DATE:2009/02/10 Spain - Barcelona -
「をぃ、こら。」
振り返り、母親と息子の親子らしい二人組みをにらみつける。
二人は「私は何もしてないわよ」というそぶりを見せ、そそくさと僕を追い抜いて行ってしまう。
まったくバルセロナって奴は。
そう思い空けられそうになったバックを確認し取られたものがないかを確かめた。
そんなバルセロナも今日で最終日。
今日はガウディの他の建築物を回ることにした。
グエル邸、カサ・バトリョ、カサ・ミラ。
そのどれもが世界遺産に登録されたアントニオ・ガウディの作品だ。
ガウディの初期の建築であるグエル邸には螺旋階段や曲線的な柱と言った、
それからのガウディの建築にたびたび現れる作風が随所に見られる。
もちろん屋上にはガウディらしいへんてこな作品が溢れている。
カサ・バトリョは骸骨のような窓と滑らかな曲線でできている。
その外観はあまりにも異様で建築の際にはいろいろと物議をかもし出したそうだ。
確かに一面に色とりどりのタイルが散りばめられたこの建築物はグエル公園を思い出させる特異さだ。
だがその異様さからか最もガウディの建築物らしいものとも感じた。
海底の中のようなと言われる内部も見てみたかったが入場料が高かったので諦めた。
このカサ・バトリョは商業主義という点でも有名だったりもする。
カサ・ミラ。
茨の様なベランダとうねりくねった曲線。
パーツ一つ一つを取り上げればカサ・バトリョと近い気もするが、全体を見るとまったく違って見える。
この集合住宅の凄いところは世界遺産であるにも関わらず今でも人が暮らしているということだ。
ちらりと中をのぞいただけだが、うねりくねった天井が印象的だった。
3つの建築物を見てまわったが、やっぱりガウディの本質はアーティストであった気がする。
建物を見るとやはり美術館に来ている気分になりじっくりと絵のように眺めてしまうのだ。
とかく自由になりがちなアーティストという気質で建築という緻密な作業をやれたもんである。
もしかしたらガウディの最も凄いところはそこだったのかもしれない。
列車に乗り込みまた別の建築物を見学しに行く。
町外れに立てられた1つの教会。それが今日一番の目的地だった。
コロニア・グエル。
と、ここでもまたグエルという名が出てくるのは、
グエル公園と同じようにここもまたグエル氏によって建設されたコミュニティだからだ。
芸術家にはスポンサーが不可欠だがガウディにとってはこのグエル氏がそれだった。
ある意味ではグエル氏がいたからこそガウディの名がこの世に残っているとも言え、
そう思うと才能というのは芸術家としての十分条件ではないようだ。
多くの作品の裏側には名もなき資本家の名前が隠されている。
郊外路線はバルセロナの街を抜け出してほのぼのとした住宅地をまっすぐに走っていく。
ここもまたオランダのアムステルダムと同様に都市部を抜けるとまったく姿を変える。
思えば東京もそうかもしれない。郊外に抜ける私鉄に乗れば10分もすれば違った姿が見えてくる。
そう考えると今まで訪れたいくつもの都市も本来の姿の一部しか見ていなかったのかもしれない。
駅で降りたのは僕ともう一人、住人らしき人の二人だけだった。
いくらガウディの作品とは言え郊外まで出て見学に来ようという人は少ないのだろう。
確かに他の建築物に比べて知名度は劣るがサグラダ・ファミリアを除き、
彼の作品の中で最も興味を惹かれたのはこの教会だった。
羽の生えた蝶のようなステンドグラス、美しい曲線を描く天井、ユニークな教会椅子。
日本で見たガウディの特集でこのおもちゃのような教会が、
ある意味では最も奇をてらわず建築家としてのセンスを存分に発揮した建築に見えた。
駅から降りて案内の矢印にそって小さな町の中を歩く。
人通りがあるわけでもなく、のんびりとした公園とスペインらしい白い家が並んでいる。
15分ほど矢印に沿って歩き観光案内所でチケットを買い教会を訪れた。
大きさは20メートルもないだろうか。そんな小さな教会が目の前にある。
サグラダ・ファミリアの受難のファサードを思い出させるような入り口。
ステンドグラスで彩られた窓には破砕タイルで装飾されている。
人の気配はしない。入り口には一人の管理人が立っているだけだ。
管理人はチケットを確認すると、どうぞご自由にと中を指差した。
閉ざされたドアを開ける。
人気のない教会の姿が目の前に広がった。
誰もいない教会。まず、そのシュチエーションに身震いがし、
そして目の前に現れた教会の美しさに鳥肌が立った。
思い描いていたイメージのままの感動があった。
一言で言えばこの教会は「かわいい」だ。
蝶のようなステンドグラス。
その窓の両端は羽のように開閉する仕組みになっている。
信者達が座るための椅子は緩やかにカーブを描き、
どれ一つとってもデザイナー家具のような愛しさを感じる。
天井を見上げれば計算しつくされた曲線が柱へ向かって伸びていく。
サグラダ・ファミリア博物館で見た重量実験そのままの姿がここにあった。
その一つ一つのディティールも全体を見ても
感性されたおもちゃのようでいつまで眺めていも飽きることはなかった。
椅子の上に座ったり、ステンドグラスを開けたり閉めたりして遊び、
じっくりと椅子に座り教会を眺めた。
誰もいない教会。アントニオ・ガウディの教会。
贅沢な時間だった。
閉館の時間となり教会を出た。
町を歩くと白い花が咲き乱れている。桜の花だった。
スペイン、バルセロナ。季節はずれ2月の花見。
僕はしばらくその不思議な景色を眺め故郷を思った。
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