2008年7月6日日曜日

世界一周 in (9)中国/また会いましょう







DATE:2008/07/06 China - Jiuzhaigou -


金持ちおじ様に誘われて、
今日は九寨溝の神仙池風景区という場所と、
昨日今日とお世話になっているチベット族のドライバーの好意で、
彼の住む村を訪問することに。
ちなみにキチンとコストはシェア。あしからず。

今日もまれに見る晴天。
天気の良い時の九寨溝も見てみたかったため少し迷ったが、
神仙池風景区はなかなかいけない場所、さらにチベット族の町なんて。
晴天の中の九寨溝は次回に預けるとして今日はレアな観光地を廻ることに。




神仙池。

マイナーなようだが実はここもかなり美しい。


金銀池と名づけられた池は、
太陽に照り付けられ本物の金のように輝いている。

またある池は神の浴場と呼ばれ澄んだ水がたゆたう。
周りに生える木々の所為か緑色に彩られた池は、
心を落ち着かせ、なぜかゆったりとした気持ちにさせる。
しばしの間、ここでただ池を眺めていた。

流れる小川も涼し気な音を奏でる。
茂った黄緑色の草原を抜けていく川。
時には川は黄緑の中に姿を消し、音だけがその存在を示している。


いい所だなぁ。


この場所は美しいだけではなく、
静かなのんびりとした気持ちにさせる何かがある。

チベットの人々にとってここは唯の観光名所ではなく聖地。
九寨溝や黄龍にはない雰囲気をまとっているのも、その所為かもしれない。


そういえば、この場所にいる観光客は僕らだけだった。

特別な場所で特別な時間を過ごした。




その帰り道、ドライバーの彼の地元に寄ることに。
さらにはそこで、手作りのランチをいただく。

お店ではない、本物のチベット家庭料理。

うまいのなんの。

味付けもどこかマイルド。
野菜は取れたて、さらに山で採ってきたという山菜も盛りだくさん。

野鶏の肉をダシに使ったスープ。これがまた旨い。
力強いダシ。そんなイメージがぴったりの鶏のスープ。
香辛料をふんだんに使ったそれだけで、おかずには十分といった感じ。

そんなチベットの家庭料理が7品ほどところ狭しと並べられる。
もちろん場所は、チベット人の本物の家の中である。

木で作られた質素な外見。その中には以外にもテレビがあったりする。
しかしガスはまだ来ていないようで、料理はかまどを使って調理する。
かまどにはヤカンが掛けられ随時、もくもくと水煙を出している。

そのヤカンのお湯をさっとコップの中に注いでくれる。
コップの中にはチベットのお茶らしきものが入っている。
お茶というよりも穀物の粉末を使った汁のようなものだ。
味はシンプルな穀物の味がする。クセは少しあるが甘みがあり旨い。

さらには青果という果物で作った果実酒も振舞われる。
ポートワインのような味わい。甘みと酸味が絶妙。旨い酒だ。

最後にはスイカ。
子供と一緒に外に出て種を飛ばしながらかぶり付く。
こうやってスイカを外で食べるのもなんだか久しぶりだ。
夏の日のキャンプ。昔を思い出すのは年をとった証拠?なんて。


周りはいつの間にか村の人たちが集まってきていた。

路上に駐車されていたホンダのバイクをしげしげと見ていると、
一人がキーを渡してくれる。どうやら貸してくれるよう。
キーを突っ込み、久々のバイクの運転。
もちろんセルなんて回らないので、キックスタート。
何度か失敗した後、ようやくバイクは動き出す。

ほんの50メートルほど走らせて戻ってくる。
爽快な、とまではいかないが久々の運転は心地よかった。
どうやら後で考えれば日本と同じように右側通行で走らせてしまっていたけれど。
車などめったに通らない田舎町。あまり関係はなかったみたいだ。


村の中をドライバーの彼と一緒に歩いてみる。
ここで暮らす人々は300人あまり。50軒ほどの家が立ち並ぶ小さな村だ。

チベットの伝統的な家が立ち並ぶ。
中では新しく建設中のものもある。
一階は石造り、二階は木造。台形型に傾斜がかかっている。
石造りの部分は石を積み上げ、泥でシンプルなもの。
これもチベットの伝統的なスタイルだ。

その中の一軒。建設中の家。
なんとドライバーの彼の家らしい。
値段を聞いてみると200万円程度。リッチな奴だ。
彼の車も黒塗りの高級車。ターゲットはお金持ち。
おかげで移動中はかなり楽に過ごせている。

建設中の彼の家にあがらせてもらう。
石で区切られた一階はシンプルそのもの。
一階はダイニングや倉庫。二階は寝室なんだそう。


彼の家を後にし、子供達にさよならをして町を去る。
ここに生きる人たちには何の変哲もない一日だったのだろうけれど、
僕にとっては刺激的な一日だった。

チベット族の村。
もっと特別なものだと思っていたのだが、案外と僕らと同じような暮らしをしている。
毛牛の毛で織物を織り、土と石で家を作る文化は独特だが、
生活をするという部分ではそんなに変わることはない。

人間だもの。結局、そんなに遠くない生き物なのかもしれない。

遠く離れたこの土地に暮らす彼らは、動物園で飼われる見世物ではない。
僕らと同じように呼吸している。

なんだかそんな当たり前のことを感じた。




九寨溝の町まで戻り、3人で最後の晩餐を楽しむ。

お金持ちおじ様にビジネスとは何ぞやと聞いてみる。
なんであなたは成功したんだと。

「正しい人間。誠実な取引。堅実な資産。これだけがビジネスの成功のポイントだ。」

そしてもう一つ付け加える。

「最後にタイミング。これが最も大事なポイントだ。」


彼はある本で読んだこととほぼ同じことを語ってくれた。
その本は「成功者に聞く、夢がかなった理由」といった本だ。
本の中では100人もの人々にインタビューするのだが、
結局、みなが言っているのは「タイミング」なのだ。
そしてそれに対する「準備」だった。

「幸運の女神は後ろ髪がない」という。
それに準備をしていた者だけが彼女を捕まえることができるのだそう。

おじ様が語った言葉もまた成功者の真理だと思った。



僕は今、準備をしている。

明日、それは来るかもしれないし、一生来ないかもしれない。

大切なことはそれに「気づく」ことだ。
僕はそれに「気づく」感性を日々磨いているのだ。


なんてね。


なんだかんだ言ってハッピーならば何でもいいや、そう思うのも確か。
とは言え、おじ様のようにアーリーリタイヤで悠々自適の暮らしをするのも悪くはない。



昔、映画を見た帰り道に好きだった子と交わした会話をたまに思い出す。

「一等賞になりたい?」

そう、その子は聞いた。僕はそれに「うん」と答えた。
その日僕は考えた。本当に僕は一等賞になりたいのだろうか。
そうだとしたら何の一等賞なんだろう。

未だに僕は答えが出せずにいる。



夕食後、彼らと別れる。刺激的な出会いだった。そして別れは必ずやってくるのだ。

また会いましょう。

本当に僕らはまた会えるのだろうか。
そうして僕らは別れを繰り返している。そして出会いもまた。

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