DATE:2009/05/02 Uruguay - Colonia do Sacramento -
プラタナスの木漏れ日。
不規則に続いていく曲がりくねった石畳の道。
道端に何気なく置かれたクラシックカー。
薄いオレンジや黄色に塗られた家。
赤や紫、そして水色。色とりどりの花々。
どれ一つとっても十分過ぎるほど美しい町の彩り。
その全てが揃っているのがコロニア・サクラメントの町だった。
これほど美しい町並みはアルゼンチンのメンドーサ以来だろう。
いや、ただ町並みだけを取ってみれば南米では一番だ。
歩くだけで被写体が次々と現われるこの町で僕はカメラを手放すことができなかった。
コロニアの町の端っこまでたどり着くとラプラタ川へ面する川辺へと出る。
流れの激しさからかにごった色をしたラプラタ川はあまり美しいものではないが、
対岸が見えないほどの巨大な河の向こうにはブエノスアイレスがあるはずだった。
僕は明日そこへ戻り、そこから一気にイースター島へと向かうのだ。
パタゴニアを南下していった旅が終わりついにアルゼンチンの旅が終わる。
イースター島のあとは直ぐにチリも抜けていく予定だ。
ついに南米北上の旅が始まるということだった。
1時間も歩くとコロニアの大半は歩いてしまったが、
続きはまた明日、ということで宿に戻り夕食を作ることにした。
夕食はもちろん名物のウルグアイ肉。南米はどこいっても肉、肉、肉だ。
ついでに買ったたった6ドルのウルグアイ産のワインがまたも旨く、さすが農業国なかなかの腕前だった。
特に何もない国だったが、その何もなさが南米の素のままの姿を見ているようで、
それがなんだか楽しくもあった。
なんだか盛り上がりもせず盛り下がりもせず落ち着いてしまっている印象のウルグアイにも
やはり格差は多少なりとも存在するらしい。
モンテビデオを出たバスの中で見た限りスラムのような場所があった。
それでもそこに暮らす彼らは明るく声を上げて遊んでいた。
暗く淀んだスラムを見てきた僕にはその姿がとても鮮明に映った。
バスの中で見た延々と続く切り開けた農地。
そこに暮らす人たちとぽつりぽつりと草を食む牛たち。
その姿がきっとウルグアイのありのままの姿なのだろう。
僕が出会った人々もまた、その田舎の景色に良く似合う素朴でやさしい笑顔の持ち主だった。
この国にはブラジルのような勢いも、アルゼンチンのよう洗練された雰囲気もない。
どれもが中庸で中の上といった点数だ。
でもそれでいいじゃないか。なんだかこの国はそう言っている気がした。
特別じゃないが、たまには誰かに必要とされることもある人生。
たった一人でも認めてくれる誰かがいればそれはそれで十分に幸せなのだと。
なにをそんなに焦って生きているの?そう言われているようにも思えた。
夜中。のんびりとインターネットのニュースを見ていると、
一つの悲しいニュースが目に入った。
「忌野清志郎、死去」
僕は彼のことを良く知らない。
それなのに僕はなぜか彼のことが大好きだった。
その姿、その声、その音楽。
全てが僕の感性をノックして頭の中の神様の椅子には彼がいつの間にか座っていた。
自転車を盗まれた時の人間らしい姿も、
君が代を歌った神様の姿も。
こういう人間になりたいと思っていた人間の一人だった。
その彼が死んでしまった。
一度も彼の姿を実際に見ることがなく。
人は死ぬ。神様だって死ぬんだ。
その事を急に思い知らされた。現実だった。
僕はただ悲しくて彼の歌をひとり歌った。「どうしたんだHey Hey ベイベ?」
彼の命日は5月2日で、いまここはまだ5月1日だった。
いま僕が国を離れとても遠くに来ていることをまた知った。
2009年5月2日。彼は死んだ。
僕は何も出来ないけれどただありがとうと思い、彼の歌を口ずさんだ。
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