2009年2月3日火曜日

世界一周(35)ヴァチカン/イタリア人め!















DATE:2009/02/03 Vatican - Vatican -


どうやら思っているよりもアルデンテとは硬いものらしい。

イタリアでパスタを食べて3食目。
ようやくその事実を確かめることができた。


パスタなんて誰でも作れるじゃん。と思うものだが、
これが結構諸外国へ行ってみるとそりゃねーだろと思うふにゃふにゃのパスタが出てくることが多い。
この前なんて自炊していたアメリカ人は、20分も茹で上げたパスタに塩をかけて食べていた。

理由を聞くと「安いから」だそうだ。
まぁ、そりゃそうだけどそれはちょっと食べ物としてはどうかと思うが、
それは極端な話としてパスタひとつとっても
日本人が考えているものはレストランではなかなか食べられないものなのだ。

というわけで個人的な定説として
「パスタをきちんと茹でられるのは日本人とイタリア人だけ」と思っていたのだが、
どうやらイタリア人に言わせればその日本人さえも「茹で過ぎじゃん」と思っているのかもしれない。


個人的には少し硬すぎだとは思うのだが、
意外にもこれがソースとよく絡まりあい、なかなかどうして美味しかったりする。
ソースと絡めることも考えればこれもまたありのようだ。

そう考えてみればもしかしたらあのフランス人が作るぐにゃぐにゃのパスタも
結局のところその国の人々の好みでしかなく、あれはあれでありなのかもしれない。
とは言っても個人的にあのソースをまったく寄せ付けないほどの水分を含んだパスタが
正解だとはどうしても考えられないのだが。


ローマの食堂でパスタを食べながらそんなことを考えていた。
なかなかどうして食とは奥が深い。




朝早く訪問した大使館で無事にブラジルビザを受け取ったあと、
今日は前回行けなかったヴァチカン博物館へ行ってみることにした。

世界最高の美の集合を見せつけられた前回のヴァチカン訪問。
その博物館にも多くの美術品が集まり、そしてかの有名なシスティーナ礼拝堂がある。
すっかりパスポートの要らない世界最小の国ヴァチカンのファンになった僕は今日もかなりの期待をしてそこへと出かけた。


街中にあるジェラート屋さんでマンゴーのジェラートを買って
とことことヴァチカン市内を歩きながら博物館を目指す。
博物館はバス停からぐるりとサン・ペドロ大聖堂を回っていかなくてはならず、
結構な道のりを歩かなくてはならない。

とは言えマンゴーのジェラートがあまりにも美味しく、
乙女チックにも幸せな気分になりヴァチカン散歩もすぐに終わり博物館へとたどり着いた。




チケットを購入し館内に入るがそもそもどこに行っていいのかもわからず、
うろうろするといつの間にか中庭へと出てしまった。

その中庭を見たときにここがルーブルにも匹敵するほどの
とてつもない大きな美術館であったことに気づく。

端から端まで歩くことさえも大変な中庭を囲むのは全て美術館の建物なのだ。
さらにその中央には最大の見所のひとつである絵画館が建っている。

この時点で今日のうちに全てを見ることは無理だと悟った。
入った時間が1時ごろと遅かったこともあり、閉館の6時半までの時間は5時間しかない。
普通ならば十分な時間なのかもしれないが美術鑑賞の時間がやたらと長い僕には、
この大きな美術館をそれだけの時間で見切ることは無理なのだ。
なので今回もまたメインの作品だけを見ていく作戦を取ることにした。


まず、一番最初に見るべきはラファエロの最高傑作とも言えるシスティーナ礼拝堂。

一番奥にあるそこを目指して美術館を歩き始めるが・・・これがなかなか進まない。

さすがヴァチカンと言ったところで、
その辺に適当においてあるような彫刻もなぜかまじまじと観察せざるを得ない。
特に地図の間と呼ばれる廊下には両面に世界各国の地図が飾られており、
そのデコレーションされた地図を眺めているだけであっという間に時間が過ぎていった。


単にシスティーナ礼拝堂までの道順を順路どおりに回っているだけなのにあっという間に3時間が経っている。
彫刻展や地図の間などを通りやっとたどり着いたのはラファエロの間と呼ばれる、
彼が生涯を費やして一面に絵を施した部屋だった。

あまり絵には詳しくないが見たことのある絵ばかりが部屋を覆いつくしているというのは壮観なものだ。
薄暗い部屋は下からの明かりでライトアップされており、
浮かび上がった絵が見るものを圧倒する。

しばらく見とれていたが時計を見ると既に5時を回っている。
こうしちゃいれないと、ラファエロの間を後にして、
ダリなどの現代アートが並ぶ間を勿体無いが素通りし急ぎ足でシスティーナ礼拝堂を目指す。

フィレンツェで見たようなグロテスク模様の天井を見上げながら階段を登ると
ガヤガヤとした空気が奥にある部屋から漂ってきてここがシスティーナ礼拝堂だという事がわかった。



部屋の壁は空の青で埋め尽くされていた。

キリストの生涯を描いたそれはテニスコートぐらいの広さはありそうな礼拝堂をぐるりと囲んでいる。
天井を見上げれば天地創造を描いた傑作がまた奥まで続いている。
その中には神とアダムが指を触れ合う有名な作品も含まれる。

そしてその広い礼拝堂の前面いっぱいに描かれたのが、
ミケランジェロ作「最後の審判」だった。

一面の青の中心にキリストが立ちその傍らには聖母マリアが付き添う。
そのキリストを境に天国と地獄が分かれる。

キリストの下にはリストを抱えた天使が立ち、
あるものは天国に引き上げられあるものは地獄へと突き落とされていく。

今まで何度となく見てきたモチーフだったが、
ミケランジェロの描いた最後の審判が面白いのは人物の描き方が細部にわたっていることだ。

皮だけになった人間。
悪魔に足を捕まれ後悔なのか頭を抱え込む人物。
地獄行きを逃れるため他人を突き落とそうとする人物。

最後の審判の際に行われるありとあらゆる想像が描かれている。

壁一面に描かれたその巨大な絵画を見るために、少し後方の椅子に座り全体をしばらくながめつつ、
細かい描写を見るために何度も絵の近くまで寄ってじっくりと観察する。

礼拝堂内は写真撮影厳禁ということもあり警備員が配置されている。
その物々しい雰囲気はここがまた特別な場所であることを表していた。



礼拝堂を出たときには既に6時近くになっていた。
そのまま絵画展をひと目でもよいから見ようと行ってみるとスタッフに閉館を告げられた。
まだ閉館前なので「どうして?」と聞くと「決まりです」としか返ってこない。

腑に落ちなかったので出口のスタッフに「まだ閉館前だけど回れるところはないの?」と聞くと、
「はいはい、あっちですよ~」と子供のように出口から出され、示した方向に行ってみても当然何もない。
「どういうこと?」と詰め寄るとめんどくさそうに再度中に入れられ、
エレベーターで入り口まで連れて行かれたあと「ほら、全部しまってるだろ」と半笑いで言いどこかへいってしまった。

どうやら閉館時間は6時半だが、入館は6時までとのことのようだが、
それにしても彼らの態度は何なんだ?あまりにも失礼過ぎる。

イタリア人の優しさなんて女の子にしか当てはまらないのだろう。

それにしてもイタリア人の仕事の融通の利かなさは何なのだろう。
こんなにもルールで縛られた仕事をするなんてイタリア人のイメージからすると意外だった。

まぁ、ともかく目的のシスティーナ礼拝堂までは辿り着いたことだし、今回は絵画展はあきらめる事にしよう。
きっとまたいつかイタリアへ来ることはあるだろう。
イタリア人はともかくこんなにまで素晴らしい芸術が詰まった町はないのだから。


気を取り直してもう一度ジェラートを食べトレドの泉へと向かった。

コインを取り出す。そしてそいつをライトアップされた夜の泉へと投げ込んだ。
そう、この町にもう一度来るために。そしてそれはさよならの合図でもあった。



深夜急行のチケットを握り締めミラノ行きの列車へと乗り込んだ。
ビールをプシュと空けて広々としたコンパートメントを独り占めにしてゆっくりとくつろぐ。

なんだか疲れがどっと出た。
ここ最近の強行スケジュールがたたったのか何だか旅疲れというやつのようだ。
明日たどり着くはずのミラノ。それすらもまた億劫に思えた。

こういうのは初めてかもしれない。旅に面白さを感じなくなるなんて。
急に一人であることがつまらなくなった。
この自由がとても素敵なものに思えていたのに。


しばらくすると列車は音を増し準備を終え、ミラノへと向けてゆっくりと動き出した。

このまま朝になれば終点のミラノへと着くはずだ。
次の町へ行けばすぐこの気分も晴れるかもしれない。
でも今はミラノ行きも、そこから続くヴェネチア行きのスケジュールも億劫だ。
既に取ってしまったバルセロナ行きのフライトチケット。
それに間に合わせるためにはスケジュールを守らなくては行けないが、
そのことがまた気分を憂鬱にさせた。


列車はローマ近くの1つ目の駅で止まり、またガタゴトと進み始めた。

トントンというノックの後、
ガラリ。とコンパートメントのドアが開き車掌がチケットの点検へとやってきた。

僕はポケットにしまいこんだ少しくしゃくしゃになったチケットを車掌へと渡し、
そのまま暗闇ばかりの外を見ながらそれが返ってくるのを待った。


「これは、チケットじゃありませんね。」

そう言った車掌の言葉の意味をはじめはうまく飲み込めなかった。
チケットじゃない?そんなこと言われても僕が持っているのはそれしかないぜ?
一応気休めにポケットの中を探ってみるもやはりチケットは車掌に渡した一枚しかない。

それしかないよ。それチケットじゃないの?と聞いてみると、
これは座席指定券ですと車掌は言った。そして、「価格が3ユーロと書いてあるでしょ?」と付け足した。

車掌からその券を受け取ると確かに価格の部分は3ユーロと書いてあった。
実はそのことには乗る前から気づいていたのだが、そういうものだと思って気にもしなかった。
自動販売機で買ったチケットの値段は50ユーロだった。

なぜだかわからないが僕はチケットを持っていないらしかった。
確かに自動販売機で50ユーロの列車のチケットを買ったはずなのに、だ。

困った顔で車掌を見ると彼は表情も変えずただポータブル券売機の電卓をたたき、

「チケットがない場合は購入してもらいます。チケット代と違反代合わせて97ユーロになります」

と言った。



え?


予想だにしない車掌の言葉に思わずうろたえる。

97ユーロだって?チケットは買ったのに?しかもなんで倍近くの金額を?

ともかくチケットは買った。その指定券を見ればわかるだろう。そう言っても頑として通じない。
挙句の果てにはめんどくさそうに「それでは警察を呼びます」と事務的に言い、どこかへと行ってしまった。



警察?97ユーロ?


ぼんやりとしてた頭が一気に働きだす。トラブルはいつだって脳の活性剤になる。

手に持っているのは座席指定券のみ。レシートの類はない。

そう頭をフル回転しているうちにまたもドアがガラリと開き、さっきの車掌と今度は二人の警官が姿を現した。


そこからはともかく言い訳を並べるしかない。

ともかくチケットは買ったのだ。無銭乗車をしているわけではない。
そのことをどんなに主張しても一向に聞く気はない。
クレジットカードの購入履歴をそっちが問い合わせればすぐにわかる。それを言っても意味はない。
彼らの主張はこれだけだ。

「金を払え。さもなけば荷物を持って次の駅で降りろ」


イタリア人。なんて融通の効かない奴らなんだ!

「お前の立場はわかっている。自動販売機から1枚取り忘れただけだ。でも関係ない、金は払え。」

そう言って高圧的な態度でわめきたてる。


なんじゃそりゃ。わかってるなら見逃せよ。。


全ての選択肢を検証する。
降りてもう一度チケットを購入する。
ここでお金を払いこのまま乗り続ける。

どちらにせよその2つしかなかった。
そして最初の選択肢を取った場合この列車は諦めるしかなく、
それはまた真夜中の屋根も何もない真冬のローカル駅へと放り出されることを意味していた。





つーか、おかしいだろ。

お金を払い終えた僕は、
空になったビールの空き缶を小突きながらイタリア人への悪態を飽きることなくつき続けている。


くそ。イタリア人め!!!

悪態をつく事にも飽きた僕はコンパートメントに身を沈めふて寝を決め込むことにした。
そのころにはすっかり旅の憂鬱なんてものは吹き飛んでいた。


旅にはこういうスパイスも必要ということ・・・なんて思えるか。



イタリア人め!!!!!!

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