2009年1月4日日曜日

世界一周(29)イスラエル/磔。嘆き。そして戦争。






DATE:2009/01/04 Israel - Jerusalem -


エルサレムは
キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教の聖地であり、
それぞれに代表する建物があり、
また生活もそれぞれの宗教によって居住区域さえも別れている。


キリスト教は、キリストが磔にされたゴルドバの丘のあった場所に立つ聖墳墓教会。

ユダヤ教は、エルサレム神殿跡に最後に残った嘆きの壁。

イスラム教は、ムハマンドが夜の旅に旅立った場所に立つ岩のドーム。


それぞれに世界各国から信者が訪問に訪れる。



今日はキリスト教の聖墳墓教会とユダヤ教の嘆きの壁に行ってみることにした。


聖墳墓教会へと訪れる道には朝からたくさんのツアー客でごった返していた。
どうやら聖地をまわる宗教的なツアーのようで、
熱心な信者の方々が真剣にガイドの話を聞いている。

どうやら聖墳墓教会へといたる道は、
キリストが磔にされる前に歩いたとされる道だそうで、
そこには十字架が置かれ信者たちはそれに祈りながら道を歩いていた。



聖墳墓教会の中に入ると、
その雰囲気でここが単なる教会ではなく聖地であることがわかる。

熱心な信者たちは入り口を入ってすぐにある、
祈りの場のようなところで清めの儀式なのか、
バッグやら荷物を置き祈りを捧げている。

入り口から既に何か特別な場所であるという雰囲気はあるが、
入り口を左に曲がりゴルドバの丘があった場所までくると、
それが一層確かなものに感じられる。


聖地。


それが無宗教の僕には何なのかは、
そう多く実感できることではないが、
その場所の持つパワーと言うか神聖さは、
はっきりと感じることができる。


ここでキリストが処刑された。

それはある意味ではキリスト教の始まりであったのだと思う。

ここからある一つの宗教が始まった。
世界中の多くの人間に影響を与えるものがこの場所から生まれたのだ。


そしてそれはある意味では戦争や、
血なまぐさい出来事の発端でもあったのだ。

宗教は結局のところ政治との結びつきが強く、
国を大きくするための一つの手段であったことは確かだと思う。

群集をまとめるために使われた、
そのわかり易い扇動の道具は幾度も争いの理由になった。

やれ異教徒を根絶やしにしろだの、
神を守るための戦いだの。

ただその土地を奪いたいという権力者が、
宗教を道具にして民衆を煽り、他人の土地を我が物にしていく。

理由なき略奪に、
意味をつけるには宗教とはなんと便利な道具なのだろう。


そんなことを思うと、この場所がとても複雑な場所に思えて、
感慨にふけりながらしばらくその磔の跡地を眺めていた。


ゴルドバの丘の上には教会が立てられており、
さらにその上を教会が覆っている。

家の中に家があるような二重構造のその教会は、
違和感があるが、それが必然の姿にも思える。

室内にはたくさんの信者が、
祈りを捧げようと列を成していた。

もちろんその多くは観光客だったが、
教会の中に入り、出てきた人々は何か特別な顔をしていた。

僕にはわからないその感覚が少しうらやましくも思えた。



教会から出てもそのパワーに少し中ってしまって、
休憩がてら旧市街の外に出て昼食をとりながら、
いつものように今感じたことを二人で話した。

こういう時に誰かといるというのは良いものだ。
特に言い表せないような感情が伴う時はさらに。

宗教が生まれた場所。争いが生まれた場所。

いくつもの歴史や思いがそこにはあった。




日が傾き始めるまで外でのんびりしていたが、
今度はユダヤ教の嘆きの壁へと行ってみることにした。

ユダヤ教について、僕はほとんど何も知ってはいない。

ユダヤ人という迫害を受けた人々の歴史ならば少しは知っているけれど、
その彼らが信じる宗教についてはさっぱりだ。


ただ一つ、知っていることと言えば「選民思想」のことだ。

彼らユダヤ人は神に選ばれた民族。
彼らは本気でそう思っている。

その根拠は?なんて聞いても、
それは神が決めたことだからと、質問自体に意味がなくなってしまう。

この選民思想はある意味で、
ユダヤ人が世間から疎ましく思われる一つの理由なのかもしれない。
そりゃそうだ、俺は選ばれた人間だ。なんて
えらそうに言う奴は、やっぱり友達にはなれそうもない。


それでも僕はユダヤ人という人々に興味がある。

というよりも何も知らな過ぎるのだ。きっと。

彼らがなぜ迫害されたのかも、なぜユダヤ教が始まったのかも。

だから彼らの事を強く云々言えない自分がいた。



嘆きの壁に入るには金属探知機のチェックが要る。

ほかの宗教の施設はいらないのだが、
なぜここだけが?そう思うが、
ここがユダヤ教に唯一残された聖地であることと、
ユダヤ教自体がテロなどのターゲットにされる可能性の高さを考えると、
それもまた仕方のないことなのかもしれない。

しかしそれは何かイスラエルが、
ユダヤ人の国だという事を強く表している気がした。



セキュリティチェックを通って、
嘆きの壁を見下ろせる場所に立つと、
ここもまたやはり聖地なのだということが肌で感じられた。


嘆きの壁に向かい、
熱心に祈りを捧げるユダヤ教の人々。

真っ黒なコートを羽織り、
シルクハットのような黒い帽子をかぶりながら、
体を揺らしながら全身で祈りを捧げている。

体を揺らすたびに、
特徴的なクルクルと巻かれた長いもみあげが、
ふらふらと一緒に揺れている。

嘆きの壁は祈る場所も男性と女性でハッキリと別れていて、
これもまたユダヤ教の宗教観を表していた。


マサミと別れ僕は男性側の壁へと行ってみた。

入る前には宗教上のマナーから
紙でできた帽子をかぶる必要がある。
河童の皿のような小さな帽子。
そういえばお土産屋さんにもこういう帽子がたくさん売られていた。

壁で祈りを捧げる人にはいろんな人がいて、
子供から老人まで、さらには軍人までもいて、
みな熱心に壁に向かって祈りを捧げていた。

聖書のような本を片手に一心不乱に体を揺らしながら祈りを捧げる姿は、
一種異様ではあるのだが、
それはその祈りの激しさから来るもので、
ある人は苦痛に顔をゆがめ、
ある人は壁に向かって嗚咽を漏らしていた。

何をそんなに嘆いているのだろう。

僕はそれが不思議でたまらなかった。
日々そんなに辛いことがあるわけではないだろう。
それでも彼らは嘆いている。

彼らは何について毎日こんなにも嘆いているのか。
彼らの持つ本の中にはどんなことが書いてあるのだろう。
それを僕は知りたくてしかたなくなった。

なんだか嘆くことに慣れすぎて、
それが日常になってしまっている気もした。
毎日嘆いてばかりの宗教なんて何の意味があるんだ。


嘆きの壁の左奥には図書館のような場所と、
室内の祈る場所があり雨にも濡れても大丈夫なようになっている。
本棚には僕には読めない文字で、
たくさんの宗教関連の本が置かれていて、
それを熱心に読んでいる人たちがいた。



嘆きの壁から離れて外に出て、
女性側の方へ行っていたマサミと合流して、
また今の出来事について話をした。

女性側には本当に涙を流す人たちがたくさん居たという。

そこまでさせる宗教とはなんなのだろう。
彼らの悲しみとは何なのだろう。


僕はやはりユダヤ教と言うものについてあまりにも知らな過ぎた。

だから僕の目には彼らのことが異様な姿にしか見えていない。
それがとても残念なことに思えた。

彼らがなぜ嘆くのか。
彼らがなぜ祈るのか。
彼らがなぜパレスチナ人を迫害し続けるのか。
彼らがなぜ・・・。

僕はあまりにも無知だった。

だから今はただこの光景を記憶に刻むことにした。
いつかまた何か知ることができたら。
その時は今日の事を思い出して一つ彼らを理解することができるだろう。
それを待つことが唯一僕にできることだった。



帰り道、ぐるぐるとうねる細道をぶらぶらと歩いていた。

お土産屋や小売り店が道の両側をびっしりと埋め尽くしていて、
それを冷やかしながら歩くのはとても楽しい。

エリアごとに居住区が違うからか、
道を一本ずれると異なった宗教のお土産が売っていて、
それもまた面白いことでもある。
当たり前だがキリスト教区にはワインさえもあるのだ。
もちろんそれはイスラムではご法度であるため、
どこを探しても見つかりはしない。

イスラエルのお土産屋の品物はかなりレベルが高く、
普通に欲しいと思えてしまうようなものがいくつもある。

民族衣装やアミュレット、そして指輪などの貴金属。

そのデザインや品質がどれを見ても良い品で、
さすが聖地。下手なものは売っていない、と思った。

そりゃそうだろう。
自分の宗教の聖地まで行って、
「xxへ行ってきました」みたいな
どうでもいいお土産を売っていたらがっかりするに違いない。
そんなところでもここは聖地だった。



お土産屋を見ているとたくさんの声がかかる。

そのうちの一人に呼ばれ彼のお店の中でお茶を飲む。

そして彼はパレスチナ人だった。


最初はマサミと僕と彼、
そして近くにいた友達と一緒に楽しく話していただけだった。

そのうち自然に話がパレスチナについてになる。

それはきっと僕らが求めていたからかもしれない、
それとも彼が求めていたのだろうか。

僕らは彼の話に自然と聞き入った。



1948年、この国はイスラエルとなった。

過去この地に暮らし、
今では多くの迫害を受け散り散りになった
ユダヤ人の長年の願いが成就したというわけだ。

イギリスの主導により進められたこの建国は、
ユダヤ人にとっては記念すべき奇跡のような出来事であったのだと思う。


だがしかし。
パレスチナ人の彼は言った。

そこは私たちパレスチナ人が住んでいた土地だった。と。



確かに過去、ユダヤ人はこの地に住んでいた。

しかしそれは2000年前の事だった。確かに彼らはこの地に住んでいた。

その後、どのように支配者が変わったのかはわからないが、
ユダヤ人は戦争に負け、土地を追われ散り散りになったらしい。
ドイツ軍によるユダヤ人虐待のイメージしかないが、
彼らがどういう暮らしをしてきたのかを僕は知らない。



そしてパレスチナ人は2000年の間、そこに住んでいた。

2000年前の土地の所有権。
それがどちらにあるのかは子供にだってわかる。


しかしイスラエルという国はできてしまった。

建国と同時にイスラエルはユダヤ人国家となり、
パレスチナ人が住む土地をことごとく奪っていったそうだ。

アラブ系の周辺各国がそれを防ぐために、
イスラエルに戦争を仕掛けるもことごとく敗北。
パレスチナ領土の問題は完全にイスラエルに所有権があることになってしまった。


彼は続けた。


いま、またパレスチナ人が戦争で殺されている。

武器を持たない僕らは戦うことができない。

母を殺され、子供を殺された僕らは何をすればいいのだ。


そう言って熱くなっていた彼は言葉に詰まった。

僕たちは何も言うことができなかった。
それがこの土地で起こっている現実だった。



知っているか?と彼は続けた。


我々はアラブ諸国の支援で生きながらえているのだ。と。

イラク、サウジアラビアなど、
オイルマネーで潤うアラブ諸国。

その資金が闇でパレスチナ人社会へと流れ込んでいる。


彼はそう言った。



裏側が少し見えた気がした。


結局のところ。
ただの代理戦争でしかないのかもしれない。

イスラエルという国を使ったアメリカと、
パレスチナ人という人を使ったアラブ諸国の。

イスラエルを楔として、
中東のオイルを狙うアメリカと
それに対抗するアラブ諸国。

なんとなくそんな構図が浮かんできた。


それは間違いかもしれない。

しかしこの争いにはきっと裏がある。
シンプルな民族間の争い以外にもきっと何か別の思惑が。


誰かの利益の為に、
他の誰かが毎日死んでいる。


その現実が彼の話以上に僕を揺らせた。

知っているのだろうか彼らは。
ただ利用されているだけだと。

知ったとしてもそれを拒否する現実はないのかもしれない。
それがまた一層、僕の心を黒く染めた。




またね。

そう言って彼の店を離れた。


昨日であったパレスチナ料理の主人を思い出した。

いまならもう少しわかる。彼の怒りが。

少しだけだけど。
わかった気になっているだけかもしれないけれど。



しかしなんていう場所に来たんだろう。

毎日、考えさせられることばかり。

世界はやはり面白い。

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