DATE:2009/01/03 Israel - Jerusalem -
眠い目をこすりながら相棒をたたき起こし、
イスラエルへ向かうバスに乗った。
今日はついにイスラエルに入るのだ。
今後の予定を考えると、
そう長い間は滞在することはできないが、
キリスト、ユダヤ、イスラム教、と3つの聖地が交じり合う
聖地エルサレムがあるその国に期待しないわけにはいられない。
そしていま。
この国では戦争が起きている。
野次馬根性と言ってしまえばそれまでだが、
戦争を知らない僕たちが生の感情を知れるチャンスでもある。
幸いにもイスラエルから帰国した人たちからの情報では、
イスラエルやテラヴィヴといった観光地や、
ガザ地区から遠い北方は特に危険といった雰囲気ではなく、
入国もすんなりとまでは行かないが通過可能とのことだ。
危険情報は旅をする上で最も配慮しなくてはならない。
それはこの旅を通して十分わかっていることだ。
インドのデリーやカシミールのテロ、
パキスタンや中国でのテロ。
それはたった1週間やそこらの違いで、
間近に起きた死の出来事であった。
それでもなお絶対に安全とは言えないイスラエルへ、
なぜ行くのかと言われると明確な理由はないが、
この未知の国に一度は触れてみないことには、
世界を旅している意味が1つ減ってしまうような気がした。
この国を知りたい。
イスラエルを間近に、本心からそう思うようになっていた。
イスラエルの入国は平時でも簡単ではない。
それが戦時中ともあってヨルダンからイスラエルへ向かうバスでは、
少し緊張をしていた。
イスラエルへの入国の手順はこうだ。
まずヨルダン側の国境に行き出国の手続きをする。
この際に忘れてはならないのが、
別紙へと出国のスタンプを押してもらうことである。
通常ならば問題がないが、
イスラエル入国後にシリアなどアラブ諸国を回る場合、
この手続きを踏まないと、
ヨルダンの出国スタンプからイスラエルに入国したことがばれてしまい、
パスポートを新しく更新しない限りは、
それらの国に入国することができなくなる。
唯一、ヨルダンだけが例外で、
この国だけは滞在が認められているのだ。
この事がイスラエルとアラブ諸国との関係を如実に表していると言っては簡単過ぎるが、
その現実はこういったところにも影響を及ぼしている。
ヨルダン側の出国手続きが済んだ後は、
国境を渡るバスに乗り日本が建設に協力したという友好橋を渡って
緩衝地帯を抜けると難関のイスラエル側の入管が待っている。
ここからが問題だ。
バッグは何か別のゲートを通って荷物検査をされている。
最悪の場合は中国でやられたように全チェックをされるかもしれない。
別に見られて困るものはないが、時間がかかるのでめんどくさい。
荷物を渡し、入管の列に並ぶと、
なにやらマシーンのようなものの間を皆が通っている。
単なる金属探知機ではなく見慣れない、
電話ボックス大の結構大きなものだ。
前の人を見ているとなにやら空気を噴出する機械らしい。
消毒でもされるように人を上から下へ、
プシュ!プシュ!と音を立てながら嘗め回すように空気を吹き付けている。
順番が回ってきてついに僕の番。
少し緊張しながらマシーンの真ん中に立つ。
ブシュー!ブシュ!!!ブシューン!ブシュ!
頭から足の先まで左から右から、
さらに角度を変えて斜め横からも空気が噴出してきた。
別に痛いものでもなくなんか面白かったが、
何に使うのか疑問だったが、少し考えたら見当がついた。
たぶん武器か何かを探知する機械だろう。
空気圧の反射を測り何か硬いものがあれば
反応するようにできているのかもしれない。
金属探知機は通らなかったし、それの上級版という奴だ。
それにしても厳重な警備だこと。
まぁ、イスラエル側からすれば、
国境からテロリストが入ってくるのを防がなくてはならないため、
それもまた仕方のないことかもしれないが。
僕とマサミ。
二人とも無事にマシーンを通過して、
もう一度、イスラエル入国の作戦を確認する。
スマイル。そしてノースタンププリーズ。
まずは管理官選びからだ。
この管理官の善し悪し(?)で入国がスムーズに行くかの第一歩が決まる。
なにせ人によっては3時間以上も別室で拘束されることもあるのだ。
管理官は全員女性で、
恐らくは徴兵で召集された人たちだろう。
軍隊らしくないわけではないが、
髪型はパーマだろうが何色だろうが自由だし、
たいてい耳にはピアスが付いていたりする。
制服もかっこ良く若者が好みそうなデザインだ。
なので見た目だけはなんだか高校みたいなのだが、
ここはやはりイスラエル人のこと。
目つきは鋭く、笑顔などは見せてくれない。
マサミと同じ列でも良かったのだが、
空いているのに同じ列に並ぶのも変な気がしたので、
二番目に気のよさそうな女性の前に立ちパスポートを差し出した。
そしてすかさず、
「ノースタンププリーズ!!」
取りあえずこれを忘れてはならない。
しかしこれを聞き当然ながら女性の顔は強張る。
「Why?」
当然のごとくその質問が返される。
当たり障りがないように、
陸路でトルコに抜けたいのだけれど、
シリアを通らなくてはならないから、と言い訳をする。
ちらりとマサミの方を見る。
そして僕の顔を見て彼女は思い出したように、
「ノー・・ノースタンププリーズ!!」
と言った。。。。
おぃ、遅せーよ。。。。
と思ったが、そのあどけなさが良かったのか、
さっさと別紙スタンプを押してもらい彼女は、
するりと入管を抜けていってしまった。
僕はというと相変わらず質問詰めだ。
「仕事は?」「父親の名前は?」
「何日ぐらいイスラエルにいるの?」
「イスラエルはどこに行くつもりなの?」
どーでもいい質問をいくつか繰り返され、
それにも真面目な顔をして真摯に答える。
機嫌を損ねられたらたまらない。
ここはただ耐えるのみだ。
10分後。
ようやく開放されパスポートは無事別紙スタンプと共に返されたのであった。
これでイスラエル入国!
と思ったらそれで終わらないのがイスラエル。
さっさと入管も税関も抜けてしまったマサミを尻目に、
僕はまんまと税関にも引っかかってしまうのである。
なんだか良くわからないが全荷物検査の模様だ。
とりあえず税関の係りに呼ばれて、
「武器は持っているか?」
と聞かれたときは既にもう諦めモード。
初めての「ウェポン」という言葉に、
どーにでもしてくれ、さっさと調べんかい。となる。
係りの人は全部の荷物をひっくり返し、
丹念に一つ一つ調べていった。
呆れはしたが、
これもまたイスラエルの現状なのだと思った。
それほど恐れなくては自分の国を守れない。
敵だらけの国。それがイスラエルなのだと思った。
30分後。
ようやく開放され、別紙スタンプは回収されて
無事にイスラエルへの入国を果たしたのであった。
29カ国目イスラエル、ようやく入国!だ。
待ちぼうけしていたマサミに誤り、
乗り合いタクシーのチケットを買ってエルサレムへと向かった。
戦時中のイスラエル。と緊張していたが、
車の中からは特に物々しい様子はうかがえず、
ヨルダンと同じように砂漠のような景色が広がっている。
途中、ラクダの姿が見えるところなんて中東そのものだ。
やはりこの国は中東とも密接に繋がっている。
1時間も走ると町らしき姿が見えて、
エルサレムのダマスカス門の前へとたどり着いた。
たどり着いたこの辺りはイスラム系の地区らしく、
通りを歩く女性はみなスカーフを巻いている。
通りには多くの軍人がライフルを持ち、
あたりを警戒している。
これは戦争のせいなのだろうか、
それとも3つの宗教の聖地という特別な場所なのだからだろうか。
良くはわからないが、
軍服を着たイスラエル人たちは、
それほど緊張した面持ちではなく、
リラックスした様子に見えた。
それは今、自分が戦場にいないという幸運からなのかもしれない。
エルサレムに着いたものの、地図があるわけでもない。
行けば何とかなるさと思い、
宿の名前ぐらいしか覚えてこなかったが、
これがかなり間違いで、エルサレムの迷路の中に迷いこんでしまった。
エルサレムの旧市街は、
中世の雰囲気をそのまま残した町で、
ぐねぐねと曲がる細い路地が縦横無尽に走りぬけ、
さらにその頭の上をレンガでできた橋がかけられる。
そのため、歩いても歩いても、
目印になるようなものがなく、
さらには自分が旧市街のどこにいるのか、
方向感覚も失われていく。
だがしかし、
僕はこの町をひと目で気に入ってしまった。
どこにもないこの町の雰囲気をどう表せば良いのだろう。
どこを見ても絵になる中世の町並み。
そこにガヤガヤと市場が並び人々が行き交う。
映画のセットのようなこの町に、
迷いながらもすっかり魅了されていた。
どうにか迷いながらたどり着いた宿に腰を落ち着けると、
特にやることもないので、洗濯をしたりとゆっくりと初日を過ごした。
しかしここエルサレムはいたって平和だ。
戦争の匂いなどくすりともしない。
中東の町で見た毎日のように流される悲惨な映像と
この場所の現実に違和感を覚えた。
お腹も空いたのでイスラエルの料理でも食べようと、
ダマスカス門を出て近くのレストランを物色した。
イスラエルは物価が高く、
観光客料金の旧市街のレストランでは
ヨーロッパ並みの食費がかかってしまう。
観光客向けのパスタやステーキには興味はないし、
現地の料理のほうが安くて興味深いことが多い。
それでなるべく現地のレストランを探して食べているのだが、
エルサレムではそれも中々見つからない。
ここもまた中東のように外食文化がないところなのかもしれない。
ようやく見つけた一軒のレストランで、
注文をしようとメニューを見る。
看板に乗っていた料理がなかったので、
「イスラエル料理が食べたいのだけれど、イスラエル料理はないの?」
とオーナーらしき店員に聞いた。
特に何か意味を込めた訳ではない。
「ここはパレスチナ料理の店だ。イスラエルが好きなのか。
それならここにはない。別の店に行け」
それが彼の答えだった。
驚いた。ここはイスラエルだろ。
だからこの土地の料理を食べたいと言っただけなのに。
でもこれが現実だった。
イスラエルという国に属していながら
パレスチナ人という歴史を捨てずに生きる人々。
というよりもその強制的な押し付けを
受け入れることなく生きる人々と言うべきか。
もちろんそれはサービスという意味では、
あってはならないことなのだろうけれど、
そんなことを吹き飛ばしてしまうぐらいの怒りを感じた。
僕はイスラエルという国に来たつもりでいた。
それは間違っているのかもしれない。
国境という檻の中に閉じ込められた、
たくさんの顔を持つ人々。
ある人にとってはイスラエルという国が大きな意味を持ち、
ある人にとってはそれがお仕着せの偽名でしかない。
そんな場所に僕は来ていることを思い知った。
それはとても幸運なことだったのかもしれない。
ただ通り過ぎるだけならば、
美しい歴史的な町並みを思い出すだけの町になっていただろう。
僕はしっかりと目を開かなくてはならない。
僕はしっかりと耳を傾けなくてはならない。
この国はきっとそういう場所だ。
そしてこの国をなにか伝えることができたら。
それがこの旅にひとつ意味を与えるかもしれない。
夕方6時にもなればバタバタと店は閉まり、
あっと言う間に町は静まりかえった。
宿のキッチンで久しぶりに自炊をして、
今日の出来事を語り合った。
今日の特別な出来事は、
きっと忘れることはないだろう。
彼らの現実は明日も、またその次の日も続いていくのだ。
中東和平なんていう他人事がいま僕の目の前に生きていた。
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