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DATE:2008/07/08 China - Xian -
ここに来て完璧にカメラが壊れた。
騙し騙し2ヶ月あまり。
九寨溝までは何とか持ってくれたことに感謝をすべきかもしれない。
最初からたまに起動しない初期不良だったのだが、
10回に1回程度だったエラーが2回に一回になり、
1ヶ月ほど前には逆に100回に1回起動するというエラー率。
なので一度起動したら電池が切れるまで持ち歩くという強攻策で写真を撮っていた。
ここ最近ではさらに悪化してズームもピンと合わせも手動という、
コンパクトデジカメにあるまじき機動性w
北京には友達が住んでいるので、
そこに同じ機種を送ってもらうことにしていたので、
まぁ、ぎりぎりのところで壊れたというところ。
願わくばもう少しだけという気持ちもないわけではないが。
というわけで西安に到着。今日からは携帯のカメラのみで歩き回る。
旅に出る前にデジカメすら持っていなかった人間なのだが、
この旅でけっこうカメラの面白さに気づく。
感じた瞬間にカメラを回していたので、それが無いのはちょっと不満。
思った絵が取れないのはけっこうストレスとなる。
なのだが、そのカメラに結構振り回されていることにも気づく。
カメラがなくなってから、なんだか気が軽くなった気もする。
昔はそういやこういう旅の仕方をしてたっけ。
どちらが良いとは言えないけれど。
列車の到着時間が早ければ、
そのまま兵馬俑という世界遺産を見学しに行こうと思っていたのだけれど、
到着したのは午後1時。
それから行っても急ぎ足になるから、ということで、
町の近郊にある大雁塔を見に行くことに。
大雁塔は三蔵法師が天竺を回って手に入れた書物の翻訳に取り組んだ場所らしい。
そんなに大きな観光地ではないのだが、観光客は意外と多い。
そして欧米人がここに来て増えだす。
雲南省や四川省にいなかったのは地震の影響か、それとも英語の理解率の低さか。
ただしバックパッカーというよりはツアー客が多い。
三蔵法師の歴史をたどると、彼もまた旅人であったことがわかる。
その距離5万キロ。
彼はこの西安の都からウルムチのウイグル地区を抜けてインドまで旅をする。
その後、インドからチベット自治区のラサなどを通り帰って来た。
おそらく僕はそれ以上の距離を移動するのだろうが、
彼は全て馬と自分の足を使っての移動だ。
僕にはその道のりを想像することができない。
旅というものはその時代の変化を如実に吸収するものらしい。
1500年前、三蔵法師のような旅人は馬と自分の足を使って旅をしていた。
100年前、それに列車という手段が加わり、さらに飛行機が生まれ、飛躍的に旅の距離が伸びた。
そして現在、さらに車という手段が加わり、細部まで行き届く旅ができるようになった。
僕の世界一周という旅だって今では、
単にお金と時間があればできるものだが、
たった20年前でさえそれは困難なものだった。
さらに旅には情報が不可欠だ。
沢木耕太郎の深夜特急の時代、旅人は口コミで情報を伝えていった。
情報を得る手段は現地の人に聞くか、旅人に聞くかその2つしかなかったのだ。
いまではガイドブックが出来上がり、
ほとんどの都市や行程を網羅している。
そして今、インターネットが生まれた。
これによる旅のスタイルの変化は相当なものだったのだと思う。
その証拠に旅人が泊まるホテルには、インターネット端末が置かれ、
旅人はそれに向かって一心不乱に問いかけている。
情報の質という意味では格段に向上している気がする。
インターネットの情報がいかに不透明かとは言え、
今までの口コミ+ガイドブックの過去の情報よりは格段に信用できることが多い。
旅人はガイドブックは目的地探し。
インターネットは行き方やホテルなどを探すために利用している。
また旅人は一期一会という常識も、メールの普及により失われつつある。
一度会った旅人は気のあった友人達とアドレスを交換し交流を続ける。
5年前の姿とはまったく違う旅がそこにはある。
もちろん弊害は多くあるだろう。
例えば日本人の旅行が揶揄されるとおり「旅」が、
掲載されている写真や情報の「確認」のためになってしまう。
情報が多いほど、事前にイメージが固まってしまい感動は薄れるかもしれない。
旅人のコミュニケーションも薄くなるだろう。
以前は情報を得ることが「必須」だった。
それが自分の旅に必要だったからだ。
今ではそれがインターネットで手に入る。
その分、そのためのコミュニケーションが減り、きっかけが減る。
5年前、10年前のホテルのロビーはどんなだったのだろう。
今のスタイルを辞められる気はしないがうらやましくもある。
いつの間にか自分の世界は変わっているようだ。
望む望まずに関わらず。
三蔵法師の話に戻る。
彼の旅はどのようなものだったのだろう。
暗い山道を一人で歩く。真っ暗な森の中、一人焚き火をする。
時には雨に降られ木の下で何時間も雨宿りをする。
彼の目に世界はどう映っていたのだろうか。
たどり着いたその地で何を思ったのだろうか。
歴史の中で眠っていた人物が僕の中でいま動いている。
歴史。それを中国の土地は深く感じさせる。
この西安の町も昔は長安と呼ばれ、三国志の舞台にもなっていた。
今も城壁で取り込まれたこの町は深い歴史の中で呼吸している。
明日は兵馬俑。ここもまた歴史の一場面であった場所ある。
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