DATE:2009/03/14 Bolivia - Potosi -
カチンコチンになった手足をぶるぶると震わせて、
僕はタリハのバスターミナルへと辿りついた。
忘れていた、と言うよりもなめていたのだが、
ここボリビアの夜行バスは非常に冷えるのだ。
そりゃ3000メートル級の山々の間を
縫うように走るバスだから当然のことなのだが、
最初に辿りついたヴィラ・モンテスの町が暖かかったのですっかり油断し、
防寒具は大きなひざ掛け用の布一枚だけしか車内に持ち込むのを忘れてしまっていた。
と言うわけで深夜になり急に冷え込んだバスの中、
凍えながらの深夜特急となったのである。
早朝に辿りついたバスから降りて最初にしたことといえば、
もちろんヨーロッパ以来封印していたダウンジャケットを取り出したことに決まっている。
見ればバスターミナルに溢れる人達も、
一様に寒そうな格好をしている。
しかしその姿がユニークで思わずじろじろと見入ってしまう。
そうあの教科書で見たポンチョ姿なのである。
そういえば南米に来てから
民族衣装という奴を見る機会はなかったように思える。
ブラジルのサンバの衣装が民族衣装と言われれば、
そうかと言うしかないのだが、
ブラジルやパラグアイ含めて適度に近代化が進んでいて、
そういった「民族」を感じさせるものは少ない。
もちろんパラグアイのマテ茶など、
文化的に残るものは多いのだが、
服装などは西洋からの移民が多いからか、
ほぼヨーロッパと同じようなもので、
見た目でわかるような違いは見ることはなかった。
ボリビアに入ってからもヴィラ・モンテスの町ではそうではなかったのだが、
ここタリハに着いてから一気に民族の色が濃くなっている。
それはきっとヴィラ・モンテスがアマゾン付近の村に対して、
タリハがアンデス山脈に暮らす民族だからなのであろう。
顔もやはりヴィラ・モンテスの人々とは異なり、
文化だけでなく異なる民族が暮らしている事がわかる。
リャマの毛で織った色鮮やかな毛糸のポンチョに身を包み、
真っ黒な黒髪を三つ編みにしてちょこんと帽子を頭の上に載せている。
ポンチョの下には真っ黒なタイツを履き、肩の張った服を着る。
背丈も小さく150センチぐらいの人々が多い。
顔は中国のチベット族に近い浅黒いぺたりとした顔だ。
思わずその顔に親近感を持ってしまいじっくりと見ていると、
めんどくさそうにそっぽを向かれてしまった。
運良くウユニへの経由地の町ポトシ行きのバスが捕まり、
朝もやがまだ漂う町を抜けてボリビアの悪路を今日もまた走り出した。
移動。移動。移動。
正直体はしんどくもあったがウユニの水鏡への希望が
相変わらず飛んだり跳ねたりのボリビアの道さえも楽しくさせた。
しかしまぁ恐ろしい道を走るものである。
昨日は夜中なので気づかなかったが山々の間に張り巡らせた道は、
単なる砂利道でしかなくもちろんガードレールなんかはあるわけもなく、
その中を猛スピードで走るおんぼろバスはある意味で1つのアトラクションにも思える。
冗談ではなく旅行者の中にもバスが横転して怪我をしたなんて話は良く聞くし、
実際に乗ってみるとそれが別に特別なことでもないことがわかる。
そんなジェットコースターのような道なのだが、
バスの中はのんびりとしておりカンツォーネのような地元の音楽がのんきに流れていたりする。
時折、小さな町で止まると大きな荷物がどっさりと降ろされ幾人かがそこで降りた。
そんな停車中でもバスの中は動きを止めずひっきりなしに乗り込んでくる売り子達が、
水や食べ物、そしてゼリーのようなお菓子なんかをどっさり抱えて乗り込んでくる。
見てるだけなら楽しいが、その売り子に荷物を盗まれたなんて話も良く聞くので、
少しばかりは気を使わなくてはいけない。とは言え総じてのんびりなバスの旅だ。
外の景色は3000メートル近くの高地にも関わらず、多くの農地が見える。
山々の間に作られた農地に中国の雲南省を思い出させたが、
それに比べるとボリビアの農地はいびつで非効率な気もする。
時折、山の中に石垣で囲まれた農地のようなものを見かけるが、
それが使われてい様子もなく、ただ国境線のような存在感だけがぽつりと山に落ちていた。
道には時折、キリスト教の祠のような小さな十字架が置かれている。
交通安全のためなのかなんなのかはわからないが、
その十字架の周りで墓参りのような人々を見かけたので、
もしかしたらそういった意味もあるのかもしれない。
民族衣装に包まれたボリビアの人々がキリスト教を信仰する姿にはなんだか違和感を覚えた。
隣に乗っていたおばちゃんが「あれはリャマだ」とか「牛だ」とか教えてくれるのだが、
スペイン語がちんぷんかんぷんの僕にはほとんど理解できなかったが、
それでもおばちゃんは暇なのだろうか飽きることなく僕への講義を続けた。
ボリビアでは帽子をかぶるのも民族衣装の一つらしく、
そのおばちゃんはお洒落に黄色い花の付いた麦藁帽子をかぶっていた。
疲れたのか眠りこけたおばちゃんの持つ麦藁帽子がバスに揺られて花が揺れる姿がきれいだった。
早朝から出発したはずのバスは夕方になってやっとポトシの町らしき大きな町にたどり着き、
すり鉢状になった町をゆっくりと下って大きなバスターミナルへ止まり今日の旅が終わった。
今日のうちにウユニまで行くか迷ったが、
ともかくバスを探してみようと情報収集を始めた。
ウユニ行きのバスはたどり着いた大型バスターミナルからは出ないようで、
町の中心辺りまで出て探さねばならないようだった。
バスで町の中を通り過ぎたときに大体の見当はつけておいたので、
そこへ行く市バスに乗り込み5分ほどで中心地へとたどり着いた。
町は屋台が軒を並べ、野菜売りなどの姿もちらほら見える。
夕暮れ時に近かったが活気付いているように見え、
シルクハットのような帽子をかぶった母親らしき女性たちが、
野菜や衣服なんかを品定めしていたりする。
子供たちの姿も多く日焼けしてほほを赤く染めた子供たちが、
屋台や市場の周りを走り回っている。
ボリビアの人々は笑顔が少ないように思えたが子供たちは笑顔で走り回っていた。
いくつかあるウユニ行きのバス会社を回り、
どうやら今日中にウユニまでたどり着けそうだと言うことがわかったので、
しんどくはあったが30分後に出発すると言うバスのチケットを買った。
3日も続いたバスでの移動がやっと終わろうとしていた。
いまだ現役のタイプライターがカタカタと音を立て僕のチケットへ文字を刻み込んだ。
出発までの時間で屋台のご飯を食べ、急いで戻りバスへと乗り込んだ。
ウユニへの道は相変わらずの悪路だが今までと少し違うのはそこが砂漠のような道で、
砂丘のような姿が延々と続いていることだった。
月明かりで照らされたその道を見ながら、昼間ならばどんなに美しいだろうと思った。
すれ違う車もなく僕らを乗せた中型バスは月明かりの道を延々とまっすぐに走った。
ウユニに付いたのは12時近くだっただろうか。
ともかく真っ暗な町に降り立ち、街灯さえない道をビクつきながら宿に向かった。
ボリビアはそんなに治安が良い場所ではない。
時たま町を歩く人を見るとなるべく離れて歩き、
ようやくたどり着いた宿のベッドにぐったりと沈み込んだ。
2日前にルートも定かではないままパラグアイを出発した僕は、
ようやくこの場所へとたどり着いた。
旅の常識「なんとかなる」はやっぱりその通りだが正直しんどい移動だった。
しかし今、目の前には南米で最も行きたかった場所と言ってもいいウユニ塩湖がある。
水鏡の状態はいまだわからないが、ともかくここに来れた事がうれしかった。
長旅の疲れからかベッドに沈み込んだまま起き上がる事もなく、
僕はそのまま眠りへとついた。
それはとても、とても心地よい眠りだった。
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