DATE:2009/03/09 Paraguay - Asuncion -
相変わらずの町を覆いつくすような看板の山が僕を迎えいれ、
南米2つ目の国、パラグアイへ入国した。
前回のプチ入国と違うことはイミグレをきちんと通ったことで、
ほとんどそれをする人がいないからか、バスはあっさりとブラジル側のイミグレを通り過ぎ、
そのためかなりの距離を歩いて戻らなくてはならなかった。
ビザの要らないパラグアイへの入国はあっさりしたもので、
誰もイミグレを通らないため待ち時間0分の今までで最短の入国となった。
今朝の相方との別れもまたあっさりしたもので、
一応はこれで日本まで会うことがないだろうと思うが、
そんなことも何度も言ってきたことなので、またどこかで出会うんじゃないかとも思う。
と言うわけで友達とさよならをするような軽い別れの言葉を交わし、僕はリュックを背負ってホテルを後にしたのだった。
パラグアイに期待するものが特にあるわけでもない。
これから向かうウユニ塩湖への単なる中継地点でしかないこの国は、
南米を旅する旅人からも「特にこれと言って何もない国」として評判だ。
僕もまた目的を持たない一人なのだが、
唯一と言える楽しみがパラグアイの首都、アスンシオンにはあった。
その名をホテル内山田と言う。そのホテルが日本人にとっての唯一の観光名所なのである。
そのホテルにはプールやネット環境、バスタブのあるお風呂それに日本の新聞などなど。
日本人が喜ぶ設備が整えられていて、さらに日本食の朝食が付いてくる。
納豆に卵、のりに梅干。。日本の味に飢えた旅人にはたまらない魅力だ。
それともう一つ、ホテルに併設された日本食レストランもある。
そこで出される「すき焼き」は既に旅人の間では定番と言ってもよく、
南米でのご馳走の一つとして数えられている。
そんなわけでこの国唯一の楽しみ「ホテル内山田」へと向かうため、
お買い物で賑わうシウダー・デル・エステの町をすぐに抜け出し、
首都アスンシオンへと向かうバスへと乗り込んだのであった。
町を出たバスは首都へ向けて延々と田舎道を走っていく。
そこはブラジルとそう大差のない景色で道もまた快適なアスファルト道が続いていく。
この国の知識はそう多くはないが、この国が思ったよりも豊かであることを感じた。
もちろん町の周辺にはちらほらとバラックのような家が建ち貧富の差が大きいことは感じられたが、
先日町中で見かけたショットガンが必要なほどの危うさは感じない。
豊かでも貧しくもない中流な国民がこの国は多いのかもしれない。
のんびりとした雰囲気の道をバスは快適に走り続けた。
4時間も走ると首都のアスンシオンのバスターミナルへとたどり着いた。
そこから市バスに乗ってセントロへと向かう。
市バスから向かう間に眺めた町の風景は、
やはり豊かでも貧しくもない地方都市のような雰囲気を持っている。
市場は活発に機能しているようで食材が並べられたお店の前をいくつも通過した。
そう言えばブラジルを抜け出し、ついにスペイン語圏へと入っていた。
とはいえそれを感じるほど言葉が出来るわけでもない。
挨拶が「オーイ」から「オラ」に変わり、
ありがとうが「オブリガード」から「グラシアス」へと変わったぐらいだ。
必死で覚えた数字もスペイン語へと変わっているが、
ポルトガル語とスペイン語の数字は共通することが多く、
いくつかの異なる部分だけを覚えなおすだけで済みそうだ。
問題なのは染み付いたポルトガル語が抜けないことで、
特に似通っているだけに切り替えがなかなか進まないことだった。
そんなわけで、挨拶をするときははポルトガル語とスペイン語、1回ずつ両方言っている感じだ。
まぁ、そのうち慣れるだろうと思うがなんだか忙しない。
そんなことを思っている間にホテルの近くらしい場所へとたどり着きバスを降りた。
ネットで調べた住所と簡単な地図を頼りにホテルへと向かうがわかりにくく、
何度も周りの住民や警察、さらにタクシーの運転手にまで力を借りて、
どうにか「ホテル内山田」と日本語でかかれた雑居ビルのようなホテルの前へとたどりついたのであった。
日本語でチェックインを済ませ部屋に荷物を置く。
もちろん最初にしたことはバスタブのチェックで、実際にそれがあることを見ると気分は一気に盛り上がった。
何ヶ月ぶりかのバスタブに夜が待ち遠しくなり、机が置かれクーラーも付く、
久々の贅沢なホテルに一人の寂しさも忘れ一人部屋でにやにやとした。
夕食の時間まで時間があったので、噂のプールへと向かう。
ホテル自体は古いが掃除は行き届いているようでなかなか悪くない。
室内プールの水は少し冷たかったが蒸し暑い外にいるとそれも心地よく、
水着に着替えてから1時間ほどゆったりと水の中で息抜きをした。
じんわりと日が暮れていき外の空気が肌寒くなり始めたころ、
ちょうどお腹も減り始めたので夕食を食べにレストランへと向かった。
レストランの中は思ったよりも混んでいて日本人らしき姿が多く見える。
恐らくは現地の駐在員なのだろう。何人かはスーツにYシャツといった姿だ。
普段旅の中で見ることのないタイプの日本人の姿はとても新鮮で、
彼らの物語を聞いてみたくなった。
「いらっしゃいませ」の挨拶で席に通された僕は、
手渡されたメニューを見ながらやたらとにやにやしっぱなしである。
お目当てのすき焼きはもとより、寿司にしゃぶしゃぶ、カレーライス、鍋焼きうどん。
ありとあらゆる日本食のメニューがずらりと並ぶ。
値段もかなり安く、普通どんなに安い国でも日本食と言えば千円は下らないところを、
たった500円程度で多くのメニューが食べられるようだ。
日本人のつぼを押さえた心憎い品揃えの数々に頼んでもいないのにわくわくした。
メニューの多さに心が揺らいだが予定通りにすき焼きを頼み、ついでにビールを注文した。
少し待つと姿勢の良いウェイターがギンギンに冷えたビールを持ってきて、
丁寧に栓を抜きそのままグラスへと注いでくれる。
そのサービスを見ていると日本と言う国はやはりすばらしいところなのだ、と実感した。
周りのテーブルでは現地駐在員や日系人らしき人々の歓談が続いている。
みな一様に楽しそうで、この場所がある意味オアシスのような機能をしていることがわかる。
外国に暮らす人々にとってこういう日本を感じさせてくれる場所は貴重なのだろう。
特に食事と言う生活の根幹を成す行為はことさら母国を感じさせてくれるように思える。
食事と言うアイデンティティはしっかりと人間の心の中に刻まれているようだ。
たっぷりの赤いお肉と春雨に白菜、にら、もやし、etc。
目の前に置かれたすき焼きのセットはにやりとするほど懐かしく、
添えられた生卵が嫌がおうにも気分を盛り上げる。
すでにテーブルの上には銀色のすき焼きなべが置かれ、コンロの上で待機している。
まずは肉でも焼こうかと思っていると日本的な制服を着たウェイトレスがやってきて、
なんときちんと油を塗った後、彼女が全ての調理をしてくれる。
そのサービスに驚き、焼けて白く色づいた肉に目が釘付けになった。
ウェイトレスがスープを持ってくると、それはゆっくりと銀色のなべの中へと注がれた。
待ちきれずにスープをぺろりと舐めると文句なしに日本の味で、
出汁がしっかり効いたスープは温めるとふわりと湯気にのってそのおいしそうな香りを運んだ。
これは・・・やばいぞ。
視覚、嗅覚、ついでにじゅうじゅうと沸騰する音に聴覚までが目の前の料理を欲している。
既に調理を終えたすき焼きなべは後は頃合を見計らって口に運ぶだけである。
さて食べるか。
煮だったなべの火を少し落とし、まずはお肉となべの中の一切れを選び、
そいつを黄色い生卵の中をさらりと通す。
箸の間にはふわりと湯気を立て卵で濡れたおいしそうなお肉が。それを口の中にぱくりと運んだ。
・・・うめぇ。
完璧にすき焼きなすき焼き。
求めていたものと寸分違わぬその味が染み渡るように感動を呼んだ。
南米の、しかもパラグアイという辺鄙な国で。
なにかこの場所がものすごい場所のような気がした。
何があったか知らないがある日本人がこの場所へとたどり着き、
そして今、多くの日本人を癒している。
ありがとう。すき焼きを食べながらそう思った。
ゆっくりと味わいながらすき焼きを食べ、
ご飯をお代わりし、さらにスープまで味わいながら夕食を楽しんだ。
ただいまパラグアイの首都アスンシオン、ホテル内山田。
ぼくはいま幸せの真っ只中にいる。
SUKIYAKI 万歳!
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