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DATE:2009/01/06 Israel - Jerusalem -
朝、早起きして岩のドームへと向かった。
ユダヤ教の聖地である嘆きの壁のすぐ上にある、岩のドーム。
エルサレム神殿を壊してその上に立てられたイスラムの施設。
そこには長年の間、この地がイスラム教の支配下であった歴史が横たわっている。
実際、そこへ行く方法も変なもので、
一度、嘆きの壁に入り、そこから木でできた回廊を通って、
上階の岩のドームへと向かう。
イスラム教徒であれば別の入り口があるようだが、
観光客はなぜかそんな変なルートを使う必要があるのであった。
岩のドームと言ってもピンとはこないし、
実際見たところでもピンと来るようなものではない。
ムハンマドが夜の夢へ旅立った場所(つまりは昇天の疑似体験)。
それを聞いてもやっぱりなんのこっちゃ。
イスラム教ではメッカ、メディナに続く3番目の聖地とされているそうだが、
実際のところ岩のドームの観光客も他の場所に比べれば圧倒的に少なく、
またイスラム教施設のため中に入れもしなかった。
考えてみれば観光客の少なさも当然なのかもしれない。
そもそもイスラム周辺国の人々がイスラエルへ入国することができるかは疑問だ。
日本人だってあれだけ厳重なチェックを受けるのだから、
それがイスラム国家であればなおさらの事だろう。
しかし建物自体はさすが聖地だけあって
壁はすべてイスラム文様のタイルで囲まれ、
丸い玉ねぎ型の屋根は金色に輝いており、
やっぱりそれは美しい。
1時間ほどのんびりして宿に戻った。
そして別れ。
そう今日は1ヶ月も一緒にいた相方マサミと遂に別れるのだ。
彼女はこれからイスラエルの首都機能があるテラヴィヴへと向かい、
僕はヨルダンへと戻りトルコへ向けて北上していく。
お昼のバスに間に合わせるため、
一人だけ先に荷物をパッキングする。
いつもダラダラするマサミをせっついていたが今日はそれがない。なんだか変な感じだ。
パッキングを終えて、最後シャワーでも浴びようとしていると、
マサミが携帯のメールを見ておかしな顔をしている。
そしてそれを僕の目の前にだして、読んで。と言った。
何事?僕はその携帯のメールに目を通す。
「私、いまエルサレムに向かっているの。待っててね。」
そのメールに二人凍りつく。
しかもご丁寧に
「there is nothing in Telavib without friends. Koremajidakarane!!
....It will be sabiretatokai」
との説明が。
寂れた都会。マサミの顔が張り付いた。
「ねぇ、寂れた都会だって。アヤちゃん来るって」
「うん。。そうみたいね。でも俺は行くよ」
「でも、アヤちゃんだよ。会いたくない?」
「いやそりゃ会いたいけれど。。でも俺は行くよ」
「珍獣だよ?見たくない?」
「・・・でも俺は行く・・・行くからね!」
とりあえずシャワーを浴びる。そう言ってシャワーを浴びに行った。
旅の予定はすでに結構な遅れ。
ここで何日も留まれるほどの余裕はない。
シャワーを浴びる前はそう思っていた。
俺は行くのだ!トルコが待っているのだ!
そして今日、僕はやることがある。
それは一人の方が都合がいいのだ。
シャワーを浴びる。
温かいお湯が肌寒いエルサレムを忘れさせる。
と、、、突然お湯が止まった。
え。。まだ頭洗っている途中なんですけど。
こういうことは良くある。
ちょっと待てばきっとお湯になるはず。
と思うも、5分ほど待ってもシャワーからは一向に水しか流れてこない。
しかし裸のままで待っているのも限界!と、
がんばって水シャワーでどうにか体を洗う。
10分後、僕は屋上のぽかぽかとした陽だまりの中にいた。
エルサレムは今日もまた快晴。
屋上の上は日向ぼっこにちょうど良い。
そしてもう、今日の予定なんてものはどうでも良くなっていた。
それはきっと太陽のせいだった。
冷えた体を温める太陽の光は温かく、
ただそこにいるだけでなんだか幸せな気持ちになっていた。
今日やる仕事を考えると気は重いが、
そんなのも忘れるぐらいただ太陽は心地よかった。
さてそう言えば。アヤちゃんとは誰か。
それを説明しなくてはならない。
紹介しよう。アヤちゃんとは・・・まったくの他人だ。
見たことも会ったこともない他人。
その為に僕は今日一日を空ける事にしたのである。
馴れ初めはというと、
アヤちゃんはマサミがロンドンで会った、
ロンドン在住の友達なのだが、
その彼女がなぜか僕に手紙を書いてくれた。
要はエジプトでマサミを頼むという手紙だったのだが、
その中身はというと僕への内容は、
最初の挨拶ぐらいしかなく、
最後は結局マサミへの手紙になっているという、
なんともまぁ奇抜なものだった。
そんなわけで、
そんな謎の手紙ぐらいしか接点がないのだが、
アヤちゃんも遊びでイスラエルへ来ているらしく、
それで今回、ご対面ということになったのだ。
「やっぱり今日はいることにした。」
部屋に戻りそうマサミに告げた。
やっぱりね、と勝ち誇ったような笑み。
なんだか負けた気がして悔しい。
そうこうしているうちにアヤちゃんが宿へ到着し、
初めてのご対面となった。
「てっぺー!!!!」
と、初対面のしかも年上にも関わらずいきなりの呼び捨て。
でもそれを許せるのがアヤちゃん。
初対面にも関わらずなんか一気に昔からのトモダチモードになり、
アヤちゃんを引き連れてエルサレム観光へと繰り出した。
アヤちゃんの行動を見ていると、
やはりバックパッカーとは少し違うと気づかされる。
あっちこっちのお土産屋に寄って品定めしたり、
洋服だってそりゃお洒落なもんだ。
(ロンドンの洋服屋で働いているから当然なのだが)
日本でファッションデザイナーもやっていたマサミも、
その辺は気が合うらしく、いつの間にか観光客モードになっている。
聖墳墓協会に行って、嘆きの壁に行く。
そのお決まりのコースを辿っていったのだが、
嘆きの壁の様子がいつもと違う。
前回来たときとは比べ物にならないほどの信者で溢れているのだ。
もう壁には収まりきらず、
みなが壁から数メートルも離れたところでお祈りをしている。
イスラム教のアザーンのように
スピーカーを使ってお祈りの声が届けられ、
それと呼応するかのように信者達は嘆きに一層力を入れる。
なんじゃろね?と思っていると、
運良くアメリカ人のユダヤ教信者が
今日は「スペシャルプレーヤー」が来ているんだ、と教えてくれた。
なんやねん。スペシャルプレーヤーって。。。
と思うもユダヤ教信者のみなさまは大いに嘆いている。
そう言えば何で彼らはこんなにも嘆いているの?
ついでにそれを聞いてみると、
「過去のこと。今のこと。全てについて」
と彼は答えた。
やっぱり僕には理由がわからなかった。
その後、なぜか柔道経験者(黒帯)のユダヤ教おじいちゃんと仲良くなり、
大盛況の嘆きの壁を後にした。
やっぱりユダヤ教とは不思議な宗教だ。
その後、町をぷらぷらし
イスラム教地区でビールを飲んで怒られたり、
アヤちゃんが口の周りをマヨネーズでべちょべちょにして笑われたり、
アルメニア人地区へ行ってみたりして、
宿へと戻る道を歩いた。
今日も夜の食事を自炊しようと皆でスーパーに寄ったが、
僕はちょっとメールしなきゃいけないからと、
彼女たちを置いて先に宿に戻った。
そう、今日僕はやらなくてはならなくてはならない事がある。
それは彼女にふられることだった。
一人になった宿で僕は彼女に電話をかけた。
そして僕はふられたのだった。
帰ってきた二人と合流し、
食事を作りワインを空けて乾杯をする。
話は恋愛の話になり、
もちろん僕はふられたことを話して追悼会になった。
今日は一人でひっそりと沈もう。
そう思っていたが彼女たちのパワーはそんなことを許さない。
まぁ、それも良いか。
こういう気持ちの紛らわせ方もあるのだと知った。
夜中。
そういえば夜の町を歩いていないと嘆きの壁まで行ってみることにした。
夜のエルサレムの街は全てのドアが閉まりひっそりとしている。
ところどころ警官が立ち、危ない雰囲気ではない。
ひっそりとした夜の町に、
石畳を歩く僕らの足音が響く。
張り巡らされたアーケードで夜空は見えない。
夜の町は入り組んだ道が一層迷路のようになる。
そんな閉じられた空間を歩くことは、
どこか夢の世界を歩いている様でもあった。
嘆きの壁では夜中にも関わらず、
数人の信者たちが祈りをささげている。
そこにまた僕も立った。
額を壁に付けてみる。
ひんやりとした感覚が頭からジワリと広がった。
イスラエルという国を僕は理解できた気がしない。
それはまだエルサレムという一部にしか入り込んでいないという事もあるが、
イスラエル自体の国の複雑さが、
僕の理解を超えていたという方が正しいと思う。
ユダヤ人が暮らし、パレスチナ人が暮らす国。
常に争いの中にある町。
アヤちゃんにイスラエル人の話を聞いた。
彼女の友達は軍人でパーティーで遊んでいる最中に電話があり、
その次の日、戦場へと向かっていったのだそうだ。
戦場へ降下するパラシュート部隊の一員として。
そして彼は言っていた。「行きたくない」と。
誰もが戦いを望んでいないことはわかっている。
パレスチナ人もユダヤ人も。
戦場で流れるのはいつも決定を下した者の血ではない。
店先で出会ったパレスチナ人の彼が言っていた。
「ユダヤ人の友達はいるの?」
「もちろん。僕らは友達になれる。宗教を超えたところで」
誰もが望まぬ争いがなぜ起こるのだろう。
それは一部の人間の利益のためか。
それとも後ろ側にいる別の誰かや国の利益のためか。
そうやって流れてしまった血は、
もう二度と戻ることはないのだ。
理解不能の怒りが僕の中に生まれていた。
ユダヤ人にもパレスチナ人にも、
中東諸国にもアメリカにも。
誰にも向けることのできないこの怒りはどうしたら良いのだろう。
そして僕は同時に自分の無知にも怒っている。
僕はまだこの国を語る資格はない。
それが一層、僕を混乱させていった。
この国の事を理解したい。
そう思えたことがこの国にきた僕の唯一の収穫かもしれない。
理解不能の国の中で、僕はただ怒ることしかできなかった。
僕は嘆きの壁の前にいる。
夜中にも関わらず信者の祈りは一向に止むことはない。
いったい何を嘆いているんだ?
僕はそう言いたくなった。
今僕が抱える失恋の悲しみ比べればお前たちの嘆きなんて。
本気でそう思えた。
2009年1月6日。僕は世界で一番嘆いていた。
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