DATE:2009/01/15 Syria - Aleppo -
今日、シリアを離れる。
思うとなんだか寂しいが、それもまた旅ってやつだ。
別れの言葉はいつも「次の国が待っている」だ。
別れの前に、イスラエル国家シリアには珍しいキリスト教地区を見学する。
キリスト教区と言ってもそれほど大きいものではないらしく、
今ではかなりイスラムに侵食されていて、
教会があるすぐそばまではイスラム色の強いお店が立ち並んでいる。
イスラムに囲まれるように石造りの教会が立っている。
なんとも窮屈そうなその立場に思わず同情をしてしまいそうだ。
その小さな教会の中は以外にもひっそりとして、
独自の空間を保っている。
イエスの像が立ち、十字架がある。
それほど特別な風景ではないはずなのに、
この場所にあるとやはり変な感じもする。
どんな歴史かは良くわからないが、
この場所にキリスト教が栄えたことがあったことは確かだ。
そしてそれが過去のものになりつつあると言うことも。
キリスト教区を離れ宿に戻り、
トルコ行きの準備をはじめた。
バックパックに荷物を詰め込み、
ここで出会った仲間に別れを告げる。
サトル君ともついにここでお別れだ。
彼はもと来た道を引き返しエジプトへと戻る。
トルコへの道のりは僕とマサミ、そしてリョウ君という男の子3人での移動になった。
バスだと言っていたトルコのアンタキヤ行きの移動は、
恐らくは嘘をつかれたのだろう、
乗り合いタクシーへと変わりオーストラリア人1人が乗り込み、
4人での国境越えとなった。
走り出した車はぐんぐんと速度を上げて
あっという間にアレッポの町を後にした。
シリアという国に特別な思いはなかった。
しかし今、この国が大好きな国に仲間入りしている。
それはきっとこの国であった人のおかげだろう。
いたる所で助けてくれた彼ら。
いたる所で興味津々に話しかけてくる彼ら。
その人懐っこさと親切心は忘れることができない。
イスラム圏独特の優しさと、
それに都会の持つ心地よい距離感の人間関係。
それがうまくミックスしている国だった。
中東と言うと危な気なイメージが付きまとうが、
そう思う人々に僕は彼らの優しさを伝えたい。
世の中に踊る情報とはどんなものか。
それを実感したのもこの中東の国々だった。
僕らの持つ彼らのイメージがそうであるように、
この国で流れる情報も、僕らが知るものとはずいぶんと違うものだった。
例えばイスラエルの話。
彼らの新聞には目を覆うような悲惨な光景が毎日のように流れ、
その一方イスラエルではまったく違う戦況を報告する情報が流れている。
どちらが正しいと言う訳ではない。
どちらも正しいかもしれないし、どちらも間違っているかもしれない。
真実と言うのはそれぞれに持っているものだが、
事実はその目を向けた方だけが見えるのだ。
だから僕らは何かを知るためには、
いくつもの目を持って事実を見つめなくてはならない。
そんな当たり前のことに気づく。
そんな当たり前のことが出来ていなかったことに気づく。
中東とは。
なんて語れるほど僕は彼らを知っていないし、
それほど傲慢なわけでもない。
ただ一つ言えるのは
彼らの優しさは本物で、それは誰にでも向けられているという事だ。
一つ思い出深い出来事がある。
それは僕がダマスカスにいた時のことだ。
僕はうっかりお金を落としてしまった。
そうとは気づかずに歩き出した僕に、青年が呼びかけた。
言葉がわからない僕にジェスチャーで足元を指差してくれたのだった。
これが日本以外の国であれば。
誰もがその落としたお金を知らぬふりをして懐に入れるだろう。
東南アジアならもちろん。ヨーロッパでさえも。
その人が裕福だっただけなのかもしれない。
しかしそれは誰もが欲しがるお金よりも、
自分の良心を優先すると言う行為だった。
イスラム教は厳格な戒律からなる宗教だ。
全てはコーランに書かれた言葉通り生き生活しなくてはならない。
目には目を。歯に歯を。
それは復讐の戒律ではなく、
自分がされたこと以上のことは相手にしてはいけないという戒めだ。
そして彼らが戒律に基づき生きていれば、
人に優しくするなんて事は当然のことなのだ。
もちろん彼らにも欠点は幾らでもある。
例えば彼らはアメリカを毛嫌いする。
その嫌悪度は相当なもので、
僕は何度となくアメリカについての悪口を聞いた。
しかし彼らは。
アメリカについて何も知ってはいないのだ。
僕らがちょうどイスラム教について何も知らず恐れるように。
情報とは恐ろしいものだ。
僕らはあっという間に操られている。
マスメディアが発達した今、僕らはそれから逃れる術はない。
だからこそ僕はこの旅ができて良かったと思う。
失ったものは多いけれど、
それでも僕の目はようやく開き始めた。
それはこれからいくつもの未来を見せてくれるだろう。
誰もが目を開けば。
もしかしたら戦争なんてなくなるのかもしれない。
そんな甘いことをつい考えたくなる。
僕はすでにたくさんの人に出会ってしまった。
その国の人々が血を流す。それは本当にやりきれないことだ。
だから僕に出来ることといえば、
たくさんの国の人にたくさんの別の国の話をすることだ。
例えばシリア人の優しさやなんか、とか。
僕らを乗せた乗り合いタクシーはあっという間に国境へたどり着き、
無事トルコへの入国を果たした。
思わずシリアを振り返る。
「大好きだよ。シリア」
そうマサミが言った。僕も本当にそう思う。
僕らを乗せたタクシーはアンタキヤのバス停で僕らを降ろすと、
いそいそとシリアへ向けて帰っていった。
そこからカッパドキアへ向かうバスを探し、
結局のところ夜の10時まで待ってバスはようやく目的地へと出発した。
さようならシリア。
そしてこんにちはトルコ。
走り出したトルコのバスは異常なほど快適で暖房が暑すぎるほどだったが
また別の国に来たことを感じさせた。
さてトルコ最初の場所カッパドキアへ。
巨大な奇石が並ぶ世界へといざ向かう。
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