DATE:2009/05/17 Bolivia - La Paz -
んーさっぱりだ。
世界遺産の遺跡、ティワナクへ来たもののなんだかさっぱりわからない。
やっぱりガイドを付けるべきだったかも、なんて少しばかり後悔する。
ラパスから約2時間ばかりの場所にあるティワナクの遺跡は、
後のインカ帝国の文化へ深く影響を与えた深い歴史のある都市なのだけれども
あまり詳しいことがわかっていない謎の都市でもある。
実際に遺跡を見てみればその技術が確かに高水準であった事がわかる。
まっすぐに切られた石組みの塀や整備された水路。
精巧な彫刻を見る限りは文化的にもかなり成熟した都市だっただろう。
ぐらいの知識は世界遺産検定ホルダーの僕としては当然の事として知っている。
が、、、いったいこいつら何なのよ?
と肝心のひとつひとつのディティールがまったくわからない。
勉強不足な僕としては現地に何かしら説明があると期待して行ったのだが、
置かれている石像や人工物になんら説明もなく、ただそこに風に吹かれるまま置かれているのだ。
おぃおぃおぃ、何千円の入場料は何に使われてるんだと思っても、
そんな思いで説明が空から降ってくるわけでもなく、ただ単に石像と共に風に吹かれるばかり。
時たま聞こえてくるガイドの声に耳を傾けるも・・・全部スペイン語。
と、結局わかったのは太陽の門がどれかという事と、
太陽の門にはカレンダーの役割があるという事だけ。
変な顔した石像や両手に何かを持つ精巧な石像は楽しめたものの、
こいつはいったい何なのだというフラストレーションのみがたまるばかり。
しかも恐らくほとんどは最近修復されたもので、
修復というよりは捏造に近いんじゃないかと思えるほど新しい石材だらけが転がっている。
併設するミュージアムもこれまたスペイン語のみで、
外国人料金を何倍にもするならばそれの対価ぐらい用意しとけ、と悪態をつきながら
結局なにがなんだかわからないままティワナクの遺跡を後にしたのであった。
まー仕方がない。せっかくなので近くの村でも回ってみてボリビアの田舎町の姿でも見ることにしよう。
そういえばこの辺りには犬がいる。
南米では我が物顔に町に寝そべる犬たちをどこかしこに見かけたものなのに、
ラパスの町中ではその姿を見かけなかったような気がする。
気のせいか?それとも人と車が多すぎて落ち着いて昼寝も出来ないからか。
そんな何気ないことが少し不思議だ。
田舎町の様子はというと、
これまたのんびりで圧倒的に民族衣装比率が高くなっている。
ボリビアの民族衣装はセーターにスカート。それに毛糸のタイツとちょこんと乗せた帽子。
これがボリビア人女性の典型的なスタイルだ。
強い日差しの日焼け止めのためだろうか、肌の乾燥を防ぐためなのだろうか、
暑い日にも関わらず一日中冬服のような格好をしているのが面白い。
男性はというと特に特徴はなく作業着のような格好をしている人が多い。
ボリビア人女性の体系は「ずんぐりむっくり」という言葉が良く似合う。
最初は服装のせいかとも思っていたがどうやら体型自体がそうらしく、
でかい肩幅に小さな身長。意外に足は細いというのが典型的な女性の姿だ。
小さい子供はそうでもないのでいつからそうなるのかは不明だが、
ほぼ一様にそういう体型をしている。
面白いことに個人的にはボリビア人の顔は中国のチベット人の顔に似ている気がする。
同じ高地で暮らす人々だからだろうか、深く刻まれたシワを見て最初に思ったのはその事だった。
人間も含めて全ての動植物が環境によって己の姿を変化させてきたという進化論を考えると、
同じような土地で暮らす人たちが同じような顔になるのは不思議ではないような気がする。
そもそも僕らはアフリカで生きた何万年前の祖先から枝分かれして生まれてきたのだ。
離れた場所で生きていたとして、何か共通点が見つかるのも当たり前のことかもしれない。
しかしまぁ、ボリビアの人たちは何だってそんなにしかめ面をしているのだろう。
笑わない人々とでも言おうか、なぜだか彼らは殆ど笑顔を見せない。
もしかしたら高地にさらされてできた深いシワがそう見せているだけかもしれないが、
なんだかいつも深刻な顔を浮かべているように思える。
一度も戦争に勝ったことのないボリビアの報われない歴史がそうさせるのか、
この地の厳しい自然がそうさせるのかはわからないが、
いつも不幸そうに見える派手さのない彼らのスタイルはとても独特で、
南米のケセラセラの人たちを見てきた後とあっては一種異様な民族にも思えた。
久々にぼったくり料金がはびこるボリビアのバスに警戒しながら町へと戻る。
あまりにも警戒していたかだろうか、行き先をきちんと聞くのを忘れて、
ラパスのどこか良くわからない場所で降ろされてしまったが、もう後の祭りだ。
仕方なしにうろうろと町をうろつくと日曜にも関わらずマーケットは盛大に開かれている。
それを見るとこの場所がやはり西洋文化の染み込んでいない独立した場所だと感じる。
南米含めヨーロッパの殆どの国は日曜に働いていることなどはないのだ。
日本人から見ると一番の稼ぎ時の日曜日に商店が開いていないなんて、
驚くほかないのだが世の中の常識とはところ変われば失われる儚い思い込みなのであった。
賑わう町並みを見ていると「やっぱこれが日曜だよねぇ」と一人感慨にふける。
もしかしたらヨーロッパ諸国進出前の南米の姿はボリビアの生活に近かったのかもしれない。
そう思うと南米の国々が失ってしまったいくつもの歴史が惜しくなり、残念に思えた。
町歩き、というか迷子も1時間もすれば光明は見えてきて、
ついには町へと向かうルートがわかる。
と、その頃には日も暮れ始めていて危険だといわれるボリビアの夜に、
戦々恐々しながら帰り道を急いだ。
後はこの坂道を下るだけ。そう思いマーケットを後にして町が見渡せる場所に出てみると、
あまりにも凄い絶景に急ぎ足も止まった。
ラパスの夜景。
着いたその日も。そして昨日も。
なんども見てきたはずのラパスの煌びやかな小さな光の夜景。
それはほんの一部でしかないことに今気づいた。
ボウルいっぱいに散りばめられた光の粒。
揺り動かされるように光の尾を引きながら動いているのは車のヘッドライトだろうか。
この夜景は世界で何番目なのだろう。
これほどの夜景を僕は今まで見たことがあっただろうか。
美しい建物がライトアップされたモナコ、高層ビルが立ち並ぶ香港。
そのどれとも違う夜景がいま目の前に散らばっている。
何か突出した美しさがあるのではなく、
ただ光の粒が集まっただけのその夜景はここに生きる人たちの生きた夜景。
そう思うと一粒一粒に呼吸を感じるようで、この美しさがさらに胸に染み込んだ。
やっぱりこの町は生きている。
過去から引き継がれた文化もいま作り上げていく文化も。
この明かりの下で暮らしているはずの民族衣装姿の彼女たちの姿を思い出してそう思った。
一人の女性が水色の衣装を身にまとい街灯の下、家路へと歩いていく。
目の前に広がる大きな夜景の絵の中で動く彼女の姿はとてもちっぽけだったが、
この町で生きる人々の象徴にも思えた。
ちっぽけな影が街灯に照らされまっすぐに伸びていき曲がり角を曲がると、また町は静止画へと戻った。
それでも僕の目の中にはまっすぐに伸びた彼女の影が写りこんだままだった。
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