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DATE:2008/05/24 Laos - Don det -
今日は東南アジア最大の滝、コーンの滝を訪れる。
滝自体は今いるドンデッドから船で本土へ渡って約10kmほどの場所にある。
当初の予定では、自転車をレンタルしそれを船に乗せて行こうかと考えていたが、
船着場の少年に聞いてみたところ「無理!」とのこと。
たぶん違う人に聞けば「OK!」となる可能性もあったが、
ちょうどその時、対岸に渡ろうとしていた滝見学ツアーに混ぜてもらうことに。
ラッキー♪
ツアーは日本人3人の40歳ぐらいのおじ様たちのみ。
なんでも、バンコクの宿で知り合ったらしく、
今回みんなの予定が合ったので2ヶ月ぐらいかけて、
タイの東北地方やラオスを回る予定なのだそう。
偶然知り合った人とのつながり。やっぱ旅ってそれが面白い。
船で対岸に渡り、チャーターした車で約20分ほど走り滝に到着。
まだ姿は現れていないのだが結構な轟音が聞こえている。
滝は高さは15メートルほどなのだそうだが、なんと幅が1キロにも及ぶ。
みんなでいそいそと滝へと駆け寄り、姿を拝む。
音と紛わずけっこうな迫力。
特に滝よりも落ちてきた水の流れが濁流となり、
下っていく姿が迫力というよりも若干の恐怖を感じさせる。
確実に死に追いやる罠を見ているような気分。
展望台から降りて、岩の間を進み滝に近づいたり、
見る角度を変えてみたりとガイドについて1時間ほどひたすら滝見学。
今回は雨季の始まりに訪れたが、雨季ともなると
今見ていた岩のあたりも全て水に飲み込まれてまた違った風景になるのだそう。
日本には雨季という程のものがないため、
あんまり実感がないのだが、東南アジアではよく雨季になると~といった場所を見かける。
そいういった自然を1年を通してみてみたいと思うことがよくある。
この場所もまたいつか違う季節に来てみたいと思った。
滝から戻り、
そのままパクセーへの長距離バスへと乗り込む3人を見送り船でドンデットへと戻る。
今日は特にこれ以上の予定がなかったため宿に戻り、
さてどうするかを考える。
そしてメコン川で泳ぐことにする♪
メコンデビューの日がついにやってきたのである。
タイからラオスへ入国して以来、
いつもそばに寄り添っていたメコン川。
そんな一途な彼女についに飛び込むことにする。
ちなみに、泊まっている宿は川沿いにあり
(というよりも島が小さくて基本的に全て川沿いになるのだが)
宿から川へのアクセスは徒歩0分。
しかもご丁寧に宿のレストランには「JUMP→」の看板まであるw
とりあえず水着に着替えいざダイブ♪
約5メートルほどの落差を飛び降りるとそこはメコンの世界だった。
初メコン。ほんとのワタシでびゅー、な感じ。
しかし以外にもメコンの流れは力強く、油断しているとすぐ流される。
最初は適当に泳いでいたのが、いつの間にか本気モード。VSメコンモードへと変わって行く。
10メートルほど先にある小さな島まで泳ごうと思っていたのだが、
ままならず川の途中で引き返す。けっこう必死。
文明を生み、人々の生活を支えるメコン川の流れはやはり大きかったのです。
このメコン川、ラオスに入ってからは常に町のどこかにあったのだが、
ラオス南部あたりぐらいからまたその親密度が増している。
この町ではこの水をトイレ、そしてシャワーにもつかっている。おそらく。
いつの間にかトイレの水は茶色くなっていたし、
シャワーの水の出所を見てみるとトイレと一緒だったので、
メコン水なのは間違いはない。
いつの間にかメコン水デビューをさせられていたわけである。
メコンとはリアルに生活の中にあふれている生きるための川なのであった。
ちなみに洗濯ももちろんメコン水。
洗っているのか汚しているのか、判断が付きづらい状態である。
さらに地元民はダイレクトにメコン川で体を洗い、野菜を洗う。
いまさら気にする気にもなれないが、現実はやや過酷な状況だったようである。
夜中。ラオス最後の夜。
電気が落ち、発電機の明かりさえも消えた暗闇に蛍の光が飛び交っている。
この町は蛍があふれる、自然豊かな町。
いたるところに蛍が飛び交い、点滅を繰り返している。
日本とは異なる、チカチカという信号のような点滅が夜を飛び交う姿は幻想的で美しい。
たまに夜空に舞い上がる蛍はまるで流れ星のように、空を舞って行った。
いつの間にか2週間を過ごしていたラオス。
当初の予定では1週間程度だったのがこんなにも伸びて行ったのは、
この国の人々の豊かさに居心地の良さを感じていたからだろう。
この国の人々の笑顔はすばらしい。
そしてそれが当たり前のように振舞われる。
「微笑みの国」という言葉を当てはめるのならば、この国がふさわしい。
ほんの10年ほど前までは観光客の姿など見えなかったこの国。
その性か、どこか素朴な人々のぬくもりが未だに残っているようにも見えた。
主たる生産物は農業であり、経済的には貧しい国なのであろうが、
その貧しさとは僕たちの価値観の中でのモノサシでしかないことに気づく。
それほどまでに彼らの人生は楽しそうであった。
そしていま。
観光客が流入してきたことから歪みも生じてきていて、
いたるところで物乞いや、物を売る子供たちを見かけてきた。
そしてその姿は自動的で親に言われたとおりにお金をせがむ、
意思のない行動に写ったし、それは自分のエゴを押し付けるのに必死で
ただお金のために生きている姿でもあった。
そしてそこに豊かさということへの疑問を感じた。
お金がなくて大学に行けない一人の少年がいた。
お金がないので学校にも行かず自動的に物を売り続けている子供たちがいた。
両方ともお金がないのだろうが、
どちらにもお金があったとして、彼らは幸せになれるのだろうか。
目的もなく自動的に「お金」を欲しがる子供たちは、
それを得たところで次になにをするのだろう。
もし彼らが「お金」という世界を知らず、
家族で毎日を生きていたのならば、それはそれで幸せだったのではないだろうか。
経済力というのは幸せに大きな影響を与えることではあるが、
ただ豊かになれば幸せになれるのかというとそうではないんだろう。
物を手に入れ、おいしいご飯を食べ、きれいな服を着る。
それは誰が決めた幸せなんだろうか。
僕たちの生きる世の中は情報であふれている。
きっと僕たちはもう知ることを避けられないでいる。
マスメディアが決めた幸せに。
誰かのような幸せに。
僕たちの幸せの定義はいつの間にか誰かが決めた幸せになっているのかもしれない。
その定義にそぐわない人間は幸せではないと僕らは決めてしまうのかもしれない。
誰かが決めたその幸せを。知っていしまう前と、今の自分と。
どちらが幸せであったのだろうか。
彼らから見て「お金持ち」の僕の目から彼らの幸せを定義するのはエゴなんだろう。
持つ者から、持たざる者の気持ちはわからないし、
彼らに持たざる者の状態でいて欲しいと思うのは、
彼らを動物園の動物と同じように「生きた標本」として扱うのと同じだろう。
それでもやっぱり彼らのスペシャルな笑顔は、
僕たちがいつの間にか失っていたもののように思えるのだ。
それは単なるリスペクトでしかない。
豊かさとはなんぞやと。幸せとはなんぞやと。
この笑顔の国はたくさんのことを考えさせてくれた。
そしてたくさんの人々との出会い。それはかけがえのない時間だった。
10年後、この国はどう変わっているのだろう。
10年後、僕が出会った人々はどう変わっているのだろう。
変わることは理であり、必然だ。
だからこそそれをまた、僕は楽しみにしている。
この国に出会えたことを感謝します。
この国で出会った人々に、ありがとう。
さて明日からはカンボジア!目指せアンコールワット!
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