2009年4月22日水曜日

世界一周(41)アルゼンチン/端っこデイズ











DATE:2009/04/22 Argentine - Ushuaia -


朝、チェックアウトを済ませた後にのんびりと観光に出かけた。

今日はぶらぶらと町を軽く散歩した後に目的地の最南端の日本人宿上野山荘へと向かう予定だ。
先にそちらに行っても良かったが上野山荘は町から離れているため、町歩きを先にしてしまうことにした。


とはいってもウシュアイアの町は特に観光するようなところは無い。

最南端であることに価値があるような町なので、ここに来てしまえば町にはあまり見所は無いのだ。

これが2月ぐらいまでであれば南極クルーズやペンギン観察なんてのもできるのだが、
残念ながら既にシーズンは過ぎ去ってしまっている。

南極ツアーが終わってしまっていたのは残念だがこれもまた次の機会ということだ。
ちなみに南極ツアーは20万~40万という高額ツアー。
せっかくここまで来たら行きたいのはやまやまだが実際行ったかどうかはわからないが。


地図を眺めながら行きたいところを眺めたが特に見つからず、
ふとしたことを思いついてそっちの方角へ歩いてみることにした。

本日のテーマ。

「南に行ってみよう」

くだらないテーマだが、ともかく最南端の最南端を目指すことにした。


地図を見るとどうやら空港辺りが最南端のようだ。
ウシュアイアの空港は町から3キロほどの距離にあり歩いていける距離。
半島のように突き出した土地に空港が建っていて、そこがちょうど南の端に当たるようだった。

ちなみに最南端を目指すならばビーグル海道を渡って南側の島に渡り、
さらにプエルト・ウィアムスというチリの村に行くというのが本当の意味での最南端目指しだが、
ここまでくればもうそんなことは忘れると言うことにしよう。

ともかく僕は今、最南端の町にいて、さらにその南を目指すのだ。


ウシュアイアの町からして既にのんびりな雰囲気だが、
そこからさらに郊外に外れるとさらにほのぼのとした雰囲気が満ちている。
しかもそこが海軍の軍用地だというのが、この町のほのぼの具合を象徴している。

ビーグル海道の入り江にはいくつかの家が建っていて、それが海に写りこみ揺らめいている。
海の中には海鳥たちが真剣にえさを突き、海にもぐっていく姿が見える。

陽気のせいもあってかウシュアイアの町は意外にも暖かくさすがにコートは要るが、
その下はTシャツでも十分なほどの気温だった。


空港がある入り江に入ると家もまばらになり草原が広がっている。
白い木でできた牧場のような垣根が何のためのものだかわからなかったが、
よく観察するとなぜかその中にダチョウのような鳥が飼われていた。
10匹ほどのダチョウがだだっ広い牧場を贅沢に使い日向ぼっこをしているところだった。

しばらく歩くと野原もまた終わり荒れた草原のような場所に出る。
そこをすばやく通り過ぎるものがあり、それをよく見ているとそれはウサギの姿だった。
野うさぎなのだろうがこんな南の辺境にウサギのような動物がいることに驚いた。
ウサギは僕の姿を見るといっせいに姿を隠し、しばらくすると臆病に首をだし外の様子を伺っていた。

空にはコンドルの姿が見えた。
こんな場所にも弱肉強食の生存競争があると言うことだろ。
臆病なウサギはこの場所で野生で生きる姿だった。



空港の近くまでたどり着いたがどうやらそこが終点で僕の最南端の旅はここで終わりとなった。
有刺鉄線が廻らされた世界の端っこの入り江の石に座りこみのんびりと海を眺めた。

こんな遠くまで来てもまだまだ大地は続いている。

有刺鉄線の奥に広がった大地に、そして海を越えて見えるさらなる向こうの大地に。
僕はそれを見ながらただこの地球の大きさを思った。

僕がこれまで旅した土地、そしてこれから旅する土地。
それを足し合わせたところで地球のほんの一部を見て来ただけなのだ。
そしてここパタゴニアの氷河のように地球は刻一刻と姿を変えている。この大地も人の暮らす町もまた。


旅の終わりは難しいものだな。


そう思った。それは諦めにも似ていたがそれとはまったく違うものだった。

人が生きている間に知ることのできるものなんて世界の構成要素のほんのひと握りだということ。
その事実はこの旅をはじめてから否応なく知らされた事実だった。

どんなに旅をしたところで終わりなんてものはないのだ。
だからこそ僕は僕自身でそれを決めなくてはならない。

お金、時間、国の数。

そのどれもが旅を終える理由のひとつだが決定的に違う気もしていた。

こんな世界の端っこまで来たところで旅を辞める理由にはならない。
そして行けば行くほどに世界はまた広くなり、行きたいところが増えてくる。
例えば別の旅人の話に、例えば広げた世界地図の片隅に。旅人のアンテナはいつもそこへと向かってしまうのだ。


ボクハイツタビヲヤメルノカ。


その物差しは旅を始めたころと比べ少しばかり狂ってしまっている。




なんだかんだで上野山荘を目指し始めたのは5時を回ってしまっていた。
バス停を目指す途中で財布を宿に忘れたことに気づき気分は萎えるが、
ウシュアイアに来た目的の一つだ。ここでやめる訳にはいかないと、重い荷物を背負ってまた20分ほど来た道を戻った。

財布を無事に回収し再度バスへの道を歩く。
途中、なぜかネット屋のおばちゃんに忘れ物を届けるようお願いされながら、
20分ほど待ちバスに乗り込み無事に上野山荘へとたどり着いた。



上野山荘。

南米を旅する日本人ならば誰もが知る日本人宿。
インターネットで検索すればその名はいくつも見つかるし、
日本人御用達の宿の情報ノートには必ずやその名が記されている。

こここそが世界最南端の日本人宿。
世界の端っこで日本人がたむろす変な場所だ。


ここに暮らす上野夫妻が移民してきたのはもう何十年も前。
そして夫は既に他界し今はアヤコおばあちゃん一人だけが住む。

いつの頃からこの宿が始まったのかは知らないが、
何十年の歴史のある宿でウシュアイアまで来た旅人は必ずと言っていいほどここを訪れる。

それは世界最南端の宿ということもあるが、
ここに暮らすおばあちゃんに会いにという事もある。

そんなわけでアヤコおばあちゃんは夫が他界した今も、
毎日旅人に囲まれてにぎやかに暮らしているのだった。


宿についた頃、ちょうどレンタカーでの観光から帰ってきた人たちと一緒になり、
その物音を駆けつけたおばあちゃんが笑顔で玄関で迎えてくれた。
その横にはわたわたと走り回る愛犬のトルゥーチャもいっしょだ。

日本人宿にはどこかほっとするような暖かい雰囲気のところが多いが、
ここ上野山荘はいっそうそれを感じさせる場所だ。
それはおばあちゃんの性かもしれないし、最南端の地で身を寄せる暖かさのせいかもしれない。


旅の話をし、くだらない話をし、ウシュアイアの夜は更けていく。


南へ。南へ。

僕は今、終着点へとたどり着いた。

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