2009年4月7日火曜日

世界一周(40)チリ/名もなき町のとある教会











DATE:2009/04/07 Chile - Osorno -


朝5時、5分前。

なぜか旅に出てからこういうことが多いのだが、
きっちりと時間前に目が覚める。

日本で働いたり学校へ行ったりしていた時は
まったく能無しだった体内時計が今はすっかり高性能。
時間なんてほとんど気にしないバックパッカーには宝の持ち腐れって奴だ。


そんなわけで時計にそれを知らしめるために、
早朝6時のバスをやり過ごし僕はふかふかのベッドの中へと潜りこんだ。

全てはふかふかベッドの所為だ。




次に目が覚めたのはすっかり日が昇った9時半ごろ。
いそいそとパッキングをして11時のバスへと乗り込んだ。

今日はオソルノという町まで行き、
そこで一泊し明日またバリローチェ行きのバスへと乗り継ぐ。

プエルト・モントで一泊しても良かったが、
前に乗り継ぎの時にちらりと見た限りでは何か面白そうな町とは思えなかったし、
だったら知らない別の町へと行ってみるのもアリかと思ったのだ。

それにオソルノまではプエルト・モントから1時間かかるのに、
2ドルほどしか変わらず、もしかしたらこちらのルートの方が、
バリローチェまでのバス代が少しは安くなるかも知れないと期待もしている。



さらばチロエ島。

なんだかんだ気に入ってしまった、
「かわいい」だらけの島を去るのはちょっとだけ寂しかったが、
また次の町が待っている。

バスは相変わらずキラキラな乙女の島を走り抜けると、
フェリーに乗り込みプエルト・モントへとたどり着いた。

プエルト・モントで30分ほど休憩すると、
1時間ほどサンティアゴからの道を引き返してオソルノへとたどり着く。


プエルト・モントからオソルノへの道。
行きのバスの中では気がつかなかった美しい山を見た。

富士山のような美しい八の字型の万年雪を抱いた青い山。

あれが有名なオソルノ山という奴か。

オソルノからバリローチェへの道の途中にももう一度姿を現すという。
明日のバリローチェ行きにもまた期待が高まった。




オソルノの町。

さすがガイドブックにもほんの少ししか記述がないだけあって、
見た限りはやっぱり何もない気がする。

バスターミナルの周りが中心街のようで、
やたらと大きなスーパーマーケットやショッピングセンターがいくつもある。
地方の中心都市といった所だろう。
観光するには物足りないだろうが、
どうせ乗り継ぎのための中継地。
ともかく明日、バリローチェへと行ければ良い。


バスターミナルでバリローチェ行きを探すも、
結局、プエルト・モントで買う値段と一緒で少しバス代が高くついた。
作戦失敗という奴だ。

適当な宿を探しチェックインすると、
キッチンが使えると言うことだったので、
久しぶりの自炊をしようと買い物がてら町をふらつくことにした。


ショッピングモールにいくつかの教会。
町並みはいたって普通で田舎の商店街を思い出す。

町の中心には公園があって例によって噴水なんかが水しぶきを上げている。

そんな何でもない街角にある教会をふと見ると、
それが奇抜なデザインであることに気づきいぶかしみながら近づいてみる。


誰が作ったのかもわからない大聖堂。

その外観はいくつもの楕円を重ねて作ったようで、
コンクリート造りの建物の真ん中にすらりと高い塔が伸びている。

どこぞの建築家が作ったのかは知らないが、
チロエ島のシンプルな木造教会を見た後ではとても新鮮に思える。


そういえば南米の教会はこういうデザイナー建築的なものが多いような気がする。

ヨーロッパの文化をミックスしているからなのか、
ブラジルやチリの教会もまたコンクリート造りのユニークなものだった。

ヨーロッパのように伝統に縛られない、
南米らしさというべきなのか、南米の教会めぐりもまた面白い。



教会の扉を開ける。

まず飛び込んできたのは聖歌隊の歌声だった。
どうやら練習をしているらしくオルガンの音と共に
美しいソプラノの声が大聖堂の中に響き渡っている。


そして僕はその内部の美しさに思わず絶句したのであった。


なんでこんなところに。

そう思ったのが僕の第一印象だ。
それほどにオソルノの大聖堂は美しく光に満ちていた。

南米ではもちろん、ヨーロッパでさえも
これほどに美しい教会は見たことがなかった。

壁一面を赤みがかった黄色いステンドグラスが囲み、
夕日を吸い込んだ窓から声を失うほどの美しい光を放っている。

その光とコンクリートの曲線が生み出す影が、
教会にコントラストを与え光をさらに強調している。

大聖堂の両脇から。
そして十字架の掲げられた教壇の後ろからも。

その黄みがかった光は世界を照らし神を演出していた。


これこそがキリスト教。

追求された舞台装置は僕らをいつも感動に陥れる。



しばらくその光を浴びながら聖堂の中を歩き、
そしてまたしばらく長椅子に腰を下ろして教会の中をじっと眺めた。


名も知らぬ町でこの教会に出会えたことは幸運以外のなにものでもないだろう。

きっと世の中にはガイドブックには載っていない埋もれた宝物がたくさんあるのだろう。
僕は幸運にもそのひとつと今日出会えた。



たとえ一生世界を旅したとしても、世界は知らないことばかりだろう。

そんな世界の大きさに絶望する。

そしてそれは世界のほんの一握りで
人は幸せに生きていくこともできるという事でもあるのだ。


僕たちは昔、一粒のキャンディーで微笑むことができた。

それを忘れてはいけない。

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