2009年6月11日木曜日

世界一周(43)ペルー/アヤワスカが教えてくれたもの





DATE:2009/06/11 Peru - Pucallpa -

<NO PHOTOGRAPHY>

先を急ぐ旅ではあったが、
この一週間の出来事をまとめる為にプカルパの町にもう一泊することに決めた。


僕がここへ来た理由はアヤワスカを理解する為だった。

だが初めての経験を通して、これがそういう類のものではないことは理解できた。
僕がこの1週間で理解できたのは「アヤワスカの効果」だけだろう。
アヤワスカという薬が人体にどういう影響を与えるのか。
つまりは幻覚剤としての効き目、方向性。そんなものだけは理解できた。

1つはビジョンと呼ばれる幻覚。
1つは安らぎ。
1つは異世界での体験。

そのどれもがなぜか「考える」という作用をもたらす。
世界をそして自分を考えるためのキッカケをアヤワスカは与えてくれる。

これがアヤワスカが単なるドラッグではない、と言われる所以だろう。
快も不快もこの薬がもたらす効果全て、考えるという行為につながっていく。


シャーマンが果たす役割というのもまた面白かった。

まるでこちらの心が見えているように心地よいタイミングでイカロを歌うシャーマン。
その声に誘われるがままに旅が始まっていく。

アヤワスカの旅の先導者、あるいは指揮者。そんな名前がピタリとくる。

必要な人に必要な時、癒しを与える存在がシャーマンだった。
人の病を治す術が医術というのならば彼らもまた医術を操るのだろう。

一生を賭け自然と対話し続けてきた彼らだからこそわかるアヤワスカの声を
イカロに乗せて心に届けてくれるのが彼らだった。


しかしアヤワスカがなぜあるのか。といった本質的な部分はお手上げだった。
この薬を飲んだ人が共通して見る世界のイメージ。
そしてなぜシャーマンがこの薬を使うのか。
そんな本質的な部分はきっとわかることがないのだろうと思う。

けれども僕はそれでいいや、と思ってしまっている。

世の中には理解できないものがある。それを知っただけでも十分だ。
それにそれはオカルト的な意味での不思議ではない。


世界中どこに行ってもアミニズム、つまりは精霊信仰があるのはなぜか。
日本でもお馴染みのように八百万の神の信仰はどこにでもある。

それは不思議なことに対しての理由付けとして神という考え方ができたのであって、
つまりはそれはそれで一つの理解の方法なのだ。

だからもしかしたら神はいるのかもしれないし、いないのかもしれない。
それは人が決めるべきものではないのだろう。

在ると思えば在り、無いと思えば無い。そういうものなのだと思う。



アヤワスカから僕が教わったものはいくつかある。

1つは世界について。
そしてもう一つは自分について。


アヤワスカが教えてくれた世界は「ひとつ」だった。

この世に在る全ての存在は一つからなり、
僕らもまたその一部であった。

だがその「一部」という意味は「パーツ」という意味ではない。
共通の大きな何かが世界の全てを形作っていて、
何かが組み合わさって世界ができているわけではない。

だから僕は僕であり、誰かであり草木でもある。

自分を愛することは誰かを愛することでもあり、
誰かを愛することは自分を愛することでもあった。

だからこそ自然と「感謝」という言葉が浮かぶのだと思う。
僕は世界に在る限り一人ではないのだ。
この世にある全てのものに生かされている。
それがアヤワスカが教えてくれた一つの答えだった。



そしてもう一つは自分についてだ。

絶対的な自己是正。

僕はそれをアヤワスカに教わった。

誰と比較することも無く、僕は僕で良いのだ。
1番でも2番でもなく、僕は僕だった。

いま出来ない何かさえも含めて僕なのだ。
僕はそれを乗り越えていく力がある、それだけで十分なのだ。


絶対的な自己是正。
それは他人を否定しない事でもある。

1番になるとはある意味では2番を作ることなのだ。
誰かよりも良くある、という事はその誰かを否定することだ。

誰かの上に立つことなく自分を認める。
ある意味ではそれは革命に近いことなのかもしれない。

残念なことに社会には上下がある。
貧しさがあり豊かさがある。命じる者と応じる者がいる。

それを不幸と直ぐに結びつけるのは安直だが、
その上下の中に苦しむ人もいる。嫉み、羨む人もいる。

僕がその輪の中から抜けてしまっているとしたら、
それはもう革命と同じことだ。なぜならもう既存の社会の中にはもういないのだから。



アヤワスカを終えて僕は少しだけ迷っていた。


このまま旅を続けるか、いまここで終わりにするか。


これ以上の体験はもうないように思えたからだ。

しかし少し考えた後、その考えを直ぐに打ち消した。
なんて馬鹿なことを。そう思った。

世界には僕の知らないことが幾つもある。
そう教わったばかりじゃないか。

次に会う何かのために僕はまだ進み続けなくてはならない。
それが僕が世界を知る唯一の方法なのだから。

これから幾つの町に出会い、幾つの人に出会うだろう。
その全てが僕が僕であるための物語だ。



アヤワスカに教わった全てのもので僕はまた生きていく。


施しではなく慈しみを。

目の前の誰かをほら素直に愛せばいい。

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