2009年1月25日日曜日

世界一周(33)ギリシャ/薄暗い街角は










DATE:2009/01/25 Greece - Thessaloniki -


朝、起きてみるとまだ6時だったが、
周りは人でにぎわい始めていて、
ヨーロッパでさすがにこの状態はまずいだろうと、
ホームレス状態の駅前ベッドを仕舞うことにした。


運が良ければ早朝の列車やバスに乗り継いで、
そのままメテオラへと抜けるつもりだったが、
どうやらそれは難しそうだ。

ともかく唯一の望みであるバスにかけてみる事にして、
市バスに乗って長距離バスターミナルを目指すことにした。


長距離バスターミナルにたどり着いたのは7時前だったが、
バスオフィスのオープンは8時からだったので、
仕方なく待合室の椅子に座りオフィスが開くのを待つことにする。

昨日聞いた「バスはストライキでストップしている」との情報はどうやら嘘であったようだ。
バスターミナルは何事もないように動いているし、
オフィスにはメテオラ行きの時刻表もきちんと張り出されている。

これならば今日の午前中にテッサロニキを出て、
午後にはメテオラへとたどり着けそうだ。
特に観光をするつもりはないが情報収集や宿探しはゆっくりできる。

そう思いのんびりと待っているとオフィスが開いたようなので、
チケットを買いにオフィスに向かった。


結論から言うとバスは夕方5時の便しかないそうである。

昨日聞いた情報はどうやら一部正しかったらしく、
それがストライキではなく道路の分断だっただけで、
結局、夜にしか出発できない事実は変わらないのであった。


そうなれば仕方がない、
一応、世界遺産に登録されているテッサロニキの町でも観光して時間をつぶす事にした。

バス会社のオフィスに荷物を置かせてもらい、
バスターミナルからふらふらと歩き出す。

特に目的地があるわけでもないので、
駅まで2キロほどの道を歩いて戻ることにした。


道を歩いていると教会が目に入ったので寄ってみると、
どうやらミサの最中だったらしく人がぞくぞくと集まって来ていた。

そういえば今日は日曜日だった。
聞いてみると入っても良いとのことなので、
信者でもないがミサに参加させてもらうことにした。


祭壇上では祭司と思われる人が、
お香を焚いたり、お経のようなものを述べたりと、
なにやら儀式らしいことをしている。

何の合図かはわからないが、
決められた手順があるようで信者たちは、
あるタイミングになると立ち上がり十字架を切ってみたり、
決められたお経のようなものを唱えたりしている。
僕もそれに習って立ったり座ったりを繰り返した。

面白いのが信者の年齢層や入ってくるタイミングで、
お年寄りはミサの最初からほとんど揃っているが、
徐々に中年の夫婦が連れ立って現れだし、
最後には子供連れの親子がわいわいとやってくる。

若い人たちはほとんど現れない。
それが宗教の現状なのかもしれない。
イスラム教でもキリスト教でも、
若年層の宗教離れは深刻な問題なのかもしれない。

宗教が要らなくなっている理由はなんなのだろう。
ともかく100年後は殆どの人々が無宗教なんてこともありえるかもしれない。
そうなればもしかしたら戦争も起こらなくなるのだろうか。
淡々と続く儀式の中で、そんな事を考えた。

しかしながらこのミサというのはとことん長い。
インドネシアでイースターの儀式に参加したときも思ったのだが、
2時間、3時間はざらである。
この町のミサも8時に始まり、終わったのは10時半だった。

月に1度ほどならばいざ知らず、
毎週に1度となれば若者が離れていくのもわかる気もする。
形式ばった儀式に毎週なんて付き合ってられるか。若者は暇じゃないのだ。

このミサというのもキリスト教らしい特徴を良く表している。
仰々しく、派手で、エンターテイメント的。
それはイスラムとはまったく異なるものだ。

教会の壁に描かれたさまざまな絵を見ても良くわかる。
彼らは奇跡を信じ、それを信仰する。
イスラム教はただコーランのみを信じる。


ムハンマドは最後の預言者である。

コーランを作った人はなんと頭が良いのだろう。
突然、そんなことを思った。

これを書いてしまえば後の権力争いは起こらない。
キリスト教の歴史を見ればそれがどんなに意味があることかが良くわかるだろう。
それはまたヨーロッパの歴史でもある。


3時間弱のミサは面白くもあったが、
さすがに若干退屈でもあった。
まぁ、ともかく僕は一つのことを実感することができた。

キリスト文化圏に戻ってきたのだ。

ここではもうイスラムのアザーンの声は聞こえない。



教会を後にして駅に向かって歩くと、
なぜか羊を丸ごと一匹解体しているところに出くわした。

作業をしている人の足元には首がまるごとごろりと転がっている。
そぎ落としている羊の皮の下には、
きれいなピンクの肉が見えていてそこからは湯気が上がっていた。

何をしているの?

と聞いてみたが追い払われたので素直にそこを後にした。
なんだかわけのわからない町だ。



駅に戻りインフォメーションセンターに行こうとすると、
突然警察に呼び止められた。

なんだ?と聞くと、何をしていると聞かれる。

その横柄な態度になんだかムカッと来て、
ぶっきらぼうに駅に行くだけだと言うと、
パスポートを出せと言われた。

パスポートを叩きつけるように手のひらに載せると、
バカみたいにぺらぺらとページをめくって、
ビザはどこだ、と聞いてきたので、
知らないの?日本人は要らないんだよ。と言うと、
諦めたようにパスポートを返しどこかへ行ってしまった。

普通なら気にもしない警察官のいつもの態度に、
なぜかイラついたのは、彼らが僕の顔を見て
単にアジア人だからという理由で呼び止めたからだ。

何かそのことが気に入らなくギリシャ人の印象は悪くなった。


インフォメーションセンターのスタッフに、
投げるように地図を渡されてさらに気分を悪くしてから、
町をさらにふらついた。

テッサロニキの町には過去の遺跡が町中に点在していて、
それが世界遺産として登録されている。

町を歩いてみると普通の町の中に突如として古い教会があったりして、
その奇妙な光景に驚くことになる。
何せ普通のビルの合間にローマ劇場があったりするのだから。
それはユニークではあるが、なんとなく無理やりな感じもする。

面白いのが町中にあるプチ教会のような場所で、
道の角などにキヨスクのような大きさの教会が立っていて、
そこで道行く人たちがお祈りを捧げたりロウソクを立てたりしている。
ここには若い人たちも訪れていて、
これが教会に行く代わりの簡易教会なのかもしれないと思った。
このプチ教会がこの町特有のものなのか、
それともギリシャ特有なものなのかはわからないが、
これまで見たことのないユニークなものだ。
もしかしたらギリシャは他のヨーロッパの国々よりも、
宗教心があつい国なのかもしれないと思った。

ギリシャ正教という宗教を聞いたことがある。
カトリックともプロテスタントともまた違う宗教。
ひとえにキリスト教と言っても、
その土地土地に違いがありそれがまた面白くもある。



それにしてもこの町はどこか暗い雰囲気が漂っている。
会った人の印象が悪かったせいもあるのだろうが、
日曜であることもあるだろうが、
曇り空の天気のせいもあるのだろうが、
どこかこう、鬱々とした雰囲気を感じる街なのだ。

街を歩けば落書きと破れたポスターばかりだし、
壁が崩れ中が丸見えになった廃墟がいくつも見える。

ギリシャらしい美しい町並みはそこにはなく、
ただ亡霊のような香りがそこには漂うばかりだ。


丘の上の城まで行ってみようかと思ったが、
迷路のような上り坂と薄気味の悪い町並みに飽き飽きして、
街を後にしてバスターミナルへと向かった。

僕はこうしてヨーロッパの旅を再び始めた。

メテオラ行きのバスは快調にスピードを上げ、
テッサロニキの街をあっという間に抜け出した。


夜10時。
眠ってしまった僕を車掌は揺り起こし、
バックと共に道端へと放り出した。

「メテオラだ」と言って去っていったバスの後には僕だけが残り、
その上をまん丸の月が浮かんでいた。

どうやらここがメテオラの街らしいのだが、
バスターミナルでもなんでもない道の上。
地図もなくここがどこだか皆目検討がつかない。

ともかく明かりのある方へ歩いてみるか、
と中心街らしき場所へ向けて歩みを進める。

中心地あたりへと出たらしく大きな通りまで出ると
スクーターにまたがったおっさんがやってきて「ホテル?」と聞いた。

特に当てがあったわけではないので、
適当に値段交渉をするとそのままそのホテルへと身を沈めた。

どうやら宿のオーナーがたまたま通りかかって僕を見つけたらしい。
見知らぬ街で運良く路頭に迷わずにすんだという事だ。


お腹も空いたので外に出て適当な軽食を買って宿に戻った。

月明かりの下、
すぐ目の前に岩山たちが黒く浮かんでいた。

明日は奇石の山々に立てられた修道院へと赴く。


その月明かりの影に期待が大きく膨らんだ。

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