2009年1月20日火曜日

世界一周(32)トルコ/イスタンブール!







DATE:2009/01/20 Turkey - Istanbul -


ぼんやりとした視界の中、
まぶたの中に映ったのは高層ビルがにょきにょきと生える大都会で、
東京に戻ってきてしまったのではないかと夢心地に思った。

まだ太陽も昇り始めたばかりの街は、
うっすらとした霧をまとい目覚めのときを待っているようだ。

アジア側で一度停車したバスは、
そのまま走り続け橋を渡った。
朝靄の中、ぼんやりとした大陸の終わりは
ボスポラス海峡を渡るとあっという間に見えなくなった。
そして僕らはヨーロッパへとたどり着いた。


そう、ここはイスタンブール。

アジアの終点。そしてヨーロッパの始まりの場所。
あるいはヨーロッパの終点。アジアの始まりの場所。


エジプトからトルコへと中東の国々を駆け抜けて、
僕はようやくヨーロッパの入り口へと戻ってきた。

そしてそれはアジア・中東の旅への別れでもある。

あっという間に1年の時が過ぎようとしていた。
その短すぎる時間の中で僕は、
多くの人と出会い、沢山の町に出会った。
過ぎ去った時間の中にいくつもの宝物がきらめいている。


それにしても。


遠くへきたものだ。


ここよりさらに遠く離れたヨーロッパの国々よりも、
それをこの場所でより感じてしまうのはなぜだろう。

境界線の街には何かしら魔法があるということなのだろう。
旅人はその魔法にかかり、そして旅情に駆られるということだ。
誰もがみな、この場所で旅を振り返る。



たどり着いたバスターミナルから地下鉄に乗り、
トラムを乗り継いで宿のある場所へと向かった。

こうして移動していても、
この街が今まで見てきた街の中でも圧倒的に都会であることがわかる。

行き交う人々は洗練された服を身にまとい、
メトロやトラムといった交通機関も張り巡らされ、
掃除の行き届いた街には多くの人が行き交っている。

そういえば高層ビルなんてものを見たのも久しぶりかもしれない。

レバノンの廃墟的な高層ビルを除けば、
ヨーロッパを含めて高層ビルなどを見ることは殆どなかった。
特に乱立という言葉が似合うほどのビル群は、
アジアを除いて未だかつて見たことのないものだ。

トルコは思ったよりも確実に成長をしているらしい。
その成長を謳歌するように街は活気に溢れている。

とはいえその影がないでもないらしい。
高層ビルの陰に潜むように廃墟のような住宅街が、
日の当たらない場所でひっそりと暖炉の煙を上げていた。

世界のどこにでもある格差というやつが、
イスタンブールの街にもまたあるということだった。



何百年も侵略されずに独立を守った旧名コンスタンティノープル。

その街には当然のように多くの歴史的遺産が残る。

ブルーモスクにアヤソフィア。
そしてトプカプ宮殿といったところが主な名所だが、
それらは全て一箇所に固まっており、多くの観光客が行き交う。


現在はムスリム国家のトルコも、
かつてローマ帝国の首都だった歴史からもわかるようにキリスト教を信仰していた時代もあった。
そして例の有名なオスマン艦隊の山越えによって、
イスラムの歴史が始まったのである。

時代の移り変わりと共に変わっていく文化が、
この場所にいくつも重なり合い多様な色を生み出している。



トラムから降り、にぎわう街の中に降り立つ。
4車線の大きな道にはひっきりなしに車が走っている。
その真ん中を忙しなくトラムが走っている。
急ぎ足。急ぎ足。これが都会ってやつだ。

そこには思っていたほどの情緒はなく、
アジアとヨーロッパの境界線では
ただ大きな都会の波が轟々と音を立てて流れていた。


何件かまわって決めた宿に荷物を下ろすと、
時間もあったので近くにあるブルーモスクへと行ってみることにした。




ブルーモスク。

世界で最も美しいモスク。

天を突き刺すように伸びた6本のミナレット。
幾重にも丸天井が積み重なる巨大なドーム。

入り口をくぐると窓から忍び込んだ陰と夕日が赤い絨毯の上に
オレンジの陽だまりを染み込ませ格子模様の線を引いていた。

天井から吊り下げられた大きな円形のシャンデリアが
頭の上に大きな光の円を描いている。

円形のドームをぐるりと取り囲むように空けられた窓には、
美しい色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、
ドームの中に絵のように浮かび上がる。

曲線を多く利用した壁や柱には、
赤や青のタイルが張られ唐草模様がびっしりと覆いつくしている。


ただ僕はその中で立ちつくしかなかった。

その一部でも写真の中に収めようとカメラのファインダーをのぞくが、
どこを撮ってもそれが命のない偶像のようになってしまい、
しまいに僕はそれを諦めてただ立ち尽くした。

偶像崇拝を禁じたイスラムの教えは正しいのかもしれない。
世の中には形にしてしまうと消えてしまうものが沢山あるのだ。



イスラムのアラベスク模様はなんて美しいのだろう。

そのシンプルなデザインの中に込められた色や形には、
何百年もの間積み重ねてきた技術による究極が閉じ込められている気がする。


ふと、アントニオ・ガウディのことを思った。

きっとブルーモスクの持つ美しい曲線が彼を思い起こさせたのだろう。
彼もまた曲線美を究極まで高めようと試行錯誤した天才の一人だからだ。


彼がもし。イスラム教徒であったのならば。


そんな空想が頭を駆け巡った。

もしそうであれば。彼は何を残したのだろうか。
イスラムが培ったアラベスクと彼の曲線美。
きっとまだ誰もが想像したこともない何かを残したに違いない。


そう思うと歴史のせいなのか、
今残る偉大な作家たちのほとんどはキリスト教にまつわる人々だ。

単に知らないだけなのかイスラム教関連で、
そういった偉大な作家の名前を僕はまだ聞いたことがない。


これほど美しいものを作れる人々に名前がないなんて。

それもまた美しい事実のひとつなのかも知れないと思った。


教科書には載っていない名もなき人の作る歴史。
丸暗記の年表の中にはない世界が今日もまた世界を動かしている。


アジアの端。イスラムの端っこで、
僕はまた美しい事実を知った。

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