2009年1月17日土曜日

世界一周(32)トルコ/地下の町。と岩の城。










DATE:2009/01/17 Turkey - Cappadocia -


見上げれば暗闇の中に点のような空が見える。

ここはアンダーグラウンドシティ地下8階。
隠れクリスチャン達が暮らした町だ。


隠れ家の中は意外にも広く、
縦横無尽に張り巡らされた洞穴がいくつもの部屋を繋いでいる。

ワインセラー、学校、トイレに食卓。

本当に何でもありの地下都市だ。

何十年、何百年と彫り続けられた都市には、
日常に必要なありとあらゆる施設がそろっている。

学校まであるのには驚いたが、
ワインセラーや醸造所までがあるのが、
そこはやはりクリスチャンといったところだろう。
地下都市産のワイン。少しは飲んでみたい気もする。
温度管理が大切なワインにおいて、
この場所は意外と適切だったりしたのかもしれない。



地下都市へはギョレメからバスでネブシェヒルへ行き、
そこから別のバスへ乗り換えてデリンキューという場所で降りる。

早朝、早起きした僕らはカッパドキアの空に浮かぶ気球を見て、
トルコ風の朝ごはんを食べてから地下都市行きのバスへ乗り込んだ。

この気球という奴に乗っては見たかったが、
一人2万円という価格はバックパッカーには許される額ではなく、
しかたなしに諦めることにした。
それでも遠くから眺める気球の姿は朝の景色にぴったりで、
岩と町の間をいく気球を眺めているとなんだかため息が出たほどだった。

朝っぱらからビールを飲んでほろ酔い気分でバスに乗り込むと、
そのせいか途中でマサミがトイレに行きたくなり、
バスに切れて途中で止めようと必死に抵抗するのをなだめすかし、
なんとか辿り着いた地下都市の町であった。


地下都市の入り口は本当に小さな一人分が入れるスペースしかなく、
ここがやはり隠れて住むための場所だったことがわかる。
観光地化される前はもっとわかりづらい場所だったのだろう、
その当時はこの場所はただの野原に見えていたに違いない。

その細い階段を下りていくと、
一度広い広間に辿り着くが、
そこからさらにいくつもの階段が伸びている。

案内標識に従って歩いたが、
もしそれを無視していたら中で迷ってしまうに違いない。
それほどに入り組んだ地下迷宮が作られていた。

なぜか居座る一匹の猫。

迷い込んだのか、それともここで暮らしているのか。
日向ぼっこを好む猫が地下猫になるなんて。変な話だ。


階段を降りていくと、
右側になんだか小さな部屋があることに気づく。

そこには昔のお金のような大きな丸い石が置かれているだけで、
何のための部屋なのかが一向にわからない。

しばらく考えてこれが何かがわかった。


階段を歩いていくといくつものそれが見つかり、
この地下都市の厳戒さがうかがえた。
ここは単なる居住区なだけではないのだ。
迫害を逃れたキリスト教徒が隠れ住み、
敵から身を守るシェルターでもあったのだ。


そう、それは「鍵」だった。

道を閉ざし、敵から身を守るための。

緊急時にはその丸い石を道に落として、
敵が通れないようにロックをしていたのだろう。
階段の至る所にあるのは敵の進入具合によって、
いつでも鍵をかけられるようにだ。
単なる住居ではない歴史がそこには残っていた。



そういう視点で見ると、
この地下都市はいくつもの仕掛けがある。

例えば地下8階。
最後の行き止まりはなぜか細い半円形の通路が作られていて、
右側の入り口から入ると左側の出口から同じ道に出られるようになっている。

この何の意味もない通路は何のためだろうか。
それはきっと最後の最後、退路を絶たれたときに逃げ込むための通路で、
何の機能ももたないその通路は生きるための知恵だった。

そう思うとこの都市の階段や通路が、
あまりにも狭いことにも納得がいく。

大人一人が屈まなくては通れないほどの通路がいくつもあり、
それはきっと敵の侵入に備えて、
一度にたくさんの人が入り込めないようにしていたのだ。


その他にも子供だけが通れるような小さな通路や、
行き止まりの階段など、いくつもの仕掛けがあり、
そのどれもが生きていくための知恵だったのだと思う。

この地下都市が進入を許したかどうかは、
あまり良く知ってはいないが、
それに対する準備は十分に行われていたのだと思う。



しかし排泄物はどうしていたのだろう。

生きている以上、それをしなければならず、
地下という構造はそれに適した環境とは言えない。

部屋の中に土でできたおまるのようなものがあったが、
それを利用して排泄していたのだろうか。
そんな小さなことが気になった。

食物は外から手に入れる必要がある以上、
たんに地下生活だけを営んでいたとは思えない。

そんな外と地下の二重の生活が、
きっとこの場所では行われていたに違いない。
そう思うともしかしたらこの地下での生活は、
冒険のようで案外楽しいものだったのかもしれないと思った。




地下都市を出てネブシェヒルの町に戻ってからは、
昼食を食べに町に出かけた。

特にこれと言った特徴のない小さな町だが、
トルコの町は今まで行った中東の国とは
圧倒的にレベルが異なり小さいとはいえ十分な町の機能を持っている。

トルコが自身をヨーロッパだと思っている、という話も何だか頷ける。
それほどトルコの町は一ランク違った近代化を果たしていた。


トルコ料理もまた格段においしい。

お昼に食べたのは何の変哲もないスープだったが、
パンにつけて食べるそれは格別においしいものだった。

本場のケバブ。そしてたくさんのトルコ料理たち。

これからの食事に大いなる期待が持てる。
なにせ食事とは旅にとって最も楽しいもののひとつなのだ。
それがおいしくないなんて、なっちゃない。



ここからはウチサルの城へと向かう予定だったが、
どうやらウチサル行きのバスは30分ほどしないと来ないらしく、
どうせならば、とヒッチハイクにチャレンジしてみることにした。

ウチサルへ行く道らしき方向に歩きながら、
二人で満面の笑みで親指を突き立てる。
しかしこれがなかなか止まらない。

それならばと作戦を練り直し、
もうちょい派手にヒッチハイクをしてみることにする。

なんともウチサルに行きそうな車がやってくる。
そして親指を突きたて、踊る!

そうして始まったダンシング・ヒッチハイク。
これが功を奏したか車は何台か止まってくれた。
が、しかし残念ながらウチサル行きの車は一台もない。
それ以外の車は僕らを見て笑いながら通り過ぎていく。

結局ウチサル行きの車は止まらないのだが、
なんだか踊るのが楽しくなってきて、
どちらかというと人を笑わせるのがメインになってくる。

くねくね。くねくね。くねくね。くねくね。

もはやダンスとは言えない、
なんだかわからない動きで通り過ぎる車を魅了する。

そうして結局30分が経ち、
ウチサル行きのバスは僕らの前に止まったのであった。

無駄な努力バンザイ!



そんなロスタイムもあってか、
ウチサルの町に着いたのはもう夕暮れ時で急いで頂上のお城を目指した。

お城の中にも入れるらしいが、
残念ながら時間がなく周りから見物することで我慢した。

遠くから見えていた城を間近で見るとこれがかなりでかい。

丘の上にかぶせられた帽子のような岩の無数の穴は、
マシンガンでめった打ちにされたように無造作に空けられている。

その人工物のような自然のような姿は砂場で作った砂山のようで
その穴の数々も子供のころ両側から穴を掘って手を繋いだそんな記憶を思い出させた。

しかしこれだけ無造作に穴を掘って、
よくも崩れずに残っているなと感心する。

城の周りにもたくさんの住居跡があり、
そのひとつはホテルとして利用しているらしく、
部屋の中にはライトの明かりが点っていた。

雪が降ったのだろうか丘には少し白い模様が点々と見えた。
転がり落ちそうな石を載せた岩や、
ぽっかりと体に穴を開けた岩を見てまわり丘の下の道まで出ると、
すっかり日は落ちて暗闇に落ちるまであとわずかとなっていた。


その暗くなり始めた道に雨まで降り始めたが、
少しして運よくヒッチハイクすることができ、
宿のあるギョレメの町まで舞い戻った。

宿で食事を取り出発の準備をし、
バスターミナルへと向かい夜行バスへと乗り込んだ。


次に向かう場所。
それは憧れの地、パムッカレ。

石灰石でできた真っ白い大地。
その白い大地の上にはこんこんと温泉が流れ、
空の青を映し出す。

いつか見た映像を思い出す。
そして僕はいまその土地へ向かっていた。

深夜バスはパムッカレの奇妙な大地を抜け、
ただ真っ直ぐなトルコの大地を走る。
暗闇の中に映るトルコの大地を僕はまだ見たことがない。

朝目を覚ませば真っ白な世界の中だ。

それを夢見て、心地よいバスのシートにゆっくりと身を沈めた。

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