2009年4月30日木曜日

世界一周(42)ウルグアイ/なーんもないが悪くはない















DATE:2009/04/30 Uruguay - Montevideo -


なーんもない。けどそのなーんもないがちょっぴり楽しい。

それがウルグアイのモンテビデオという町だった。

一国の首都がこんな感じなんだからきっと他の地方都市はもっとだろう。
あそれでもこの国が豊かであることは町を歩けばすぐにわかる。
スローな雰囲気の町の中には南米の都市部にありがちな殺伐とした空気がない。
もちろん貧富の差はあって物乞いやスラムのような地域はあるのだけれど、
町の規模の性もあってか空気を変えるほどではないのだ。

町並みはアルゼンチンに近い。
そこはやはり同じスペイン人の作った国家だということだろうか。
大通りには石造りの西洋風の建物が並び、
一本奥に入ると青や赤でペイントされた色とりどりの住居が立ち並ぶ。
住宅街には街路樹が張り巡らされていてその陰が絵画のように家々へ寄りかかっていた。


モンテビデオの観光。と言っても特に目立った建築も自然もないので、
当てもなくふらふらと町をさ迷う。

一軒の本屋に入ると意外にもきれいな建物で驚く。
世界で二番目に美しい本屋を思い出し、南米やヨーロッパの本屋巡りの旅なんてのもいいなと思う。
日本でも本屋はお気に入りの場所のひとつだった。
大好きな本がずらりと並ぶ姿はその言葉がわからなかろうと心をわくわくさせる。

細長いソーセージを挟んだだけのホットドックを食べながら町を歩き、
少し疲れたので公園で人々を眺めながら僕もまたくつろぐ。
そういえば今日は土曜日だった。公園で遊ぶ家族連れを見て時の流れを思い出した。

ウルグアイはマテ茶文化も根強いようで公園でも街中でも、
お湯の入ったポットとマテ茶用のコップを持った人たちを良く見かける。
アルゼンチンもマテ茶文化はあるが、こちらの方が一段日常に溶け込んでいるようで、
その浸透度はパラグアイを思い出させた。



モンテビデオの町をまっすぐに進んでいくと海へとたどり着く。
たぶんこの旅でこれが最後に見る大西洋だ。

海岸では堤防の上に立ちたくさんの人が釣りをしている。
しばらくじっと見ていると吊り上げた魚をうれしそうに僕に見せてくれた。
高層ビルが見えるこの場所とのんびりとした魚釣りの様子が気に入って、
しばらく僕はその姿を眺めていた。まさに休日らしい一日だった。


堤防を端っこまで歩きモンテビデオの先端を確かめてから戻り、
意外にもおいしい魚のフライのチーズ焼きを食べながらビールを片手にのんびりする。
こののんびりが悪くない。
何もないが僕はこの町の雰囲気が気に入っていた。それに食べ物もおいしい。

おなかも膨れほろ酔い加減になったので、
町で唯一の観光名所らしいマーケットに行ってみると、
予想とは違いアサードと呼ばれるウルグアイ版焼き肉屋さんが立ち並ぶレストラン街だった。
焼き肉と言っても多くはステーキのようなもので、
何キロもありそうな大きな肉をそのまま焼いたものから切り分けて食べさせてくれるようだ。
肉も何種類もあり、またソーセージも焼いている。
マーケットは倉庫のような場所でその中はおいしそうな匂いでいっぱいだったが、
昼食を食べた後ということもあって今日は眺めるだけにした。

町唯一の観光名所だからかなのか、なぜか子供たちの観光客が多く、
走り回るようにマーケットの中をたくさんの子供たちが歩き回っている。
そういえば南米では制服、と言うより科学者の白衣のようなものを着た子供達の姿を時たま見かける。
今日出会った子供たちも白衣を着ていたがどういう意味があるのだろう。
単なる汚れないための外着なのだろうか。白衣姿の子供が町を歩くのを見ると不思議な気分がする。


マーケットを観光し終わると終には本当に行くところがなくなってしまい、
いくつか今日の夜の食材を買って帰り宿へと戻った。


ものは試しと飲んだウルグアイ産のワインが意外にも悪くなく、
やっぱりこの国は良いかもしれない。と思った。

2009年4月29日水曜日

世界一周(41)アルゼンチン/さよならカフェのないパリ











DATE:2009/04/29 Argentine - Buenos Aires -


「えーと、やっぱりもうフェリーはないですよね」

その情けない質問に帰ってきた答えはもちろんYESで、
と言うわけで僕はウルグアイ、サクラメント行きのフェリーに乗り遅れたのだった。

さーて。。どうするー?

と他人事のようにひとしきり現実逃避した後に、
フェリー乗り場まで重い荷物を背負って歩いてきた疲れも抜けたころ、
今日の予定を再構築することにした。


このまま次のフェリーを待つと言う方法もあり、
それだと高速フェリーで少し高くはつくが無事にサクラメントへ着くことができる。
到着時間的にもいまの逃したフェリーとほぼ同じで、
つまりはお金さえ払えばさっきの遅刻はなかったことになるという事だった。

しかしなんかそれも悔しいし。

と言うことでもう一つの選択肢、バスの時間を聞くために、
また重い荷物を背負って10分ほど歩いた先のバスターミナルへと向かった。


「モンテビデオ行きのバスならあるわよ」

とさんざん探しまくった上でやっと見つけたウルグアイ行きのバス。
料金も高速フェリーよりは若干安く、さらに首都のモンテビデオまで直通。しかも夜行ときた。
もともとの予定ではサクラメントの後、モンテビデオへ行くつもりだったが、
順序が変わってもそれほど影響があるわけではない。
と言うわけで、さっきの遅刻はなかったことにして今夜の夜行でウルグアイを目指すことにした。

別にブエノスアイレスでやることがあったわけではないが、
夜11時の出発までさすがにバスターミナルで過ごす訳には行かず、
ロッカーに荷物を押し込んだ後、予定もなしに町へと向かった。




町へ来たものの予定はない。

アルゼンチンに来て、そう言えば気になっていたことがあり、
あまりにも馬鹿ばかしかったが、予定のなさも手伝ってそれを試すことにした。
それは、

「アルゼンチンのマクドナルドはめちゃくちゃ美味いんじゃないか」

と言うことで、
なにせあれだけの味のアルゼンチン牛があちこちに転がっているのだ。
その牛肉を使ったマクドナルドのハンバーガーがまずいわけがない。
それにフランスのマクドナルドは美味しかったという先例がある。
食べ物が美味い国はきっとマクドナルドも美味しいのだ。

という持論の元、普通の食事よりもちょっと高い、
アルゼンチンでは高級レストランで有名のマクドナルドへ行ったが、、


ふつぅー??

至って普通の味にむしろ驚く。
おいおいおい。これだけ良い肉があるのにこの味かい。って奴だ。
しかも値段も高いくせに。
肉が美味しい国はマクドナルドも美味いと言う持論はあっさりと否定されたのであった。



さて、さて、さて。本当にやることがない。

そうだ。と思い出し、映画館へと向かった。
そう昨日ある映画の看板を見て、暇なら行ってみようと思っていたのだ。
あの「ドラゴンボール」に。

世紀の大失敗作として日本では有名なあの作品。
南米の至るところで見かけるが、駄作とわかっている以上、
本当に暇なときでなければ見に行くことができず機会を逃していたのだ。
このチャンスを逃すわけには行かない!

と映画館へ行くと・・・打ち切り。。。うそん。

昨日まではしっかりと掲げられていたドラゴンボールの映写予定がしっかりと消えている。
しかもその残り香はきちんとあって看板だけがあって予定がないという悲しさ。
さすがに南米でも大失敗を繰り返しているようである。

無念だが仕方ない。
せっかく来たので別のものを見ようとスペイン語でも何とかわかりそうなX-MENを見ることにした。
ちなみにX-MENなんて一度も見たことがないのだが。。


チケットを買おうと思いふと思いつく。

この規模の町ならば。そう思いあたりを見回し、それらしい看板のところへ行くと。
あった!金券ショップ!
そう。ある程度発達した都会ならばあるものなのだこういうのが。

どうでもいい時間つぶしの映画(しかもスペイン語)を見るために無駄な出費をするわけにはいかない。
という訳で金券ショップで映画のチケットを買うとなんと6ペソ(約180円)
元々も12ペソだったので安いのだがさらにその半額。
しかも驚くべきことにチケットはプリントアウトされて出てきた。

いったいどういうビジネスの仕組みなのだろう。
映画会社が配った金券や割引券を売買するというならばわかるが、
割引券自体をプリントアウトするって、ありなのか?
あるとすれば映画館の数席を年間単位で買い取って、
その席の料金を自由に決めて売っているぐらいだが、リスクが高い気もする。
半額になるほどの割引券を映画館の前で売っているのも変な話しだし、
なんとも良くわからないビジネスだ。

ちなみにこの金券ショップは映画以外にも、
タンゴショーやオペラなどのチケットも扱っているようで、
ほぼ半額から少なくとも30%引きぐらいにはなるようだ。
もしブエノスアイレスでこれらのショーを楽しむならば、
一度利用してみるといいかもしれない。


という訳で格安で入った映画館だったが、
さすがアメコミ。話がシンプルでスペイン語でもなんとなく話はわかり、
なかなか面白かったこともありあっという間に二時間を消費した。

もう一本映画を見ることもできたが、
それもあんまりだと思いまだ行っていなかった地区をふらふらと散歩する。

高級住宅町らしいその辺りには多くのブランドショップが並び、
かなりセンスの良い雑貨屋や家具屋が並んでいる。

これならば確かに南米のパリと言われるのもわかる気がする。
しかし何故かこの二つ名にしっくりと来ない。そう考えていたら急にその理由がわかった。


カフェがない。

これこそが「南米のパリ」に対する違和感の最も大きな理由だった。

町を歩けば至るところにカフェがあり、エスプレッソを楽しむ人達がいる。
それがパリという街であり、歴史的建造物の数々はおまけと言っても良い程だ。
カフェこそがパリの街の文化を象徴するもので、
また文化を繋ぎ反映させるための一つの装置のようなものなのだ。

カフェがあるからこそパリはパリなのであり、だからブエノスアイレスはパリではないのだ。
ブエノスアイレスに抱いていた違和感がそこですっきりとした。
やっぱりこの街はパリではない。

実のところそれは南米の都会を象徴しているようにも思える。
建てられたヨーロッパ風の町並みは確かに美しくもあるが、どこか空っぽで、
だから僕は南米の都会の街歩きには面白みを感じることができない。

建物だけを真似てみても結局は文化がなければ空っぽのままだと言う事だろう。
カフェのないパリ風の街。僕はやっとこの街を理解した気がした。



日も暮れたころバスターミナルへと戻り、
溜まってしまった日記を書きながら出発までの時間を過ごす。
巨大なバスターミナルにはひっきりなしに人が出入りしている。
沢山の人間が出会うことなくすれ違って行く。それが都会というものだと思い出した。


11時10分。
定刻よりも少し遅れてバスはウルグアイへと向けて出発した。

さて次の国、ウルグアイ。
何が起こるやら。。。何も起こんないかも。。なんて。

ともかくまぁ、新しい世界へ!

2009年4月28日火曜日

世界一周(41)アルゼンチン/世界で二番目に美しい本屋















DATE:2009/04/28 Argentine - Buenos Aires -


今日、このままウルグアイに向かっても良かったが、
昨日ブエノスアイレスを調べていたら面白い場所を見つけてしまった。


「世界で二番目に美しい本屋」


なにやら素敵な響きじゃーありませんか?

一番じゃなくて二番って言うのがやっぱりいい。
奥ゆかしさというか、厳格な誇りのようなものを感じる。

というわけでウルグアイ行きを後回しにして、
「El Ateneo」という名の噂の本屋へと出かけてみることにした。

ちなみにこのランキングを作ったのはイギリスの雑誌で、
一位はどうやらオランダにある本屋のようである。
ネットで調べた情報なので詳しいことは良くわからない。あしからず。



今日は都会を満喫しようと少し良さげなレストランに入り、
繁華街を歩いて本屋へと向かう。
住所しかわからない本屋に少し迷い、いや結構迷いながら、
やっとの事で世界で二番目に美しいとされる本屋にたどり着いたのであった。


世界で二番目。と言うから入り口からして凄いのだろうと想像していたのだが、
意外にもけっこうシンプルな外装で驚く。さすが二番目外装も慎ましい。

が、中に入るといきなりのその美しさに度肝を抜かれる。

オペラハウス。

そうオペラハウスを改造して作った本屋なのだ、ここは。

さすがに世界で二番目という称号を得ただけあって、
4階まで続くテラスの照明がゆるりと描くカーブは本当に美しい。
ミラノでみたスカラ座の絢爛さには適わないが、
オペラハウスという舞台装置が本屋という異業種にぴたりと合っている事が不思議に思えた。

オペラの舞台はそのままカフェになっていて、
お店にある本を自由に持ち出して読めるようになっている。
階段を上りテラスから舞台を見るとカフェに座る人々が演劇をしているようで面白い。
同じように店内にはいくつかソファーや椅子があり本を読みふける人をちらほら見かける。

天井はオペラハウス時代のままなのか、
宗教絵のようなものが描かれていて天使が円形の天井に描かれている。

しばらく僕は一階でその美しさに見とれた後、
二階に行ったりエスカレーターで地下に降りてみたりと大忙しで本屋をうろちょろする。
カメラを持ちながらうろちょろする怪しいアジア人だが、
そういう人が多いのだろうか店員は特に注意をすることもない。
見てみればカメラを構える人も何人かいてここが一つの観光名所であることがわかった。

何かお土産にと最近気に入っているパウロ・コーエリョの本を買い、店の外に出た。
スペイン語でまったく何が書いているかはわからないが、装丁も美しいし良い思い出になるだろう。
何せ世界で二番目に美しい本屋で買った本なのだから。



本当ならばせっかくのアルゼンチン最後の夜なのでタンゴにでも行こうと思ったが、
なんとなくそれも面倒になり路上タンゴを見たからいいやと、部屋でゆっくりワインを飲むことにした。

ここ最近毎日のように食べているアルゼンチン牛も今日で最後。
いつの間にか食べる総量が増えていて今日はなんと700グラム。
それでもぺろりと食べられてしまうのだから、やっぱりこの国の牛肉はすこぶる旨い。

アルゼンチンワインも今日でお別れだ。

正直なところ、日本にいる時は南米のワインといえばチリワインだったのだが、
今現在ランキングは大きく変化しアルゼンチンワインの圧勝となっている。
それだけアルゼンチンで飲んだワインが旨かったということで、
特にマルベック種はかなりのお気に入りになった。



この国に来る前にアルゼンチンに抱いていたイメージはそう多くなかった気がする。

タンゴの国。サッカーの国。そして国債がデフォルトした国。

実際この国を旅した時にもともと知っていたキーワードは殆ど出てこなかった。
僕が知ったアルゼンチンはワインでありビーフであり、美しい町並み、そして自然だった。

特にパタゴニアの美しい自然は何度見ても物足りないほどに美しかった。
そしてメンドーサやバリローチェといった町の美しさも他の国にはないものだろう。
それについでと言っちゃぁなんだが、やっぱりアルゼンチンの女性も美しかった。

そう言えば経済が破綻したなんていう影響も殆ど感じることはなかった。
もちろん路上生活者や貧しい人々の姿は沢山見たけれども、
国が死に向かっているような鬱々とした感じは受けたことがない。
もう既に回復に向かっていると言う事だろうか、それは過去のこととして済まされているようだった。


美味しい肉にワイン。それだけでも十分なのに美しい町と女性。
なんて申し分のない国なんだろう。

将来この国で暮らすことは悪くない選択にも思えた。

暮らすならばやはり地方が良いだろう。
ブエノスアイレスのピリピリとした雰囲気はやはり好きではない。
そういう意味では地方と都会のイメージが一致しない不思議な国ではあった。


次にこの国に触れるのは・・・きっと日本でワインを飲むときだ。

毎日のように飲んでいたアルゼンチンワインをまた日本で飲むときが楽しみだ。
ノートン、トラピチェ、カテナ。舌に刻んだいくつかのお気に入りたち。


また会う日まで。ちゃお!

そしてまたこの地に訪れることを夢見て。

2009年4月27日月曜日

世界一周(41)アルゼンチン/明日はどこに行こう







DATE:2009/04/27 Argentine - Buenos Aires -


「今日は何をするの?」
「んー、今日はお休み。」

隣の部屋で既に3ヶ月もブエノスアイレスで暮らしているという、
オランダ人の女性の問いに僕はこう答えた。

実際のところこれからの予定も特にきちんと立てていなかったので、
今日1日をかけてじっくりと近々の予定を立てようと思ったのだ。


なんとなくの予定ではこの後はウルグアイに少しだけ滞在し、
アルゼンチンに戻ってきた後にイースター島へと向かう予定だ。
イースター島から戻った後は、ボリビアのラパスへ向けてチリを北上し、
ラパスからペルーへと抜けるつもりでいる。
その後のプランは曖昧だがガラパゴスも行ってみたいし、
南米もせめてコロンビアまでは北上をしたいと思う。

実のところ帰国予定の9月頭というリミットを考えると、
そろそろ諦めなくてはならない場所も出てくるころだ。
なぜか南米ではほとんど計画通りに旅行しておらず、
その分、十分に楽しんではいるものの日程はかなり遅れている。

ま、今回は下見だし。
そう思いいくつかは割り切ることにしてまずはイースター島へのフライトを確保するため、
久しぶりにJALへと電話をすることにした。


「イースター島のフライトですが1週間ほど満席で、お取りできるのは最短で5月5日になります」

「あ・・・そうですかちなみに帰りは?」

「えっと。。。こちらも混み合っていまして、、、5月12日が最短です」


・・・予定外。
いや直前に予約をしようとした自分が悪いのだが、
ウルグアイにはサクラメントを除いて観光する場所もないのでさすがに1週間は長過ぎる。
キャンセル待ち、という手もあったが、インドの悲劇を思うとそれもまた御免こうむりたい。
それにキャンセル待ちをする場所はというと既に何度となく訪れているチリのサンティアゴで、
さすがにもう一度となるとあの町はちょっと辛い。
少し考えた挙句、結局最短の予定でフライトするしかなく、
「じゃぁ、それでお願いします」と言って予約のメールをもらって電話を切った。


さーて1週間なにするべ。

ブエノスアイレスを満喫。という手もあるが、
嫌いではなくなったものの、そんなにお気に入りでもないこの町で時間を潰すのも少しもったいない。
ならばアルゼンチンの別の場所、とも思ったが気になっていたコルドバは、
移動だけでもけっこうな時間がかかりそれに時間を費やすのもなんだかなぁ、といった感じだ。

仕方ない。ウルグアイで遊んでくるか。
と、たぶんもう行くこともないであろうウルグアイの町を堪能することに決めた。
サクラメント。ついでにモンテビデオ、プンタ・デル・エステ。
これぐらいが1週間の予定で行ける範囲だろう。
サクラメントはともかくモンテビデオなんてきっと二度訪れる事もないだろうし。
そうしてなし崩し的に僕の即近の予定は決まったのであった。



昼食ついでにビールを買ってきてビール片手に次の行き先を決める。
久しぶりに開いた予定表を見てみると、予定では今頃ペルーのリマに着いているはずだった。
なんだかえらく遠いところにいるなと思い、現実とのギャップに笑った。

予定を積み立てて行くと実際の選択肢としては、
北米を捨てるか中米を捨てるかぐらいしか残っていないようだ。

北米はせめてニューヨークとニューオリンズぐらいは行ってみたいが、
なんだかいつでも行けるような場所な気もする。
しかしその「いつでも行ける」と言うのは意味のないことだということも知っている。
いまそれを見ることに意味があるのだ。行くこと自体は極論すればどこにだって行ける。
いま僕がそれを見ることに意味があるのか。
その価値判断は思っているように難しい。
あれこれと予定をこねくり回し、あーでもないこーでもないと言いながら、
結局最後はま、何とかなるべ。と諦めて放り投げた。

どうせまた1ヵ月後には予定表など作り直さなければならない。
南米の旅での経験がそう僕に言っていた。
この地での旅には予定など必要ないのだ。ただ思った場所に行けば良いと。



旅を続けること。
それもまた選択肢の一つでもある。

幸いなことにまだいくばくかの資金の余裕はあり数ヶ月程度ならばお金の心配をする必要はない。
ただしそれは僕の未来の時間を奪うことでもある。
旅も仕事も日常も。全て僕の限られた時間で楽しまなくてはならないのだ。
やっぱり旅を終わらせるのは難しいや。ぬるくなったビールを飲みながら他人事のようにそう思った。

2009年4月26日日曜日

世界一周(41)アルゼンチン/アルゼンチンサッカー!























DATE:2009/04/26 Argentine - Buenos Aires -


今日の試合のカードはリバープレート対ジムナシアである。

と言ってもサッカー通でもなんでもない僕には、
それがどういうチームなのかはまったくわからないが、
どうやらブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズとリバープレートという2つのチームがあり
人気を二分する人気チームのひとつらしかった。

とはいってもボカ・ジュニアーズの人気のほうが圧倒的に高く、
実のところ僕もその試合が見たかったのだが残念ながら今週の試合は、
別の場所で行われるらしく仕方なく、といっては何だがリバープレートの試合を見ることになったのだった。


アルゼンチンのサッカーの試合。
と言うとなんだかデンジャラスなイメージが付きまとう。

試合中の暴動だとか、試合後のファン同士の抗争だとか、
実際に銃やナイフなどの凶器が表舞台に出る血なまぐさい部分も多いと聞く。
今日見に行くリバープレートの試合はどちらかと言うと優等生なチームらしいが、
そうは言ってもアルゼンチンサッカー。見る前から少し緊張をしていた。


試合は夜になるためそれまでは時間がある。

サッカーついでといっては何だが、
せっかくなのでボカ・ジュニアーズの本拠地があるボカ地区へと行ってみることにした。


ボカ地区はカラフルな家が立ち並ぶアーティスティックな場所である。
アルゼンチンタンゴの発祥の地、ブエノスアイレスらしく
観光客向けの路上タンゴが見られることでも有名だ。

ボカ・ジュニアーズのスタジアムはそんなカラフルな家が立ち並ぶ場所と
目と鼻の先にあるが、そこはあまり治安のよい場所ではないらしい。
実際まわりを歩いてみたが確かに一歩奥に入れば危ない雰囲気が漂う場所であった。


とはいえ観光地化された場所にいるだけならば問題はない。

確かにとあるアーティストから始まったという独特な色彩を持つ建物群は見ていてなかなか面白い。

メインの通りにはたくさんのタンゴリアがあり、
店前のショーに多くの観光客が目を奪われている。

いくつかのショーを見ているとなんとなくタンゴの良し悪しがわかるから不思議なものだ。
上手いなと思う踊り手はまず顔が違う。
作り笑顔が自然というか素直に楽しんでいるのはタンゴというものを本当に愛しているかもしれない。
そういう踊り手は男女二人の息がぴったりと合っていて、
くるくると回る踊り手に観客はただただ目を奪われるのであった。

行きがけに昼食を済ませてしまったこともあり、
タンゴのタダ見に精を出した後はカラフルな町並みを歩いて回る。
とはいえそんな町並みはほんの一角だけで10分も歩けば端から端へとたどり着いてしまう。
町並み自体もテーマパークのようであり不自然この上ない舞台にすぐに飽き、
ドブ川の匂いのするボカ地区の先端についてすぐこの場所を後にした。


少し時間があったので土日であるからか昨日よりも沢山のお店が開かれている蚤の市を冷やかして回り、
一度宿に戻った後にすぐスタジアムのあるベルグラーノへと向かった。

まだ試合には早かったがベルグラーノにはスタジアムだけではなく中華街もあるという。
アルゼンチンの中華街とはどんなものか気になったのと、
日本食材が手軽に手に入るという情報に最近の自炊熱がぴぴっと反応したのだ。

スタジアムまでは電車に乗って行く。
レティロにある電車の駅まで行って目的地の切符を買う。
そう言えば市民の足に電車が使われているのは南米では珍しい。
久々の電車に少しわくわくしながら早々と電車に乗り込み発車を待った。


そんなわけで電車がたどり着いたのはベルグラーノC駅で、
目的地のベルグラーノB駅とは4キロほど西に離れた別の場所なのであった。
久々の電車に興奮し過ぎたからか目的地の確認を怠っていたようだ。
でもベルグラーノBとベルグラーノCって判りづら過ぎじゃね?

というわけで道もわからぬままなんとなくの方角へぐんぐんと進む。
どうやらこの辺りは高級住宅町のようで中心近くの町の雰囲気とはかなり異なっている。
暗い危険な雰囲気は少しも感じず、ただ平和そうな町並みだ。
さすがに大都会ともなるといろんな場所があるものだなぁ、と感心する。

日本にいるとそれほど感じることはないが南米やアジアにおける格差というのは、
本当に目で見てわかるほどに現実に存在する。
貧しさの象徴は路上に溢れる浮浪者であったり、ベニヤ板で作られたバラックだったりする。
一方、豊かさの象徴は緑あふれる街路樹であったり、真っ白な3階建ての豪邸だったりする。
もちろんその格差を象徴するように豊かな家にはほぼ必ず鉄格子の窓が嵌められていて、
たいていの家には警備員がついている。

こういう世界を見ていると日本の一億総中流な世の中も、
それはそれで意外と悪くないものなのかもと思えてくる。
富の総量が同じである以上、豊かさは貧しさを生んでしまうのだ。
だれもが同じであれば能力があるものが我慢するだけで平和に収まる。
能力があるものが豊かさを享受する世界は賛成だが、
それに伴うリスクを考えるとそれはそれで面倒だとも思ってしまう。

つくづく平等というのは難しいものだと感じる。
天秤を持つのは誰か。それによって常にその傾きは変わるのだから。


見知らぬ道を歩くのに少し警戒してはいたが、
意外にも安全な高級住宅街を後にするとついに赤い看板が立ち並ぶ中華街が見えてきた。

海外の中華街というとただ中国人が暮らす町というイメージがあったが、
どちらかというと日本の横浜中華街を思い出すような町並みをしている。
その証拠に多くの地元のアルゼンチーナが中国文化に触れるためなのか買い物をする姿が見える。
お土産屋も多く中国的な赤い扇子やら紙のランプシェードやらも多く置かれている。

その中で結構面白いのが、明らかに日本のものと思われる、
日本語で書かれたデザインのものや商品が置かれていることだ。
そう言えば海外の中華レストランには「SUSHI」と書かれた看板を良く見かける。
実際に中華系のスーパーなんかに行っても寿司は売られている。
中身はやっぱり寿司だかなんだか良くわからないものだが、結構売れているようだ。


そう思うと中国人というのはつくづくビジネスが上手いなぁと思ってしまう。

ブラジルのサンパウロでも思ったが「売れる」と思ったものは、
なんのお構いなしに売りまくるのが彼らのビジネススタイルで、
逆に言うと日本人はディティールにこだわり過ぎて多くのチャンスを失っている。
著作権やなんだと権利の話は置いておいて、
品質やら納期やら実際の利用にはまったく関係のない部分で努力をしているのが常だ。
もちろんそれが「MADE IN JAPAN]のブランドを作ったのは確かだが、
それは時と場合によるだろう。

日本人が単なる置物のお土産に多くの時間と労力をかけている間に、
中国人は3分の1の品質と時間でものを作り、2分の1の値段で売るのだ。
それは時と場合によるが多くの場合において中国人の作り方のほうが正しい。
こと単なるお土産に置いては実際の話「漢字」さえ書いてあれば外国人は満足なのだ。
そのニーズを解決するためにフォントやデザインに事細かく拘るのは、
職人としては合格だがビジネスマンとしては才能に欠ける。

「こだわる」事と「こだわり過ぎる」こと。
そのバランスが最も大事なのだと中国人のビジネスを見ているとそう思う。
2分の1の値段と時間でそこそこのものを作り、2倍の値段で高品質のものを売る。
つくづくビジネスとはその見極めが肝なのだなぁ。と思った。


しっかしさすが中国の食材店だ。
肉から魚、茸類や野菜までありとあらゆる食材が取り揃えられている。
これを見ると南米のスーパー、しいては日常の食生活がいかに貧しいかを考えさせられる。

逆に言うと日本を含めアジアの食の豊かさは突出していて、
それは何故なのだろうかと疑問に思う。
地理的に食物が育ちやすい地域であることは間違いないが、
それ以外に条件があるとしたらなんだろう。

思い当たるのは「肉食」かどうかというものだ。
欧米諸国はじめ南米も多くは肉食を主にした食生活を送っている。
よく考えてみると「肉」という食材においては生で食べる事が難し以上、
単に「焼く」という調理方法が最も栄養分を壊さずに栄養を摂取できる最良の方法なのかもしれない。

逆に野菜は生で食べるのと調理するのを選べ、
さらに調理することで栄養分が変化するものもある。
また調理によって水分が減り食べられる総量が増えるものがほとんどだ。
食べやすさという面でも調理後の方が食べやすい。

フランスのように土地が豊かな国は除いて、
欧米諸国の食文化が発達してこなかったのはそんな理由もあるのではないかとも思える。
別にだからと言って彼らが不幸というわけではないが、
パスタに塩をかけて食べて平気な顔をしている彼らを見るとなんだかなぁ、と思ってしまうのは確か。
食生活とはつくづくアジア人で良かったなぁと思える瞬間でもあるのであった。


さてそんな中華食材店。日本の食材はというと・・・あるわあるわ。
しょうゆはもちろん、わさび、ほんダシからうどんに、なんと日本酒&焼酎まで。
南米にはないだろうと思っていたものがほとんど揃っている。

これだけの需要があると思われる食材なのになぜ日系の店がないのかが不思議だが(知らないだけ?)、
ともかく中華系の木耳などの食材と一緒くたになって売られている日本食材はある意味壮観でもある。
ついでに売られている韓国系の食材と合わせてじっくり見て周り、
単なるスーパーに小一時間ばかりの時間を費やしてしまった。
調味料や食材を見ているといくつもの想像が沸いてくる。つくづく料理は良いなあと思った時間であった。



まだ試合開始まで2時間近くはあったが、
暗く前にスタジアムに着きたかった事もあり買い込んだほんダシを懐にゆっくりと会場へと向かった。

聞いていた通りスタジアムの回りもまた高級住宅街のようで、
特に危ない雰囲気を感じることはなく会場までたどり着いた。

ただし既に試合前の厳戒態勢は引かれているようでスタジアム近くになると、
人通りはまだ少ないのにやたらと警備員の姿だけが目立った。
どうやら民間の警備団体だけではなく警察自体も警備に当たっているようで、
「POLICIA」と書かれた蛍光色のベストを身にまとっている人が目立つ。
ひとたび暴動が起これば街中で最も危険な場所となるこの場所を、
国家権力を使って守るのは当然のことなのかもしれない。
そんなわけで30ペソ(約1000円)のチケットを購入した後に、
そのポリシアにかばんの中をチェックしてもらうとようやくスタジアムの前までたどり着いた。

会場前にはテレビレポーターのような怪しげな金髪サングラスの男がいて、
しきりにサポーターにインタビューを繰り返している。
会場前はまだ試合まで1時間以上もあるにも関わらず熱心なファンが詰めていて、
大声でチームソングを歌っていたりする。
そんな陽気な彼らがいつ暴徒と化すのかはわからないが、
それはそれ。サッカーを楽しんでいることには変わりない。
彼らにカメラを向けるとうれしそうにポーズをとってくれる。
なんだかんだ言って彼らもいい奴らだ。アルゼンチンサッカーに抱いていたイメージが少し崩れた。

NO.500以上もあるスタッフナンバーのベストを着たスタッフにもう一度カバンをチェックされ、
持っていたチケットを自動改札機の中に通すと会場の中へと入った。

会場に入る前に沢山のポスターやらチラシやらを配られて、
いつの間にか両手はそれでいっぱいになっている。
サポーターグッズも売られていてチームカラーの赤と白の旗が幾つもはためいていた。



会場に入ってみるとまださすがに1時間以上も前であることもあり、
人はちらほらとしか見えず広いスタジアムは少し寂しくもある。
しかしこれが埋まる姿を考えると心が少し跳ねた。

前回のサッカー観戦が北京でのオリンピックであったため、
さすがにスタジアムの規模や大きさには驚かないが観客数4万近くは入るだろう、
なかなかに大きなスタジアムである。
スタジアムは敵チームとホームチームで分かれているようで、
ほんの一部しかない敵チーム側のスタンドにはちらほらと水色の旗が振られている。
広いスタジアムの中のたった1区画。
500人も入らないだろうそのスペースが彼らのこの場所での立場を示していた。
日本の試合のことは良く知らないがさすがにここまでの差はないだろう。
しかしながら試合終了後は優先的に敵チームの応援席から帰され、
衝突を防ぐため時間を置いてホームチーム側が帰されるシステムを取るほどに、
実際のところはアウェーでの応援は危険が伴うこともあるらしい。
そう考えるとそこまでのリスクを取って応援に来る人々の数が限られているとしても不思議はなかった。

それに思った以上にアルゼンチンのサッカーは地元に密着したもののようで、
地元以外のチームのファンはほとんどいないそうである。
なので遠い別の地から来たアウェーチームの応援は少ないことは当然でもあるようだった。


スタジアムには赤と白の応援布がフェンスのいたるところに張り巡らされている。
そこからは熱狂的なファンからの野次が向こう側に見える青い旗に向かって飛ばされ、
怒声のようなその声はスタジアムの中に響き渡った。
まぁ、これはこれでアルゼンチンサッカーらしい。

すっかりと暗くなったスタジアムに紙ふぶきが舞い、
しばらくすると選手たちの練習が始まった。
日本のようなチーム全員での練習を想像していたが出てきたのはゴールキーパーのみで、
それも10分ほどキャッチの練習をするとすぐに引き上げてしまう。
そうこうする内に試合の時間は15分前へと迫っていた。



スタンドとフィールドの陸上競技用トラックを貫くように、
空気で膨らんだソーセージのようなチューブが一直線にフィールドに向かって伸びた。

どうやらこれは敵チームの選手をスタンドから投げられるものから守るために作られたもののようで、
その証拠にホームチーム側の方はそれがなく、敵チーム一方のみに伸びている。


少しするとそのチューブからまず敵選手が現れた。
当然のごとくブーイングが会場全体からこだまする。
ついでホームの選手が登場するとそれがいっせいに拍手へと変わった。

選手は少しの間、ウォーミングアップのために軽い練習をすると、
審判の笛が鳴り中央のラインへと一列へと並んだ。

会場はいつの間にか三分の一以上が埋まっていて、
さっきまで肌寒かった空気が熱気のためなのか少し暖かくなってきている。

審判が挨拶を終えコイントスが終わりついには試合開始の時間だ。

審判の笛が鳴りアウェーの水色のユニフォームの選手が小さく横に蹴りだすとキックオフとなった。


試合序盤から観客が悲鳴を上げるほどの大歓声。を予想していたが、
意外にも意外に静かな試合の立ち上がりである。
怒声と罵声が飛び交うアルゼンチンサッカーなんてのを予想(期待?)していたが、
そこはサッカーを愛する国だけあってマナーは最悪なんて事はないようだ。
これならば北京での中国人の観戦マナーを知っている僕から見れば、
普通すぎると言ってもいいかもしれない。
むしろ時折聞こえてくるチームソングに皆で声を合わせ歌う姿はとても気持ちよくもあった。


そんなある意味で期待を裏切られたアルゼンチンサッカーだが、
試合は両者決め手を欠き淡々とした立ち上がりのまま後半を迎える。

後半戦の入場はなぜか両チームともチューブから出てくる。
もしかしたら不甲斐ない味方チームの選手への攻撃もアルゼンチンサッカーではありなのかもしれない。

そうこうする間に10分ほど経過しホームチームの選手の1人が10番と交代。
するとまるで魔法のように一気に試合の流れが動いた。

右サイドから切り裂くように突破をし中央ではなく、
逆サイドへとボールを振る10番の動きに敵チームが守備を崩しだす。
さすが10番!と思っている間にロングパスが上手く決まり、
ついに1点先取!会場が一気に膨れた!

ホームチームの先制点。さすがにその歓声は凄い。
会場全体が「ウォー!!」という声に包まれ、続いてチームソングの合唱となった。
僕も歌詞がわかるわけではないが一緒に口ずさむ。
サッカーでも何でもやっぱり生で試合を見る一体感っていうのはイイ。
会場の一体感に酔いしれながら待望の1点を祝った。


ワールドカップの時以外にサッカーを見ることがない僕が選手をわかる訳もなく、
ともかくホームチームを応援していただけだが、
名前もわからないが小さくて上手い奴がその中にいて勝手に彼を応援することにして、
その小さな男のにわかファンになった。

ついに後半10分ほど前になり敵が焦りだしたころ、
なんと相手チームのキーパーが退場。
さらにロスタイムにオフェンスの一人が退場と、終には11人対9人に。
もちろんそれでは追いつけるわけもなく、
そのまま1対0のままホームチームの勝利で試合は終了!
平穏無事のままホームチーム勝利という結果で幕を閉じたのであった。


いやぁ、よかったホームが勝ってw

気分良く試合に勝ってご機嫌なホームチームの人たちと一緒に駅へと向かう。
セントロへと向かうバスは常に満員状態のようで、いくら待っても乗れそうにない。
諦めてやっぱり電車で帰ることにしたが、
途中、直接ホテルの方へ向かうバスがあったのでそれに乗ってホテルへと戻った。


帰り道、夜の公園でタンゴを踊る人たちに出会う。
何かのサークルか何かなのだろうか周りを囲む人たちも、自由参加でそれに混じっている。
おじいちゃんも若い子も一緒になって音楽にあわせてステップを刻む。
素人も混じっているのでタンゴなのかただのダンスなのかは良くわからないが、
それはそれでみな楽しそうで日曜の夜を楽しんでいた。

なんだブエノスアイレスも悪くないじゃん。
踊る彼らの姿を見ていると素直にそう思えた。

2009年4月25日土曜日

世界一周(41)アルゼンチン/ブエノスアイレスの町











DATE:2009/04/25 Argentine - Buenos Aires -


ブエノスアイレスの街。


正直言うと、なんてつまんねーところなんだ。って感じだ。

メンドーサ、バリローチェ、カラファテ、ウシュワイア。
あの美しい街並みはどこへいったという感じで、
ブエノスアイレスの街は今まで訪れたアルゼンチンの町とはまったく異なっていた。


ここもまたチリのサンティアゴを思い出させる。

紛い物のヨーロッパ。移民たちが作り上げた偽りの故郷って奴だ。
そしてここブエノスアイレスはどうやらそれほど治安の良い街ではないらしく、
街のあちこちで浮浪者や物乞いの姿が見える。

聞いたところによると強盗やスリなども多いらしく、
それとわかる雰囲気が街には漂っている。


南米のパリ?どこがだい?


そんなわけでとりあえず1日はふらふらして見たものの特に興味を引くものは見つからず、
暗くなる前に宿へと戻ってきたのであった。



やっぱりここはタンゴとサッカーか。

そう思い明日行われるというサッカーの試合へと望みをかけることにした。


怖くて楽しいアルゼンチンのサッカー観戦。

明日はどうなることやら?

2009年4月24日金曜日

世界一周(41)アルゼンチン/パタゴニアを越えて











DATE:2009/04/24 Argentine - Buenos Aires -


パタゴアニアの山々の上空ををゆっくりと旋回し飛行機はウシュアイアの町を飛び立っていった。

半月ほどの時を過ごしたパタゴニアの地。
それほど長い時を過ごしたわけでもないのに、
パタゴニアの雄大な自然は僕の中にしっかりとその姿を焼き付けてくれた。

白く雪を抱いた美しい山々。どこまでも続く平原。
そして青い炎を抱いた氷河。

そのどれもが地球の産物で人が作ることのできない美しさを持っていた。
そしてそれは毎日刻々と姿を変えまた僕がここに来るときには違う姿を見せてくれることも知っている。
今ここにしかない景色。だからこそ美しくもある。


そうだ、僕はまたこの場所に来なくてはならない。

南極大陸に、ペンギンや音を立てて崩れる氷河。
まだ見ていないものがいくつもあるのだ。
何年もの時をかけてもまだ満足することのできない魅力がこの場所にはある気がした。


ふと、上野山荘を出るときに手を振ってくれたアヤコおばあちゃんの姿を思い出した。

そうだおばあちゃんにもまた会いに来なくては。
その時はもっとたくさんの話をしよう。

短い時間の中で少ししか話すことができなかったおばあちゃんの姿もまたしっかりと焼きついていた。




飛行機が高度を上げ、パタゴニアの大地がすっかり雲の下へと覆い隠されたころ、
僕は隣の席に座るおじさん二人組みとすっかり仲良くなっていた。

タクシードライバーと大学教授という組み合わせの二人は、
なぜかタクシードライバーの方が片言の英語が通じ、
あとはもう身振り手振りや片言英語といんちきスペイン語交えてのコミュニケーション。

彼らはどうやら故郷への里帰りの途中らしく、
ブエノスアイレスを経由しそこからバスで母が住むアルゼンチンの来た、サルタとフフイという町に行くそうだ。

どうせならそこまで飛行機で行けばいいじゃないか、と思うが、
ここがパタゴニアの不思議という奴でパタゴニアからブエノスアイレスまでだと、
バスと飛行機の料金は大差ないのだがブエノスアイレスから北へ行こうとすると、
バスの方が圧倒的に安くなるのである。
今回僕が飛行機を使った理由もそれであり彼らもまた同じようにその選択をしたようだった。

通じているのか通じていないのかもわからないコミュニケーションは、
結局は女と酒の話になり「アルゼンチンの女性はボニータ(美人)だ」ということに落ち着いた。


そんな話をしているとあっという間にブエノスアイレスとたどり着いた。

南下に要した時間は二日あまりなのに、飛行機だとたった3時間ほど。
文明の利器と言う奴は相変わらず凄いものだ。そのうち日帰り宇宙なんてのも現実になるだろう。



おじさん二人組みとメールアドレスを交換して別れ、宿へと向かうバスへと乗り込んだ。

ブエノスアイレスには国際空港と国内線の空港があり、
たどり着いたのは国内線の方。そこからは45番のバスで30分ほどすれば市内へとたどり着ける。

バスに乗りながら市内を観察する。
どうやらブエノスアイレスは噂どおり治安の良い町ではないようだ。
まだ夕暮れ前にも関わらずどこかよどんだ空気が町には満ちている。

町並みはヨーロッパのようで見所は多そうだが、
まとっている空気はやはり南米のそれで器だけのしろものに見えた。


地図と見比べながら宿の近くでバスを降りる。

どうやらネットで調べた人気の安宿はえらいところに立っているらしく、
バスを降り数メートルも歩いたあたりから客引きの女性がじっとこちらを見つめている。

おいおい。今までのアルゼンチンの美しい町はどこ行ったんだ。

そう思いながら住所を頼りに安宿へと急ぎ足で歩き出す。
どうやら辺りは売春街のようである。新宿をはじめそういったところの治安は良いわけがない。

しかも、、、どうやらこの売春婦。

・・・おかまだ。

ちらりと見た印象に違和感がありまじまじと見てみるとどうやらここに立っているのはおかまばかり。
ただでさえゲイ人気が高い僕のこと。警戒心がいっそう高まる。


急ぎ足で歩き回りようやくたどり着いた安宿のチャイムを鳴らす。

ピンポーン。

・・・ピンポーン。・・・ピンポーン。。。。

まじ。やってない?

情報では今年の3月ぐらいまではオープンしていたはず。
やっていないとはあまり考えられない。

ともかくこんなところで路頭に迷うわけには行かないのだ。
もう一度気を取り直してチャイムを連打する。


10分後。

なるべく明るい場所を探し出し、地図を片手ににらめっこをする僕がいた。

どうやら宿はやっていない。なんだか知らないがやってない。
この場所で宿探しをするべきか、それとも別の場所で探すべきか。
すでに日は暮れて真っ暗闇。この闇夜の中を歩くのは少々勇気がいる。

サン・テルモという辺りには安宿が多くそこに行けばどうにかなりそうだ。
しかしそこまではここから歩いて20分ばかり。
地図はあるものの土地勘がない場所でこの夜の中を歩いてよいものか。

幸い、辺りにはホテルはたくさんある。
それはきっとここらで立っている人たちご用達のラブホテルだろうが、
ブラジルでもともかく泊まることはできたのだ。きっとアルゼンチンでもそうだろう。

そう思い近くのホテルに片っ端から聞いてみることにした・・・が。


「うちは、ラブホテルだぜ。一人はねぇ、、、ちょっと」

と辺りのホテルに片っ端から断られることになるとは予想だにもしなかった。
いいじゃんか。金はきちんと払うぜと言っても門前払いか中級ホテル並みの料金を提示される。


と言うわけで。しかたなく重い荷物を背負いながらサン・テルモへの道をとぼとぼと歩き出したのであった。

そこからは警戒度100%のまるでジャングルを行くゲリラのような状態だ。
なるべく明るい場所を選び、人が通っている後をこっそりとつけながら目的地を目指す。
もしかすると自分自身がもっとも怪しい人物に思われているかもしれないが、そんなことは関係ない。
大事なのは自分の身なのだ。ここは南米ブエノスアイレス。スラムもあり拳銃もある世界なのだ。


20分ほど歩きようやくサン・テルモにたどり着き、いくつか宿を回った後に1つの宿に落ち着いた。
少々予算オーバーの宿だが部屋は広く、何よりも安全には変えられない。
久々の個室の中に身をうずめ、アルゼンチン最後の町ブエノスアイレスへと到着したことを思った。


なんだかんだ行ったり来たりのアルゼンチンの旅もここブエノスアイレスで終わりを告げる。
そこからはイースター島。そしてついに南米を北上するのだ。

外へ出て買ってきたビールとキッシュを片手に乾杯をした。


さようならパタゴニアの大地。

そしてただいま、南米の危なっかしい大地!