2009年2月28日土曜日

世界一周(37)ブラジル/それぞれの物語











DATE:2009/02/28 Brazil - Sao Paulo -


マルコメ君に永谷園。
ぬか漬けに梅干、手巻き寿司。そして極めつけは水戸納豆。
駄菓子なんかも揃っているのが心憎い。
ついでになぜかラジオ体操の像なんてのもあっちゃったりして。


やっぱり東洋人街の街歩きはめちゃくちゃに楽しい。

日本食材というと全て日本から輸入しているかのように思えるが、
それが結構ブラジル現地で作っているものも多いのだ。
梅干や醤油なんかは現地生産のものが安い。
味の保障は出来ないが、日本の食材をブラジルで作っているという事実がなんとなく面白い。

この地域には食品だけでなく、
日本のアニメや映画に音楽、そして刀や招き猫までありとあらゆる日本グッズが並んでいる。

昨日見たコスプレ姿の人々はもちろんこういった店で、
日本のアニメのコスプレを楽しんでいるようで、
そういう店が入ったビルにはたくさんのアキバ系ブラジル人が溢れている。
この人達が日本のコミケなんていった時にはどうなるのだろう。
サンバの国ブラジルとアニメの国ニッポンの融合。なんだか想像もつかない。

この町を歩いているとなんだか「のんき」だなぁ。と思う。

そうだ日本と言う国は「のんき」な国なのだ。
世界が戦争をしていたって、日本製品がバッシングにあっていたって、
日本国内ではそんな雰囲気はほとんど感じることがない。
経済紙がどんなに暗いニュースを流したところで実際のところは
ただ、のほほーんとした空気が流れている。

僕はこの「のんき」さが嫌いではない。
世界を旅してきていま本当にそう思う。

「のんき」なんていう間抜けな言葉がぴったりと来る日本と言う国。
それはなんていい国なんだろう。

知らないうちに騙されようがアメリカの手先になろうが、
なんだかんだ言って僕らが幸せに暮らしていけるならそれでいいじゃないか。
そんな鈍感さも時には必要なときもある。

どんな殺伐とした世の中でも、
芸能人のゴシップがトップニュースになる日本と言う国が僕は大好きだ。
この町に溢れる招き猫の間抜けな姿を見てそう思った。



そういえばこの地域は一昔前までは「日本人街」だったそうだ。
それが中国人や韓国人の進出によって最近になって「東洋人街」へと名前を変えた。

街を回ってみると確かに中華系らしきお店が多いように見える。

日本のアニメのコピー商品などを扱っているのも中華系のお店で、
怪しげな日本グッズが町中のいたるところに並んでいる。

町はすっかり日本文化をネタにした中国人の商売エリアとなっているようで、
さすが中国人というしかない。

中国人の経営するお店に刀や招き猫が売っている姿は異様ではあるが、
ブラジル人はそんなことは気づきもしないだろう。
そう言えば海外では「中華レストラン」のメニューに寿司がある。
それもまた中国ならではのむちゃくちゃな商売スタイルの表れかもしれない。

そんなことを言っていても現実は商売が先に立ち、
中国人が日本をネタにして商売をしているのを止められはしないだろう。

まぁ、そのおかげで日本人である僕もまた
違法コピーのジブリシリーズを手に入れられたのだから文句は言えない。
中国と言う国はいろんな意味で面白い。
そしてやっぱり日本という国民性はどへ行っても「のんき」だ。



サンパウロの東洋人街はもちろん街の一角であり、
サンパウロはもっと大きなほぼ東京と同じぐらいの規模がある。

来てみて驚いたが高層ビルがバンバンと立ち並ぶその姿は、
驚いていたリオの街の数倍はある。さすがブラジル最大の商業都市である。

東洋人街めぐりを一先ず終えた僕はカメラ探しに出かけたマサミと別れ、
土曜日は無料ということで美術館めぐりをすることにした。





まずはアート美術館。
と、観光案内所お勧めのサンパウロ現代美術館に入ってみたが。

んーいまいち。

なんだか下手なヨーロッパ現代アートの模造品のようで、
いまいち心に刺さる作品がない。

仕方なくさらりと館内を歩き、次のお勧めのポルトガル~なんちゃら博物館へと向かう。



レンガ造りの美しいLuz駅構内に作られた博物館には、
なんだか現代的な作りのディスプレイやらなんやらが所狭しと並べられている。

なんの博物館?

と最初はまったくここの内容を知っていなかった。
単に観光案内所に薦められたから来てみたという感じだ。

入ってみればわかるだろうと、実際入ってみたが、
これがまた何の展示なのかがまったくわからない。

なにやらポルトガル語の文字がたくさん並んでいるが、
結局のところそれが読めないのでまったくわからない。

どんどん奥に入るもやっぱりポルトガル語のため、ぜんぜん理解不能だ。


なんだここ????


そう思いもう一度、観光案内所で渡された地図を見る。

ポルトガル・・・らんぐぇーじ・・・みゅずも??
らんぐぇーじ。。らんぐぇーじ・・・ランゲージ?

ポルトガル語博物館!?


わかるかいっ!!こんなもん!

そもそもこの博物館の趣旨がなんだかはわからないが、
ポルトガル語をポルトガル語で説明されても外国人がわかるわけないのだ。
なぜそれを薦める!愛想の良い観光案内所!

気付いてしまうとなんだか笑えてきて、
そのCGや大型ディスプレイを駆使した、たぶん解れば素敵な博物館を、
意味も解らないままともかく全展示を見ることに努力した。



2つの美術館めぐりが終わると、
午後3時を回っており日は少し傾き始めていた。


あーぁ。。。欲求不満!!

二つも美術館をめぐったのになんだこの物足りなさは。
もうひとつ行くか?そう思うも日が暮れしまう危険性もある。
さすがに夜のサンパウロを一人でうろつくほど愚かではない。
無料ではないが、素直にサンパウロ美術館に行っていればよかったかもしれない。

歩いて10分ほどの距離に
ブラジルの宗教関連の美術品を扱う小さな美術館があり気になってはいるが、
どうしたものか。。。

しかしこの欲求不満は・・・。

よし行っちゃえ!



さすがに2つも巡って収穫ゼロではお腹がなって仕方ないので、
勢いでもう1つの美術館を回ってみることにした。


宗教美術館はとても小さな美術館で地元の人が集まる教会に併設されている。

その小さな教会の脇で人のよさそうなおばちゃんがチケットを切っている。
なぜかやたらと荷物に気を付けなさいというおばちゃんと笑顔を交わし、
やたらとかわいい日本語が話せない日系人女性に案内されて館内へと入った。


この博物館に展示されているキリストやマリアの像は木で出来ている。

そのユニークな木像はどこの国でも見たことのない表情をしていて、
ブラジルに住む原住民が築き上げたオリジナルな宗教観を表している。

木で出来た像や台座はどれもユニークで面白く、
もやもやしていた今日一日の美術館へのうっぷんが一気に吹き飛んだ。

ヨーロッパから持ち込まれたキリスト教をこうやって当時の人々は愛していったのだ。
その黒ずんだ木像の数々に僕は何百年前から続く思いを知った。



すっかり満足した僕は宿へと戻る。

「じゃーん」と待ち構えていたマサミが取り出したのは、
盗まれたものと同系でしかも同じ色のカメラで彼女は満足げに微笑んだ。

これで万事快調。

と、宿を出ようとすると宿の女将さんがちょうど出てきたところだった。


昨日の夜、「あの女将さんもいろんな人生を歩いてきたんだよね」
と二人で話し合っていたところだ。

ちょうど、暇をしてそうだったので思い切って彼女の人生を聞いてみることにした。



もう50年以上も前のこと。

彼女の父親はブラジルの地に未来を求めて渡ってきたそうだ。
最初は出稼ぎのつもりだった父は2人の子供と妻を日本に残してきたのだが、
ブラジルでの仕事が軌道に乗り始めると一度日本に戻り、
女将さん達家族を連れてブラジルへとまた渡ったそうだ。
その時、女将さんはまだ10代も半ば。
そんな若い年で人生は大きく変わったのだ。

日本を出発した船は1ヶ月以上の時間をかけてブラジルへとたどり着いたそうだ。
1ヶ月の船旅。これだけ旅をしてきた僕でも想像がつかない。
しかも当時はまだ航海技術も今ほどに発達していなかったはずだ。
それは命を懸けた旅とも言ってもいい人生をかけた旅だったのだと思う。

ブラジルに着いてからは、最初は工場の工員として働いていた父が、
いくばくかの資金を貯めて工場の経営を始め、
後に輸入業などの手を広げ今はビルごとホテルを経営するほどになったと言う。

言葉も何もわからなかった50年以上も前。

いまこうして彼女はここにいる。

僕らに語ることのなかったたくさんの苦い経験も多くあっただろう。
それでもこの物語を語り終えた彼女は僕らに向けて温かく笑っていた。

僕らは彼女にありがとう。と、お礼を言いまだ賑わう夜の町へと出かけた。



ふと思う。

この、すれ違う僕らと同じ顔を持つ人々にもまた彼女と同じ物語があるのかもしれない。


それはどこに行っても同じことか。

そんな単純なことに気付いた。

どんな平凡な人生だとしてもそれはその人にとっては大きなドラマなのだ。
街中いたるところにいくつものドラマがあり人がいた。


そうだ僕はいま物語りの中にいる。


ハッピーエンドじゃなくてもかまいやしない。
今このシーンを笑えれば良い。


いつか命が途切れるまで。監督のいない物語は続いていく。

2009年2月27日金曜日

世界一周(37)ブラジル/素晴らしきニッポン







DATE:2009/02/27 Brazil - Sao Paulo -


リオの街も今日でお別れとなるとやっぱり心寂しくもなる。


毎日のように通っていたパン屋の絶品クリームソース入り揚げパンを頬張る。
これが最後だと思うとなんとも愛おしい。


僕が見た奇跡のようなお祭りから既に5日も過ぎていた。
街の雰囲気もすっかりお祭りから解き放たれて、何事もなかったかのように動き出している。

ただ僕は知っている。

1年後、この街がまた七色のエネルギーで満たされるのを。

サンキュー、カーニバルの街!また来るからね!




乗り込んだサンパウロ行きのバスはあまりにも快適で、
これで何段階かあるバスのクラスの内で中ぐらいだというのは信じられないほどだ。

ブラジルの移動は高いと聞いていたが、これだけ快適ならば仕方がない。
完璧に舗装された道路がこの国の文化レベルの高さも物語っていた。


リオの街を出発したバスは延々と田舎道を走っていく。
まだリオの街しかしらない僕は少しずつブラジルという国を理解していった。


何時間走っても変わることのない景色。
広大な本当に広大な土地がブラジルにはあった。

そこに流れる豊かな川の流れや多い茂る草木たちは、
アマゾンに代表されるようにブラジルに多くの恵みを与えていることがわかる。

もちろん多くの人はリオのような大都市に暮らしているのだろうが、
きっとこんな自然の中で暮らす人々は、まったく違った空気をまとっているのだろう。

広い野原のような農地の中にぽつり、ぽつりと立ち並ぶ家。
こんな場所で暮らす人々はどんな人なのだろう。

ブラジルとひと括りにしても、いくつもの生活があるのだ。

あの多種多様な人々が暮らすエネルギーに満ち溢れた、
リオの少し危険の匂いがする街並みを思い出して今目の前に広がる車窓からの景色に、
この国が持ついくつもの文化を思った。



6時間ほどバスは自然の中を走りぬけついに第二の都市、サンパウロへとたどり着いた。

この街の目的はもちろん

「東洋人街」だ。


噂に名高い日系人が多く暮らす東洋人街がこの街にはある。

やたらとフレンドリーな観光案内所のおばちゃん?に、
サンパウロの地図とさらには個人のメールアドレスまで教えてもらってから、
東洋人街があるリベルダージへと向かった。



バスターミナルから地下鉄を乗り継ぐとそこはすぐにリベルタージの駅だ。
中々に快適な地下鉄を抜けると、のっけからそこが異常な雰囲気の漂う場所であることがわかる。


コスプレ!?

ブラジルでコスプレ!?
なんと駅の改札にはアニメのキャラクターのコスプレらしき姿がちらほら見えるのだ。
こんなところ秋葉原ぐらいしかないと思っていたが、なんとも世界は広い。

その面白すぎる幕開けに地下鉄の階段を登りきると。。。


・・・なんだあの鳥居みたいな電灯は。。

やってきました「THE 東洋人街」。
さすが世界に名だたるアジアンタウンだけあってその姿も異様や異様。

世界を旅して初めてスシレストラン以外の日本の姿を見た。
しかしまぁ、鳥居とは。こんなの日本にもねーよ。と面白すぎる幕開けに思わず笑う。



ともかくまずは宿探しと、調べていた情報を元に宿を目指すと。。


「いらっしゃいませ!」

キター!いらっしゃいませ!

なんとホテルのオーナーは日系2世の女性。
久しぶりの日本語での接客に思わず笑みがこぼれる。



街を歩けば日本食があふれ、スーパーに入ればなんとお茶漬けまで手に入る。
日本よりも充実しているのではないかと思われる日本食材。
ホテルにキッチンがないのが残念でならない。



そして、もちろんこの街で食べるのは「らーめん」

世界中、どこへ行ってもこのラーメンだけは美味しいものに出会うことが出来ない。
ここが唯一、ラーメンへの期待が持てる場所なのだ。


いらっしゃい!の声でカウンターに座るとさっそくラーメンとついでに餃子を注文。
数分も経つと湯気が香るラーメンが。。これは期待できる!!

いただきます!

と、久々の割り箸をぽきりと割ってずるずるっとラーメンをすする。


うま・・・い、かな。。。いや・・・普通かな。


無念。いくら日系人が多いこの街とは言えおいしいラーメンとはめぐり合えはしなかった。
まぁ、まずくはないけどね。

期待ほどではなかったが久々のラーメンに舌鼓を打ち、
ビールを飲みながらギョウザを待つ。。が来ない。

ビールにはギョウザだろう。の夢も空しく、ギョウザが来ない。

それに気づいたらしき日本人のオーナーが謝りながら直ぐに作ってくれる。
遅れたら謝る。こんな普通の対応がものすごくうれしい。


と、おなかも満足し店を出ようとお勘定をしようとしたところ。

「さっきのギョウザは遅れてしまったので御代は要りません」


・・・ここは日本だ。あめーじんぐだ。

日本ならば当たり前とも言えるこの対応に、なんだかひどく感動してしまう。

なんて素晴らしい国なんだニッポン。
いまなら貴方の素晴らしさがよくわかる!



やってきました世界唯一の日本の飛び地、サンパウロ東洋人街!


この街は面白すぎる!!!

2009年2月26日木曜日

世界一周(37)ブラジル/ダラダラは疲れるものなり







DATE:2009/02/26 Brazil - Rio de Janeiro -


やっぱ行くのやーめた。


今日のサンパウロ行きを目覚めたとたんに取りやめた。

いつもだったら予定はきっちり守る性質なのだが、
リオのカーニバルという最大の目的が終わってしまったからか、
それともリオでのんびりし過ぎたからか、
ともかく「メンドクサイモード」に突入してしまった心を動かすだけの力が今日はなかったようだ。

と言ってもリオでやることはやり尽くしてしまったため、
特にやることもなく、ただのんびりと、と言うよりもダラダラと一日を過ごした。
やったことと言えばビールをたらふく飲んだことと、少しばかりの日記を書き足したことぐらいだ。


1日もダラダラと過ごしているとなんだか疲れてしまい、
やっぱりこう慣れないものはするんじゃないな、と思った。

目的もなくただ一日を過ごすのは自分には中々にストレスフルな事なのだ。
難儀な体質だがやっぱり何か動いていないと居心地が悪い。

「なにもしない」ことをすることは出来るのだが、
「なにもすることがない」ことには耐えられない。


人生は短い。
そしてやりたい事はいくらでもある。

昔、40歳まででいいやと思っていた人生もこの分だとずいぶん長くかかるみたいだ。


タイムマシンがあれば。

僕はきっと過去に戻るだろう。
過去をやり直すためではなく、新しい別の未来を楽しむために。



祭りは終わった。さぁ、旅立ちの時。

2009年2月25日水曜日

世界一周(37)ブラジル/祭りの跡に







DATE:2009/02/25 Brazil - Rio de Janeiro -


祭りから一夜明け、一日目。

街は一気に平常心を取り戻したようで、
昨日散らばっていたゴミはいつの間にかきれいに姿を消していた。

これぞ宴の後。

それを感じるのには見事過ぎる変わりっぷりだ。
ただし店の店員だけはまだ祭りの夢から抜け切れないのか、
店番をしたままぐーすかと眠りこけている人もいる。
いくつかの店は閉まったままで、午後遅くになりようやくシャッターを上げ始めた。

いつもの毎日がまた始まり始めた。



そんな祭りの後の街。

僕らもまた現実へと急激に引き戻されていった。

現実問題として相方のカメラがなくなったのは事実であり、
生粋の写真狂である僕らにとってそれは中々にきつい現実であった。


という訳で本当は今日、リオの街を出る予定だったのだが、
一日延期をしてカメラ探しと盗難証明を作りに警察へと行くことにした。


この買い物という奴が意外に日本の常識が通じないことは意外と知られていない。

特に日用品や電化製品などを買おうと考えたらば、
まずその土地それぞれの常識を知ることからはじめなくてはならないのだ。

そう、どこで何が売っているということの常識が、
その国それぞれに違いがあり日本の常識で考えてもまったく見つからない事が多いのだ。

例えば日本でシャンプーなどの生活用品を買おうと思えば、
マツキヨのようなドラッグストアに行くかスーパーに行けば良いだろうが、
そもそもドラッグストアやスーパーなんてものがない国は多いし、
駄菓子屋みたいなお店のとんでもない所に置かれている事もしばしばある。

そういえば洗顔フォームを探してここ数ヶ月、
中東、ヨーロッパ、ブラジルを旅してきたがついぞ見つからず、
結局、これらの国に洗顔フォームはないという結論に至り最近は石鹸を使っている。
ヨーロッパでさえもこんな調子なので南米とくれば、推して知るという奴だ。



そしてこの電化製品という奴もまた中々厄介で、
日本と同じレベルの製品を買おうと思えばいくつものお店を渡り歩かなければならない。

日本で言うビックカメラやヤマダ電機など大型家電ショップは、
世界のどこでも見たことがないので、小さな店を一軒一軒しらみつぶしに見る必要がある。

それは秋葉原でのお買い物に似ているが、
残念ながら秋葉原のようにお店が集まった地域があることも少ないので、
町中を駆け巡るように家電屋を回ることになるのだ。


そんなわけでブラジルでのカメラ探しも中々に大変である。

何でも良ければすぐには見つかるが、
やっぱり写真好きとしては気に入ったカメラを買いたいと思うのは仕方ない。

運良く大きな町とあってさすがに家電ショップの集まる地域はあったが、
それでも100近くの屋台のような店を全て見て回る必要がある。

もちろんご他聞に漏れず値段などあってないような物なので、
もともと表示されていない価格を聞くことからはじめ、値段交渉まで全ての店で行うのだ。

とは言え泣き言を言っていても仕方がないので、
一軒一軒店をちらりとのぞき、まるでスカウターをつけているがごとく、
その店の商品を品定めして気に入った商品があれば値段を聞くという作業を延々と続けた。

後半になってくるともうめんどくさくなり、
暑いねーと現実逃避をしながらジュースやらアイスやらを30分毎に補給して、
もうなんかめんどくさい、とお互いにあきらめモードで帰宅した。


そう、目的の機種がないのだ。


いや、あるにはあるが色がまた微妙なのと値段が日本の二倍もするとの事で、
このまま諦めてそれにするか、また次の街サンパウロに望みをかけるかを選ばなくてはならない。

次の街、サンパウロは東洋人街もあるほどの日系人が多い街なので、
望みは高いとも言えるが、もしなかった場合はリオまでまた戻らなくてはならない。

結局、どうするかを決めきれず明日に持ち越しになった。



さて、もうひとつやらなくてはならない警察での盗難証明作り。

これもリオの街はなぜかめんどくさい。

警察などどこにでもあるはずなのに、
中心街の警察に聞くと

「イパネマで盗まれたのならば、イパネマに行かなくてはならない」

という意味のわからない理屈で行きたくもないイパネマに、
もう一度戻らなくてはならないようだ。

リオにもやっぱり管轄とか所轄の問題があるのかと思うと、
なんだか面白くもあったが、実際のところはただメンドクサイだけだった。


しかもそれがわかったのは午後5時を回ってから。
いまイパネマに向かえば確実に夜になり、強盗の恐れのある街を歩かなければならないのだ。

警察に行って強盗に会いました。

なんて洒落にならない現実が今ここにある。

仕方なく宿に戻り最低限のお金と荷物を持って、
カメラや携帯もろもろいつも持ち歩いている貴重品は宿に置いてイパネマへと出かける。


イパネマの警察署はこれまた良くわからないところにある。
ちなみにリオの観光案内所もコパカバーナのビーチから遠く離れた変なところにあり、
なんだかこの街は観光地であるはずなのにチグハグな所が多い。

セントロの警察官に教えてもらったイパネマの警察署への行き方を頼りにバスに乗り、
指示された場所でバスから降りると、案の定真っ暗な人通りの少ない場所。

やばいここは明らかに危険だ。そう肌で感じる。

ここは道を間違えるなんてもってのほか。一歩間違えば死に通じる。
でも警察署の近くで強盗に会うってなんだ?街中にだけじゃなく、
ここにも一人ぐらい警備員を置けよ、と悪態をつきながら現在地を確認し夜の街へと一歩踏み出した。


そういえば祭り中、以外で夜の街を歩いたのは初めてだ。

比較的、富裕層が多いというイパネマであっても、
ブラジルはブラジルであるらしく、これほどまでの危険を感じるとは思ってもいなかった。

角を曲がる度に一呼吸置きあたりを確かめ、
時たま後ろを振り返りながら僕らは一路警察署へと向かった。


無事にたどり着いた警察署は煌々と明かりが点り、
冷えすぎなぐらいクーラーが効いている明るい小さなオフィスだった。

既に何人かが事情聴取のようなものを受けているようで、
リオの街は噂に違わず危険であることがわかる。

名前と事件の内容を記入する用紙を渡され、
いくつもの記入事項に盗難の詳細事項を書き込んで自分たちの番が来るのを待った。


その間にも警察署にはひっきりなしに被害者が訪れる。

顔を青ざめて登場した被害者たちは涙を必死にこらえながら、
身の上におきた出来事を担当官に興奮気味に伝えようとする。

この時間に訪れる多くは強盗に会ったという人々ばかりで、
担当官に手渡された容疑者リストの顔写真を真剣に1ページづつめくっていた。

恐らくは前科があるという理由で作られた容疑者リストは100ページ近くにも及んでいて、
やはりこの街の裏側には多くの事件が起きているようだった。


それを見れば自分たちに起こったことなど高が知れている、なんて気分になるわけでもないが、
ともかく僕らは1時間ほど待たされて詳しい事情聴取をされただけで、
無事に盗難証明を受け取ることができた。



先ほど来た薄暗い道を戻りバスに乗り込むと、
昨日までとは打って変わって音のしない街をバスは走り宿へ向かって戻った。


祭りは終わった。

サンバのリズムに変わって鳴り響くクラクションの音が祭りの終わりを告げていた。


祭りの跡に取り残されたように僕らはバスから降りて人通りの少ない路上に立った。

2009年2月24日火曜日

世界一周(37)ブラジル/踊る阿呆どもがいま笑う












DATE:2009/02/24 Brazil - Rio de Janeiro -


まだまだお祭りは続いているが今日はイパネマ海岸でのんびり、と決めた。

昨日ゆっくり休んだおかげで体調は万全、
フルチャージで南米屈指のビーチへと望む。


街に出ればまだお祭りモードは続いてはいるが、
一応は今日で全てのイベントが終了し明日からは通常の街へと姿を変えるはずだ。
しかし、この街にあふれるムードはいまだ火照りを冷ましていない。

既に冷め始めた僕のお祭り魂が
昨日行われたはずのサンボドロモのカーニバル二日目を
せめてテレビで見ればよかったと、ほんの少しだけ悔しがっている。


ま、それはそれとして。
今日はビーチでのんびりだ。
イパネマ海岸へと向かうバスへと二人で勢い良く乗り込んだ。


イパネマ海岸は知らなくても、
ボサノバの名曲「イパネマの娘」は知っている人は多いと思う。

そしてそのイパネマとはこの場所のことであり、
つまりイパネマの娘とはビーチで遊ぶピチピチギャルのことである(と思う)

この曲を作ったアントニオ・カルロス・ジョビンが何を考えていたのかは知らないが、
イパネマ海岸はコパカバーナに比べて少し高級な雰囲気が漂っていて、
街に並ぶお店もまたお洒落なお店が多い。

つい久しぶりのイケテルお店に興奮しウィンドーショッピングが長くなる。
ビーチそっちのけで街歩きを楽しみ、
やっとの事で今日の目的を思い出し、ワインとおつまみを買ってビーチへ出かけた。


ちょっとビーチに行く前にトイレへ。と、近くのハンバーガ屋でトイレを借りた。
二人とも用を終えて、さてビーチへと向かった時のことだ。


「あれ?カメラ忘れた」とマサミが言う。

きっとトイレに忘れてきたのだろうと、
いま出たお店へと引き返した。


そしてカメラは既に持ち去られた後であった。


マジ?と一瞬の出来事に戸惑う。
お店を出たのはほんの1分も前だ。それなのに。。

お店の店員も一緒に探してくれたがやはりないものはない。
置き忘れた荷物が無事に残っているのなんて日本ぐらいのものだ。
マサミの後に現地人らしいおばさんが入ったとの事だが、既にも抜けの空だった。
やはりブラジルはブラジルだった。


ビーチモードだった二人のテンションも急降下。
しかもそのカメラはスペインで盗まれて、新規で買って1ヶ月もしていないものなのだ。
いくら保険が利くからと言っても、同じカメラは二度と戻ってこない。
運が良かったのは丁度昨日、写真をDVDに焼いていたことで、
失ったのはカメラぐらい、という事だった。

とはいえそんな事実がテンションを上げてくれる訳もなく、
仕方なく僕らはビーチへととぼとぼと向かった。


という訳でビーチに着いてからはいきなり酒乱モード。

「なにがイパネマだ!大嫌いだ!!!」
「持っていった奴!家族全員罰が当たれ!」

と、ワイン片手に暴言を振りまく。
イパネマ娘のお尻やビキニ姿などそっちのけで振りまく。でもちょっと見る。


そんなこんなでワインを開け、ビールを2本ほど飲んだ頃には、
すっかりマサミはビーチに眠りこけ、僕はゆっくりと沈む夕日を眺め、
イパネマ海岸の一日は過ぎていった。



暗くなる前にとイパネマ海岸を出て街に戻り、
最後のお祭りモードを楽しむ街へと飲みなおしに外に出る。


昨日まで大音量が鳴り響いていた会場もいまはすっかり音を潜め、
名残惜しそうに残る街の人たちがビールを片手にうろついているだけだ。

祭りの後の道路はもの凄い量のゴミが溢れ、それもまた物悲しさを演出している。
明日になればきっとこの散らかった祭りの残骸もきれいにされ、
街はいつもの姿へと姿を変えてしまうのだろう。
漂うアルコールの混じった空気の匂いさえも、それが愛おしく思えた。


とはいえまだ街は火を消してはいない。

街の一角では未だ屋台が軒を連ね、ビールが飛ぶように売れる場所もある。

僕らもその中に飛び込んで祭りの匂いを少しでも染み込ませようと、
冷たく冷えたビールを浴びるように飲んだ。

屋台の周りの店からはサンバやらレゲエやら好きかってな音楽が流れる。
もう音さえあれば何でもいい、そんな感じだ。
僕もまたごちゃ混ぜになった音楽の中、自然と体を揺らしている。

レゲエの音に合わせ皆が好き勝手に体を揺らす。
ダンスなのかさえもわからないそのめちゃくちゃな動きは
ものすごいエネルギーとなって僕らの心を躍らせる。

国籍も性別も年齢も地位も無関係に、ただそこには笑顔があった。




祭りは終わった。



それがどうした?

ここにはまだスマイルとセルベージャがある。



踊る阿呆どもがいま笑う。

2009年2月23日月曜日

世界一周(37)ブラジル/ぐーすか











DATE:2009/02/23 Brazil - Rio de Janeiro -


ぐーすか。ぐーすか。ぐーすか。ぐーすか。


以上。今日一日終わり。



それでも祭りの音は鳴り止まない。

2009年2月22日日曜日

世界一周(37)ブラジル/カーニバル!!!!!



























DATE:2009/02/22 Brazil - Rio de Janeiro -


ダンス!ダンス!ダンス!ダンス!!!!!!

サンバのリズムで踊り狂う!
そう、ここはリオ、もちろんここで行われるのはカーニバル!

リオのカーニバル会場サンボドロモには、
たくさんの人があふれ開幕1時間前から関取合戦で大にぎわい。
なんとか席を確保し売り子から買ったビール片手に宴の始まりをわくわくしながら待つ。


会場はすでに超満員。
遅れてきた人は立ち見になり、それでもサンバのリズムに乗りながら、
ステップを踏んでパレードが始まるのを待っている。

サンボドロモはまさに「カーニバル専用の会場」で、
コンクリート製の立派な観客席が300メートルほどの直線の左右に備え付けられている。
左側には野球観戦のような席。
右側にはブースのようなボックス席が備え付けられている。
この直線と観客席だけの会場は、
カーニバル以外には何の役にも立たないであろう代物で、
年一度。この瞬間だけのための祭りの舞台だ。
その辺の祭りにかける情熱がまさに「リオのカーニバル」である。





ドゥン!!!!!!

会場がざわめく。
カーニバル始まりの花火が会場に鳴り響き、
その後に軽快な太鼓のリズムが鳴り渡った。


うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!


会場中がうねるように叫び声をあげる。
宴の始まり。歓喜の叫び。

サンバのリズムに合わせて地元の人たちは、
手渡された歌詞カードの歌をみんなで歌っている。
各チームごとにオリジナルの歌があるようで、
長年慣れ親しんだその歌をみな笑顔で歌い上げていた。

会場の端のほうにはすでにカーニバルの舞台が見えている。
神輿のようなその舞台を囲むようにたくさんのダンサーたちが、
パレードが始まるのをステップを踏みながら待っている。


その数5000人!!!


1チームの参加人数はなんと5000人を超えるのだ。
それがいくつもの舞台を囲むように目の前の直線を踊り歩いていく。

その中にはもちろんイメージにあるような、
セクシーな衣装を身にまとったサンバクイーンが含まれる。

何万人ものサンバクレイジー達が会場の端で今か今かと待ち受けているのだ。

ちなみに今日の参加チームの数は6チーム。
2日に分けて行われるカーニバルの初日。
9時から始まるその宴は、なんと朝5時まで続くのだ。



ふ、と曲調が変わる。

会場がいっきに膨れ上がった!!!

パレードの始まりだ!!!



先頭にはサンバクイーンが堂々とサンバの激しいステップを踏みながら、
ゆっくりと前進してくるのがわかる。
サンバ独特の腰をくねらせるセクシーな仕草が観客を沸かせる。

会場のカメラマンたちはそれを夢中で追いかけ、
クイーンはそれに向かいなまめかしいポーズを見せつけた。

クイーンの後方には何百人もの踊り子たちが、
くるくると絵のようなカラフルな衣装を纏いながら踊っている。
何度も練習しつくされた振り付けを各自楽しそうに振舞っている。

何百人もの踊り子たちの後ろには踊りの舞台。

舞台には選ばれしサンバクレイジー達が上り、
得意のダンスを思う存分に見せ付ける。

舞台は各チームごとに工夫を凝らしていて、
水を撒き散らすものや、電気仕掛けの巨人や昆虫、
宇宙をテーマにしたチームはスタウォーズまであるのだ。
CGのようなリアルさで観客の目を楽しませくれる。
それが1チームで10近くあるのだから、
リオのカーニバルがただの遊びではないことが良くわかる。


どぅっ!!

と観客が一気に沸いた。
何事かと思って前を見ると、
おっぱい丸出しのサンバクイーンが目の前で激しい踊りを見せつけていた。

観客はおっさんも若者も大興奮だ。
これでこそリオのカーニバル!!


1つ目のグループがパレードを終えると、
みなは一斉に座り込み次へと心の準備を始める。

中には熱が覚めやらず立ち尽くしたまま体を揺らす人もいて、
会場内は熱気の渦に巻き込まれいった。


しっかし1グループ約1時間。しかもそれが6グループ。かつ朝まで。
その間立ちっぱなしで踊りっぱなしなのだ。
カーニバルは参加する人だけではなく、
観客でさえも覚悟を持って望まなくてはならない、
耐久パレードなのだ。


なんてことを考えていてもパレードが始まれば
すぐに体は音楽に反応しステップを踏んでしまう。
それがサンバというもので、これがブラジルなのだ。
カーニバルという名を借りた、
ブラジル人の欲求爆発の舞台。それがリオのカーニバルだ。



4度、立って座り、時刻も深夜3時を回ったころ。

会場の雰囲気が一気に変わり始めた。

誰もが期待に胸を膨らませた表情をし始め、
初めての参加者は何が起こるのか戸惑いの表情を見せながら、
会場の雰囲気に同化していく。



「ベイジャ・フロー」



この名前はリオっ子ならば誰でも知っている。
そしてこの会場にいるサンバ好き、祭り好きならば同じくだ。


ベイジャ・フロー。
その生きた伝説のグループはなんとこのリオのカーニバルで、
5年連続優勝の驚くべき実績を持っている。

誰もがその事実を知り、
それを確かめに今日ここにいるといっても過言ではない。
それ程に会場の雰囲気は先ほどまでの4チームの前とは、
明らかに異なる様相を呈していた。




「次のチームは・・・ベイジャ・フロー!!!!!!」


そのアナウンスが流れると、
会場は一気に拍手と歓声に包まれた。
これぞ王者の力なのだろう、試合の前から勝負は決まっているようなものだった。

いつものようにチームの歌を会場全体で歌う。
その声も今までとは何倍も違う。

そしてその歓声の中、王者ベイジャ・フローのパレードは始まった。


これは・・・レベルが違い過ぎる。


誰もが一度見ればわかるだろう。
それほどまでに王者のパレードは堂々と華やかさに満ちている。


何千人もの踊り子たちの衣装。
それ一つとっても一人ひとりが豪華で華やかな、
大きな見栄えの良いドレスに身を包み、
パレードの道を埋め尽くすように煌々と舞っている。

その舞台の仕掛けや精巧さも、
まるでSFの舞台監督が作ったもののように、
機械仕掛けの人形の手の動き一つ一つ、
吹き上げられる水と香り、
すべてが完成された舞台で、
他を寄せ付けない圧倒的な美しさを持っていた。

まぁ、冷静に見ればなんとなくお金の匂いがする、
王者の貫禄ではあったのだけれど、
そんなことを差し置いて、
観客全員に「THE リオ」を感じさせるには十分だったと思う。

僕も誰も、全ての人々がそのパレードに熱狂し、
ステップを踏み拍手を送った。


僕はその瞬間、この日本の反対側の狂気の祭りに、
いまここにいる奇跡に驚き、旅に感謝をした。

僕の旅、一日、一日が今日ここにたどり着くための日々だったのかもしれない。




朝、6時。

すっかり白じみ始めた空の下、パレードは終わりを告げた。

早朝まで踊り明かしたにもかかわらず、
人々の表情には笑みがある。

それはきっと僕の顔にも描かれているに違いない。


帰り道、衣装を脱ぎ捨てた踊り子たちが、
パレードの成功を祝し、乾杯を繰り返す。
道端に転がった色とりどりの衣装をよそに、
早朝からの祝賀会は始まりを告げたばかりだ。


サンバ?踊るだけじゃものたらねーぜ。
酒、女、ついでに金もあればいい。

これがブラジルって奴だ。
なにせ明日も明後日もカーニバルは続くのだ。


ダンス!ダンス!ダンス!

浮世のカーニバルは続く。





now, I'm in Brazil !!!!!

2009年2月21日土曜日

世界一周(37)ブラジル/路上のカーニバル















DATE:2009/02/21 Brazil - Rio de Janeiro -


・・・何時だ?いま。

薄くなり始めた光はどうやら夕方の風景のようだった。



寝すぎじゃん。俺。

昨日、カーニバル初日でテンションがあがり過ぎたのか、
結局1時ごろまで踊り続けてしまい、さらにその後にビールを飲んだくれたため、
今日動き出したのはもう夕方になってからだった。

昼ごろに何かを食べに出かけた記憶はあるが、
そのまま直ぐに帰宅しまたビールを飲みながら寝てしまったようだ。
まだ飲みかけのビールの缶がベッドの横のテーブルにぬるま湯のような温度で置かれたていた。


まぁね。祭りだしね。と言い訳じみた言葉を頭の中で繰り返す。
祭りというのはなんとも便利な免罪符のような言葉のようだ。

目が覚めたときから既に街は祭りの続きを始めているようで、
ドン、ドンと腹に響く重低音がさほど遠くない距離から聞こえて来ている。

僕らもそれに遅れてはならぬ、とシャワーを浴び着替えをしてから街へと繰り出した。



昨日同様にゴミが散乱する道を音鳴る方へ歩いていく。

面白いのがゴミの中でも空き缶だけがなくなっている事で、
見渡してみると祭りの中ゴミ拾いに駆け回る人たちがいる。

この人々は普段から空き缶やペットボトルを回収する仕事をしている人で、
どうやら彼らにとってもカーニバルはかき入れ時のようであった。

路上で暮らす彼らのような人々でもカーニバルでは踊る人もいるし、
こうやって仕事をこなす人々もいる。
それでも面白いのが空き缶を拾う人々が音楽に合わせリズムを取っていることで、
たまに仕事そっちのけで空き缶のごっそり入った袋を持ちながらステップを踏んでいたりする。
どんな仕事でもカーニバルの熱には勝てないのかもしれない。



音鳴る方へ。音鳴る方へ。

いつの間にか昨日行ったライブ会場へとたどり着いてしまったが、
今日はさらに奥の方からも音が聞こえてくる。

寝起きでほとんど何も食べていなかったこともあり、
食料探索がてらそちらの方へ向かっていくと。。。


路上パレード!!

向こうの方からずらりと並んだ大群がこちらの方へ押し寄せてくるのが見える。
その後方からは音楽が鳴り響き、4車線ある車道は全て彼らで埋め尽くされていた。

パレードと言うよりはなんだかデモ行進のようだが、
それでも参加者は思い思いに楽しみながら歩いている。

僕らは露天で買ったおいしい肉の串焼きを片手にそれを見送る。

観光客達はパレードの列に後ろから付いていく者もあれば、
思い思いにぶらぶらと道を歩いている人もいる。

その姿は昨日よりもさらにグレードアップしていて、ほとんど仮装大賞。

ネコキャラもいれば、仮面舞踏会のような人もいるし、
中にはダンボールで作ったテレビカメラを担いでレポーター気取りの奴もいる。

パレードの参加者も見物人もみながみなそれぞれに祭りを楽しんでいるのだ。


ライブ会場で踊ってくるというマサミと別行動をとり、
僕はそのままパレードの行列を奥に奥に進んでいく。

どうやら町内対抗のようなこの路上パレードはいくつものチームが次々とやってくるようだ。

パレードの切れ目には見物人がうろうろと歩き、
さらにその奥の方からは別のパレードのグループがゆっくりと向かってくる。


しかしこのパレード。

本当に無料の路上パレードなのかといった気合の入り様。

各チームそれぞれにオレンジや青、白や金といった色とりどりの衣装を身にまとい、
まるで写真で見たリオのパレードのように本物顔負けの装いなのである。

さらに衣装以外にも本物同様に大きな山車が路上をパレードし、
10人以上の踊り子がその舞台の上で観客に踊りを振りまいている。


100人ほどの同じ衣装を着た踊り子達の真ん中には、
羽飾りや大きな旗を持った特別な衣装に身を包んだクイーンやキングが踊り歩く。

サンバクイーンの衣装はもちろん露出度が高いセクシーな衣装で、
さらにさすがにサンバクイーンと言うだけあって綺麗な女性が
高いヒールを履きながらサンバを踊っている。

周りを飾る踊り子の衣装もまたセクシーなもので、
それがなんと小学生ぐらいの子供でさえも着こなしているのだから凄い。
これを小さいころからやっていれば、そりゃ街中を露出度全開で歩く訳だ。

衣装はそれぞれ独自のセルフオーダーのようで、
セクシーを通り越してたまに乳首が見えちゃってる人もいるが、
それは・・・やっぱサービスとしてありがたく受け取っておこう。


踊り子達の人種はさすがブラジル、本当にさまざまだ。
黒人の文化とキリスト教の儀式が結びついて始まったというカーニバルは、
全てのカラーを巻き込んでいまここで1つになっている。

街の人、全員参加といった勢いのパレードは何百メートルも続き、
さらにその奥には待機中のグループが何組もいるのだから路上パレードといっても相当のものだ。
まっすぐな道を練り歩く人たちの笑顔は忘れることの出来ない南米の最初の記念碑となった。



僕はいま興奮の中にいる。
それは僕だけではなくここにいる全ての人が共有する1つの心だった。

踊るアホウに見るアホウ。

そんなこと言わなくてもわかっている。ここに来ればそれがわかるさ。
ほら勝手に体が動くだろ。


果てしなく続くように見えるパレードが世界の全てだった。僕はその中にいた。





そんな夜にもまた、別の物語が続いている。


「ねぇ、テッチャン。わたし、強盗に会った。拳銃見た」

おぃ。おぃ。

合流したマサミが告げたひと言は、ふざけているようだったが本当のようだった。
幸い運良く一緒に居たというブラジル人が助けてくれたようで、
被害は特になかったようだ。


ブラジル。リオの街はカーニバルでも甘くはねーぜって事だ。
浮かれる街の夜の闇ではまた別の世界があるみたいだ。

僕は「ばか」と言い、そっとマサミの頭をなでた。





光が強ければ強いほど、闇もまたその濃さを増す。

僕はいま、リオ・デ・ジャネイロの街にいる。