2009年6月13日土曜日

世界一周(43)ペルー/終わりへと向かう道





<NO PHOTOGRAPHY>

DATE:2009/06/13 Peru - Lima -


ざわざわとざわめく車内の声にぼんやりとした目を外に向けた。


・・・あ、転落したバスだ。


昨日ニュースで見た転落バスがニュースそのままの弾けた姿で、
路上へと転がっている。

既に崖から引き上げたのだろう道路脇に転がされたバス。
その横をまるで観光バスのようにゆっくりと通り過ぎていくバス。
添乗員も窓の外に目をやり二人でキャーキャーと騒いでいる。

おいおい、あんたのとこのバスだろ。

という突っ込みは口から出ることもなく、
ただこうならぬ事を願い信じもしない神に祈った。

南無阿弥陀仏。





リマへ着いたのは午前8時ごろだった。

余りにも早すぎる到着に驚きその日のプランを練り直す。
なにせリマからプカルパにたどり着いたのは23時間後、
今回はたった18時間だったのだ。

同じ道を通っていてなぜ5時間も差が出るのかはわからないが、
そこがやはりVIPバスということだ、と納得しリマから北上するバスを探した。

運良く近くにエクアドルとの国境トゥンブスへと向かうバスを見つけ、
そこまでのチケットを買った。
それはついにペルーを抜けることを意味していた。



数えてみればたった25日間の出来事だった。

プーノから始まったこの旅は、
クスコ、マチュピチュ、アレキパ、ナスカ、リマ、そしてサンフランシスコ村と
幾つもの特別な思い出を残してくれた。

特にやはりマチュピチュとアヤワスカの2つの思い出は、
この旅の中でも特別中の特別と言えるだろう。


遠い昔インカの帝国が残したこの国の幾つもの宝。
それは他のどこにもないユニークなものだ。

そしてその地で生きる人々もまた二つとない特別な宝だろう。
いまだ民族衣装で生きるクスコの人々。
そしてアマゾンで自然と共に暮らすシピポ族の人々。

残された幾つもの宝はこうやって現代を生きる僕たちに
たくさんの言葉を残してくれた。



50年後のこの国はきっと姿を変えているだろう。

人々は洋服に着替えインターネットを操り携帯電話を手にし始めている。
それが僕らが生きる現代のグローバリズムという名の力だ。

それを悲しむのはきっと人が生きることへの冒涜だ。

科学や技術は人が生きるために最適な方向へ進化している。
例えば人が洋服に着替えれば民族衣装を縫っていた多くの時間を、
農地の開拓や別の労働に当てられる。
そいうして出来た財を元に家族は豊かになり、子も多く育つのだ。

もちろんプーノのウロス島のように観光のためそれを守る人々もいる。
それは単に彼らの労働の一つで観光が最も効率的な富の生産手段だっただけだ。

僕らの進化はそうやって少しずつ画一化に向けて動いている。
より効率的に生きていく為に、少しずつ少しずつ。


しかし。進化という言葉には「多様化」という意味も含まれる。

多くの動物の種があるように僕らは多様化することでこの世界で生き残ってきたのだ。
今起こっている画一化は人類の危機でもあるのかもしれない。


50年後、何百年も変わらず在り続けたマチュピチュのように、
この国の人々は変わらないものを持ち続けられるだろうか。

アマゾンのあの村の自然な笑顔は変わらぬままだろうか。


案ずることは無いのかもしれない。

現に一人ひとり僕らはこんなに違うじゃないか。



いつかまたあの村を訪れよう。

どんな風に変わっているのだろうか、それが今から楽しみだ。

変わらない世界は無い。

僕も変わる。世界も変わる。



ただそれを愛すればいい。

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