DATE:2009/04/15 Argentine - El Calafate -
青白く光る氷の炎はまるで、命のように差し込んだ光と共に鼓動を続けている。
なぜこんなに美しいのだろう。
巨大な氷塊の前で僕はただその疑問を抱き続けた。
「なぜこんなに美しいのだろう」
乾いた音が空気を割ると、どこかで氷塊が崩れた音がして氷河が己の生を主張する。
まるで叫びのような軋む氷河の音はどこかで聞いたような不思議な音だ。
それでいて言葉にしようとすると、どれもが当てはまらないのだからやはり不思議としか言えない。
そんな音がこの場所では数分も置かずに生まれ続けている。
だからはやり氷河は生きているとしか言えない。
しかしこの音が生まれるということは氷河がどこかで死んでいるという意味でもあるのだ。
音も立てず数十キロ先で生まれた氷河は死ぬときにだけ、一度声をあげるのだ。
乾いた、力強い声を、一度だけあげるのだ。
耳を澄まし、その死の産声を聞こうと懸命になる。
小さな産声に耳を澄ますと、小さな氷河の欠片が落下する姿が見えた。
身を埋めた氷塊の存在を称えるかのように、波紋が湖を揺らしている。
何万年も続く死の瞬間。今日もまた音を立て死を祝う。
薄い琥珀色の湖には落下した氷河の欠片がいくつも漂う。
こぶし大のものもあれば十メートルはありそうな巨大なものもある。
その一つ一つが今だ青い炎を抱いている。
何十年もの間、光を貯め続けたからだろうか。
湖を漂う燈篭のような青い光は揺れることなくじっとその姿が果てるのを待っている。
これは死なのだろうか。
ふと、当然と思っていたことが疑問に思えた。
湖に溶けていく青い光を見るとそれが始まりだとしても正しいように思える。
何十年もの旅をした氷河は、また次の旅を始めているのかもしれない。
次は海に向かって。そしてまたいつかその水は雲になり雨になり、そして氷河へと姿を変える。
真上から見下ろした氷河は、
まるで咲き乱れる花のように尖った氷塊をあらゆる方向へと伸ばしている。
平原のようにどこまでも続く氷塊の花びらは、その全てが歴史なのかもしれない。
一日で2mというスピードでゆっくりと前進を続ける氷の河の
歪み、うねりが全ての氷塊たちを少しずつ今の姿へと創りあげていったのだ。
きっとそれは年輪のように、毎日少しずつの時をその体に刻み続けていったのだ。
二度とこの氷河を見ることはないのだな、そう思った。
明日はまた明日の顔を。どこかしら毎日少しずつ変わっていくのだ。
そう思うとこの瞬間の今の氷河の姿がとても愛おしく思えた。
スポットライトを浴びるように雲間から差す日の光がゆっくりと氷河の上を動き回り、
氷河をまた白と青に染め抜いていた。
その一秒一秒の景色もまた、二度と見ることのない景色なのだと知った。
何年か後、この氷河をまた見に来よう。
それまでこの青い炎が燃え尽きぬように。
帰り道、ただ僕はそう祈った。
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