2009年7月6日月曜日

世界一周(45)コロンビア/貧しさの違い



















DATE:2009/07/06 Colombia - Bogota -


すでに明日のパナマ行きのチケットは確保した。

これで南米の旅が終わるのだ。

今日が正真正銘南米最後の一日だった。


ボゴタの町には特にもう見所はなかったが、
せっかく最後なのでもう一度ふらりと町を歩いてみることにした。

町歩きの前にふらりと寄った中華料理屋。

そういえば南米も北のほうへ来れば来るほど中華料理屋の看板が目立つようになる。
面白いのが国ごとに呼び方が違うことで、
ペルーで「CHIFA」だったそれが単なる「CHINA」になり、
チャーハンの名前もペルーでは「CHAFAN」、
エクアドルでは「CHARAFAN」、
そしてコロンビアでは「オリエンタルライス」へと変わっている。

世界中どこにでも中国人はいるというが本当にその通りだ。
どこにでも住み、そして混ざらずに暮らす。そんな中国人の姿がなんだか面白い。


そんな中華料理屋でのできごとだ。

久しぶりにチャーハンを頼むと食べ切れそうもないほどの量で大皿に盛られてチャーハンは現れた。
少し塩分が濃いがそれでもやはりおいしくどんどんと箸が進んでいく。

そんな中、ふらりと現れた不審な浮浪者らしき人の姿。

何やら店の入り口付近で何かを漁ってから、ぺたりと店の前に座り込んだ。
そんな人が後から後から何人もやってくる。
結局総勢3名の浮浪者が見せの前で屯すようになる。

店の人もいつもの事なのか店の中に入ってこない限りは特に何も言うこともない。
営業妨害にもなりかねないが、お客も別に気にすることなく、
入れ替わり立ち代りどんどん店の中へ入ってくる。

南米含め浮浪者の姿は多く見るものの、こういう人たちは初めてで
何をするのか、何のためにここにいるのかに興味を持った。

店からあまりモノでも貰っているのだろうか。

そんな事を考えながらチャーハンを食べたが、
さすがに日本では3人前近くありそうな量は食べきれず少し残して席を立った。


その時だ、その浮浪者の一人がおもむろに店へと侵入し、
あっという間に手に持ったビニール袋の中に残飯を入れてしまったのだ。


南米のどこでも、むしろ世界のどこでだって見たことのない姿に僕は驚いた。

中華料理という量の多い料理だからだろうか自然とこの店に彼らは集まっているようだった。
もちろん捨ててしまうのに比べればましと言えばましなのだが、
それでも彼らの貧しさは否応なく誰もの目に焼きつくことになる。
まるで外に溢れる野良犬のような姿。

そんな彼らの姿にただ最初は驚くばかりだったが、
食べるに困って強盗へと変わるよりは幾らかまともな行動なのかもしれない、
そう思って今の出来事を頭の中で消化した。

そう言えばこれは日本でも起きている。
コンビニやファミレスの残飯で生きている浮浪者は何人もいる。
要らないものが誰かの生きる糧となるならばそれはそれで良いことだろう。

しかし貧しさというものを目に見えて実感したひと時でもあった。



貧しさというのは世界中どこにでもある。

それは日本のマスコミが持て囃す「格差」なんて言葉とは格段に違う、
食べることもままならない本当の貧しさだ。

日本の格差は単に能力の違いによる所得差を現しているに過ぎないし、
それは元々当然にあるものをマスコミが言葉にしただけだ。

本当の貧しさは違う。身に染み付いた逃れられない呪縛のような姿をしている。


ただしかしその貧しさにも南米とアジアでは違いがあるように思える。

例えばインドネシアやインド、もちろんその他の国にも貧しさはあるが、
何となくその貧しさを受け入れて生きている人が多いように思える。

彼らにとって貧しいという状態は普通なのであり、
何か特別に恥じることでもないような、そんな達観があるような気がする。

カメラの先に写った貧しい彼らの笑顔は本物で、
ただ毎日を精一杯生きているそういう笑顔だった。


だが南米の貧しさは何故か哀しく目に映る。

社会の最下層で生きる自分たちという立場に絶望した、
淀んだ救いのない目をした人たちがいる。

カメラを向けることのできない姿。
もしカメラを向けた場合の彼らの反応は一様で、
馬鹿にされたように怒り憤る。
まるで自分たちの姿を恥じるように。



この違いは何なのだろうか。

元とする文化の違い。
例えば仏教とキリスト教の違い。

元とする血の違い。
例えばモンゴロイドとコーカソイドの違い。

それとも「格差」の深さなのか。
奴隷という文化を持った南米と、
その文化を持たないアジアの違い。


きっと簡単には現せない違いがあるのだろうが、
僕にはそれが何なのかはまだわからない。

それでも南米の貧しさに根付く希望のない眼差しは、
暗く深く沈んでいる。




南米最後の夜。

南米一番の収穫とも言っていいアルゼンチンワインを買い、
分厚いステーキ肉と共にそれを飲み干した。

今日もまた音のない静かな夜だった。
騒がしかったラテンの夜は、静かに幕を下ろしていった。

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