2008年3月31日月曜日

世界一周 in (4)マレーシア/この国の人たちはパンを食べる。







DATE:2008/03/31 Malaysia - Malacca -


うわさ通りのマレーシアの快適バスに乗り、今日はマラッカへと向かいます。

ゆったりシート。快適な高速道路。時刻どおりの発着。
しかも料金も格安(なんと約500円ほどで長距離バスに乗れる)
素晴らしきかな、マレーシア。

高速道路の上では快適すぎてうとうとしてしまうほど。
インドネシアのバスの思い出を全て吹き飛ばしてくれるよう。あの40時間はつらかった。

ただ一つ。バスが走るときにギシギシと軋み声を上げるのはちょっと恐ろしいw



国境の町、ジョホール・バルからたった3時間でマラッカへと到着。
うろうろと宿を探し回り、ネットの情報を頼りに見つけた1軒の宿。トラベラーズ・ロッジ。


なんかここが良いのです。



値段的には28RMG(約900円)とまぁ、安からず高からずなのだけれど
部屋の天井がものすごく高かったり、ロビーが広くてきれいだったり、とっても快適。
屋上にはテラスガーデンがあったり、このクラスの宿にしてはインテリアも凝っていたりと、
今までの旅、NO.1の宿かもしれない。ザ・ステキ宿に認定しよう。

しかもなぜか日本の漫画なんかも置いてあったり、
他のお客が置いていった旅本が借りられたりと至れり尽くせりのサービス。
マラッカの観光はそんなにすることもないけど、ちょっとここに居座ってみようかなぁと思ってしまう。



マレーシアは思っていた以上にインフラが整備されている国。
高速道路のみではなく、町の道路や交通機関などかなり安全で利用しやすい。

その証拠にマレーシアでの主な交通手段は車である。
これはバイクが主流のアジア諸国では異例のこと。
思うにこれは単に車が買えないということではなく、
「車が走る道がない」ことに起因するような気がする。

インドネシアの道など車がぎりぎり2台通れる道が普通、
悪い場合など1台のみしか通れず、よく車が待ち行列を作っていた。
また、水溜りや陥没した穴などの悪路も多く、それを避けて通れるバイクならともかく、
図体の重い車はゆっくりとこすらないように進まねばならず、日常生活には不便な代物なのだろう。

そんなわけで単に便利、というだけでアジアではバイクが使われているようなのだが、
マレーシアではあまりバイクの姿を見かけない。

それは高度に整備されたインフラが車社会を発展させているのかもしれない。
現にマレーシアでは国産車が走っているのをよく見かける。

そう考えると日本経済の発展が「道路」によってもたらされたという、
既得権益を守ろうと今も必死な道路族議員のみなさまの言い分も一部では正しいのではないかと思う。

車という産業がいくつもの技術革新を起こしたのは確かだと思うし、
その世界で日本が今、No.1になろうとしている事実も確か。
きっとそれは一般市民の車が欲しいというニーズから産業が成長し、
そのニーズの根本となっているのは道路というインフラだったというのもうなずける話だ。

だからと言って今もなおそのインフラ拡張が必要かというと、
一部を除き不必要であり今の道路拡張は利権を潤すための産業発展とはまた別のものだろうけれど、
道路というものが何をもたらすかというのを、マレーシアを通して考えさせられた。
全ては土台があって成り立っているのである。



この国は裕福な国なのかもしれない。


もちろん、ビルや住居を見る限り古いビルも多くそこに暮らす人たちに格差はあるのだろうが、
全体的に見て裕福な国という印象をなんだか感じるのだな。

マレーシア2日目。まだ何も、この国のことはわからないが、初対面の印象はこんな感じだ。
この国を出るときに僕は、どんな感想を抱いているんだろう。楽しみだ。



この国の人たちはパンを食べる。米文化のアジアにおいても、これもまた異質なんだろうな。

2008年3月30日日曜日

世界一周 in (4)マレーシア/国境を越えて






DATE:2008/03/30 Singapore to Malaysia


初めての国境越え。
たどり着いたバスターミナル。そこはやはり汚く、独特のにおいに囲まれていた。
うーん来たぞマレーシアって感じ!


シンガポールから約1時間。1.8ドル。
バスナンバー170。

なんと普通の市バスでシンガポールとマレーシアは繋がっている。
道端にある、なんてことのないバスステーションからマレーシアへの道は始まる。


当初、予定していたマレー鉄道への乗車は次の目的地マラッカへの経由がないためあきらめ、
今回はバスで移動することに。マレー鉄道はタイへの入国までしばしお預け。


本当にこんなところからマレーシアへ行けるのか?と不安に思いながらバスを待つ。
15分間隔程度でバスは運行されているらしく、直ぐに目的の170番のバスは乗り場へやってきた。

バスに乗り込み、チケット代払い、窓際で最後の風景を楽しむ。

いい意味でも、悪い意味でも都市だったシンガポール。
今まで気づかなかった都市の姿を僕はいま気づくことができるようだ。

居心地の良かったコミュニケーションの薄さが、今の僕には違和感を覚えさせる。
街の便利さが物足りなさを感じさせる。
僕が東京に戻ったとき、僕はちゃんと表情を保ち続けられるのだろうか。
街に埋もれると、きっと人はその街の表情をするようになる。
僕は僕の顔をしていられるだろうか。


バスはいつの間にか郊外へ抜け、一路国境へと進む。
意外とバスの乗車人数が多いのが面白い。国境越えなんてのはここの人にとっては日常なのかもしれない。

バスは国境へたどり着き、乗客がぞろぞろと降りはじめる。
なんだか良くわからなかったので降りる人に聞いてみると、
まずはシンガポールの出国手続きをしてまた同じバスに乗り込むようだ。

初めての国境越えにワクワクしつつ、重い荷物をしょってゲートを進む。
しかしあまりにもサクサク進む入国チェック、僕の番もすぐ来てあっさりと通過。
シンガポール入国のときも思ったのだが、
フェリーや陸路など飛行機以外の乗り物での出入国の際のチェックって異様に甘いような・・・。

若干の拍子抜け。
しかし既に目の前はマレーシアである。
シンガポールとマレーシア、国境の町であるジョホール・バルは一本の長い橋で結ばれている。
バスに乗り込みその橋を渡ればもう次の国マレーシアなのである。

バスは1km程度の直線距離を走りぬけ、マレーシアの入国管理へ向かう。
再度、バスを降りマレーシアの入国手続きをし、これで完了。

思っていたよりも簡単だった国境越えに若干拍子抜けするも、
4カ国目、マレーシア入国!


そのまま同じバスで、終点の総合バスターミナルまで乗せてもらい宿を探す。
明日はマラッカへ向かう予定なので総合バスターミナルのそばで宿を見つけ、体を休める。

町の香り、食べ物、全てがマレーシアに変わった。


さぁさぁ、4カ国目。マレーシア編開始!!!

2008年3月29日土曜日

世界一周 in (3)シンガポール/ナイトサファリ







DATE:2008/03/29 Singapore


シンガポールの郊外には動物園がある。
その動物園に併設されてるのがナイトサファリ。夜の動物園である。

旅で出会った人やら、友達やらから、口々に聞かされていた
「ナイトサファリはいいよ!」という言葉。
聞けば何年か連続で、エンターテイメント関連の賞も受賞しているらしい。


これは行かねば!ということで行ってきましたナイトサファリ!


まずは地下鉄に乗り、あんもきお駅というよくわからん名前の駅で降り、
そこから138番のバスに乗り換える。そこから30分ほどバスに揺られるとナイトサファリだ。

園内は薄明かりでライトアップされており、期待感ばっちり。
入場するとすぐにタイミング良くボルネオ族(なぜか)のショーが始まる。
火を噴いたり吹き矢を使ったりと、ザ・エンターテイメントなショーを見た後は、
園内を回るトラムに乗ることに。

園内はトラムの他にも徒歩で回ることができる。
友達にトラムの方が説明があって面白いよ!と聞いていたのでさっそくトラムに乗り込む。

しかもこのトラム。日本語トラムもあるのである。
なにやら日本の資本が絡んでいるみたいだがなぜか日本人だけ特別待遇。
なんとなく日本人だけが英語がわからないから、というのが正しい理由な気がしないでもない。

トラムに乗り込むと約50分程度のツアーが始まる。
園内は動物が住むエリアが点在しており、
ほんの少しの明かりで照らされた彼らの住処をトラムで回っていくのである。

薄明かりの中、トラムは進むわけだが始めてみる夜の動物界。これがなんと面白い。
食事をしていたり、寝ていたり、じゃれあっていたり。
園内も檻で囲まない仕組みになっているため、本当に野生の森にいるような気分になる。

そしてなぜかこの動物たちのサービス精神がやたらと良いのである。
トラムが近づくとひょっこり姿を現したり、こちらに姿を見せてくれたり。
なんだか仕込まれたように彼らはいろいろな姿を見せてくれる。

動物も、キリンや象から、フラミンゴ。サイやトラ、ライオン、などの希少動物も多く見られる。
ヒゲ豚なんていうへんてこな顔した動物や、
中には世界で5000頭なんていう、始めてみる動物も結構いて動物園としての質もかなり高い。

鬱蒼と茂る熱帯雨林の中、トラムは進みあっという間に終点までたどり着いた。


これはかなり面白い。


他にも夜の動物ショーなどもあり、チーターやふくろうなどの動物を使ったショーを見せてくれる。
今回は残念ながら時間がなく回れなかったが、歩いての園内観覧もできるので自分のペースでゆっくり見ることも可能。
ただし見られる動物はトラム+徒歩でまわらないと100%にはならないらしい。
つまり徒歩だけでも、トラムだけでも全ての世界を知ることはできない。良くできたシステムだ。


いつの間にか夜も更け既に夜中の11時。
徒歩での園内観覧に若干、後ろ髪を引かれながら終電のため園内を去る。


シンガポールナイトサファリ。お勧めです!


明日は、マレーシアに旅立とうかな。

2008年3月28日金曜日

世界一周 in (3)シンガポール/しょぼ!







DATE:2008/03/28 Singapore


予想通りのしょぼさ。この言葉がこれほどに合うものもあるまい。

「マーライオン」



体調もまぁ、なんとなく良くなった気がしたので(まさになんとなくだったけど・・・)
ホテルから這い出てシンガポール市内をふらふらしてみることに。

シンガポールという国自体は郊外の住宅地などを除くとかなり小さく、
新宿と渋谷をあわせた程度の街である。
観光地をめぐるだけならばほぼ1日で主たるものは回れる。

地下鉄、バスなどの交通網も発達しており、
どこへ行くのにも苦労はしない。

ちなみに地下鉄、バスではSuicaのようなICカードが導入されており、
Suicaのような専用カードのみではなく、銀行のキャッシュカードの利用なども可能。
日本のような電子マネー機能はあまり発達していないが、かわりに銀行のカードでどこでも支払える。
いやはや先進国然とした便利な街なのである。

面白いところでは電車の中にはドリアン持ち込み禁止マークがあったり、
最近犯罪を犯したであろう犯人の人相書きが街中のトイレからホテルまでいたるところに張ってあったりする。
マナーの国、というよりはルールの国という印象がある。


そんな街の様子を観光しながら、目的地「マーライオン」に向けて、
のんびりと散歩をする。

途中、噴水やエスペラーデシアターなどの建物を横目に街を進んでいくと、
白い柱のような姿が見えてくる。

そう、マーライオンである。



そのマーライオン。見た瞬間、思わず出てしまった言葉が

「あ。やっぱり」

であった。
なにが「やっぱり」なのかというと、「あ。やっぱり、(しょぼい)」なのである。

シンガポールに言ったことがある人々が口々に口にする、「あれはしょぼい」というお言葉。
さぁ、どんなもんかとこの目で確かめたのだがみなさまおっしゃる通り。これはしょぼい。

小さくもなく大きくもない中途半端な像から吐き出される水しぶきは滑稽そのもの。
マーライオンの無表情、おなかの前にちょんと突き出た尻尾がそれを増徴させている。

なぜシンガポールの人々はこんなものに観光を頼ろうと思ったのか。理解に苦しむ。
日本で例えるならば沖縄がシーサー一本で勝負に出ているようなものだ。
シーサーの島。沖縄。  うーん、売れないな。

むしろマーライオンはその「しょぼさ」を売りにしているのかもしれない。
「しょぼい」ことで人々はそれを口にし、
では俺も見てやろうと聞いた人がシンガポールを訪れる、口コミ狙いのマーケティング。
・・・なんてことはないんだろうなぁ。きっと。



そんなこんなで、そのしょぼさを「堪能」し、ホテルに戻る。

まだまだ、おなかの調子が本調子ではないので、
どんなに美味しそうな中華が並んでいても食べる気さえも起きない。
むしろ街中に漂う中華の香りは今の僕にとってはただの毒である。無念。


早々に観光も切り上げ今日は療養。

しかしまぁ、しょぼかった。



シンガポールという街。

この街には本当にさまざまな人種の人が暮らしている。
中華系がもっとも多いのだが、インド系、マレー系、欧米系。
それぞれが共に暮らしておりショッピングセンターでは、さまざまな人種が混ざり合いながら買い物をしている姿が見える。

しかし彼らの生活スタイルは独特で、各種族によって異なる生活体系が営まれているようだ。
住宅地やメインとなる街もチャイナタウン、リトルインディアなど分かれており、
話す言葉も中華系の人は普段は中国語だったりする。
種族間のコミュニケーションのために英語は話せるのだが、それは日常会話ではないようだ。

その為、街中にはさまざまな言葉があふれ、広告にも中国語・英語・マレー語が記載されるなど
MIXされているというよりは並列に各種族が並べられている感じがする。
どちらかというと1つの国家というよりは、連合軍のような印象を受けた。

この国での商売はなかなかハードルが高そうだ。


そういえば、この街に来て笑顔が消えた。挨拶が消えた。
それが都市特有のものなのかシンガポール特有のものなのかはわからない。

ただそれが都市特有のものであるのならば、僕は東京に戻ったときに何を感じるのだろうか。
今の僕にはこの街の人の薄さが少し居心地が悪い。

2008年3月27日木曜日

世界一周 in (3)シンガポール/マーライオンになる。






DATE:2008/03/27 Singapore


まさかこの国で。

東南アジアでもっとも安心できそうな国、シンガポールでなんと食中毒になる・・・。
たぶん、インドネシア最後に食べたカップラーメンのお湯が拙かったようす。


今日はドゥマイからバタム島へフェリーで向かい、そのままシンガポールへ入国。
出国前にはタクシーの運チャンともめたりもしたけれど、
シンガポール行きのフェリーはお決まりの荷物チェックさえもなくあっさりとスルー。
あれよあれよという間に、3つ目の国シンガポールへの入国を果たしたのであった。


しかしそこからが大変。
宿が見つからない・・・。
そもそも、シンガポールには安宿街的なものはなくネットで探した情報のみが頼り。
インドネシアのように客引きが寄ってくるわけでもないので、どうにか足で探すしかない。

ところがだ。何件回っても「FULL!」の声。
確かにそもそも少ない安いホテル。すぐに埋まってしまうのも道理。

しかも。
いろいろ歩き回っているうちに、なんだか気分が悪くなってくる。
背負ったリュックが異常なほど重く感じる。これはやばい。

こみ上げてくる吐き気と戦いながら、先ほど満室といわれたホテルのオーナーに教えられた場所を探す。
見つからない。見つからない。

そう言えばここはシンガポール。
つばを吐くだけで罰金が科せられる国。ドリアンは電車への持込さえ禁止されている。
そんな国の道端で吐いたりなんかしたら恐ろしいことになる。

道端の人に道を尋ねながらようやく目的地のホテルに到着。
看板にカタカナで「ホテール」と書いてあるような怪しげな場所だが背に腹は変えられない。
部屋は空いてるとのことなので、すぐにチェックイン。
そしてそこから食中毒との闘いが始まる・・・。

まさに洪水のように押し寄せてくる吐き気。
持参していた薬を飲みながら、ただ必死に耐えるのみ。


そうその姿はまさに



「マーライオン」



要らんのだ。そういうネタは。


3カ国目。シンガポール編、始まります。

2008年3月26日水曜日

世界一周 in (2)インドネシア/通りすがりの人々へ愛を






DATE:2008/03/26 Indonesia - Dumai -


ついに本日、赤道を越え北半球へ到着!
次に南半球へ戻るのは南アメリカ大陸。ついに戻ってきたぜー!
ちなみに赤道直下は意外と寒いw


しかーーーーし!
実はまだ、インドネシアにいたりするw


昨日の予定では夜発のドゥマイ行きのバスに乗り、
そのままフェリーでシンガポールから約20kmしか離れていないバタム島へ向かい、
バタム島経由で一気にシンガポールまで到着する・・・はずだった。


しかしながら、やっぱりというかお約束というか
バスは遅れ、フェリーは出発し僕は取り残されたわけで。
明るく、「フェリーは朝7時発の1本しかないよ」って8時に言うのは反則だろう。まじで。
まぁ、英語が通じないアウェーの地で教えてくれただけ親切か。

というわけで、何の情報もないままドゥマイという街で一泊することに。


なんとなくロスタイムをいきなりもらった感じ。
インドネシアを離れる心構え。あんまり出来てなかったから良い機会かな。

観光する街でもないので2時間ほど街をぶらぶらし、子供たちと遊び、偶然同じバスだった人と出会い、ホテルに戻る。
そういえば、インドネシアの街にはなぜか薬局が多い。なんでだろw



スマトラ島へ来てから急にアルコールが手に入らなくなった。
お店でも売っていないし、飲食店でも一部の外国人向けレストランでしか置いていない。(しかもかなり高い!)

ここへ来てイスラムの影響を生活の中に感じるようになる。
毎朝、毎晩、コーランが鳴り響いているのはジャワ島についてからはお馴染みになったが、
実際目に付くモスクの数も多くなってきているし、
きちんと毎回礼拝を行っている人も多くなってきている。

宗教というものが最初はよくわからなかったのだけれども、
今はなんとなく単なる彼らの常識なんだろうなぁと構えずに見られるようになった。
彼らは恋をし、礼拝をし、ご飯を食べる。それが彼らの日常。


そんなこんなで日が暮れる。

最終日、インドネシアを思う。

僕は。

インドネシアという国に沢山のモノをもらった気がする。


人へのやさしさ。笑顔。人懐っこさ。

どれもが最高のプレゼントだった。
いつの間にか自分も笑顔になり、彼らと軽口を交わすようになっていた。
経済とか宗教とかいろいろ吹っ飛ばして、彼らにもらった笑顔が僕の一番の宝物だろうな。


観光客相手の商売をしている人は、確かにめんどくさい奴らも多いのだけれど
彼らだって人間だもの。
彼らの調子に僕が合わせてあげるとやっぱりお互い楽しいしハッピーになれる。

「タクシ!タクシ!」「いらんぞー!」
「安い!安い!」「いらんぞー!」
それだけの会話だって、ただ無視して通り過ぎるよりは、どちらにとっても気持ちいいもんね。


そこから生まれた出会いだって沢山ある。
バリ島であった沢山の人。ジャカルタのリッチマン。ブキティンギのミラクル農夫。

彼らはいつだってすれ違うことが出来た人たち。
僕らは誰とでもすれ違うことが出来る。

毎日、何人もの人とすれ違い、生活をしている。
でもそれは、自らがすれ違うことを選んでいるだけなのかもしれない。
ただそこで、一つ声をかけるだけで違う世界を手に入れられるのかもしれない。

偶然は運命や必然でもなく、自らが選び取った結果だ。
ただ笑いあうだけで生まれる偶然は沢山ある。それを僕はこの国で知った。
思えば今いる仲間や恋人だって、元は通りすがりの人たちだったんだ。

笑顔を交わすだけで、そこに幸せの種は生まれている。
そう考えるだけで毎日がわくわくしない?



もちろん。

それは危うさとの紙一重。
誰かに近づくことはリスクへと近づくことと同義なんだろう。
実際、僕は運が良かっただけだろうし、それなりに危険なことも沢山あった。

でも僕は危険を避けるあまりに、100%の親切に対して疑いの目で見てしまったり、
常に親切を疑う習慣がついてしまっていることが、少し嫌になる。

アジアにいる限り、それは必要なことなのだろうけれど、
フィルターがある限り、近づけない領域が存在しているのは確かだと実感している。

何かを得ることは何かを失うことなのかもしれないな。ぎりぎりのラインの見極めは難しい。




ただ僕は。

すれ違う人々に手を伸ばして生きていたいな。ほんの一瞬でもお互いのぬくもりを感じたい。

僕らはいつだってすれ違うことができる。笑いあうことも出来る。

通りすがりの人々に愛を!



明日はついに(本当に)シンガポール。

しかしお酒って飲むなと言われると急に飲みたくなるもんね。

2008年3月25日火曜日

世界一周 in (2)インドネシア/クレバーな農夫






DATE:2008/03/25 Indonesia - bukittinggi -


今日はぶらぶら歩いている間に出会った地元民とガイア・シノッ渓谷にトレッキングに。

まさにトレッキングな感じで、渓谷の中を横を崖を。
時にはというより度々、川の中を突っ切ったりして渓谷の景色を堪能。

でっかいカブトムシを見たり、
途中の滝では二人でオールヌードになり、日本流修行、滝打ちにチャレンジしたりして。
小さな滝なのだけれど、滝の水が気持ちいいのなんの。
終わった後には二人で素っ裸で日干し☆
なんか超遊んだ感じ。




でも一番に感銘を受けたのはこの地元民。


最後までお金が欲しいと言わなかったことも凄いが、
(もちろんそれは悪いのでご飯代だけは渡したけど)
帰り際に彼が言った一言が凄かった。


「次に君の友達がここに来たときには俺の事を紹介しておいておくれ」


やっとここで出会った、初のマーケティングがわかる人。
いままでの観光客相手のインドネシア人は、「今いくらお金を落とすか」しか見えていなかった。
だから帰り際に法外な値段をふっかけてお互い気分悪く別れることになる。
そしてそいつと出会った人は悪い思い出を誰かに話すだけだ。

でもこいつは違う。明日、食える飯のほうが大きいことを知っている。


彼自身は、近所で農業を営んでいる農夫なのだけれど
英語が堪能だったことを見ると観光客相手に今日のようなガイドをし、サイドビジネスにしているのだろう。

正直、インドネシア人の人間力は凄いと思う。ただし知恵が少し足りない。
それは勉強して得られるタイプの知恵だと思う。

インドネシア最後にして、それを実践している人間に出会えた。
しかも彼はただの農夫だ。あんびりーばぼー!


ただ一つ。彼の戦略には重大な欠点がある。

ここはブキティンギ。観光客の数もまばらな街。
バリ島でこの方法をトライすればリッチになれる可能性は高いんだけれど、
この街では回転する可能性が低すぎるんだよなぁ。

残念。


単に通り過ぎる街と思っていたブキティンギで意外な出会いがあった。

いつの間にか明日はインドネシア最終日になっていた。
スマトラ島、なんかジェットコースターのように通り過ぎたな。


次の国はシンガポール。
どんな街なんだろう。マーライオンしか知らないけど・・・w

さぁ、またもうちょっとバスの旅♪

2008年3月24日月曜日

世界一周 in (2)インドネシア/ブキティンギ観光







DATE:2008/03/24 Indonesia - bukittinggi -


例のごとく4時に目的地についてしまった僕は、
宿の当てもないのでバスターミナルで仮眠を取ってから移動。

とは言え朝から鳴り響くイスラムのお祈りの放送のせいであまり眠れてないのだけれど。


朝、7時くらいから行動開始。
アヤノ女史からもらったスマトラ島の地球の歩き方を片手に、歩く歩く歩く。
途中止まってくれたベモ(公共バス)が目的地へ行くというので乗ることに。
しかし案の定、まったく違う場所で下ろされるw
うろうろした挙句、やっとこ目的地のホテルに到着しチェックイン。
そのまま観光&次の目的地へのバスを予約する。

本当はブキティンギでは、件の巨大花「ラフレシア」を見る予定だった。
しかしながら地元の観光案内所に聞いたところ、もう少ししないと花が咲かないそう。
雨季が長引いているせいか時期がずれていた模様。うーん、残念。


実はそうなるとこの場所はあまり観光する場所はないw


当初、2泊する予定だったが1泊に変更しバスを予約。
もともと向かおうとしていたプカンバルよりもドゥマイへ向かったほうが、
乗り継ぎの効率がよいと聞き、チケットを予約する。
またバスの旅だ・・・。


そのままふらふらと観光。
ガイァ・シノ渓谷など素晴らしい景色もあったのだが、
個人的には市場が最高に楽しかった!

そういえばインドネシアに来てから市場らしい市場にめぐり合えていなかった。
オーストラリアでもよく市場には行っていたがやはりアジアの市場は面白い!

果物、鳥、魚から小麦粉、米まで。

本当に「ザ・素材」といった形で並べられている商品。
鳥や魚なんてのはその場で裁いてたりするのだから、
新鮮そのもの(ただし少しぐろい・・・)

市場のおばちゃん達の笑顔も最高!

やっぱアジアは市場だよね~、なんて一人ごちておりました。




途中、ゲームセンターによってビートマニアに熱狂する子供たちを見学。
めちゃくちゃ上手いよ、マジで。
イスラムのフードをかぶったまま踊りまくる少女たち。
ダンスのようにくるくると踊りながら正確にステップを踏む少年。

そういえばインドネシアのゲームセンターには日本のゲームがそのまま使われている。
ビートマニアや太鼓の達人、鉄拳からマリオカートまで。
表示も普通に日本語のままだし、よくこれでゲームできるなぁ。

街を歩けば車もバイクもトヨタやホンダだし、
テレビはソニーやシャープ。カメラもキャノン。

思っていたよりも日本製品の浸透度はすごいらしい。

そういえば、よく会った人にも片言の日本語で言われてたっけ、


「ホンダ~、ヤマハ~、ソニー~、アジノモト!」


いやはや面白い。

そういやこの町の人たちは美人が多い。顔も変わったな~。
いや、別になんてことはないのだけれど・・・。

2008年3月23日日曜日

世界一周 in (2)インドネシア/42時間。







DATE:2008/03/23 Indonesia - Jakarta to bukittinggi -


なんと42時間。

3/22 10時に出発したバスは、3/24 04時に到着。

タイヤのパンク1回。
エンジントラブル2回。

と、お約束のようにバスはトラブルを繰り返しやっとこさ目的地のブキティンギに到着。
たぶん人生で最長の乗車時間になるだろうなぁ。

もともとは30時間程度のバスを予約したつもりだったが、
予約をお願いした地元の兄ちゃんが一番安い奴を買ってきたようで、
目的地までほぼスマトラ南部の主要都市を網羅するという、
ありがた迷惑なチケットを手に入れてしまった。
さらにこのバスのイスも普通のバスとほぼ一緒。そんななか42時間。ほぼ拷問である。
(しかもこの地元の兄ちゃんは安いのを買ってきたくせにお釣りを返そうとしなくていろいろもめた。
祝日で代理店が開いてなかったとは言え、素人に頼むといろいろトラブルもある)


しかもこのバス、ほぼノンストップ。
いったん走り出したら8時間は余裕で止まらない。
乗客がトイレに行きたかろうが、少し休憩したかろうがお構いなし。
運転手はデコボコ道の悪路の中、ひたすら目的地に向けてひた走る。
日本での交通マナー「安全のため、二時間ごとに休憩しましょう」が懐かしい。いや愛おしい。


しかも、ここからは英語、日本語すべての外国語が通じないアウェー戦。
目的地へちゃんと向かっているのだろうかさえ不安。
土地勘がないため、たまに到着するバスターミナルの場所もよくわからないので、自分の目的地についても見逃す恐れ大。
必死で目的地を運転手や周りの人にわかってもらい、万全の体制を整える。


しかしやっぱしこの国の人たちは良い人だ。


もちろんのこと外国人は僕一人。
珍しさも手伝ってか、いろんなものをおすそ分けしてもらったりおごって貰ったり。
休憩所についても、身振り手振りでご飯を食べろとか教えてもらったり。
なんてナイスな国。


そんなこんなでバスはスマトラ南部をほぼ一回りし、目的地のブキティンギに到着。

そんなヘビーな旅だったのだけれど、車内から見える景色は楽しかった!

スマトラ島は世界遺産に登録されているほどの熱帯雨林の島。
またその中心を赤道が走り抜ける赤道直下の島でもある。
そんなわけで、スマトラ島に着いた矢先からアマゾンのような熱帯雨林が広がり、
沼地のような川や湿地帯が続く。

その中に立っている家なのだから普通の家ではなく、
高床式倉庫のような地面から柱で浮かせた家が立ち並んでいる。
実際、家の柱は水の中に水没しているところもあって入り口の階段は水の中へと向かって伸びていた。
当然、人々はびしょびしょになりながら水の中を歩き家に入っていた。

そんな水の中で水浴びをしていたり、バイクを洗っていたりと、
いままでには見たことないような景色が延々と続く。
きっとこの人たちの生活や考え方は、他の島の人たちともまた異なるんだろうなぁ。

インドネシアは沢山の島で構成された島国国家だけあって、
沢山の民族や文化の集合体のような国。
場所を移動するだけで、建物や文化が異なっていていろいろ面白い。

そういえば目的地のブキティンギは母系社会らしく、
すべての財産は女性が持っているそう。母強しなのである。


42時間。ぜったいにお勧めはしないし、個人的にももうやらないけれど、
いろいろなものにめぐり合えた旅でした。

さぁ、次はブキティンギ。
これからはビザの関係上、シンガポールに向けてさくさく進みます。

インドネシア編も終盤。別れの季節~♪

2008年3月22日土曜日

世界一周 in (2)インドネシア/バイバイ。じゃかるた






DATE:2008/03/22 Indonesia - Jakarta -


ジャカルタに着いて今まで思っていたインドネシアのイメージが一気に崩された。

バリ、ジョグジャカルタ。
今まで見てきたどの街とも異なる街、ジャカルタ。

そこにはインドネシアの成長と矛盾が一気に現れている気がする。

マイカーを持ち、広い家に住めるようなリッチマンがいる一方、
路上では物乞いたちが手を差し出している。


「この国では仕事を見つけるのは難しい」


日本にいるとあまり考えないことだが、
失業率の高さはインドネシアのような状況を生み出すんだろうな。


また、文化というかモラルもまだまだ進んではいない。

きれいな服を着て、きれいな化粧をしていても、
路上にはゴミがあふれているし、運転手は楽器のようにクラクションを鳴らす。
街は腐臭にあふれ、騒音が乱れ散っている。

日本でいると当たり前のモラルがここでは欠如している。
文化とかモラルは、急激に成長するものではないだろうな。
急速に発展する経済にそれが追いついていない姿が街を歩くとありありと見える。



ただし。

この国の人々のやさしさは素晴らしい。
これだけで十分なのではないだろうか。

経済の発展が下手な矛盾を引き起こしていないか。
観光客の存在が彼らを歪ませてはいないか。


この国はきっと発展を続けるだろう。
10年後も、彼らのやさしさが保たれたままならばいいな。


さぁ、そろそろ出発!バイバイじゃかるた!

2008年3月21日金曜日

世界一周 in (2)インドネシア/ジャカルタ観光







DATE:2008/03/21 Indonesia - Jakarta -



宗教が交わり、貧富が交わる都市、ジャカルタ。
これが今日一日、街を歩いてみた感想。


例えばアメリカとか他民族国家へ行けば普通なのかもしれないけれど、
個人的にこのような場所を訪れたことがなかったのでかなり興味深かった。



例えば宗教。

ジャカルタには東南アジア最大のモスク「イスティクラル・モスク」がある。
総勢10万人は収容できると言われるその建物は、
礼拝のための広場や5階建てのモスクなどがあり、ただ広いだけの超実用特化の建物だったりする。

ただし建物の中にはメッカの方向を指す看板があちこちに非常口看板のように吊るされていて、
見学に来ているムスリム達がそちらへ向かって礼拝をしている姿を見ることができる。
イスラム圏は初めてのため、それを見ているだけで面白かった。
まぁ、中にはぐうたらな人も沢山いて、広間でお昼寝をしているおじちゃんたちが沢山。
確かに今日は祝日だからお休みだけどね、いいのかモスクはそれで。。

で、面白いのがそのすぐ隣にカトリックの教会が立っていること。


今日はイースターのため、大規模な礼拝が行われており恐らく1万人近くの人がそこに訪れていた。
本来は参加するのは信者だけなのだろうけれど、間借りするつもりで礼拝に参加させてもらう。

一時間半にも及ぶその礼拝は、賛美歌あり、キリスト像へのキスあり、パンの付与式ありと、
なかなかに興味深い内容。信者たちを観察しているのも面白かった。
信者はインドネシアの人々から華僑と思われる人たちまで、
どちらかというとイスラムよりは国際色豊かな感じがあった。
既に土着となっているイスラムと、いまだ少数勢力であるキリストとの違いかもしれない。


今回は行かなかったが、さらにその近くにはプロテスタントの教会も立てられているらしい。


ほんの数百メートルの間に宗教が混在する街。
そういえば、昨日と今日は「ムハンマド聖誕祭」「キリスト復活祭」と、
二つの異なる宗教からなる祝日で、インドネシアは土日を含めて4連休の大型連休になっている。

※そのおかげでインフォメーションセンターや旅行業者が軒並み閉まっていて、最高に苦労しているw



日本人はまったく宗教を持たないため、なんだかこういうところにやたら興味がある。

宗教ってなんだろう?何のためのものだろう?


でもね、インドネシアで旅行客にたかって暮らしを立ててる人たちを見ると、
宗教なんて所詮メシは食わせてくれねーよ的な匂いも感じるんだよね。
よく嘘ついたり、適当なことしたりするしw
明らかに宗教の教義には反した行動をしている人が沢山。
彼ら自ら「俺はレイジーなムスリムだよん」なんて言ったりしているし。

宗教って聞くとなんか構えちゃうのだけれど、もっとゆるい浸み込んだものなんだろうなぁ、実際は。
例えば日本で言うと「常識」ってのも一つの宗教に近い概念なのかもしれない。

まぁ、ともかく人々がハッピーに暮らせればね。宗教を使おうが何を使おうが。


キリストを信じようが、アラーを信じようが、
腹が減ればメシを食うし、喉が渇けば酒を飲む。
痛ければしかめ面をするし、良い仲間に会えれば笑顔になる。


体に流れた真っ赤な液体はシンプルな熱でしか沸騰しない。



映画を見て今日が終わる。明日はスマトラ島へ旅立つぜ~!
なんと30時間、バスの旅。がんばれオシリ!


※ちなみに昨日のリッチマンへは電話がつながらず、
若干ほっとしながら自分で映画を見ました。あしからず。
インドネシアは映画のレベルも高いぜー!映画館のイスも広いぜー!

2008年3月20日木曜日

世界一周 in (2)インドネシア/りっちめん♪







DATE:2008/03/20 Indonesia - Jakarta -


ひょんな事からリッチメンに遭遇する。
40歳になる彼は、インドネシアでマーケティングマネージャーの仕事をしているという。
日本やヨーロッパにもちょくちょくセミナーなどで訪れるという彼は、正真正銘のエリート。


彼のエスコートで今日は「タマンミニ」という、
インドネシアの伝統家屋の博物館に行ってきた。

このテーマパーク全部で30近くの家があり、それぞ異なったインドネシアの家屋が展示されている。
北はスマトラ島から南はパプワまで。
本当に同じ国?と思うほどの家々の差は見ていて飽きなかった。
さすが島を寄せ集めて出来た国。インドネシア。


彼のエスコートでドリアンを食べたり、ボーリングに行ったり
さらには彼の家を案内してもらったり(かなり広い!調度品も立派!)、
ジャカルタ最大のデパートに連れてってもらったり、
なんだか良くわからないまま気に入られ、やたら親切にしてもらった。


なにせ今日一日、僕はまったくお金を払っていない。


全てにおいて「お金!お金!」と騒ぎ立てるインドネシアの人たちにおいて、
これは奇跡に近い。というか異常。
たぶんトータル日本円で5000円近くのお金を払っている彼。
これはインドネシアで2万円近いお金を意味する。

車内の会話も面白く、
宗教から日本の子供の自殺問題、株式投資などなど。
かなりディープな内容から経済問題まで話ができる彼は、かなりの知識レベルの人間なのだろう。

彼は言う、

「10%のリッチマンのためにこのデパートは建っている」

彼が連れて行ってくれたデパートは、
日本で言えば伊勢丹といって良いぐらいのハイセンスなショッピングモール。
もちろん値段もほぼ日本と同じクラスのものが並んでいるし、品質も同等だろう。
10万円を超える家具が並び、5万円のバッグが売られている。
中には12のシアターを持つ映画館があったり、
客単価1万円超えの高級フレンチのお店が並んでいる。
また、フィットネスクラブも内接してあり彼もそこに週3回程度、足を運んでいる。



格差。日本では考えられないくらいの格差がこのインドネシアには存在する。



彼に連れて行ってもらったインドンシアのトレンドスポットは
どれもほぼ東京と変わらない程度の規模や質を持っている。
ジャカルタには高層ビルが立ち並び、夜も煌々と明かりが街を照らしている。

ただ一方で、道を歩くと物乞いが多く、昔ながらの屋台が並んでいる。

なんとなく上海で感じたものと同じものを感じる。
今、インドネシアは物凄い勢いで成長を続けているのだろう。
何かを置いてけぼりにしなければならない程のスピードで。


連絡先を交換し、彼と別れる。


偶然の出会いに近かったが、もの凄くラッキーだった気がする。
旅をしているだけでは会えない種類の人に会えた。


ただ一つ、もの凄く大きな懸念がある。






「彼はゲイかもしれない」



ちょっと疑わしい節はけっこうある。いや多分にある。40歳、独身。
意外と間一髪?
親切を疑うことに慣れてきすぎたのだろうか・・・。



とりあえずまだ、僕のバージンは奪われていない。あしからず。

しかし明日、映画を見るという約束をしてしまった。守れるか?貞操。

2008年3月19日水曜日

世界一周 in (2)インドネシア/xxの車窓から







DATE:2008/03/19 Indonesia - Yogyakarta to Jakarta -


今日はジャカルタへ向かいます。

と、世界の車窓から的な感じではじめてみる。
そう、今日はこの旅始まって初めての列車の旅。

毎回ながら今回も朝8時に出発して、17時に着くという長旅。
エグゼクティブかビジネスクラスを選べるのだが、
ここはやはりローカルと楽しむべきでしょ、と思い迷わずビジネスを選ぶ。
これで約1000円ぐらい。9時間の旅と考えればまぁ、安い。
ちなみにエグゼクティブなら2000円ぐらい。シートが良くなります☆


ジョグジャカルタを出発し、一路ジャカルタへ。
年を抜けるとのどかな田園風景が続く。


そしてずっと続いていくw


正直、景色の移り変わりを期待していたのだが、
ただ田んぼが続いていくだけでした。。

ただしその田んぼも面白くて、高低差の違いからか刈り取りが行われているところもあり、
田植えが行われているところもあり、その違いが列車が進むごとに現れてきており面白かった。
たまに、でかい石ころがごろごろある田んぼなんかもあったけれどもねw
ちなみにインドネシアの刈り取りは年3回。今回はちょうど良い時期に来たのか、
刈り取りやら田植えやらいろんな景色が楽しめた。


しかし本当に面白かったのは車内販売の売り子たちだ。
彼らは駅に着くごとに入れ替わり立ち代り乗車してくるのだが、
その販売物や販売スタイルがめちゃくちゃ面白い!


彼らが売りに来たものをここにあげてみよう。

携帯ライト、古本、サンダル、ぬいぐるみ大、カップラーメン、バナナ、
財布、タオル、ナシゴレン、新聞、雑誌、コーヒー、ジュース、水、ビール、
果物、携帯ラジオ、エステレール、指輪、背中かき、髭剃り、お菓子、
駅弁、乾き物、ドライフルーツ、タバコ、縄、団扇、薬、ピーナッツ


総勢30種類近く!
中には髭剃りってなんでいま売るの?というものもあって、始終飽きずに過ごせた。

売り方も特徴的で日本で言うと「いしや~きいも~」的なリズムの掛け声が始終車内に鳴り響いている。
「コピ、コピ、コピ」「ナシ、ナシ、ナシ」「アクア、アクア、アクア」
現地の人たちは既に見慣れているからか飽き飽きした感じだったが、個人的には面白かった。
ただ、彼らがうるさくてゆっくり車内の時間を過ごせないのは確か。
きっと彼らから賄賂はもらってるのだろうけれど、サービス的に良いのかねそれでと思ってしまった。


また、おかまミュージシャンや物乞いなども乗車してきていた。

インドネシアの人たちはけっこう普通に彼らにお金を渡す。
日本でいるとそもそもそういう人たちが少ないからか、もし寄ってきても助けるという意識はあまりない。
とくに旅行者は世界各地を回るためすべての人を助けられるはずもなく、
個人的にはお金などをあげないことに決めている。

良い悪いとかじゃなく、文化の違いってこういうところに現れてるなぁと感じた。
もしかしたら日本と違って障害者への社会福祉が充実していないからそうなるのかもしれないけれど。


そういえばジャカルタの駅には日本の列車が走っている。
いまだに「府中本町」と書かれた列車が走っているのを見たときには笑いが止まらなかった。
日本にもあったのだね、国際列車。




そんなこんなで、えっちらこっちら列車は進み、目的地のガンビル駅に・・・なんと到着しなかったw


隣の席の人にガンビル駅はこの先?と聞いていたにも関わらず、
別の駅で列車は止まりぞろぞろと乗客が下り始める。
後から乗り込んできた乗客もいたため少し安心していたが、なんか様子がおかしい。

そういえばガンビル駅はジャカルタでもっとも大きな駅。
それなのに明らかに乗車人数は少なすぎる。不安に思い、近くの乗客に聞いてみる。

僕:「ガンビル?」
客:「ノー!ジョグジャカルタ!」


え???戻るの?

そういっている間に、電車は確かに今来た道を戻り始めた・・・。やばい。

そして神は訪れる。
乗客の一人が率先して僕を案内してくれ、先ほどの駅に戻った列車から高さ1メートル近い線路の上にダイブ!
そしてまた高さ1メートルのホームをよじ登り、出口へと向かってくれる。
さらにそのまま目的地へのバイクをチャーターしてくれ一件落着となる。

あぁ、やはりインドネシアには神がたくさんいる。
しかしホームに飛び降りるとは思わんかった。

なんだかんだで、宿も決まりとりあえずご就寝。
しかしあれはどこの駅だったのだろう、いまだに良くわかっていない。

しかし、ジャカルタでかい!高層ビルが立ち並ぶ、超ビッグシティーです!

2008年3月18日火曜日

世界一周 in (2)インドネシア/じゃらんじゃらん






DATE:2008/03/18 Indonesia - Yogyakarta -


今日は1人でジョグジャカルタの街をジャランジャラン(インドネシア語でお散歩)。


アヤノ女史とは今日でお別れ。彼女はこれからソロという町に向かう、、、
はずだったがイスラムの抗争が昨日始まったと地元民に教えもらい、急遽行き先をジャカルタに変更。
夜行列車に乗ることにしたため、彼女は夜までマッサージするそうな。


僕は当初の予定通り、街を散策。

ジョグジャカルタ。
ジャカルタに次ぐ、ジャワ島第二の都市。
昔はこちらに首都があったらしく古都としての街並みを残す街。
また、インドネシアの王族が暮らす王宮のある街でもある。
ちなみにインドネシアの王族は天皇陛下のような存在で実権はないらしい。

そんな街のため、シティと呼ぶにふさわしいショッピングセンターやスーパーが立ち並んでいる。
メインストリートのマリオボーローには地元民向けのお土産やさんなどが所狭しと並んでおり、
休日には王宮観光に来た地元の観光客でごった返す。


街のショッピングで面白いのが、やはりイスラム教徒向けのお店。
初めてのイスラム圏ということもあって目新しいものがたくさんある。
特にイスラム特有のフードを売るお店が面白く、色とりどりのフードが店に並び、
中には煌びやかな結婚式用のフードなんかもあったりする。
シルバーの産地らしく、銀製品を売っている店も目立つ。

また面白いのは「ベチャ」と呼ばれる、自転車で乗客を運ぶ乗り物があふれていることだ。
まだ若い青年からおじいちゃん運転手まで。
自慢のマシンにはさまざまな装飾が施されており、見ているだけで楽しめる。
料金は5000ルピー(約50円)ぐらいで街中運んでくれる便利な乗り物。
特に観光客向けというわけではないので、地元民が乗っている姿も良く目立つ。
ただし、乗ってると後ろで運転手の息遣いが聞こえ、なんだか申し訳ない気分になる乗り物である。

そんな感じで基本的には都市なのである。ジョグジャカルタは。
ギャラリア(免税店)だってあるし、伊勢丹。。まではいかないけれど百貨店まである。



しかし僕のこの街の印象が変わったのは、低所得者層が住むであろう住宅街を偶然通ったからだ。

バラックのような建物が立ち並ぶ住宅地。
古いが色とりどりに色づけされた建物が並び、寂しさは感じさせない。

中に暮らす人々も笑いながら暮らしている。

おじいさんは椅子を揺らしながらぼんやりと一日を過ごし、
子供たちは走り回り母親を困らせる。
学生は手をつなぎ、友達とつないだ手を振り回しながら帰宅の途につく。


あぁ、生きてるなぁ。と思ってしまった。


都会の喧騒からぽっと出会った場所だったからそう感じたのかもしれないが、
にぎやかな都会よりも、まったく生きてる感じがしたのだ。

貧しいけれども、がんばって暮らす人たち。なんて陳腐な絵ではなく、
貧しいことすらも感じさせない笑顔。

これがインドネシアなんだなぁ、とつくづく思った。



まったく生きているや。






ジャカルタに経つ、アヤノ女史と最後の晩餐。
その前。
部屋を出る前に突然、ロビーでオランダ人がアヤノ女史に声をかける。

「インドネシアの入国のときに一緒だったよね?」

みらくる。彼女はインドネシアへはフィリピンから船で入国したのだが、
そのときに一緒にいた彼だと言うのだ。

ひさびさ旅の凄さと面白さを叩きつけられた。

彼の旅の話を聞き、彼もかなり面白い旅をしていることを知る。
そしてアヤノ女史が行きたがっていたミャンマー入国への有力な情報を得て、彼とは別れる。
日本はミャンマーとの関係が悪く、日本人の入国はビジネスであることが証明されないと難しい。
しかし彼が言うにはバンコクではなく、ラサ(中国)からの入国ならばできる可能性がある、とのことだ。
旅と情報は伝わっていく。面白い瞬間だった。

もしそれが可能ならば彼女の旅の日程は大きく変わることになる。
偶然、行き先を変えたために出会った彼。
偶然が出会いを生み、出会いが旅を変え、さらには人生も変えていくのかもしれない。


やっぱり旅って面白い生き物だ。



駅までアヤノ女史を送り、あっけなく別れの時が来る。
それもまた旅なんだろうな。

旅人万歳!

2008年3月17日月曜日

世界一周 in (2)インドネシア/ボロブドゥール。ブランバナン。そして忍耐。







DATE:2008/03/17 Indonesia - Yogyakarta -


今日は世界遺産「ボロブドゥール寺院」「プランバラン寺院」の2つの世界遺産を周るツアー。

ボロブドゥール寺院は、アンコールワットと並ぶ最古の仏教遺跡群。
プランバナン寺院は、最大級のヒンドゥー寺院遺跡群である。

ジャワ島はいまイスラム教徒が70%程度を占めるイスラム圏の島。
そんな島の中に、さらに二つの宗教の遺跡群が残されている。

面白いと思わない?

歴史とかにはあまり興味はないほうなのだけれど、こういう謎には興味がある。
そう考えてみると世界の謎解きとして歴史は面白い教科だったのかもしれない。気づかなかったけど。


昔、ジャワ島には仏教とヒンドゥー教が共存していたらしい。
両寺院は同時期にできたもので、その共存の影響からかヒンドゥー寺院なのに、
仏教の影響を受けた作りのものが存在するらしい。

その後、イスラム教徒の侵略により両宗教は衰退する。
そしてその偉大な建造物のみが残った。


そんな二つの寺院を周るツアー。
最初は1つ1日をかけて周ろうと思っていたのだけれど、
雨季ということもあって午後には雨が降ることが多い。
ならば、早朝から周れる効率的なツアーのほうが良い。
そんなわけで早朝5時出発のツアーが始まる。



まずはボロブドゥール寺院へ。

まだ霧が晴れぬ中、参道を進んでいくと巨大な石の塊が目に飛び込んでくる。
霧の中に埋もれているため全景は見えないが、さすがアンコールワットと並ぶというだけあって大きさは格別。

建築物自体も面白く、5段ぐらいのピラミットのような構造で、
その一段ごとに物語が彫られた石のレリーフが囲っている。
そのレリーフがかなり精巧。崩れてはいるが、一人ひとり人物がきちんと描かれている石盤がならぶ。
1段目にはブッダの誕生から悟りを開くまでが描かれていて、なかなか面白かった。
なぜか、出発前に読んでいたブッダの一生の漫画の本の知識がここで花開くw
(ただしガイドブックがなければなんだかわからなかったけどね。アヤノ女史感謝)

頂上部にはストゥーパ(仏塔)が立ち並び、基盤部分とは異なる雰囲気。
格子状に作られたストゥーパにはそれぞれ仏像が安置されていて、
覗き込むと仏像が穏やかに座っている。
ただし、その仏像には倒れたからなのか、戦で切り倒されたからなのか首がない。

ここまで登るとけっこうな高さのため、遠くの景色が見渡せる。
右薬指を触ると願いが叶うと言う幸運の仏像にタッチし、
旅の幸せと、なぜかいつも祈る世界人類の幸せを祈る。

9世紀の建物とは思えないほど重厚でがっしりとした建造物。
帰るころには霧が晴れていて、さらにその大きさを実感することができた。


世界遺産だなぁ。という感じ。そういえば初めての初めての遺跡系遺産。堪能!



次はプランバナン寺院へ。


実はこの寺院。スマトラ沖地震の影響で崩壊の危機にある。
遺跡の一部は崩壊し復旧作業をしているし、すべての遺跡は崩れる恐れがあるため入ることはできなくなっている。
いたるところに傷跡が見えた。

遺跡の中にはいろいろな石像が安置されていて、それも楽しむことができない。
そのあたりが少し残念なのだが、外観だけでも十分楽しめた。

なにせ建物がかっこいい!

高くそびえる寺院には所狭しと彫刻が施されていて、それが苔生して色を成している。
それが青空に向かって伸びている姿はまさに壮観。

時間の都合上、点在する遺跡群までは見ることができなかったけれど、
ヒンドゥー教建築物の素晴らしさ、堪能いたしました。


インドネシア、二つの世界遺産。十分楽しませていただきました。
世界遺産、7・8つ目!






そうここで終われば、今日の一日は幸せでした。

試練の時が訪れたのは、アヤノ女史がガイドブックを見ていきたかった「影絵劇(ワヤン)」
個人的にもバリで行こうと思っていて行けなかったため、見てみたかった。

8時に開演し、暗く落とされた場内の中、影絵劇(ある意味、惨劇)は始まる。



実はこの影絵自体は相当凄い。

水牛の皮で作られたという影絵人形を使い、
ひらひらと影を舞わせる技術は相当のもの。
腕は本物のように肢体をくねらせるし、
舞ったり、走ったりと動かし方は芸術的。
さらにはガムランの音が物語を盛り上げ、臨場感を醸し出す。


しかもこの影絵。

なんと一人の影絵士がすべてを操作し、さらにはストーリーを語る。

正面から影絵劇を見るだけではなく、舞台裏を横から覗けるのだが、
次から次へと影絵を操る姿は本当に職人芸。
さらには役毎に声色を変えながらストーリーを語るのだから、凄いとしか言いようがない。





ただし。




長いのだ・・・物語が・・・。

なんとトータル二時間。映画並みのストーリーが影絵で展開される。
言葉がわからないストーリー。さらには影絵だけに、さすがにエンターテイメントには欠ける画面展開。
さらに暗くなった舞台が惨劇を盛り上げる。眠い・・・。

理解できない言語の語りだけで進んでいく物語を二時間も聞いているのはまさに、



ザ・忍耐



最初、十数人いた他の観客は途中で帰ってしまい、最後残ったのは僕とアヤノ女史の二人のみ。
同じように途中で帰ってしまっても良いのだが、
僕らが抜けた後、抜け殻の観客席を前に劇を続ける彼らが忍びなく何となく居残ってしまった。

当初、1時間程度と思っていた劇が、なかなか終わらない。しつこいほど終わらない。
物語はシンプルに言えば悪い奴をやっつけるというシンプルなものながら、
1人やっつけたと思ったら、また新たな敵が現れる。お前らドラゴンボールか!と言いたくなる物語だ。

1人倒すごとに僕らの期待は高まり、そして裏切られる。



そしてさらには、ガムラン演者までが帰り始める・・・。

演奏が終わった人は帰って良いと言うルールらしく、耐えてみる観客の僕らをよそに彼らは帰り始める。
まだ残っている演奏者のメンバーにはお茶が配られ、メンバーはタバコを吸い始める。
さらには物語が終わっていないのに、明かりまでが付け始められた。


完全になめられた僕たち。それでも物語りは続いている。


全ての敵を倒し、最後に偉い人のお言葉的なものを聞いて物語は終焉を迎える。
そのころには、もう僕ら二人は変なテンションになっていたため、
自然に盛大な拍手と笑顔でラストを祝っていた。



恐るべし伝統芸術。




ちなみに劇のストーリは「ラーマヤーナ物語」。
全部で9つの章からなりたっており、今回は最後の9章のみを演じたことになる。

僕らは最初、


「やっぱり全部見たいよね、せっかくだから。」


と言っていた。


狂気の沙汰である。

2008年3月16日日曜日

世界一周 in (2)インドネシア/出会い。プチ二人旅







DATE:2008/03/16 Indonesia - Yogyakarta -


「おー!!!ここ泊まってるの!?」

と偶然にもジョグジャカルタの旅の友、アヤノ女史と再開したのは宿のロビー。


実は。

バリ島のバスステーションで、既に出会っていた彼女。
完璧地元民のみのアウェーの地で偶然に日本人の彼女に出会う。
欧米人含め、外国人は僕ら二人のみだった。

アウェー感漂う中、お互いの旅の話を語り合い、
「またジョグジャカルタで!」と別れた二人。

そう。二人のバスは別々だったのだが、
恐らく終着地点は同じだしフェリーでも会うだろうと思っていた。



が・・・僕はなぜか、よくわからんジョグジャカルタの郊外へ降ろされたのであった。

地図はない。もちろん情報なんて調べていない。
完全に観光情報センターに頼り切っていた僕は、いきなり路頭へ迷う。
とりあえずタクシーのおっちゃんに頼み、安宿街に連れてきてもらうことに。

恐らく安宿町らしいところに降ろされ、不安ではあったが宿探しを開始。
まぁ、例のごとく客引きはたくさんいるわけで、宿を探すのにそんなには苦労しない。
何件かの宿を回り、5件目の宿に泊まることにする。
バリ島と違い、ここは都市。安宿は水シャワーが常識らしい。
ランクを少し上げようともその辺は変わらない。あぁ、素晴らしきバリ島。


そう。そんな偶然に決めた宿に、これまた偶然、件のアヤノ女史も宿泊してたのであった。
聞いてみると彼女は客引きではなく、自力で宿を探したらしい。いやはや偶然ってあるものね。


アヤノ女史。

一人で旅をしているという日本では珍しいタイプながら、今まで5ヶ月もアジアを放浪していた強者でもある。
中国からアジアに入り、ベトナムからタイまで陸路を行き、
果てはラオス、インドネシアはフィリピンからフェリーで入国したというバリバリのバックパッカー。
これからの予定も5ヶ月かけて陸路でタイからトルコまで抜けるという。

そういえば初めて会った一人目の日本人バックパッカー。
欧米人で旅をしている人はたまにいたが、日本人では初めてだった。
一歩、観光地を離れればこんな出会いもたくさんあるのかな。

ジョグジャカルタの日程もお互い似たような感じだったので、
さっそくツアーの予約などをし、これから二日間ほど一緒に観光をすることにする。
そういえば、こういう風に誰かと旅をするのも初めてだなぁ。新鮮。


二人でジョグジャカルタ唯一の観光名所、クラトン王宮を訪れる。
王宮では地元の中学生が英語の勉強のために観光客を手当たり次第に捕まえて質問をしている。
当然、僕らも捕まり別に上手くもない英語で彼らの質問に答える。
次から次へと来る彼らに取り囲まれてなんだかスター気分を味わった。

その後、水の宮殿と呼ばれる王宮のひとつに行き、
王様は昔、プールで44人の女性を泳がせ覗き窓からその中の1人を選び夜を共にしたという羨ましい話を聞き、今日の予定は終了。


二人で旅の話や情報交換をして夜が更ける。
話はジェットコースターのように人生論や結婚、家族の話などにもおよびいつの間にか寝る時間に。

なんかたまにはこういう旅もいいかな、やっぱり。


感動や印象は、誰かに伝えることでもっと深まることもある。
そこに誰かがいることで忘れられない経験になることもある。

一人旅が一番だとか、そんなのどーでもいいじゃないか。
旅のスタイルはそれぞれ。いま一番楽しめるスタイルでいよう。


というわけでほんの少しプチ二人旅。楽しもう!

2008年3月15日土曜日

世界一周 in (2)インドネシア/さよならバリ







DATE:2008/03/15 Indonesia - Bali(Ubud) to Yogyakarta -


突然のお知らせですが、


「デジカメが来たー!!!!!!」


なんと出発当日2時間前。郵便局からの電話が。
なんだか良くわからないが郵便局へ行ってみるとなんと、荷物が!
思わず郵便局員を抱きしめ、最大の賛辞を贈る!

まさか来るとは!ハラハラさせたもののとりあえず届いたことに合格点をあげよう。よくやった郵便局!


しかし、、、、その瞬間衝撃の事実を聞かされる。






「税金が500,000ルピアかかります」





うえーーーーーーーー!!!!



その値段約5千円。
まぁ、郵便物の価格にしっかりとデジカメの価格が書かれてしまっている以上、どうしようもない事実。
たかが5千円。されど5千円。

実はこの値段、バリ島の低所得者層の1ヶ月の給料にも値する。
バリ人の給料は良い方で2万円。低くて5千円ぐらい。
そりゃ日本人金持ちだと思われますよね。当然。
どんなに貧乏旅行してたって、2万円は軽く持ってますし。

話は飛んだが5千円。
別に払えない額ではないので払ったが、
これからは海外にものを送るときは値段を安く書くことにするという知恵をいただきました。お勉強。

となんだか、上げ下げ大きい出発前でしたがそれでもやっぱりデジカメが来たのはうれしい。
デジカメが壊れたり、音楽プレーヤーが壊れたり、体調もちょっと壊れたり、
バリ島からの愛をまったく受けられなかった感もある滞在でしたが、なんだか救われた気分。


と、ハイテンションのまま出発を迎える。

今回の旅の予定は
「ウブド → ウブンバスステーション(デンパサール) → ジョグジャカルタ」
のように進んでいく。
雨が降りそうな天気の中、天気をにらめつけながらバイクの後ろにまたがりバスステーションに向かう。
バスステーションに到着後、すぐ雨が降り出す。本当に間一髪。さすが晴れ男。

後は単にジョグジャカルタに行くバスを待ち、ただ17時間バスに揺られれば目的地に到着する。。。


そう17時間もバスに乗らなくてはならないw


でもこのバス。バリ島からジョグジャカルタのあるジャワ島までダイレクトに運行しているとあって、
途中フェリーに乗ったりとフェリー好きの僕としては願ってもないバスなのである。

また、バリ(ヒンドゥー)からジャワ(イスラム)へと宗教の移り変わりが、
陸路を通して体験できる、なかなかない機会。

日本にいると宗教って考えることないけれど、
やはり宗教を信仰する国にいくと考えざるをえない。
うすっぺらい知識で考えても何も理解することはできないかもしれないけれど、
どーにかこーにか、少しでも感じることができる機会を増やしたいな。

そんな訳でバスの旅。


くねくねと曲がりくねった坂道を、
乗員全員が車酔いになりながら山を越え谷を越え、フェリーまで走りぬけたどり着いたフェリー港。
フェリーとタラップの間にある海水の上をそのまま走りフェリーに駐車するというアクロバティックな技を見せ付けられ無事乗船w

実はバリ島から見てジャワ島は目と鼻の先。
ジャワ島の山々に沈み行く夕日を眺め、フェリーはジャワ島へ動き出す。
そしてこのフェリーが、、、、遅い。
いつぞや見た牛歩戦術のごとく進むこの船は、目と鼻の先のジャワ島まで約1時間もかけて横断する。
ただし夕日が夜景に変わる風景を楽しみながら進むこの船は旅情感満点。格別の気分で船旅は続く。



フェリーの中、一人のインドネシア人に声をかけられる。
彼はフランス経営のトレッキングガイドをしており、
フランス語、英語を話せるそうだ。なんど聞いてもこの国の人々の能力はすごい。
そんな彼が僕に聞いた、

「インドネシアが日本のような国になるために何か君の提案がないか?」

サジェスチョン。
いろいろ、今まで考えていたものの中々英語では伝えられなかった。
競争原理の話をして、その話は終わる。

それからいろいろ考える。日本はなぜ復旧をしたか。インドネシアと違う発展をしたのか。
それは単に国民性や能力によるものなのかもしれない。
ただ日本は幸運な国なのかもしれない。
多くの人口。狭い国土。商売をするのにはかなりの好条件がそろっている気がする。
特に物づくりにおいては、マーケットの大きさが競合を生み、品質向上に大きな影響を与えるのではないか。

考えてもいなかった国ごとの特徴。そのマーケットの違いと、それに対する戦略の違い。
自分の国をベースに他国を見ていてはズレが生じることを気づいた。
例えばインドネシアは広い国土、二億四千万人もの多くの人口を持っている。
ただしその国土が1万7千もの島から成り立つ特徴があり、
人口の集約率や物流効率などはかなり悪い。ともかく日本とは違う。
そんな当たり前のことに気づいた。
まだまだ色々視点が足りないんだなぁ。


フェリーはジャワ島に着き、そこからは一気にジョグジャカルタへ。
既に夜は更け始めているが、バリ島のような、ザ・ヒンドゥーの住居は既に姿を消し、新しい町並みが立ち並んでいる。


ジャワ島上陸。イスラム圏の島、ジャワ。

さてこれから何が起こるやら。