DATE:2009/04/24 Argentine - Buenos Aires -
パタゴアニアの山々の上空ををゆっくりと旋回し飛行機はウシュアイアの町を飛び立っていった。
半月ほどの時を過ごしたパタゴニアの地。
それほど長い時を過ごしたわけでもないのに、
パタゴニアの雄大な自然は僕の中にしっかりとその姿を焼き付けてくれた。
白く雪を抱いた美しい山々。どこまでも続く平原。
そして青い炎を抱いた氷河。
そのどれもが地球の産物で人が作ることのできない美しさを持っていた。
そしてそれは毎日刻々と姿を変えまた僕がここに来るときには違う姿を見せてくれることも知っている。
今ここにしかない景色。だからこそ美しくもある。
そうだ、僕はまたこの場所に来なくてはならない。
南極大陸に、ペンギンや音を立てて崩れる氷河。
まだ見ていないものがいくつもあるのだ。
何年もの時をかけてもまだ満足することのできない魅力がこの場所にはある気がした。
ふと、上野山荘を出るときに手を振ってくれたアヤコおばあちゃんの姿を思い出した。
そうだおばあちゃんにもまた会いに来なくては。
その時はもっとたくさんの話をしよう。
短い時間の中で少ししか話すことができなかったおばあちゃんの姿もまたしっかりと焼きついていた。
飛行機が高度を上げ、パタゴニアの大地がすっかり雲の下へと覆い隠されたころ、
僕は隣の席に座るおじさん二人組みとすっかり仲良くなっていた。
タクシードライバーと大学教授という組み合わせの二人は、
なぜかタクシードライバーの方が片言の英語が通じ、
あとはもう身振り手振りや片言英語といんちきスペイン語交えてのコミュニケーション。
彼らはどうやら故郷への里帰りの途中らしく、
ブエノスアイレスを経由しそこからバスで母が住むアルゼンチンの来た、サルタとフフイという町に行くそうだ。
どうせならそこまで飛行機で行けばいいじゃないか、と思うが、
ここがパタゴニアの不思議という奴でパタゴニアからブエノスアイレスまでだと、
バスと飛行機の料金は大差ないのだがブエノスアイレスから北へ行こうとすると、
バスの方が圧倒的に安くなるのである。
今回僕が飛行機を使った理由もそれであり彼らもまた同じようにその選択をしたようだった。
通じているのか通じていないのかもわからないコミュニケーションは、
結局は女と酒の話になり「アルゼンチンの女性はボニータ(美人)だ」ということに落ち着いた。
そんな話をしているとあっという間にブエノスアイレスとたどり着いた。
南下に要した時間は二日あまりなのに、飛行機だとたった3時間ほど。
文明の利器と言う奴は相変わらず凄いものだ。そのうち日帰り宇宙なんてのも現実になるだろう。
おじさん二人組みとメールアドレスを交換して別れ、宿へと向かうバスへと乗り込んだ。
ブエノスアイレスには国際空港と国内線の空港があり、
たどり着いたのは国内線の方。そこからは45番のバスで30分ほどすれば市内へとたどり着ける。
バスに乗りながら市内を観察する。
どうやらブエノスアイレスは噂どおり治安の良い町ではないようだ。
まだ夕暮れ前にも関わらずどこかよどんだ空気が町には満ちている。
町並みはヨーロッパのようで見所は多そうだが、
まとっている空気はやはり南米のそれで器だけのしろものに見えた。
地図と見比べながら宿の近くでバスを降りる。
どうやらネットで調べた人気の安宿はえらいところに立っているらしく、
バスを降り数メートルも歩いたあたりから客引きの女性がじっとこちらを見つめている。
おいおい。今までのアルゼンチンの美しい町はどこ行ったんだ。
そう思いながら住所を頼りに安宿へと急ぎ足で歩き出す。
どうやら辺りは売春街のようである。新宿をはじめそういったところの治安は良いわけがない。
しかも、、、どうやらこの売春婦。
・・・おかまだ。
ちらりと見た印象に違和感がありまじまじと見てみるとどうやらここに立っているのはおかまばかり。
ただでさえゲイ人気が高い僕のこと。警戒心がいっそう高まる。
急ぎ足で歩き回りようやくたどり着いた安宿のチャイムを鳴らす。
ピンポーン。
・・・ピンポーン。・・・ピンポーン。。。。
まじ。やってない?
情報では今年の3月ぐらいまではオープンしていたはず。
やっていないとはあまり考えられない。
ともかくこんなところで路頭に迷うわけには行かないのだ。
もう一度気を取り直してチャイムを連打する。
10分後。
なるべく明るい場所を探し出し、地図を片手ににらめっこをする僕がいた。
どうやら宿はやっていない。なんだか知らないがやってない。
この場所で宿探しをするべきか、それとも別の場所で探すべきか。
すでに日は暮れて真っ暗闇。この闇夜の中を歩くのは少々勇気がいる。
サン・テルモという辺りには安宿が多くそこに行けばどうにかなりそうだ。
しかしそこまではここから歩いて20分ばかり。
地図はあるものの土地勘がない場所でこの夜の中を歩いてよいものか。
幸い、辺りにはホテルはたくさんある。
それはきっとここらで立っている人たちご用達のラブホテルだろうが、
ブラジルでもともかく泊まることはできたのだ。きっとアルゼンチンでもそうだろう。
そう思い近くのホテルに片っ端から聞いてみることにした・・・が。
「うちは、ラブホテルだぜ。一人はねぇ、、、ちょっと」
と辺りのホテルに片っ端から断られることになるとは予想だにもしなかった。
いいじゃんか。金はきちんと払うぜと言っても門前払いか中級ホテル並みの料金を提示される。
と言うわけで。しかたなく重い荷物を背負いながらサン・テルモへの道をとぼとぼと歩き出したのであった。
そこからは警戒度100%のまるでジャングルを行くゲリラのような状態だ。
なるべく明るい場所を選び、人が通っている後をこっそりとつけながら目的地を目指す。
もしかすると自分自身がもっとも怪しい人物に思われているかもしれないが、そんなことは関係ない。
大事なのは自分の身なのだ。ここは南米ブエノスアイレス。スラムもあり拳銃もある世界なのだ。
20分ほど歩きようやくサン・テルモにたどり着き、いくつか宿を回った後に1つの宿に落ち着いた。
少々予算オーバーの宿だが部屋は広く、何よりも安全には変えられない。
久々の個室の中に身をうずめ、アルゼンチン最後の町ブエノスアイレスへと到着したことを思った。
なんだかんだ行ったり来たりのアルゼンチンの旅もここブエノスアイレスで終わりを告げる。
そこからはイースター島。そしてついに南米を北上するのだ。
外へ出て買ってきたビールとキッシュを片手に乾杯をした。
さようならパタゴニアの大地。
そしてただいま、南米の危なっかしい大地!
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