2009年5月23日土曜日

世界一周(43)ペルー/オリャンタイタンボの遺跡











DATE:2009/05/23 Peru - Ollantaytambo -


クスコからついにマチュピチュへ。

ペルー最大のメインイベントとも言うべき、
天空の城をついに目指すときが来た。


なんとも不遜な話だが実は旅に出る前、
と言うよりはつい最近まではマチュピチュにそんなに興味がなかったのだ。
もちろんそこには行くつもりだったが、
単なる予定の一つであってある意味では消化試合みたいなところがあった。

しかしなぜだろう、いまここにある期待感は。

ペルーに近づくに連れて高まってきたその思いは、
昨日クスコのインカ博物館を見て最高潮に達している。
いつの間にかこの遺跡を見なくては南米の旅を語れない。そんな思いまで持っている。

この地にかけられたインカの魔法がそうさせたのかどうかは知らないが、
旅立ちの朝、僕は久しぶりにわくわくしていた。高揚感に満たされたまま僕はバスに乗り込んだ。





クスコからマチュピチュを目指す方法はいくつかある。

ひとつは観光列車に乗って行く方法。
そして歩いて行く方法。

その中で一般的なのはもちろん観光列車に乗って行くことで、
最高級のハイラム列車からバックパッカー用の列車までいくつかあるが、
驚くべきはその値段で、最低クラスでも50ドル、最高級となると300ドル以上もする。
10ドル以下で24時間近くのバスの旅ができるペルーの物価において、
この価格は異常といってもよく観光客向けの料金が設定されているのだ。
事実、地元ペルーの人が乗る列車は列車ごと別のもので、価格はなんと5分の1以下になる。


では歩くのか。というと実はこれが結構人気で、特に欧米人は好んで歩く人もいる。
実はクスコからマチュピチュまでの道はインカトレイルと呼ばれていて、
インカ道という古くから残るマチュピチュまでの道を
昔と同じように歩く、というのが人気の秘密である。

日本で言うと熊野古道を歩くツアーと同じようなものだ。
そんな訳でクスコから、もしくは途中の町から歩いていくツアーの看板が、
クスコの町には至る所に置かれているのであった。


じゃぁ、それ以外の方法はないのかと言うと、
そこはさすがにバックパッカーというべきか「安く行く」という事については、
異常な情熱を発揮する人種のこと。

実を言うと裏道と言うか別のルートが発見されている。

もちろんそれは「バス」を使うということだ。

しかしクスコからマチュピチュ近くの町、アグアカリエンテまでの直行バスはない。
そのためオリャンタイタンボと言う近くの町に行って、
そこから列車に乗り換えるという方法が取られる。
そうすると実際にクスコから乗るよりも往復で約30ドルほどの節約になる。
たかが30ドルと思うなかれ、バックパッカーにとっては約2日分の予算なのだ。


しかしさらなる強者は全工程バス&徒歩という手段を取る。

クスコからある町を経由し、さらにそこから別のバスに乗り継ぎ、
最後は10キロほどの道を2時間かけてあるくだとか、
経由の町までバスで行きそこからトロッコに乗り込むだとか、
バックパッカーならではの様々な方法が考案されている。
上記の方法を取れば最低で往復10ドルほどしかかからず、
トータルするとなんと100ドル以上の節約が可能になる。


が・・・さすがにそれはめんどくさい。
それにある意味運任せのところもあり時間がかかり過ぎるという事もある。

という訳で軟弱な僕としてはバックパッカーらしく、且つ簡単という理由で、
オリャンタイタンボから列車へ乗り込むというプランを採用することにした。


というわけで今はオリャンタイタンボ行きのバスの中だ。
詳しく言えばそこに行く為にもウルバンバという町で乗り換える必要があるのだが、
それほど難しい事もなく荷物を移動しただけで
クスコから2時間ほどでオリャンタイタンボの町へとたどり着いた。

着いてからは早速、今日のマチュピチュ行きの列車を探すことにする。

が、実はここオリャンタイタンボもまたインカの遺跡が残る場所で、
夜の列車にすればこの遺跡の観光も出来るのである。
一石二鳥のこのプランがバックパッカーに人気なのはわけがあるのだ。
と言うわけで夜6時発の列車のチケットを手に入れ(また値上がりしていた)、
荷物をお土産屋に預けてオリャンタイタンボの遺跡の観光へと出かけた。



オリャンタイタンボの入場料は40ソル(約1200円)。
ついにペルー名物入場料地獄のお出ましだ。
列車はもちろんのこと入場料にも外国人料金が幅を利かせる。
ちなみにマチュピチュの入場料は25ドル。世界にはいろんな常識がある。

が、しかしそんな高い入場料を払ってでも見る価値はある。
と言うよりもオリャンタイタンボの町に着いたときからその遺跡は目の前に見えていて、
どうしても素通りすることが出来ないほどにそれが素晴らしい遺跡であることがわかるのだ。


インカ帝国の遺跡。というと「剃刀の刃も通さない」という石組みが有名で、
ここオリャンタイタインボの遺跡もまさにその噂どおりの精巧な石組みが積み上げられている。

入り口からはまず農地として利用された棚田が広がっていて、
扇状に広がった段々の棚田が十段近くも重なっている。
実際に遺跡に入ってみて驚いたのがその棚田の高さで1段はなんと2メートル以上。
身長をはるかに超えた棚田の大きさにただただ驚いた。

棚田の間に設けられた石の階段を登って頂上まで登っていく。
何年もの間、人が登り続けた結果なのか石段の中央部分だけが滑らかにへこんでいる。
石段の横には水が流れる水路が付いていてこの遺跡の文明の素晴らしさを現している。

石段を登りきると精巧な石組みの壁が立ちはだかり祭壇として使われたエリアが現われる。
そこには真っ直ぐな直線で加工された石の祭壇や、
太陽の神殿と呼ばれる何に使われていたのかは知らないが5メートル近くの壁のような石が、
どうやって加工したのかはわからないがこれまた垂直に継ぎ目なく立っている。
そもそもこんな巨大な石をどうやって運んできたのだろう。それが最も大きな疑問だ。

遺跡の頂上から町を見下ろすとここにもまた瓦屋根の町並みが広がっていた。
遠くアジアと繋がるこの瓦の文化の関係をいつか調べてみようと思った。
何百年も前に滅んだ遺跡といまこの土地で暮らす人たち。そのつながりもまた興味深い。

遺跡を降りて歩いてみると奥の方には水が流れる灌漑施設があった。
切りそろえられた石の水路の中を冷たそうな水がいまもまた流れていく。


いま目の前に広がる芝の生えた棚田にかつては作物が育てられていた。
いま目の前に崩れる壁の中にかつては儀式を司る神官たちが暮らしていた。

これがインカの遺跡の序章か。

これだけ取っても素晴らしいとしか言いようがない遺跡にまだ先がある。
そしてその先に僕は今から向かうのだ。


僕は期待をさらに抱え込み暗くなった町を列車に乗って後にした。

明日はもうマチュピチュの遺跡の中にいる。

列車の中で知り合った旅人たちと笑いながら、僕はアグアカリエンテの町へたどり着いた。

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