DATE:2009/01/18 Turkey - Pamukkale -
まだ暗闇の中の世界にはうっすらと白い大地が見えていた。
パムッカレへ来た。
その感動が胸を締める。
真っ暗にもかかわらず客引きのお兄ちゃんは商売熱心で、
とりあえずその宿のロビーに居座り
これからの予定について作戦会議をすることにした。
正直言うと先を急ぎたかった僕だが、
マサミの「温泉だよ。日本人だよ」の一言に押され、
結局は今日1泊して明日パムッカレ近くの温泉地へと行くことにした。
真っ白な大地へいざ行かん。
と再出発したのは結局いつもの通り、
ぐだぐだしたお昼間近で太陽は真上まで昇っていた。
しかしまぁ。
遠くから見てもやはりまっしろな山である。
石灰質の物質で覆われたその白い山は、
温泉地としても有名で石灰質を含むお湯が、
絶え間なく懇々と流れている。
そのせいで山は真っ白く色づくようになったわけだが、
観光化の影響もあってか、その温泉も枯れ始めているとのことで、
現在では夏の間しかパムッカレの白い大地には流さないようにしているらしい。
そして現在は冬。
ベストのコンディションではないが遠くから見る姿は十分に美しい。
僕らは入場チケットを握り締めて、
真っ白い山に向けてえっちらおっちらと歩みを進めた。
真っ白な棚田。
水を抱いたその棚は薄く水色が揺らめいている。
その水色の上をまっしろい雲が通り過ぎ、
やっとそれが空が写った姿なのだと知った。
扇のように広がった白い棚田は、
下へ下へといくつもの扇を放射状に広げている。
水は上から流れ落ち、いったん棚田の中でゆっくりと平行移動を続けたあと、
また下へと流れ落ち、別の棚田での平行移動をはじめる。
ちょうどテーブルの上に水をこぼしたような滑らかな動きが、
何度も何度も繰り返されている。
放射状の沢山の扇は空をいくつもに切り取り、
それぞれの分け前を水鏡に映し自らを青く染めようとする。
空はひとつのはずなのに。
その世界にいると万華鏡の中に閉じ込められたような不思議な気分になった。
白い山は歩いて登ることができる。
温泉の生暖かいお湯の中を靴を脱ぎ、靴下を脱いで登っていく。
うっすらと硫黄の匂いが煙っている。
真っ白い岩肌は意外にも固く、
どんなにふんずけても砕ける様子はない。
白い山を登りながら棚田を横から見ると、
それがマシュマロのように盛り上がっていて、
コンピューターグラフィックの世界の中にいるようだ。
足元を細かい石灰石の水紋ができている。
まるで珊瑚のようなその水紋は良く見ると、
小さな棚田であることがわかる。
これが大きくなれば目の前に広がる
水をたたえた棚田たちへと成長していくのだろう。
何百年後のこの場所はきっと姿を変えている。
そしてそれは何百年前とはまったく違う姿の場所にいるということでもあった。
白い山の頂上付近は、
温泉の成分が濃いからかなぜか黄色や茶色い色をしている。
よく見てみるとそれは白い岩肌に付着した姿だった。
これが塗り固まり石灰石が棚田状に整形されていく。
その歴史の始まりがいま目の前にあった。
歴史は一秒一秒、現在を飲み込んで過去に塗りこめる。
今見ている世界は二度とやってこない。
次ぎに見た世界はどんなに同じ場所であっても、
今を再現することはないのだ。
それはきっと同じ誰か、同じ時間、同じ自分。
そのどれもが変わっていくことでもあるのだろう。
今日の自分は昨日の自分ではない。
今見た何かがまた僕を明日の自分へと変えていくのだ。
過去の僕は今の為にあり、今の自分は未来の為にある。
続いてく人生に生まれ変わり続ける白い大地を重ねた。
真っ白な丘の上には土と草原の大地が広がり、
過去の歴史の跡がひっそりと横たわっている。
何百年も前、
温泉保養地として栄えたこの場所は大地震をきっかけに、
またただの大地へと戻っていった。
足元には延々と倒れた柱の跡が残っている。
繁栄の歴史を物語るように柱にはそれぞれ年代に違いがあり、
それはいくつもの時を重ねてこの場所が栄えていた証拠でもあった。
そんな丘の上を歩きローマ劇場の観客席に座り込むと、
その歴史の風にやられたのかなぜか今までの旅の事が頭の中で踊った。そして今の自分のことも。
なぜ僕はこんなにも旅を急いでいるのだろう。
そんな考えが頭の中から離れなくなった。
それはただ旅の話でもあったし、人生の話でもあった。
旅のタイムリミット。そして人生のタイムリミット。
そんなものをいつ決めたのだろうか。
僕は気づいてしまったのだ。
日本に残した好きな子を失った今、
僕は日本に帰らなくては行いけない理由を失ってしまったのだと。
それに気づいてしまうと、
なんだか自分の存在がやけに宙ぶらりんであると思った。
いつの間にか自分の人生を考える中で、
彼女の存在が大きくなっていたのかもしれない。
現実的なことを抜きにして結婚とかそういったことも
帰国後の人生の中にはあるのかも、とぼんやりとあったのは確かだ。
だからそれが一気になくなって、
自分の人生を再構築する必要が出てきたのにやっと気づいたのだ。
そしてその選択肢がこの旅を通して、
いつの間にか無制限に広がってしまっている事実に、
今、この場所で愕然としているのだった。
例えば日本に帰るという選択肢。
現実的な意味での一時帰国。
それは抜きとして考えると別に他の国で働くことも悪くはないし、
それが非現実的なものであるとは考えられなかった。
もちろん旅人として生きていくというのもありだが、
そんなインプットだけの人生なんてまっぴらごめんだ。
働くということは魅力的な遊びのひとつだし、
それに対しては何にも抵抗感は感じないのだが、
それが「何で」「どこで」あるかについて、
僕のリミッターはいつの間にか振り切れてしまっていた。
そしてリミッターのない人生というのは、えらく難儀なことなのだ。
誰もが多かれ少なかれ人生の中で、
「不自由」をこしらえてその中で生きようとするなかで、
自由というのはなんて非効率なことなんだと、僕はもう知っている。
誰もが10の選択肢の中から選ぶ中、
自由とは1000の選択肢から選ばなくてはならないのだから。
人の100倍のエネルギーがいるのだ自由とは。
それはある意味で100倍のエネルギーの損失を意味している。
もちろん誰もが持っていない990の選択肢の中に、
ひときわきらめく宝物があることは知ってはいるけれど、
そのために100倍もの努力をするのはなんて困難な道なのだろう。
それを選ぶのも悪くはないが、
僕はただ楽しく幸せに生きられれば良いのだ。
100倍の努力をするのならば
僕は人の二分の一の努力で幸せになる方法を探したい、そんなぐーたらな奴なのだ。
さて、困ってしまったぞ。
そんなことを他人事のように思った。
風の音が壊れた劇場の中で歌っていた。
空は晴れて劇場の最上段からはスクリーンのような青が広がっている。
そんな止まったような世界でさえ、
雲は流れ僕を置いてきぼりにして世界は動いていた。
ま、どーにかなるか。
見上げた空から視線を戻し、姿勢を正した。
無計画の人生なんていつものことだ。
単にふりだしに戻っただけじゃないか。
ただ目の前に転がった幸運を最高のステップで奪い取ればよい。
そうやって今まで生きてきた。
何も特別なことではない。
1・2・3、1・2・3。
軽くステップを踏み、
あとは「幸せ」に気づける感性を研ぎ澄ますだけだ。
そうだ、耳を済ませよう。
そうだ、目を見開こう。
とっくの昔に引退した朽ちた舞台の上では、ただ風だけが舞っていた。
僕はそのびゅうびゅうとなるステップを心地よく聞いた。
丘の上の遺跡を周り過去の温泉保養地の遺跡を回ると、
あっという間に夕暮れ時となった。
丘の上には遠い過去にこの地を愛した人々の墓が立てられている。
石で立てられたその墓の多くは、
この地に起きたという大地震の影響か崩れ落ち、
その物悲しさが独特の雰囲気を醸し出している。
そんな栄衰の残り香がこの丘には吹いている。
だから僕は思いを引きずりだされたのかもしれない。
でもそれはきっと、今の僕にとって必要なことなのだったと思う。
なんにせよ僕はまた次へまた一歩進めるのだから。
沈む夕日を追いかけていくと、
白い大地の水の中をオレンジ色の空が泳いでいった。
あっという間に泳ぎ去った夕日は遠い空の中、
ゆっくりと山の中に沈んでいった。
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