2009年3月18日水曜日

世界一周(39)ボリビア/ウユニを越えて











DATE:2009/03/18 Bolivia - Uyuni -


ぷはぁ。

のぼせそうなぐらい体を深く沈めしばらくして、僕はひとつ息を吐いた。

今僕がどこにいるかというと、なんと温泉にいる。
外に出れば高度四千メートルが身に沁みる極寒の地なのだが、
こと温泉のお湯の中に浸かっている時においてはその限りではない。

日本人はやっぱり温泉好きだよねぇ。なんて思っていたが、
温泉好きは日本人だけの専売特許ではないらしく
世界各国全てのバックパッカーが水着になり久々の入浴タイムを楽しんでいる。
とは言え日本とは違い水着着用が義務付けられるのが海外の温泉だ。
なので見た目にはなんだか温水プールにいるようでもある。

まだ日も高く上らない時間、温泉に写りこんだ空の色は濃い青色をしている。
温泉の向こう側に見える湖にも空と雲が写りこみ鏡のように静かに水がたゆたっている。
ふわりと香る硫黄の香りが立ち昇る湯気と共に僕らをふんわりと包んだ。


しばらくすると朝ごはんの準備ができたとの声が上がり、
しぶしぶながらツアーのメンバーと共にゆっくりと温泉を出た。
とは言ってもゆっくりとしていたのは最初だけで、
外の寒さを感じたとたん皆が早送りのように着替えを済ませた。

例によって他のツアーと比べると何品か少ない朝食を済ませ、
僕らは最後の観光先であるベルデ湖を目指した。


朝早くの出発だったからかみなジープの中で眠りこけている。
今朝の出発は日の出前、朝4時でそこからジープで日の出前に火山の間欠泉を見た後に温泉へと向かったのだ。
何もまぁ日も昇らない内から火山を見る必要はないのだが、ツアーの日程上仕方ない事らしい。
薄暗い中の火山見学は迫力を欠いたが、その後に見た朝日が昇る姿は、
五千メートル近い場所からだからだろうか見たことがないほど雲が近く、
朝日に金色に濡れた雲の姿がとても美しかった。

その後、そのまま温泉へと向かい朝食を食べ終えて今へと至る。

湖へとついた僕らは最後の観光を終えチリへ抜けるグループと、
このままウユニへと戻るグループへと別れてツアーは解散となった。

あっという間の3日間。
ウユニ塩湖という特別な場所も大きな思い出のひとつだが、
それ以上に一緒に過ごした仲間との時間が深く思い出に残った。

残ったウユニに戻るメンバーへと手を振った。
僕らの姿が遠く消えるまで彼らの手は止まることなく、笑顔のまま見送ってくれた。
またいつかどこかで。
目の前に広がる乾いた道を走りながら僕は自然とそう思った。
山々に写る雲の影を見て、これもまたしばらく見ることのない景色なのだと思った。



ボリビアの国境へとたどり着くとドライバーは来た道を引き返し、
ついに本当にツアーは解散になった。

残ったメンバーとバスに乗り込んでチリ側へ出発するのを待つ。
なぜかボリビアの出国手続きをしている人としていない人がバラバラで、
結局、何のためにウユニで出国手続きをしたのかは良くわからなかった。

1時間ほど待つと全員の出国手続きが終わったらしく、
バスはゆっくりとボリビアの国境を後にした。

ついに新しい国、チリへと入る。
またどうせ戻ってくるボリビアなのでそれほど思いはないが、
それでもこのウユニ塩湖の旅は特別なものだった。
またいつかもう一度。この場所に訪れる事だろう。
この次はやはり水鏡の時期がよい。何年後かもわからない再訪に思い少しわくわくした。


どうやらチリの国境を抜けたらしい。
それがすぐにわかったのはデコボコの未舗装道路だったのが、
いつの間にかアスファルトの道へと変わったからだ。

国が変われば全てが変わる。
それがあまりにも良くわかるチリの幕開けに僕はなぜかニヤニヤしてしまう。
どうやらチリは南米でもかなり発達しているところらしい。

旅を続けているとそれを見分けるポイントがいくつか出来てくる。
交通機関などのインフラは最もわかりやすいもので、
道の良し悪しでその国の物流のレベル、しいては経済活動のレベルが変わるのだから最もわかりやすい。
道路、線路、空路。
どうやってその国が動いているのかをそれを見ればわかるのだから、
交通機関とはとても不思議なものだ。国の血管と称されるのも良くわかる。


という訳で一気に変わった快適な道路を突っ走っていると、
あっという間にチリのイミグレへとたどり着き入国審査となった。

入国審査自体はとても簡単でパスポートへのスタンプも簡単にもらえるのだが、
チリの国境は一筋縄ではいかない。

チリは農作物などの持ち込みが非常に厳しいことで有名で、
果物ひとつ、種ひとつ持ち込むことができない。
徹底してチェックを行っているらしく今回も全員荷物の中身を全て検査され、
チェックされた後はみな四苦八苦して再度パッキングをしなおす羽目になった。


イミグレでの入国手続きが終わると再度バスに乗り込んで、
サンペドロ・アタカマの町まで走りそこで本当の解散となった。

ツアーのメンバーと別れちょうど一緒になった日本人の何人かと観光案内所に向かった。
とは言え各々目的地が違うのでそこで各自情報を集めると、それぞれに別の目的地へと散っていった。

僕はと言うと当初の予定ではこのままアルゼンチンへと向かうはずだったのだが、
調べてみるとどうやらアルゼンチン行きのバスが金曜にしかないらしく、
それを待つと丸2日もこの何もなさそうな町で待たなくてはならない。
移動続きだったのでしばらくここでのんびりしても良いのだが、
どうせなら先にチリのサンティアゴに行ってしまうという案もある。

そもそもで言うとウユニからチリに抜けてしまったのは間違いらしく、
聞くところによると、そのままアルゼンチンへと抜けるルートもあったらしい。
その辺はガイドブックがない僕としてはどうしようもなかったのだが、
なんとも非効率なルートを通ってきてしまったようだ。

パラグアイからウユニまでのルートといい、最近は力任せのルート選びが多い。
アジアだと簡単だった情報収集も南米だとなかなか手に入れ辛く、
日本人宿の情報ノートやガイドブックなどの必要性を少し感じてきている。
まぁ何とかなると言えば何とかなっているのだが、
それほど時間に余裕がある旅ではないのでそろそろ対策を考える必要があるかもしれない。


そんな反省会が頭の中で繰り広げられたが、
さて今日はどうするか。進むべきか、留まるべきか。

・・・行っちゃうか。サンティアゴ。

なにせここ暑いしね。

と、砂漠のようなサンペドロ・デ・アタカマの暑さにやられ、
勢いでサンティアゴを目指すことにした。
おぃおぃ良いのかそんな適当なルートで・・・。なんてことも思うが、
旅はそういうのが良い出会いに繋がることもある。と言い聞かせた。

サンティアゴまでは約22時間。料金は約50ドル。
いきなり跳ね上がったバスの値段に驚くがこれがチリの物価なのだろう。
ボリビアの激安物価がすでに懐かしい。



ほんの少しの時間町を歩いた後、バスに乗り込むと
これまたボリビアとは雲泥の差の快適なバスで20時間以上の旅もへっちゃらだと思った。

走り出したバスはアタカマの町を出てアタカマ砂漠を疾走し始める。

あれ。。。この辺りの景色凄くね!?

辺りにはうねうねとうねる山肌やざくざくと掘り返されたような地形が遠くまで続いている。
今まで見たことのないような美しい岩の景色に目を奪われる。
天然資源が多いのだろうか採掘場のようなところもちらほら見られその変化が面白い。
・・・ここに2日居てもやることはあったな。。くそ、やはり情報不足。

ま、いいか。今度またウユニに来るときにでも。またね。



と、そんな訳で急遽始まった南米チリ編。
さて何が起きるやら。

まずはサンティアゴへGO!!!

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