DATE:2009/07/10 Panama - Panama City -
Canal de Panama.
全長80キロメートル。
何万トンもの大型貨物船が行きかう海運の要。
パナマといえば。
そう、言わずと知れたパナマ運河にやっと今日やってきた。
パナマといえば。
なんて言って見たものの僕が知ってるのは、
ここパナマ運河とパナマハットぐらいなもんだ。
運河と聞いてフランスで見たミディ運河を思い出したが、
実際に来てみるとその規模はまったく異なり、
100メートル以上ある大型貨物船がゆっくりと運河を移動していく姿は圧巻。
閘門と呼ばれる門を利用して水位を変える方式は同じだが、
溜められた水が流れ出る姿はこの規模になると洪水に近い。
門もまた分厚く、開閉する姿はゆっくりと重い。
運河の交通も過剰とも思えるほど多く、次々と運河を通り抜けていく。
まるで追い立てられるように船は行き交い、また別の海へと消えていく。
世界経済はやや落ち着きを取り戻した頃だが、
そんな混乱などあったことさえも感じさせぬほど、目に見えて行き交う貿易船。
この世界が1つに繋がっている現実がありありと見える。
中国、アメリカ、日本、オランダ、アルゼンチン...etc
さまざまな国旗が船には掲げられ、貨物には様々な国の会社名が記されている。
中国で作られた洋服を着て、日本製のカメラを使う。
当たり前になった現実社会はこうやって目の前に行き交う船によって作られている。
ここにいると世界の舞台裏を眺めているようでなぜか感慨深くなった。
運河の横には博物館もありパナマ運河の歴史や構造を学ぶことができる。
それによると完成したのは1914年。
アメリカの手によって進められた運河の工事は10年の歳月を得て完成に至った。
その後、アメリカの管理の下で運営されていたが、2000年になりパナマへと返還される。
現在もなお交通量は増加の一途を辿っており、最近では拡張のための工事が行われているようだ。
ちなみに開発当初はパナマはコロンビアの領土だったそうで、
パナマ運河の開設に伴いアメリカが独立を支援しパナマ共和国となったそうだ。
なのでこの運河は独立の大きなきっかけとなったものでもある。
歴史の他にもパナマ運河の清掃方法や水位の上下のさせかたや構造なども解説してあり面白い。
中には船から見たパナマ運河の通過時の映像や映画上映などもあり楽しめる。
街中にあふれるたくさんの輸入品。
それからもわかる事ではあるがここへ来てさらにこの国におけるパナマ運河の重要さを知った。
利権もアメリカから返還されたと言うこともあり、
この国はますますその恩恵を受けることになるだろう。
パナマの未来は総じて明るいように思える。
が、豊かさの裏には貧しさも生まれてしまうことを僕はもう知っている。
発展する経済に引き寄せられるように人は集まる。
もちろん元々その利権を持っていた人々はそれを手放すわけもなく、
集まった異国の者たちはスラムを形成し治安の悪化を引き起こす。
その吸引力を上手に利用すれば、
もちろん貴重な労働力の確保に繋がるのだが、
多くの国はそうなる事無く供給過剰に陥り貧しさを生んでしまうのだ。
富が生み出す貧しさ。
なんとも皮肉なことではあるが、それが世界の現実だった。
世界を旅する前は日本ももっと外国人労働者を受け入れればいいのに。
そう、単純に思っていたのだが今では少し考えざるを得ない。
もちろん全ての犯罪を外国人労働者のせいにするほどナンセンスではないが、
不法滞在という形での労働は多く存在するだろうし、
それが貧しさにつながり犯罪を引き起こすケースは容易に想像できる。
一億総中流と呼ばれ確かに大金持ちは生まれない日本の社会だが、
それでも他の国に比べれば十分僕らは豊かなのだ。
そして世界には貧しい人々はいくらでもいる。
常識が異なる世界の人々を受け入れるにはそれなりの努力が要る。
単なる労働力と思っていては必ずその受け入れは失敗するだろう。
イタリアやフランスで働く不法滞在の人々なんかを見ていると、とても複雑なものだと思い知らされるのであった。
何はともあれパナマはきっと豊かになる。
昨日見た大型ショッピングモールなどその象徴かもしれない。
一方では1ドルのTシャツを買う人々もいると言うことだ。
それがパナマの抱える大きな問題であることは確かだ。
パナマ運河を離れ町へと戻り商店町を歩いてみる。
初日に訪れたこの場所は少し危ない雰囲気を感じたが、
今見ると慣れてしまったのかそれほどの危なっかしさは感じない。
相変わらず安すぎるほどの洋服が並び客引きの声が飛ぶ。
のどが渇いたので寄った小さな商店は中国人が経営するお店で、
そういえばこの辺りでは殆どが中国人経営の商店なのであった。
そんな店の中でゆっくりコーラを飲んでいると、
明らかに貧しそうな男がふらりとやってきて1つのパンを買っていく。
「おい、チーノ。パン1つな」
執拗なほどにチーノと声を張り上げるその男は上機嫌で店を出て行った。
こぎれいな格好をした中国人の店員とその男の姿を見比べれば、
どちらが裕福なのかは一目でわかるものだったが男は確実に中国人を見下していた。
南米、中米。
どちらにいても東洋人差別という意味をこめたチーノという言葉は良く聞くものだ。
もちろん日本人との区別などができない現地の人は僕の事を平気でチーノと呼び捨てる。
たまに向こうは親しみを込めた意味でその言葉を連呼するので中々性質が悪い。
最初はイラっとしたものの最近では気にもしなくなっていたが、
実際に中国人が馬鹿にされている姿を見るのはなんだかとても嫌なものだ。
人は自らの下を求める生き物なのかもしれない。
社会の中で貧しく虐げられた人々は、
中国人という差別の対象を作ることによって自らを最下層ではないと思いたいのだろう。
なんだか人という生き物のむなしさを感じる出来事だった。
宿に戻り荷物を受け取りバスターミナルへとタクシーで向かった。
夜のバスターミナルは相変わらず人で溢れていて10時過ぎにも関わらず、
大きな荷物を抱えた人々がひっきりなしにバスへと吸い込まれていく。
バス会社のカウンターでチェックインを済ませ、11時発のバスを待った。
そのバスに乗って明日は次の国、コスタリカを目指す。
急ぎ足の中米の旅がやっと動き出した。
コスタリカ行きのバスの中は、黒人や白人も多く混じり多種多様な人種が入り混じっている。
これが次の国の姿か。そう思うとまだ辿りついてもいないコスタリカに少しわくわくした。
11時ちょうど。
コスタリカ、サンホセに向けバスは走り出した。
真っ暗闇の中、走り出したバスは見ることのなかったパナマの土地を快調なスピードで走っていった。
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