2009年6月6日土曜日

世界一周(43)ペルー/THE PERFECT WORLD.






<NO PHOTOGRAPHY>


DATE:2009/06/06 Peru - San Francisco -


さて、準備は整った。
三度目のアヤワスカ体験。今日もまた瞑想で心は安らいでいた。

いつものように月明かりが外を照らしていた。
もうすぐ満月が来る。十分に明るいこの月はどんな光を放つのだろうか。

そうやってまた儀式は始まりを告げた。







儀式の途中で外に出たのは初めてだった。

僕らはこんな美しい世界にいたのか。

ただその美しさに見とれた。
辺りを囲む低い草花の影がくっきりと地面に落ち宇宙のように広がっていた。
宇宙を漂うようにその草花の上を歩いた。
両足にはしっかりと地面の感覚があるのに目に見える世界は異世界だった。


急に込み上げてきて僕は地面に全てを吐き出した。
そこには何の不快感もなかった。他の体験者が心地よいという理由がわかった。
体の隅々から溜まっていた何かが吐き出されていったようだった。
吐いたはずの吐しゃ物は宇宙に溶けて消えていった。
何事もなかったように世界は依然美しかった。

今までのセレモニーとはまったく違う感覚が僕を包んでいた。
なにか特別なことが今日は起こる。そう思った。

それが何かはわからなかったが、ただ受け入れるしかない。
覚束ない足で歩く世界はやはりまだ美しかった。



外の世界から戻りまた蚊帳の中へと包まれた。
奥にある自分の寝袋へと人を避けながら戻り座り込んだ。

それが来たのはその直後だった。


僕はすぐに吐き出した。
それは先ほどのような心地よいものではなく、
単にそうしなければ耐えられなかっただけだった。

僕はもうすでに地獄の中にいたのだ。

それは比喩でもなく、現実的な意味での地獄だった。

世界に溢れる地獄というもののイメージや描写。
それはどれもが正しいし、どれもが不完全だった。

僕が落ちていった世界はそんな生ぬるい世界ではなかった。
ただ居るだけで吐き気がするその場所は、ありとあらゆる醜さで溢れていた。

色といえば赤と黒とそれに近しい何かしか見えなかった。
そしてここは穴の底のような姿をしていた。
実際の姿はどうあれ僕にはそう見えた。絶望的なほどに深い穴の底に僕は居た。

マグマのように溢れる赤黒い腐った下水のようなものが、
どろどろと流れ落ち僕を包み込んでいく。
いつしかそれは僕の至る所から流れ出し、涙もまた腐り落ちた。

人の姿は崩れ落ち、熔けていく。全ては朽ちた廃水へと変わっていく。

腐敗した世界に立ち見えることのない穴の入り口を見上げた。
「あぁ、ここは地獄だな」ただそう思った。
胃から込み上げてくるような恐怖感だけが僕を満たしていた。

「さて、ここから出るのは中々大変かもな」
そんな世界にてなおそんな事を考えていた。

ここが幻覚の中だというのは解っていた。もしかしたらそうすがっただけかもしれない。
ただ潰されそうな恐怖感の中、その理性だけが唯一の光だった。
この世界から抜け出すこと。それがアヤワスカが与えた今日の課題だと思った。


目を見開けばしっかりと外の世界は残っていた。
相変わらず世界は腐って見えたし、人の姿は悪魔にしか見えなかったが、
それでもそこが現実であると解っていた。
そうだ僕はここへ戻ってくるのだ、恐怖から逃れて戻るのだ。

恐怖すらも楽しめると思っていた。
しかし知らなかった。本物の恐ろしさとはそんな生半可なものではない。
初めて体験した圧倒的な恐怖は、心臓を冷たい手で捕まれた、そんな感触がした。
ふぅ。とため息をつき、さてこの穴を登るかと上を見上げた。

これは僕の「理性」という奴への挑戦だった。
いや、むしろそれを引き剥がす為の力だったのかもしれない。
幾つもの「理性」が僕の人生を縛り付けているのは確かだった。
ただ僕は今ここでそれを手放してしまえば廃人になってしまうだろう。
心を失い狂っていった人達に起きたことが良くわかった。

悪いがアヤワスカ。僕はこれを失うわけにはいかないのだ。
狂いそうなほどの恐怖の中、細い糸を手繰るようにして少しずつ這い出していった。


その姿に気づいた時には抵抗をはじめてからどれぐらいの時間が経っていたのだろう。
状況は何も変わらないが、ただ耐えていた。
未だ感触の残る自らの姿と、外の世界の景色だけが僕のカタチを繋げとめていた。そんな時だ。

目の前にはシャーマンの姿があった。
いや、そう理性で理解した、と言ったほうが正確かもしれない。

実際には悪魔が居た。

暗い儀式場の中で胡坐をかいた骸骨の猿が、悪魔の影が僕の前に居た。

彼は悪魔ではない。彼は悪魔ではない。彼は悪魔ではない。

そう何回繰り返しただろう。
いいや、もう誰でもいい。目の前の誰かが現実ならば僕はそれにすがる。
僕らは悪魔を見つめながら地獄から抜け出そうともがいた。

歌いだした悪魔。それはイカロだろう。
その声が体の隅々まで血液のように満たしていくのがわかった。
それは酷く不快で心地よい感覚だった。
シャーマンが僕の中に入り治療を行っているのがわかった。
そうだ僕はこれを受け入れなくてはならない。ただそう理解した。


いつの間にか僕と同じように隣でマサミが体を起こして座っていた。

体をずらして彼女に寄りかかると人間の暖かさがした。

そうだ、これも現実だ。

まだ相変わらず恐怖の中に居たが、ひとつでも現実が感じられることが酷く嬉しかった。



いつの間にかイカロの声が消えていた。

まだ恐怖は去ったわけではない。締め付けられるような怖さはまだここにある。
ただ僕はもう出口の前まで来ている。そのことは解った。


そうか、ここからは一人でやれるということか。

儀式場の奥に見えるシャーマンの姿を見て僕はただ「ありがとう」と言った。
幾分か楽になった気がする。

そうだ僕は一人では生きていけない。
誰かに助けられて今日まで生きてきたのだ。
この旅だってそうだ。幾つもの親切に僕は助けられてきた。

自然も人も全て。全てに僕は生かされている。

でもそれに甘えてばかりは居られない。
僕には僕の立派な力がある。
そうだそれで今もこうやって生きているのだ。
僕の理性は世界にしがみついていられたじゃないか。

思えば今日の地獄の世界はその理性を剥がし取った姿なのかもしれない。
無防備の世界は地獄そのものだった。

でも僕はその理性でこの現実へと戻ってきたのだ。
きっとそれが僕の力なのだ。僕が理性と呼んだ心の強さ。
地獄でさえも強引にねじ伏せるだけの力。アヤワスカはその力を教えてくれた。

僕には僕の力がある。
そしてそれを支えてくれる人達もいる。

そんな当たり前のこと。そして最も大事なこと。
それを学ぶために僕はいま戦っているのだ。


いまだ去らぬ恐怖の中、僕はそのことを学んだ。
相変わらず締め付ける恐怖で僕の体はガタガタと震えていたが、
それでもなぜか頭の中では笑っていた。

そうだ僕は強い。

絶対的な自己是正があった。
誰かと比べるわけでもなく、ただ僕は僕を誇っていた。
負けねーよ。悪いけど。僕は恐怖を殴りつける。
いつの間にか僕は笑っていた。ガタガタと震えながら笑っていた。

ゆっくりと体の震えが止まっていった。
気を抜くとあっという間にまた恐怖に支配されたが、
それでももう大丈夫だと思った。僕は勝ったのだ。そう思った。
なぜか卒業という言葉が浮かんだ。そうかこれは卒業式だったのか。


周りを見るといつの間にかみな起き上がり、胡坐をかきながらくつろいでいる。
シャーマンのイカロも終わり、彼もまたくつろぎの中にいた。

「ありがとう」

そんな言葉がつい漏れた。そうだ感謝だ。僕は世界に感謝しなくてはならない。

いつの間にか力があふれていた。
戦いの後だからだろうか、体が火照り赤く光っていた。

そうだ僕には力がある。
僕一人を救うには十分過ぎるほどの。だから僕は世界を救おう。
そんな大それた思いが自然と浮かんだ。
もともと僕だけの力ではないのだ、それが当然の事のように思えた。


静寂を溶かすようにイカロの声がまた響き渡った。

力であふれた心の中にそれはすっと染み込んでいく。
丘の上の風のようにそれはひたすらに心地よく僕を満たした。

いまなら僕はこの歌を歌う彼らの気持ちがわかる。

きっとそうだ。彼らはこの美しい世界を、幸せを共にしたいのだ。
そして己の持つ力で誰かを癒したいのだ。

それは義務や使命感ではなく、どちらかというと欲望に近いものだった。
ただ只管に誰かを愛し、誰かを支え、誰かを笑顔にさせたくなった。

いつの間にか体はイカロに合わせてリズムを刻んでいた。
その幸せのメロディーへの感謝の印に、そして僕もまたそれを分かち合うために。


ふと、音楽の神様がいるとすればこんな気持ちなのだろう。と思った。
そrはボブ・マーリーであり、ジョン・レノンかもしれないが、
唐突に彼らの歌う理由がわかった気がした。

歌で幸せを伝えることを思えば彼らはシャーマンと変わりないのだ。
ただ幸せを歌い、平和を歌い、悲しみを笑顔に変えたのだ。


僕はそんな彼らがうらやましくなった。
僕の心はすでにボブ・マーリーだったが、残念ながら僕はボブ・マーリーじゃないのだ。

僕もこんな誰かを癒す仕事ができるのだろうか。

直接的なことを思えば医者や看護師になればよい。
このままシャーマンになってしまうのも良いのかもしれない。
僕は旅を終えた後の仕事を真剣に考えた。

ともかく誰かを幸せにしたかった。
そんな仕事をしようと思った。


例えば僕が今までしてきた仕事はどうだったのだろう。

コンピューター相手の虚像のような仕事。
そう言ってしまう事もできた。

それでも僕はいつでも人間を相手に仕事をしていたことを思い出した。
物事を決める基準はいつもそれだった。
お金も時間も人も限られていたが、その中で僕の仕事の先にいる誰かの幸せを思っていたのだ。

直接会うこともないインターネットのその先の誰かだが、
僕が果たした仕事の先に彼らの幸せがある。そういう仕事だった。

それは医者やシャーマンのような直接的な癒しではなかったが、
それでも僕は100万人の誰かに幸せのきっかけを与えることができたのだ。

きっかけ、なんて言う中途半端な癒しだったけれど、
それでも、ほんの一人握りだろうが、きっと誰かが幸せへと辿りついただろう。
例え一歩目がだめだとしても、それでもその人は「幸せをつかむ」行為に気づいたのだ。無駄ではない。

そう考えると僕の仕事も悪くはないな、なんて思えた。

たった一握りは100人かもしれないし1万人かもしれなかったが、
それでも僕は何かをできていた。それで十分だった。


思えば仕事なんてそんなものかもしれない。

どんな仕事だって構いやしないのだ。
誰かを幸せにしている限り、それが何だろうが誇れるものなのだ。
価値のある仕事とはそういうものだ。


世界中の人を笑顔にしよう。

そう決めた。
それが何かはわからないがきっとそれが僕の仕事なのだ。


もちろん仕事はお金(対価)とは切り離せないものだ。
だから僕はお金というものをもっと理解する必要がある。
お金は使うものだ。使われてはいけない。
お金もまた幸せのための道具なのだ。僕はもっとそれを知りたくなった。

そうだ「理解」だ。
これこそが僕の理性の力を増幅させるブースターなのだ。
もっと世界を知りたい。素直にそう思った。

情報はどこにでも溢れている。
僕に必要なのは理解だった。
正しい理解さえあれば、僕の理性はそれをやり遂げるだろう。世界中に笑顔が満ちるかもしれない。




僕はまた心地よく歌うシャーマンを見つめた。
僕の手は未だにリズムを刻んでいる。

不意にマサミと目が合い、僕は体を寄せて「ありがとう」と言う。



二人でそっと外に出た。

月がまた美しさを増している。

雲が月明かりを浴びて銀色に空を塗っていた。
月はその雲の中で頬を染めるようにぼんやりとした虹を纏っている。

世界は今日もまた美しかった。


世界は美しく、好きな子がそばにいた。そして僕は力で満ちている。

すべてが完璧に見えた。
二度とこないかもしれないこの時を僕は精一杯吸い込んだ。



時の流れを示すかのように雲が流れ見え隠れの月が瞬きをする。

僕らの姿を認め犬が尻尾を振ってやってくる。
その姿をみて僕らは微笑んだ。


やはり僕らは完全な世界の中にいた。






From, The Perfect World.

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