2009年2月28日土曜日

世界一周(37)ブラジル/それぞれの物語











DATE:2009/02/28 Brazil - Sao Paulo -


マルコメ君に永谷園。
ぬか漬けに梅干、手巻き寿司。そして極めつけは水戸納豆。
駄菓子なんかも揃っているのが心憎い。
ついでになぜかラジオ体操の像なんてのもあっちゃったりして。


やっぱり東洋人街の街歩きはめちゃくちゃに楽しい。

日本食材というと全て日本から輸入しているかのように思えるが、
それが結構ブラジル現地で作っているものも多いのだ。
梅干や醤油なんかは現地生産のものが安い。
味の保障は出来ないが、日本の食材をブラジルで作っているという事実がなんとなく面白い。

この地域には食品だけでなく、
日本のアニメや映画に音楽、そして刀や招き猫までありとあらゆる日本グッズが並んでいる。

昨日見たコスプレ姿の人々はもちろんこういった店で、
日本のアニメのコスプレを楽しんでいるようで、
そういう店が入ったビルにはたくさんのアキバ系ブラジル人が溢れている。
この人達が日本のコミケなんていった時にはどうなるのだろう。
サンバの国ブラジルとアニメの国ニッポンの融合。なんだか想像もつかない。

この町を歩いているとなんだか「のんき」だなぁ。と思う。

そうだ日本と言う国は「のんき」な国なのだ。
世界が戦争をしていたって、日本製品がバッシングにあっていたって、
日本国内ではそんな雰囲気はほとんど感じることがない。
経済紙がどんなに暗いニュースを流したところで実際のところは
ただ、のほほーんとした空気が流れている。

僕はこの「のんき」さが嫌いではない。
世界を旅してきていま本当にそう思う。

「のんき」なんていう間抜けな言葉がぴったりと来る日本と言う国。
それはなんていい国なんだろう。

知らないうちに騙されようがアメリカの手先になろうが、
なんだかんだ言って僕らが幸せに暮らしていけるならそれでいいじゃないか。
そんな鈍感さも時には必要なときもある。

どんな殺伐とした世の中でも、
芸能人のゴシップがトップニュースになる日本と言う国が僕は大好きだ。
この町に溢れる招き猫の間抜けな姿を見てそう思った。



そういえばこの地域は一昔前までは「日本人街」だったそうだ。
それが中国人や韓国人の進出によって最近になって「東洋人街」へと名前を変えた。

街を回ってみると確かに中華系らしきお店が多いように見える。

日本のアニメのコピー商品などを扱っているのも中華系のお店で、
怪しげな日本グッズが町中のいたるところに並んでいる。

町はすっかり日本文化をネタにした中国人の商売エリアとなっているようで、
さすが中国人というしかない。

中国人の経営するお店に刀や招き猫が売っている姿は異様ではあるが、
ブラジル人はそんなことは気づきもしないだろう。
そう言えば海外では「中華レストラン」のメニューに寿司がある。
それもまた中国ならではのむちゃくちゃな商売スタイルの表れかもしれない。

そんなことを言っていても現実は商売が先に立ち、
中国人が日本をネタにして商売をしているのを止められはしないだろう。

まぁ、そのおかげで日本人である僕もまた
違法コピーのジブリシリーズを手に入れられたのだから文句は言えない。
中国と言う国はいろんな意味で面白い。
そしてやっぱり日本という国民性はどへ行っても「のんき」だ。



サンパウロの東洋人街はもちろん街の一角であり、
サンパウロはもっと大きなほぼ東京と同じぐらいの規模がある。

来てみて驚いたが高層ビルがバンバンと立ち並ぶその姿は、
驚いていたリオの街の数倍はある。さすがブラジル最大の商業都市である。

東洋人街めぐりを一先ず終えた僕はカメラ探しに出かけたマサミと別れ、
土曜日は無料ということで美術館めぐりをすることにした。





まずはアート美術館。
と、観光案内所お勧めのサンパウロ現代美術館に入ってみたが。

んーいまいち。

なんだか下手なヨーロッパ現代アートの模造品のようで、
いまいち心に刺さる作品がない。

仕方なくさらりと館内を歩き、次のお勧めのポルトガル~なんちゃら博物館へと向かう。



レンガ造りの美しいLuz駅構内に作られた博物館には、
なんだか現代的な作りのディスプレイやらなんやらが所狭しと並べられている。

なんの博物館?

と最初はまったくここの内容を知っていなかった。
単に観光案内所に薦められたから来てみたという感じだ。

入ってみればわかるだろうと、実際入ってみたが、
これがまた何の展示なのかがまったくわからない。

なにやらポルトガル語の文字がたくさん並んでいるが、
結局のところそれが読めないのでまったくわからない。

どんどん奥に入るもやっぱりポルトガル語のため、ぜんぜん理解不能だ。


なんだここ????


そう思いもう一度、観光案内所で渡された地図を見る。

ポルトガル・・・らんぐぇーじ・・・みゅずも??
らんぐぇーじ。。らんぐぇーじ・・・ランゲージ?

ポルトガル語博物館!?


わかるかいっ!!こんなもん!

そもそもこの博物館の趣旨がなんだかはわからないが、
ポルトガル語をポルトガル語で説明されても外国人がわかるわけないのだ。
なぜそれを薦める!愛想の良い観光案内所!

気付いてしまうとなんだか笑えてきて、
そのCGや大型ディスプレイを駆使した、たぶん解れば素敵な博物館を、
意味も解らないままともかく全展示を見ることに努力した。



2つの美術館めぐりが終わると、
午後3時を回っており日は少し傾き始めていた。


あーぁ。。。欲求不満!!

二つも美術館をめぐったのになんだこの物足りなさは。
もうひとつ行くか?そう思うも日が暮れしまう危険性もある。
さすがに夜のサンパウロを一人でうろつくほど愚かではない。
無料ではないが、素直にサンパウロ美術館に行っていればよかったかもしれない。

歩いて10分ほどの距離に
ブラジルの宗教関連の美術品を扱う小さな美術館があり気になってはいるが、
どうしたものか。。。

しかしこの欲求不満は・・・。

よし行っちゃえ!



さすがに2つも巡って収穫ゼロではお腹がなって仕方ないので、
勢いでもう1つの美術館を回ってみることにした。


宗教美術館はとても小さな美術館で地元の人が集まる教会に併設されている。

その小さな教会の脇で人のよさそうなおばちゃんがチケットを切っている。
なぜかやたらと荷物に気を付けなさいというおばちゃんと笑顔を交わし、
やたらとかわいい日本語が話せない日系人女性に案内されて館内へと入った。


この博物館に展示されているキリストやマリアの像は木で出来ている。

そのユニークな木像はどこの国でも見たことのない表情をしていて、
ブラジルに住む原住民が築き上げたオリジナルな宗教観を表している。

木で出来た像や台座はどれもユニークで面白く、
もやもやしていた今日一日の美術館へのうっぷんが一気に吹き飛んだ。

ヨーロッパから持ち込まれたキリスト教をこうやって当時の人々は愛していったのだ。
その黒ずんだ木像の数々に僕は何百年前から続く思いを知った。



すっかり満足した僕は宿へと戻る。

「じゃーん」と待ち構えていたマサミが取り出したのは、
盗まれたものと同系でしかも同じ色のカメラで彼女は満足げに微笑んだ。

これで万事快調。

と、宿を出ようとすると宿の女将さんがちょうど出てきたところだった。


昨日の夜、「あの女将さんもいろんな人生を歩いてきたんだよね」
と二人で話し合っていたところだ。

ちょうど、暇をしてそうだったので思い切って彼女の人生を聞いてみることにした。



もう50年以上も前のこと。

彼女の父親はブラジルの地に未来を求めて渡ってきたそうだ。
最初は出稼ぎのつもりだった父は2人の子供と妻を日本に残してきたのだが、
ブラジルでの仕事が軌道に乗り始めると一度日本に戻り、
女将さん達家族を連れてブラジルへとまた渡ったそうだ。
その時、女将さんはまだ10代も半ば。
そんな若い年で人生は大きく変わったのだ。

日本を出発した船は1ヶ月以上の時間をかけてブラジルへとたどり着いたそうだ。
1ヶ月の船旅。これだけ旅をしてきた僕でも想像がつかない。
しかも当時はまだ航海技術も今ほどに発達していなかったはずだ。
それは命を懸けた旅とも言ってもいい人生をかけた旅だったのだと思う。

ブラジルに着いてからは、最初は工場の工員として働いていた父が、
いくばくかの資金を貯めて工場の経営を始め、
後に輸入業などの手を広げ今はビルごとホテルを経営するほどになったと言う。

言葉も何もわからなかった50年以上も前。

いまこうして彼女はここにいる。

僕らに語ることのなかったたくさんの苦い経験も多くあっただろう。
それでもこの物語を語り終えた彼女は僕らに向けて温かく笑っていた。

僕らは彼女にありがとう。と、お礼を言いまだ賑わう夜の町へと出かけた。



ふと思う。

この、すれ違う僕らと同じ顔を持つ人々にもまた彼女と同じ物語があるのかもしれない。


それはどこに行っても同じことか。

そんな単純なことに気付いた。

どんな平凡な人生だとしてもそれはその人にとっては大きなドラマなのだ。
街中いたるところにいくつものドラマがあり人がいた。


そうだ僕はいま物語りの中にいる。


ハッピーエンドじゃなくてもかまいやしない。
今このシーンを笑えれば良い。


いつか命が途切れるまで。監督のいない物語は続いていく。

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