DATE:2009/06/07 Peru - San Francisco -
昨日の体験は幻だったのだろうか。
一夜明けて既に体は赤い光に包まれていなかったし、
目に見える世界もすでに普段の姿へと戻っていた。
だがしかし心はまだあの恐怖を覚えているようで、
ふとした隙に生まれるそれは、やはり昨日の世界はあったのだと知らしめた。
薬の強さのせいかまだ体はぼんやりとしたままだったが、
不思議とそれは不快なものではなかった。
何かに包まれたまま、そんな不思議な感覚だった。
卒業。
そんな言葉を思い出した。
昨日の夜に浮かんできた言葉だった。
そうだ僕はアヤワスカを卒業したのだ。
なぜかは知らないがそう理解していた。
僕はアヤワスカが見せる全てを見てしまったように思えた。
初日に見たビジョン。二日目の安らいだ世界。
そして昨日の異世界での体験。
きっとそれがアヤワスカが見せる全てだろう。
なぜか感覚でそう解った。
もちろんそのビジョンや異世界に幾通りものパターンはあるのだろうが、
それはきっとパターンでしかないように思えた。
ここが今回アヤワスカを理解できる僕の限界だとも思った。
たった3回の経験でそれを理解し、体験できたのは運が良いと言える。
これ以上の、シャーマンしか知らないような世界へ踏み入れるには、
もっと多くの覚悟が必要なのだと思った。
それは時間でもあったし、それするだけの意味ということでもあった。
僕にはその覚悟はない。と言うよりも意味がない。
それだけの時間をかけて1つのことを理解するのなら、
もっと他の何かをいくつも理解していくほうが良いように思える。
それは僕の価値観ではあるが、日本人である以上それが最も自然に思えた。
そうだアヤワスカは治療の為の薬なのだ。
もちろん僕は興味本位以外の何物でもない理由でそれを飲んだのだけれど、
だからこそ逆に僕は単純にアヤワスカを理解するという理由があった。
本当に治療を必要としている人には必要なだけの時間があるのだろう。
でも僕が昨日感じた卒業というイメージは、
僕がそれを飲む意味を失っているということを意味している。
僕にとって必要なことは全て終わっていたのだ。
これ以上はただのドラッグ的な楽しみでしかなく、
アヤワスカの見せる幻覚は非常に強いものだとわかっていたが、
だからといってそれが今の僕に必要があるとは思えなかった。
もしかしたら更なる異世界への旅があるのかもしれない。
でもそれは強度の差でしかないように思える。
むしろそれを求める事自体がアヤワスカがくれた全てのメッセージと矛盾していた。
世界の全ては僕であり、僕は世界の一部なのだ。
僕に必要な全ては僕の中にあった。
アヤワスカを必要としない。
つまりは治療、薬を必要としない状態になること。これが真の目的かもしれない。
僕はもう必要としていない。
それはアヤワスカを全て理解したという意味ではなく、必要な部分だけ理解したという意味。
そして理解した部分だけで、これからの人生のいろいろな問題に取り組めるという意味。
アヤワスカから全てを学ぶ必要などないのだ。人は自らの手でそれをする力を持っている。
だからもう何も望む必要はない。
僕の中の全てを使って世界を少しずつ理解していけばいい。
それができる状態に僕はもうなっている。
そこまで考えると妙に頭がすっきりした。
やはり僕は「卒業」したのだった。
妙に晴れ晴れした気持ちで外へと出て伸びをした。気持ちの良い朝だった。
今日は儀式もお休みでサンフランシスコ村で開かれる、村の結婚式へとまぬかれていた。
会場は結婚式場というよりも外国人向けのお土産販売会のようだったが、
それでもたくさんの人々に祝福された二人の笑顔はとても華やいでいる。
何十人もの子供たちが踊り、青年たちもまた踊る。
村人総出の結婚式は飛んだり跳ねたりの運動会みたいだ。
それを見ていた僕らもまた、連れ出され跳ね踊る。
振舞われたご飯もまた、油の乗った川魚で自然と頬がほころんだ。
こんなところで生きるのも。
そんな事をふと思う。
それほどに村人達の笑顔は自然で屈託がなかった。
後2日。僕はこの場所を去っていく。
それでもここが僕の人生の中で特別になることは間違いはないだろう。
手渡されたシピポの絵が描かれた素焼きの器で今日何度目かのお酒を飲んだ。
ここ何日か飲んでいないアルコールがゆっくりと喉を焼いていく。
どぶろくのような少し酸味のある白く濁ったその酒が、飛び跳ねる子供たちの姿となぜか妙に似合っていた。
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