<NO PHOTOGRAPHY>
DATE:2009/06/09 Peru - San Francisco -
今日は村を歩いた。
歩いていると「あなたの名前は?」なんて無邪気に話しかけてくる、
そんな子供たちであふれる村だ。
そういえば驚くべきことに、
この村は僕がリマの博物館で興味を持った民族が暮らす村でもあった。
独特なデザインが特徴のシピポ族の人々。
まさか出会えるとも思っていなかった彼らとの繋がりに、
何かしら運命的なものを感じることもあった。
明日にはここを去っている。
寂しくはあるが悲しくはなかった。
もう旅立ちの準備はできている。
ここで教わった全てで僕はまた生きていけるのだ。
今まで以上に強い自信が満ちていた。
歩いていると絵を描くアーティストの少年に会った。
まだ14歳の若きアーティストだ。
彼の絵はアヤワスカを主題にしたもので、驚くほど上手かった。
上手いとはもちろん技巧の事ではなく、彼の絵の伝える力だ。
僕らが生きる日本の日常ではきっとこんな絵は書けないだろうと思った。
そもそも絵というものの考え方が違うのだ。
写真のように模写することが絵だと思い込まされている子供には、
彼が書く世界は思いもつかないだろう。
それは良いでも悪いでもなく、ただの現実だ。
ただ僕は彼が少しうらやましかった。それだけだ。
たくさんの笑顔に会った。とても自然な、自然な笑顔に会った。
彼らはものすごく当たり前に生きているように見える。
当たり前のように笑い、怒り、泣き、笑う。
誰にも強要されないその感情がうらやましくなるのはなぜだろう。
余計なものを背負ってしまっている気がするのはなぜだろう。
日が暮れる。最後の夕日が沈む。最後の一日がゆっくりと終わっていく。
毎日繰り返されている出来事が今日の僕には特別だった。
もう繰り返されることのない日常がとても愛しかった。
儀式が始まる数分前に儀式場へと向かった。
今日僕はアヤワスカを飲まない。そう決めていた。
それが最も自然であったからだ。
僕はシャーマンに「ありがとう」と言い、
また会場にいた仲間たちにも同じように言った。
僕は全てに感謝をしていた。僕が今こう在ることがうれしかった。
感謝を告げ儀式場を出ると、今日もまた月が空に輝いていた。
外から見る儀式場はやはりとても神聖で、
僕がその中にいないことが少し寂しくも思えた。
ゆっくりと静けさを増す儀式場をしばらく眺めた。
ぽつりぽつりと蝋燭の明かりが消されていき、ついには暗闇へと消える。
時たまライターの明かりが点り、瞬いた。
静まり返った儀式場を後にした。
疎外感もあったが達成感もあった。
ともかく僕はこの地での目的を遂げたのだ。
部屋に戻り蝋燭に火を灯し、読みかけの本を開いた。
耳元ではチクタクと機械仕掛けの時計の音が聞こえる。
耳慣れたはずの時計の音はとても懐かしく、僕をゆっくりと現実へ引き戻していった。
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