DATE:2009/02/04 Italy - Milan -
でかいなー。
なんだかそんな感想しか生まれない。
今まで幾つもの教会を見すぎたからなのだろうか。
ミラノのドゥオーモを見たときの感想はそんなものだった。
いくつもの尖塔が空を目指すドゥオーモの姿は美しくはあるが、
そのゴシック様式の姿もまた見飽きたと言ってもいいものだった。
これが教会疲れという奴か。
ヨーロッパを旅する旅人がいつかかかる贅沢な病。
確かにこう毎日毎日教会ばかり見ていたら飽きもしてくる。
もう教会はサグラダ・ファミリアぐらいにしか興味はなくなっていた。
そしてバルセロナはもうすぐそこにある。
ドゥオーモの姿を見て贅沢にもそんなことを考えていた。
ドゥオーモの周りにはたくさんの観光客があふれている。
その中に混じって観光客相手の商売なのか、
鳩のえさを強引に渡したり、人の手に勝手に紐を巻きチップを巻き上げている奴らもいる。
別にそういうのは慣れているのでからかいながら彼らと遊び、
どこから来たの?と聞いてみるとセネガルやエジプトなどアフリカ系の移民のようだった。
移民と言うと正しくないのかもしれない。
恐らく彼らはビザを持たず不法滞在をしている人々なのだと思う。
そういう人々がミラノの最大の観光地のドゥオーモの前でこういった強引な仕事をしているのをなんだかなぁ、と思った。
一部の人々は彼らの行為に対して不快感を感じるに違いない。
そしてそれはイアリアという国に対する評価になっていくのだ。
もちろん彼らは彼らで生活のためにやっていることなのだろうが、
人の国に来てまで迷惑をかけるなんて、どうにかしてる。
せっかく国を抜け出してチャンスができたというのにそんな小さな生き方をして何になるのだろう。
ふと、ギリシャで手を振ったアフガニスタン人たちを思い出した。
彼らもまたいつかここにいる不届き者たちと同じ姿になるのだろうか。
あの時に見せた無邪気な笑顔を忘れてしまうのだろうか。
そう思うと少し切なくなった。
ドゥオーモを離れて今日の目的地へと向かった。
ミラノに来たのはこのためだと言っても良かった。
最後の晩餐。
言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作がここミラノにはある。
それが描かれた小さな教会はそのつつましい姿にも関わらず、
ある意味では世界一有名な教会となっている。
ドゥオーモからは少し離れてはいたが歩ける距離だったので街歩きも兼ねて歩いて行ってみることにした。
ミラノの町もまた石造りの建物に囲まれた歴史的な街並みを残している。
そこに歩く人々もさすがはファッションの都というべきで皆がみなお洒落な服を着こなしている。
紫のダウンジャケット。真っ赤なロングのコート。色とりどりの服が街に踊る。
単に黒いジャケットを着ているように見えても胸元からのぞくシャツに工夫があったり、
なんだかお洒落さんたちばかりだ。
というわけで薄汚れたバックパッカーには少しばかり居心地の悪い街でもある。
なるべく街の雰囲気を壊さないように。なんて小さくなりながら街を歩いたのであった。
1時間ほど歩いてサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の前へとたどり着いた。
噂ではチケットは全てソールドアウトで入るにはキャンセル待ちで何時間も待つ必要がある、
ということになっていたが運が良かったのか冬だからなのかはわからないが、
窓口で空きはあるかと聞いてみるとすぐに次の回の入場券を購入することができた。
さすが人気の作品ということもあり最後の晩餐を見るためにはガイド付のツアーに入り、
15分ほどの制限時間で鑑賞しなくてはならない。
作品は最後の晩餐ひとつだけなのでそれでも十分と言えばそうなのだが、
普段気に入った作品は気が済むまでじっと見ているタイプなので少しながら不満はあるが仕方がない。
15分ほど待合室で待つとすぐにガイドが案内を開始してくれた。
ガイドと言っても全てイタリア語なので聞いていてもさっぱりわからない。
恐らくは教会の歴史やレオナルド・ダ・ヴィンチとの関わりについてでも解説しているのだろう。
表で貸し出していたオーディオ・ガイドを借りてこなかったのを少し後悔した。
ガラスの自動ドアが開く。
教会への入り口が開き、ゆっくりと中へと足を進めた。
教会の前面の壁を見る。
いつの間にか鳥肌が立っていた。
その絵の持つ力にあっという間に引き込まれていた。
目の前には「最後の晩餐」がある。その事実。
そしてその作品が持つ幾つものストーリー。
そう言った憧れや予備知識だけではないものが僕の頭の中に直接入り込んできたようだった。
あっという間に15分は過ぎて、ぼーっとした頭のまま僕は教会の外へと出た。
なんだかとてつもないものを見たような気がしていた。
何の変哲もないようなシンプルな教会の中のたった1つの絵。
それが今まで見たどんな教会の宗教画よりもくっきりと頭の中に残っていた。
たった15分。そのために僕はこの場所にいた。
そしてその15分は今日一日の、もしかしたらイタリアで過ごした日々の中の最も大切な時間になった。
宿に戻りイタリアワインを飲みながらこの日記を書いていても、
その15分が頭の中をぐるぐるとまわっている。
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