2009年7月7日火曜日

世界一周(45)コロンビア/変わり行く流れの中で











DATE:2009/07/07 Colombia - Bogota -


「うるせぇ、お前がこの値段だと言ったんじゃねーか」

南米最後の日、いつものように料金でごねるタクシードライバーをねじ伏せ、
ボゴタのエアポートへとたどり着いた。

ここからバランキーヤというコロンビア北にある町を経由して、
夜9時にはついに中米パナマへと降り立つ。

南米から中米へ。

5ヶ月近くも続いた南米もついに終わりを迎えた。
当初の予定では3ヶ月程度で南米の旅は終わるはずだったが、
途中パタゴニアを経由し、アマゾンやガラパゴスへと行っているうちに、
ついには2ヶ月あまりも予定を超過していた。

が、それでも十分に満たされた気はしない。
それはどこの国でも大陸でも同じなのだが南米のその広さの為か、
さらに強くそれを感じるのだ。

ブラジルから入り、ボリビア、チリ、そしてアルゼンチンへと抜けた。
パタゴニアから戻りチリのイースター島へと渡った後は、
ボリビアからペルー、エクアドル、コロンビアと北上をした旅だった。

地図の上、通ってきた道をなぞればそれがまだ南米の半分でしかないことに愕然とする。
ブラジルの北部、そしてアルゼンチン北部、ギアナやヴェネズエラ。
そのどれもがまだ未知の土地であり、それは南米の半分を占めていた。



南米に来る前に僕がこの土地に抱いていたイメージはそう多くない。

拳銃がはびこる危険地帯。
ラテンの地を引く情熱的な人々。

言ってみればこの程度でしかなかった。


一度この土地に来ればわかるが、
南米、特に南部のアルゼンチンやチリといった国々は、
かなりの発展をした国々だということがわかる。

整備された道路にそこを走る新しい車。
お洒落な洋服を着こなす人々に、ガラス張りのきれいなレストラン。

そんな都市があちらこちらにある。
アジアと同程度と思い込んでいた僕のイメージは、大きく裏切られた。
南米という土地のイメージがすっかりと入れ替わった感じだ。

しかし北部のペルーやボリビア、エクアドル、コロンビアといった国々は、
南米とはいえアルゼンチンなどの国々とはかなりの差があるように見える。
それらの国々はある意味では僕の思い描いていた南米のイメージそのままで、
文化もまたその土地独自のものばかりだった。

逆に言うと南部の国々は西洋化された都市ばかりで、
南米にいると言うよりも出来損ないのイミテーション、
侵略したヨーロッパの人々が作り上げた偽りの母国の中にいるようだった。

歴史の中に存在するヨーロッパの街並みは美しかったが、
南米の容だけの街並みは、なんだか空虚な思いを抱かせた。
人々もまた都会人であり、ライフスタイルにも驚きを感じさせるものが少ない。
町歩きが好きな僕としては物足りなさを感じる日々だった。


それに比べて北部の街並みはインカの歴史の中にあるものや、
その土地で暮らす人々が長きに渡って作り上げた街並みも多く、
その独自さに、溜まっていた欲求不満もまた解消された。

ボリビアやペルーに生きる先住民の民族衣装姿は美しかったし、
そういった人々が当たり前に闊歩する街並みも人の生の営みを感じさせた。

ペルーでのアヤワスカ体験といった特殊な体験は元より、
彼らの生きる姿は多くのインスピレーションを与えてくれる。

また、すっかり欧米化した国々との比較もあってか、
文化を保つと言うことの価値もまたわかりやすく見えた。


だがしかし彼らの文化もまた時代と共に少しずつ変容してきてはいる。

民族衣装をまとった姿のまま携帯電話を操り、
乗り合いバスに乗っていく人々の姿を見ると、
それが10年前と比べても大きく変わっていることが良くわかる。

町には洋服を着た若者達も多くおり、
それもまた当たり前の風景となっているようだった。

こういう流れを悲しむのは単なる旅人のエゴだろう。
グローバル化と名付けられた共通化の流れは単なるファッションではなく、
「利便性」という大きなメリットの元に動いている。

誰もが望む快適に生きるという生の欲求を止める事はできない。
先住民の誰もが僕ら観光客のために民族衣装を着ているわけではないのだ。
それを簡単にお店で安く手に入れられる洋服に着替えたところで、誰が文句を言えよう。

もちろん画一化の流れは進化としては絶滅といった危険もはらんでいるが、
それは僕らが決めることではなく、彼ら自身が望むほうへと進むのだ。

10年、20年経った後、
きっと南米の国々も多くは変わってしまうだろう。
それは悲しくもあるが面白くもある。

アマゾンの奥で暮らすシャーマン一家のような人々が、
何十年の後にどんな暮らしをしているのかは、ある意味で楽しみのひとつでもあった。



人も変われば、自然もまた変わるだろう。

南米大陸の最も大きな魅力は自然であった。
パタゴニアの大地に、アマゾン、そしてガラパゴスの島々。
南米の多くの思い出はこの自然の中にある。

青い光を放つ氷河。
世界を飲み込むような音を立てて流れ落ちるイグアスの滝。
島中の至るところに生息するガラパゴスの動物たち。

そのどれもが他の国や大陸にはない、南米唯一の見所だった。

町から町への陸路の移動だってまた、
砂漠や美しい山々が続く自然の美しさに溢れている。

そんな南米の美しい自然の数々が、
「南米」という言葉のイメージにしっかりと結びついている。



しかしそれもまた失われつつあるモノのひとつだった。

氷河も温暖化により溶け始め、
ガラパゴスの動物たちもまた種を減らし続けている。
人の手で薙ぎ倒されて禿山になった山もいくつも見てきた。
排気ガスで覆われたサンティアゴの町。
飛行機の中から見た茶色い濁った空気は大きな衝撃だった。

多くの理由は人の手によるもの。

それは人が地球という星における強者であるという一つの現れだったが、
また無知でもあるという証拠でもあった。

100年後、いや10年後だって同じ自然が残っているとは言い切れない。
それが僕らの目指す進化の方向だとしたら、
間違っているかはわからないが、僕は単に勿体無いと思う。

僕らはあの青い炎を纏う氷河を作り出すことはできない。

そして僕はあの美しい姿をもう一度見てみたい。
だからそれを壊す行為は全て忌むべきものでもある。
それは単純に個人的な理由からの思いであり、決して自然の為ではない。

でもそれが生き物としての正しい姿なようにも思える。

ただ己の利の為に。
偽善など要らない。
我が為に僕は全てを守るとしよう。



僕らが生きるこの世界は1つ。

地球のプールの中に浮かぶ沢山の資源。
それを分かち合い、生きているのが僕たちだ。

人も動物も植物も土も空もまた。
僕らは1つの中から生まれ育ったのだ。

1つである以上、何かが減れば何かが増える。
その理からは逃れることができない。
得ることは失うことでもあるのだ。


僕らが奪った誰かの笑い声は、いつかきっと自らの泣き声へと変わるだろう。

君が見せたはにかんだ笑顔は、きっと誰かを幸せへと導くだろう。

そのどちらもまた人の営みの中にある日常だ。



南米の偉大なる大地。

豊かだからこそ、失いゆくその姿がくっきりと浮かんで見えた。

人もまた、自然もまた。

失うというのは間違った表現かもしれない。全ては変わっていくのだ。
僕はただその変化の中にいただけだ。

憂う必要などない。ただ流れるだけだ。





中継地バランキーヤまでのフライトを終えたどり着いた僕を、
親切な係員が誘導してくれ無事にコロンビア出国の準備が整った。


そうだ、沢山の人にも会ったんだ。

南米の姿を思い出していた僕はそのこともまた思い出した。


ブラジルでのマリさんとアキラとの出会い。
ボリビアで笑いかけてくれたボロボロの服をまとった子供たち。
チリのイースター島で会った明るいラパヌイの人々。
アルゼンチンのバリローチェで出会った若者たち。
エクアドルのカレー屋で働く。
コロンビアでの友との再会。
そしてペルーのアマゾンで暮らす澄んだ笑顔の村人のみんな。

数え切れない程の人に毎日出会い、沢山の笑顔をもらった。
ケセラセラのラティーノ達はいい加減だけれども、そのアバウトさが気持ちよくもあった。

そうだ人が明日を作るのだ。
なにも憂いにまみれただけの世界なんてことはないさ。


そんなわけで南米編はこれにてお開き。


仲良くなった空港スタッフに手を振ってパナマ行きのプロペラ機へと乗り込んだ。
20人も乗れない小さな飛行機は意外にも軽快に夜空へと旅立った。

去りゆく南米の町が街の明かりで満ちている。
海岸線を縁取るようにラインを引いた光が南米の境界線を越えたことを告げていた。

もう僕はカリブ海の上にいる。
月明かりが海へと満ち、反射した光がきらきらと瞬く。
カリブ海に浮かぶ船の船影が小さく影になり静かに揺れていた。


2時間も飛んだ頃だろうか。
また目の前に光の境界線が見えてきた。

カリブ海を渡り中米パナマへ。
旅の終着点にまた一歩近づいた。

眩いばかりの光をまとった漆黒の大地は月明かりを照らすことなく人口の光に揺れていた。
揺らめく海の月光と街の直線的な街灯のコントラストがひどくクッキリと窓の外に浮かんで見えた。
いつの間にか陸を跨いでいたのだろうかその海はもう太平洋のはずであった。

プロペラ機は何度か空中で旋回をし、終には光の中へと飛び込んでいった。

小さな機体にも関わらず安定したソフトランディングを終えた飛行機から一歩外へ踏み出すと、
それが僕の中米の始めての一歩となった。


じわりと吹き出る汗がまた別の異国へとたどり着いた事を示している。

さぁて中米編いきますか。

真夜中の空港を一息入れて歩き始めた。

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