわからなかったが、
唯一スープという単語がわかり、
それを頼んでみるとかなりの当たりで、
パクチーが効いたタイを思い出させるそのスープに舌鼓を打った。
チリのビールは1リットル入りのビンが普通だ。
どう考えても途中で冷えてしまうその大きさは、
消費者のことを考えているとは思えないけれども、
それ以外の選択肢がない以上、
ビールを頼むときはある程度覚悟しなくてはならない。
ペットボトルのようなプラスチックの蓋を開け、
今日もまたそいつにチャレンジすることになった。
飲んでも飲んでも減らないビールビンの中身。
それをちびちびと飲み干していると、
「ハッポン?」
と目の前の席から声がかかった。
「Si. Soy JAPONES」と言うと、
一人のおじいちゃんがうれしそうに「日本人か」と言った。
片言だが日本語の話せるおじいちゃんに驚く。
聞いてみると17年の間、日本で働いていたことがあるそうだ。
日本語が話せると言っても、
僕のスペイン語程度で、つまりは片言とすらも言えない程で、
結局はスペイン語でぺらぺらとまくし立てるおじいちゃんと、
なんだかわからない話が始まった。
おじいちゃんは、
日本で17年間働き、名古屋、大阪、北海道と、
日本各地でいろいろな会社で働いていたそうだ。
ある日、警察に捕まったおじいちゃんは、
恐らくは不法滞在だったのだろう、
そのまま母国へと強制送還されたそうだ。
チリ人だと思っていたが、
どうやらペルー人のようで、
とても澄んだ潤んだ目をしていた。
殆ど会話にもなっていない会話だったが、
日本人と出会えたことをとても喜んでいて、
僕らは何度も乾杯をくりかえした。
それにしても色んな人生があるものだ。
17年間も国を働き、
挙句の果てに強制送還された人生とはどんなものだろう。
良い悪いは別にしてこういう外国人労働者がいるからこそ、
現在の日本があると言う事実は忘れてはならない。
その反面、無計画に移民を受け入れるとどうなるか。
それを僕はこの旅で身をもって経験している。
スペインやイタリアのような、
移民が犯罪を犯して暮らしている国。
イギリスやドイツのように、
移民が国民の仕事を奪ってしまっている国。
日本も含め、
多くには労働力の問題を抱えている。
その解決策として移民の受け入れというのは
旅に出る前には早く導入すべき当然の対策だと思っていた。
しかし実際にそれが起こっている国を見て、
その気持ちは揺らいでいる。
移民は決して日本人ではないのだ。
その常識を合わせることなしに、
それを受け入れることはできないと思う。
そして常識を合わせるとは、
ほぼ不可能に近いものだという現実も知っている。
遅々として進まない外国人受け入れ。
それを単に非難することができなくなった自分がいる。
とは言え。
今目の前に座っているおじいちゃんが、
日本のために働いてくれたと言う事実は忘れてはならない。
もちろん彼らの生活のためと言う側面が大きいのは確かだが、
それを利用して日本が成長してきたというのも確かなのだ。
アミーゴ!
そう繰り返す僕らの会話は中身はないが、
それでも本当に親しみを覚えたのは確かだ。
日も沈み始め席を立った僕におじいちゃんはこう言ってくれた。
「ありがとう。良い旅を」
その言葉は冷え始めた夕暮れ時にひどく温かく胸に残った。
正直なところ南米においては「人」が楽しみではなかった。
優しいがフレンドリーとは言いがたい南米人とは、
少し距離のある関係がちょうど良い。そう思っていた。
また、こんな出会いがあればいいな。
心からそう思う。
それが旅を楽しくさせる最も大きなものなのだから。
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