DATE:2009/07/03 Ecuador - Quito -
飲み過ぎたのか、単にぐーたらぐせが付いたのか、
朝8時出発のバスに乗るつもりが結局は11時のバスになってしまった。
もともと7月5日の朝までにたどり着けばいいや、と
いい加減な目標なため遅れたところで何か影響があるわけではないが、
誕生日の翌日とはいえなんだかなぁ、という気分になった。
とくよくよとはしてられない(してないけど)、
今日はついに南米最後の国であるコロンビアへと向かうのだ。
予定では夕方には国境までたどり着き、
そのまま歩いて国境を渡りコロンビアへと入国するはずだった。
その後は国境の町からボゴタまで。
ダイレクトのバスがあれば良いがなければどこかを経由してでも良い。
どちらにせよ今日の出発から30時間近くはかかる長旅になるはずだった。
そう考えていると今日の朝寝坊も体力確保のため、なんて都合の良い理由も思いついた。
エクアドル最後の移動。
と言ってもやはり目新しいものもなく、延々と畑ばかりの景色が続く。
やはりこの国は農業の国のようだ。
ガラパゴス諸島を除けばさして特徴のない国。
そう言っても失礼にはならないほどこれと言った感慨のない国だった。
もちろんガラパゴス諸島の自然の豊かさは世界中どこを探してもないだろうし、
唯一無二だからこそエクアドル本国が霞んで見えてしまうのも無理はない。
まぁ、グアヤキルでの強盗事件はもちろん例外だ。
あれは別にこの国でなくても起きる可能性があった自分の判断ミスだった。
そう言えば赤道直下の国というイメージから南国の姿を想像していたが、
キト周辺は予想よりも山が多くジャケットが必要なほど肌寒いことにも驚いた。
何もこれといって驚きがない国だったが、その事には常識なんて当てにならないと良い体験になった。
この国は・・・また来るかなぁ・・・。
ガラパゴス諸島は何度でも訪れたいところだとしても、
その他はねぇ。。。キトのインド料理屋ぐらいかもしれないw
いつもなら「またね」となるはずの去り際の感情がいつもと違っている。
なんだかその事が少し面白い。
ふと気が付けば赤道をまたぎ北半球に入っていた。
そうか、ようやく僕は戻ってきたのか。
エクアドルを去ることよりも、そのことに急に思いがあふれた。
オーストラリアから南半球へ、
そしてインドネシアをまたいで北半球へ戻ってきた。
ヨーロッパから南米へ再び赤道を越えて南半球へ。
その旅がようやくまた北半球へと戻ってきたのだ。
そしてこの旅の中でこの赤いラインをまたぐ事はもうない。
このラインをまたぐ事は「ただいま」を意味していたし、「さよなら」も意味していたのだ。
そう思うとラインの向こう側で去ってきた幾つもの南米の国々を思い出し、
その国々で起きた幾つもの出来事を頭の中で再生した。
なんだか旅の終わりが急に現実的になった。
あと2ヶ月。そう時間で感じていた旅の終着点。
今日はまた、場所でもそれを感じざるを得なくなった。
北半球にはもう日本があるのだ。
これから北へ進むたびに日本が少しずつ近くなる。
永遠ではない。そう思っていたはずだった。そう決めていたはずだった。
終わりに近づけば近づくほど思うことがある。
「世界は広い」
広げた白地図を塗りつぶせばつぶすほど、
その黒い点で出来た世界よりも白い世界の方が広いことに気づかされる。
それを絶望と呼ぼうか。それとも希望と呼ぼうか。
僕にはまだわからない。
余白のない人生よりも塗りつぶす世界が多い人生のほうが面白い。それはわかっている。
しかし決してたどり着くことができないゴールを前に人は何をすれば良いのだろう。
この旅が終わればその答えが見えるのだろうか。
僕がいまわかるのはただ「世界は広い」ということだけだ。
そして僕はまだ道の途中にいるということだ。
夕方、やっとバスは終点のトゥルカンにたどり着き、
僕はタクシーでそのまま国境へと向かった。
また境をまたぐのか。
そう思ったが久々の歩いての国境越えが楽しくもあった。
橋を渡りまた新しい世界へ。
そう今日からはコロンビアだ。
何はなくともまた一つ白地図を塗りつぶしたというわけだ。
国境を越えバスターミナルへ向かう。
いくつかのバス会社を回りボゴタへの直通ではなく、
カリという街を経由してボゴタへ行くことへ決めた。
なぜか安くなっていたチケットを握り締め夜行バスへと乗り込む。
コカインの国。強盗の国。そして美人が多い国。
コロンビアについて僕が知っているのはそれぐらいだ。
南米最後の国にいつの間にか僕の心は高ぶっていた。
なんだかそれも久しぶりだった。
危険と言われる国を前に緊張をしているだけなのかもしれない。
それでもただ久しぶりの前進にわくわくしていた。
北へ。南米を越えてそしてアメリカまで。
南米大陸最後の旅が始まった。
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