DATE:2009/05/20 Peru - Puno -
「あめ、あめ、ふ~れふ~れ、母さんが~♪」
チチカカ湖に浮かぶ島、ウロス島は完全なエンターテイメントランド。
訪れた最初の浮き島の帰り際、島の家族全員でこの歌を歌われた時には驚いた。
日本語に英語、フランス語にヘブライ語。なんでもござれのレパートリー。
もちろん島を訪れた観光客をもてなす為の企画なのだろうが、
これだけのサービス精神を持った観光地を今まで見たことがない。
プーノから船に乗って30分。
訪れたウロス島はなんとも素敵なエンターティナー達が暮らす素朴な島だった。
そもそもチチカカ湖で生きるために生まれた浮き島という発想。
もともとは陸地で暮らすことを許されなかった被差別民たちが暮らしていた島々。
トトラという葦のような水生植物を積み上げて作った島は5メートルは越える深さで
バスケットコートほどの広さの島に1つの家族が住んでいる。
資源の乏しいこの辺りの土地で暮らす人々の食料はチチカカ湖で取れる魚であり、
だったら最初っから湖の中に住めばいいじゃん、という何とも無謀なアイデアを
実際に実行し何百年もその歴史を保っているのだからものすごい。
アイデアだけならば簡単にできそうな気もするが、
冬になれば氷点下近くまで下がる湖の上で生きていくのは相当なものだ。
被差別の歴史がそうさせたとは言えこの島で暮らす人々の歴史は過酷なものだっただろう。
が、そんな生きるための知恵だったこの文化だが今では完璧な観光地。
今日見た限りだと10以上の浮き島があるのだが、
その全てが観光地化された島であったのにも驚いた。
プーノの町を出たボートはトトラが茂るチチカカ湖を進みウロス島へとたどり着く。
ボートはそれぞれツアー会社が契約した家族の島を訪れるのだが、
到着時の歓迎からして今までの観光地とは別格だ。
島の中から家族中の女性がぞろぞろと出てきて、
総勢10名ほどのピンクの民族衣装に身を包んだ女性が手を振ってお出迎え。
世界中の観光地を見てきたがこれほどまで歓迎ムードの場所は見たことがない。
女性たちはやはり毛糸のセーターにスカート、それに毛糸のタイツにもちろん頭の上には帽子。
そんなこの辺りの女性の典型的な衣装を着ているのだが、
肌は少し黒く顔の形もやはりプーノの町で暮らす人々とは違っている。
それが元々の民族の違いなのか、それともこの湖で暮らすうちに変わってきたのかはわからないが、
この島で暮らす人々は一様に明るくそれがとても嬉しくなった。
島に上陸してからは浮き島の説明を聞いて島の中を歩き回る。島はふかふかとした歩き心地。
歩き回るといってもバスケットコート程度の島だからすぐに終わってしまうのだが、
トトラの島の上に火をたくかまどがあったり、トトラで作った船があったりと中々に面白い。
驚くべきことに水の上に浮かぶ島にはテレビだってある。
元フジモリ大統領から贈られたという太陽電池がそれを動かしているのだろうが、
伝統文化丸出しの草の家の中で映るテレビはどこか可笑しく、
そのギャップの大きさに思わずみなが笑った。
豚が暮らし犬が暮らし鳥が暮らす人が作った人工のこの島は、
「人口」という言葉の響きとは裏腹になぜか温かみを感じさせてくれる。
もちろん島の人たちはお土産売りに精を出す。
あんまり売れてはいないがそれもまぁ、品揃えを見れば仕方ないだろう。
浮き船の模型に変な人形。残念ながら島のお土産のセンスはひどい。
その後はトトラの船に乗ったり(なんと20人乗り!)、
また別の家族の浮き島を訪れたりと文化を見に来たというよりは、
完璧にショータイムにやってきたという感じ。
なにせ僕はこの島に来てディズニーランドを思い出したほどだ。
それほどまでにこの島のおもてなしは徹底している。
完全に文化という面では破壊され観光のために残っているだけという感じもするのだけれど、
これだけ完璧にエンターテイメント志向を打ち出されると、
そんな小さなことなどどうでもいいのではないのかと考えさせられてしまう。
そもそも生きるためにしてきた事だ。生きるために文化を利用して何が悪い。
僕たちの全ての活動は生きるためにあるのだから。
もしかしたらこの観光地とは別の場所で
伝統的な暮らしをしている人たちもまだいるのかもしれない。
それはそれでこの場所との違いは面白いだろう。
僕は頑固なおじいちゃん達だけが暮らす島を想像してほくそ笑んだ。
「けっ、観光なんてくそ食らえ」なんてくだを巻きながら魚釣りをするおじいちゃん。
そう言えば訪れた島ではおじいちゃんを見かけなかった。
僕のそんなへんてこな想像もあながち嘘ではないのかもしれない。
しかしまぁ、見渡す限り広がるこのチチカカ湖にこんな変な島があるとは思いもしなかった。
世界はまだまだ不思議で満ち溢れている。
「夕焼~け、小焼け~の、赤とんぼ~♪」
最後の島での帰り際、日本人だよと言うと楽しそうに高い声を上げて
お土産作りに精を出していた一人の女の子が歌ってくれた。
僕がふざけて指揮を取ると、いつの間にか周りの女の子たちも歌いだし、
それに釣られて僕もまた一緒に歌いだしていた。
さよならの代わりのその歌を僕は一生忘れる事はないだろう。
夕焼け、小焼けの、赤とんぼ。負われて見たのはいつの日か。
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