2009年1月28日水曜日

世界一周(33)ギリシャ/流民の旅






DATE:2009/01/28 Greece - Patra -


おぃ。目覚ましつけてねーじゃねーか。俺。


偶然にも6時5分前に目を覚ました僕は、
携帯のアラームを止めようと思い、それに気づいた。

危ないところだ。
この列車を乗り過ごせばイタリア行きのフェリーにも乗り遅れるところだった。
これを逃せばまた次のフェリーまで何日か待たなくてはならない。

幸運に感謝し急いでパッキングを済ませると、
朝のアテネの町を歩き電車のターミナルへと向かった。


今日はここからギリシャ西端のパトラという港町へ列車で行き、
そこからイタリア行きのフェリーに乗り込む予定だ。
一泊二日の船の旅を終えればもうイタリアへとたどり着く。

あっという間のギリシャの旅だったが、
メテオラ以外はさして良い思い出もなく、
イタリア行きが楽しみでもある。

辛気臭いギリシャ人とも、
塩っ辛いチーズ入りのパンだけの食生活ともこれでおさらばだ。



走り出した列車はすぐにアテネ郊外へと抜け、
後はひたすらの田舎道を進んでいく。

電車はどうやら長距離列車ではなく、
アテネと郊外を結ぶ近郊列車のようで、
終点で乗り換える必要があるようだった。

東京を縦断する中央線のような路線らしく、
早朝らしく沢山のサラリーマンやら学生やらが乗り込み、そして降りていった。



単調な田舎道の視界がぱっと開けた。

ぼんやりと外を眺めていた僕は不意のその変化に驚き、
思わず窓の外の景色にぽかりと口を空けた。


青い空。そして青い海。

立ち並ぶ白い家々の庭にはまあるいオレンジが実り、
ところどころには明るい黄色に色づいたレモン畑が見えた。

これがギリシャか。

今更ながらにそう思った。
この旅では訪れることのできなかったエーゲ海の景色とは、
きっとこんな美しいものだったのだろう。

エーゲ海とは反対側のイオニア海へと続くコリンティアコス湾にもまた、
どこか映画で見たような絵のような景色が広がっていた。


しかしこの違いは何なのだろう。

ギリシャの田舎に広がる美しい世界と、
都市部に広がる重苦しい雰囲気。

同じ国とは思えないほどの差がそこにはある。

そこに暮らす人々もそうなのだろう。

小さな町であるメテオラでは嫌な思いは一度もしなかったし、
その町の雰囲気も温かさにあふれたものだった。


列車の中からこの景色を見ているうちに、
「もう一度来たいな」という気になっている自分がいた。

この町を、そしてエーゲ海の島々を訪れれば、
僕はまた新しいギリシャを発見できるかもしれない。
憧れにも近いそんな思いが僕の胸の中に満ちていった。



列車は途中小さな町で止まり、そこでなぜかバスに乗り換えて、
1時間ぐらい走り、また列車に乗り換えた。

なんだかわからないが線路が分断でもしているのかもしれない。
ともかくまぁ、この景色を見ながらの旅行であれば何があっても悪くはない。



「俺はパスポートを持っていないんだ」

アテネから列車に乗って1時間ほどして、
仲良くなった目の前の座席の男はそう言った。

僕はそれが何を意味しているのかがわからず、
ただ「どこから来たの?」と聞いた。

彼は言った「アフガニスタンだ」と。

アフガニスタン。僕は彼らの国についてほとんど何も知っていない。
思いつくのはタリバンや内戦といったキーワードぐらいだ。

話を聞くと彼はアフガニスタンを抜け出し、
イラク、トルコを旅して今、ギリシャへとたどり着いたそうだ。
そしてこれから僕と同じようにイタリアへと渡り、
兄の住むロンドンへと向かうつもりなのだという。

パスポートなしでどうやって?と聞くと、
ギリシャまではパスポートは要らないんだ。と言った。

どういったわけかはわからないが、
中東諸国とギリシャの間でそういった取り決めでもあるのだろう。
そう思ってイタリアは?と聞くと、

「イタリアからはパスポートが必要だ。これが問題なんだ」と彼は言った。
そりゃそうだ。と僕は思い、どうするつもり?と聞いてみると、
「イタリアまでは2000ユーロ。ロンドンまでは4000ユーロもかかる」と答えた。

でも僕のイタリア行きのフェリーのチケットは2万円もしないよ。と言うと、
彼は俺はチケットは持っていない。と答えた。

彼の英語は覚えたてでそれ以上の話を聞くことは出来なかったが、
きっとビザの金額が高いということを伝えたかったのだろう。

僕ら日本人はほとんどの国をビザなしで回ることが出来るが、
多くの国々は入国や出国の際にいくらかの税金やビザ代を払う必要がある。
例えば日本人はたった8ドルのシリアの入国ビザでさえ、
アメリカ人であれば100ドル以上の金額を払わなくてはならず、
それですら入国可能かどうかは定かではない。
同じようなことがアフガニスタン人が旅行をするときに起こる事は考えられた。

「そりゃ気の毒に」と僕が言い、「そうなんだ。問題なんだ」と彼が言った。

いろんな旅人がいるものだ。その時はそう思った。



列車を乗り換えてからも延々と美しい景色は続いていく。
白い家とオレンジの木の組み合わせはこの世の理想の家のような気がしてくる。

まばらだったその白い家が少しずつまとまり始め、
いつの間にかそれは町になり列車は終点のパトラへとたどり着いた。



パトラの町にはなぜか汚れた格好をした人々が駅の線路に屯している。

最初はギリシャ人かと思ったがどうやら顔が異なり、
どこか別の国からの移民であるように思えた。

列車で一緒だったアフガニスタン人に挨拶をしようと探したが、
彼は携帯電話に向かって何かを話しかけていて、
なんだか近寄りがたい雰囲気だったので
僕はそのまま無言でさよならを言いフェリーのターミナルへと向かった。


無事にフェリーの乗船券を手に入れてフェリー乗り場に向かう途中の道にも、
沢山の移民らしき人々がただうろうろとしている。

線路に座り込んだ彼らと目が合い手を上げると彼らは笑って手を振り替えした。

カメラを向けると照れくさそうに笑い各々好きなポーズで構える。
そんな彼らの姿を写真に収めると「どこから来た?」と聞かれたので、
「ジャパン」と答える。
すると感性が上がり、彼らは明るく手を振って僕を見送ってくれた。

顔を見るとどうやらアジア系の人種らしく、
どこから来たのかは知らないが何か親近感を感じる。
彼らはいったい何者なのだろうと思いながら歩いていると、
近くに止めてあったパトカーから警官が話しかけてきて、
「何人?」と聞かれた。

「日本人だ」と答えると、そうかと言って緊張をほぐした。
「ねぇ、彼らは何者なの?」と聞いてみると、
警官はなんでそんなことに興味があるのか、といった顔でこう答えた。



「アフガニスタン人だ」



僕の頭に先ほど列車で一緒だった男の顔がよぎった。


「彼らはここでイタリア行きの船に乗ろうとしている。
が、もちろん不法滞在だ。だから我々が取り締まっている」そう警官が続けた。

線路のほうを見ると警官らしき人間が彼らを追い払おうと、
棒を振り回しながら羊飼いのように追い立てている姿が見えた。
アフガニスタン人たちは慣れたように笑いながら羊のように奥へと移動していく。


そうか。そうだったのか。


僕は警官にお礼を言い、フェリー乗り場へとまた足を進めた。



今日僕が出会ったアフガニスタン人は難民だったのだ。
パスポートを持たず旅をする旅人。僕はそう勘違いしていた。
そうではない、彼らは国を捨ててこの場所に向かっていたのだった。

そう考えればイタリア行きの料金が2000ユーロもする理由もわかる。

それはきっと密輸船でその不法な船に乗るために、
彼らは法外な料金を払う必要があるのだろう。

そしてそれに乗れない人々がいま、
このパトラの町に屯し難民の群れを作っているのだ。

彼らにとっての旅の終点はいまここにあったのだ。



僕は何も知っていなかった。
列車で会った彼を旅人だと思い込むほどに。
そういえば幾つもの国のスタンプがついた僕のパスポートを見る彼の目は
どこか遠く諦めに似たような顔をしていた。
それを自慢気に見せた僕はなんておろかな人間なんだ。


それでも難民である彼らが笑っていられるのはなぜなのだろう。
線路の上に座り込んだ彼らの顔はみな一様に明るかった。

絶望などは微塵も感じさせない、その笑顔には
「どうにかなるさ」という達観に似た人生観を感じさせた。
もしかしたらこんな状況でも彼らの国にいるよりはマシなのかもしれない。
もしくは彼らの信じる神のおかげなのか。


どちらにせよ。彼らはきっと彼らの人生を嘆いてはいないのだ。
そんな彼らを見ていると
不満顔で生きるぶっきらぼうなギリシャ人に比べて、なんて素敵なのだろうと思った。



愛も変わらず無愛想な受付でチェックインを済ませ荷物を置き、
甲板に出て外の空気を吸う。

港からは線路が見え、そこには相変わらずアフガニスタン人たちが、
のんきに屯している姿がある。

痺れを切らした警官がパトカーに乗り彼らを追い立てると、
警官をからかいながら彼らは奥へ奥へと下がっていく。

それもつかの間の話で、
ちょっと目をそらせば壁を乗り越え町へと抜け出す人もいる。

その彼らを見つけたのか
町の方からは別の警官が追い立てながら元の場所に押し込もうとしている。

そんな堂々巡りの戦いを見ているとなんだか笑えてきた。


「がんばれよ!アフガニスタン人!」


いつの間にかそう応援している自分がいる。

そのまま密入国されるイタリアはたまったものではないが、
彼らのチャレンジ精神はどこかコメディーのようで単にがんばれと言いたくなる。

そんなコメディーを見ているといつの間にか船は出港の時間になり、
ギリシャの港をゆっくりと離れていった。


僕は手を振る。

ギリシャと彼らに。

いつかまた会えたなら。そう思い手を振った。





船の中でゆっくりと日記を書く。

今日の日付を見るといつの間にか旅に出て1年が経っていることに気づいた。

そうか僕の旅はもうそんなになるのか。
そう他人事のように思った。

365日分の思い出を振り返り、
それでもやはり僕の旅の終わりはまだここじゃないと思った。
今日手を振った彼らと同じように。

もっと遠くもっと誰かに。

思い出を語るのはもう少し後でいい。




甲板に出て空を見ていると、
夕日が空を燃やしながらイタリアへと沈んでいった。

ぐるぐると周る地球のように僕の旅は明日も続いていく。



僕は手を振った。


今度は太陽に向かって。

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