DATE:2009/08/09 Mexico - Mexico City -
朝靄の中に現れたのは超ビッグシティ、メキシコシティ。
今までの中米の首都のイメージを吹き飛ばす紛れもない大都市が、
早朝、車もまだまばらな道にぼんやりと高層ビルの群れが霞んで見えた。
いいね、いいね。大都市。
正直、中米の小さな都市に飽きてきた頃でもあり、
大都市が持つ、夜遊び、美味しいレストランなんかの心地よい想像が、
一気に頭の中をめぐり、まだ眠たいはずの頭はすっきりと起動を始めたのであった。
バスターミナルから地下鉄を使って宿に向かう。
地下鉄を使うなんてのもなんだか久々。なんでもない移動手段もまた楽しみになる。
朝8時にもかかわらずそれほど込んでいない車内。
ケセラセラのメキシコ人に満員電車なんてないのかもしれない。
宿にたどり着いてから荷物を降ろすと、
早速観光に出かけることにした。
メキシコシティで真っ先にやらなくてはならないのは、
世界一周券のフライトプランの変更だったが、残念ながら今日は日曜日。
混んではいるがメキシコシティに着いたら真っ先に行きたいと思っていた、
国立人類学博物館に行くことに決めた。
国立人類学博物館。
メキシコを訪れる殆どの人はまずメキシコシティから入り、
その後に各地に向かっていくのが普通。
カンクンなどのリゾートを楽しむために来る人を除き、
国際空港などの利便性から自ずとそうなる。
そして多くの人が最も最初に訪れるのがこの博物館だ。
なにせこの博物館にはマヤ文明を始め、
近代のアステカ文明やテオティワカンや現代の民族文化に至るまで
メキシコにおける全ての人類の歴史が保存されているのだ。
今まで訪れたパレンケやチチェンイツァなど
殆どの遺跡で発掘されたものがここに集まっている。
実際のピラミッドはさすがに現地に行かなくては見られないが、
遺跡の中の装飾品や壁画、その他もろもろの出土品はほぼ全てここにあると言っても良く、
各地に散らばる遺跡の神殿からより集められたそれらは
それだけとってみれば現地の博物館よりも所蔵品の量、質共に豊かだと言える。
皆が最初に訪れる博物館。
通常はここでマヤ遺跡やアステカ文明の知識を得てから現地を目指すのだろうが、
実際に見てきてからここを訪れるのもまた面白いことかもしれない。
パレンケで見た宮殿や神殿の壁画が何を示すのか、
チチェンイツァの遺跡に置かれた像がどんな意味を持つのか。
知らなかった事実が今日また新しく目の前に現れる。
それは事前知識を持ってそれを確認しに行く旅に比べれば、
少しばかり幸運なことのようにも思えた。
もちろん見逃してしまった事実もあるのだろうが。
さて、この博物館は広大な森の中に建てられている。
人口1000万人近いこの大きな都市でこれほどの森があることに驚く。
そしてそれがまた美しくもあるのだ。
整備された木々はまっすぐに伸びた遊歩道に葉の影を落としている。
そんな中、暖かい日差しと冷やりとする影を交互に浴びながら歩くのはとても楽しい。
都心の中の公園は僕の大好きなもののひとつだ。
見上げれば高層ビルが立ち並ぶそんな人工的な空間の中、
異次元のように存在している緑の中のベンチ。
そのギャップがたまらなく好きだった。
10分ほど森の中を散歩し博物館にたどり着いた頃には、
すっかりこの街が好きになっていた。
ひと目見ただけでかなりの規模だとわかる博物館に足を踏み入れる。
数えることも出来そうに無い展示品の数々の中を森を散歩するように歩き出した。
閉館の音楽が鳴り響き、博物館の中にアナウンスが響き渡る。
博物館でほぼ開館から閉館までいてしまったのはいつ以来だろう。
その半分しか見ることが出来なかったイギリスの大英博物館。
2日をかけてさえ全てを見て回ることの出来なかったフランスのルーブル。
そんな事を思い出させるほどこの博物館の規模は大きく、
展示品もすばらしかった。
驚いたのは展示方法の素晴らしさで、
人を歴史の世界へとひきつける工夫が随所に凝らしてある。
有名な太陽のカレンダーを始めとする多くの発掘物。
アステカ、オアハカ、マヤと歴史を追うようにそれぞれに分けられた展示方法は、
その時代の特徴や文化をよりわかりやすく教えてくれる。
その中でも面白かったのはやはり馴染みのあるマヤの文明と、
スペインがメキシコを侵略する直前まで栄えたアステカ文明だった。
マヤの展示品の数々を見ると今まで訪れた遺跡に関するものがいくつもあり、
例えばパレンケの神殿に描かれていたという壁画の原物は、
色鮮やかな状態でその当時の文化を僕が見た景色と重ねながら思うことが出来る。
また、チャック・モールと呼ばれる神はマヤの信仰の中で
かなり重要な位置を占めているのだそうだが、
それが別の時代の、例えばテオティワカンの展示の中にも紛れていたりして、
その相互の影響や関連なども感じ取れたりもする。
しかし最も印象に残ったのはやはり最大の見所である、
パレンケ王の墓だった。
パレンケの神殿の中から見つかったと言われる、
王の墓は発掘当時の状態を再現したまま復元されたもの。
翡翠の仮面や装飾品を体中に身にまとった王の姿は、
ガラスケースの奥に寝そべったまま、当時の繁栄を伝えてくれる。
そしてもう一つのアステカ文明。
マヤとは異なりほんの数百年前に栄えた文明。
その文明の中心地であったのは現在のメキシコシティだ。
メキシコシティは当時湖に浮かぶテノチティトランと名の都市だった。
現在はその湖は跡形も無い。
そしてそこにあったアステカ文明を証明す建物もみな。
全ては侵略者であったスペイン人によって破壊され、
湖はその破壊された建物を使って埋め立てられ、
現在のメキシコシティの姿へと変わったのだと言う。
博物館に展示されたテノチティトランの街の復元模型は、
その街の美しさと繁栄を空しさと共に蘇らせている。
毎日のように行われた生け贄の儀式。
マヤと同様に持つことが無かった鉄の文化、代償に得たユニークな土の文化。
その素晴らしさは尽く滅ぼしていったスペイン人に怒りすら覚えるほどだ。
スペイン人の残虐な侵略の歴史はここだけではなく、
中米、南米に限りなく広がっていたが、失ったものを目の前にすると、
やはりそれは歴史の中の愚行でしかなかったように思える。
その歴史の上になりたったこの大都市も気に入ってはいるので複雑な気分になった。
1階と2階に別れているとはつゆとも知らず、
1階の過去の歴史を追うだけで閉館30分前になってしまった後、
2階の展示物の存在に気づき、
現在のメキシコの民族を扱ったなかなか面白い展示を
ほとんど駆けるように見て回ることしかできなかったのが残念だ。
それでも十分な満足感がある。
またいつか訪れた時、きっと新しい発見がある。
なんだかそんな確信を抱かせてくれる素敵な博物館だった。