2009年8月11日火曜日

世界一周(52)メキシコ/テオティワカンでるちゃりぶれ



























DATE:2009/08/11 Mexico - Mexico City -


8月11日。今日はテオティワカンを目指します。

てなわけで午前11時。今は遺跡を目指すバスの上。

どうやらJALの確認手続きはまだ終わっていないようで、
それならばと、メキシコシティから1時間のところにある、
テオティワカンの遺跡を訪ねてみることにして、現在に至る。


テオティワカンの遺跡はマヤ同様に1500年ほど前に建てられた古代の遺跡だ。

すっかりメキシコにある遺跡は全てマヤ文明のモノ。そう思い込んでいたが、
どうやらそれは間違えのようでテオティワカンもまた、
マヤ文明とは異なる独自の文化を持った人々の遺跡なのであった。


このテオティワカン遺跡の最大の見所は巨大な2つのピラミッド。
「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」と名がつくその大ピラミッドは、
太陽のピラミッドが高さ65メートル、月のピラミッドが47メートルとかなり高い。

しかしマヤのティカル遺跡にもそれ以上の大きさのピラミッドがあり、
それだけでは特に驚くべきものではないが、
テオティワカンのピラミッドの大きさはその横幅にあるのが特徴だ。

約220メートル四方のピラミッド。
塔のようだったマヤのピラミッドと異なり、
大地に広がるように建てられたピラミッドは遠くから見ると、
とてつもなく巨大な建造物に見える。

事実、入り口を入った瞬間から2キロ近く先にあるはずのそのピラミッドは
遠くからでも良く見え、圧倒的な存在感を見せつける。

台座の大きさは建築技術の未成熟を意味してはいるが、
それでもこの山のようなピラミッドを作り上げることに、
逆に当時のテオティワカンの社会規模の巨大さを感じる事になる。

月のピラミッドから5キロメートルにおよび真っ直ぐに伸びる死者の道と、
その両脇にずらりと立てられた儀式用建築物の群れ。

ピラミッドの頂上まで登り蟻のように小さくなった人の姿を見ていると、
まるで高層ビルの上から都会を見下ろしているような気分になり、
1500年前に作られたはずのこの街の巨大さにただただ驚くばかりだ。


テオティワカンの遺跡は巨大さだけではなく、
メキシコシティの博物館に再現されている、
ケツァルテナンゴの神殿はダイナミックな彫刻で彩られている。
その他、遺跡内を歩き回ってみれば動物や人を描いた壁画がいくつも見つかる。

その昔、アステカの人々が「神の集う場所」と呼んだ遺跡。

ピラミッドの上からこの遺跡を眺めれば彼らがそう呼んだことも良くわかる。
7世紀頃、突然この世から姿を消したこの文明の主たちは、
もしかしたら神であったのかもしれない。




そんな神の遺産を見た夜の事。

柱の上に両手を広げ立つ男。
スポットライトを浴びた青いマスクをかぶったその男は全ての観客の視線を集め。

そしてリングの上に羽ばたいた。

そうここはメキシコ名物ルチャリブレの世界。
レスラーが舞い踊るメキシコプロレスの醍醐味に魅了された観客は、
2時間もの長丁場を一度も席を立つことなくただリングを見つめたままだ。
それは神の祭壇に登る司祭を見つめるように。


やっぱいいっす☆メキシコ!

2009年8月10日月曜日

世界一周(52)メキシコ/メキシコシティでのお仕事



















DATE:2009/08/10 Mexico - Mexico City -


さーてこっからがメキシコシティでのお仕事本番。

JALオフィスを訪ねてのチケット変更。
電話でも出来ないことはないのだがやたらと条件がめんどくさく、
対人で話したほうが気分的にも楽なので、オフィスを訪ねる。


さぁ、メキシコシティのJALオフィス。
トーレ・マヨールと言う地上xx階立てのメキシコシティで最も大きなビルの中にある。

しかもこのビル、観光やショッピングビルではなく、なんとオフィスビル。
そんな訳で入館はビルの受付カウンターを通してICカード付の入館証をもらい、
オフィスで働くビジネスマンに紛れてエレベーターに乗り込むのだ。

なんだか久々のオフィスビル訪問なんてビッグイベントに、
働いていた頃の事を思い出していた。

1年半程前は当たり前だったこの風景。その中に僕もいた。
高層ビルから見る景色なんて見慣れたもののはずだったのに、
なんだか妙にはしゃいでいる自分がいる。

日常も、離れてみればいつか特別に変わるもの。
日本に帰ったとき、また同じようなビルの中で働くかはわからないが、
ともかくまぁ、これが居心地の悪い景色ではない事は確かだった。


液晶ディスプレイ付のエレベーターがしばらく上昇を続ける間、
オフィスビル気分を楽しんでいたが36階にたどり着きフロアに出ると、
さすがに気分もひきしまり、一息ついてからJALのオフィスを訪ねた。


担当スタッフはなんだかすかした感じの白人系メキシコ人のお兄ちゃん。
チケットを見せ要件を告げ、変更可能かどうかの確認をしてもらう。

当初の予定ではこのままメキシコを北上しアメリカに入国、
そのままマイアミを目指し、そこからジャマイカに飛び、さらにニューヨーク。
そしてそこから陸路でロスアンゼルスまで進み日本へ帰国する予定だった。

が、どう考えてもあと3週間の予定ではそれは出来そうも無い。

と言うわけで、ここからマイアミまで一気に飛び、
ジャマイカ経由、ニューヨーク。そしてニューヨークからの帰国へと変更する。


すかした兄ちゃんがしかめ面をしながらめんどくさそうに画面を眺め、
キーボードを打ちながら何かを確認している。

インドでチケット変更は体験済みだが、
この確認中の間はただぼーっとしているだけしかない。
移動中のバスの中よりももっと退屈で暇な時間。

ルートは問題ないはずなので、後の問題は料金だけだ。
変更手数料がUSドルで125ドル。
それに加え空港使用料や税金が加算されたり減算されたりする。

インドの時はそれで5万近くかかってしまったが、
もし今回も同じぐらいかかると言うならば、
ルートを変更せずに自分でマイアミまでのチケットと、
ニューヨークからロサンゼルスまでのチケットを買うと言う方法もある。

アメリカは飛行機代が安い国で、
ここからマイアミまでも安ければ1万5千円ぐらい。
2枚の航空券を買ったとしても5万円はかからない。

そんなわけで要は金次第。

計算待ちの時間が続く。



「OK。出来たぜ」

自信ありげに兄ちゃんが僕に告げる。

ルートは間違いない、あとはいくらかかるかだ。そう聞くと、


「合計すると、200ドル前後ってとこかな。変更手数料込みで」


おーし!キタ!
こうと決まればさっそく変更の手続きに入ろうではないか。

「OK。ノープロブレム!プリーズ、チェンジ イット!」

そう言って彼に手続きを進めてもらう。


「OK!OK。・・・But・・・」



But?おい何だよ「でもね」って。


「What?」


「But、、、、エブリ ジャマイカ トゥ NY’s シート イズ フル」


へー。そーなんだー。そりゃ大変だー。

じゃねー!意味無いじゃんかそれじゃ!

マジで?マジで満席なの?
と、ちょっとぼーっとしてた頭を起こしなおして彼に尋ねる。


「うん。今日から9月まで全部フル。あ、9月4日だけ空いてるけどさ」


意味ねーよ、そりゃやっぱ。
チケットの有効期限日は9月4日。
ニューヨークからダイレクトで日本に帰れば帰れなくも無いが、
この旅の最終地点をニューヨクに決めた今、
いまさらニューヨークを外すなんてありえない。

となると残る手は・・・キャンセル待ち。

当然のことながらインド、デリーの恐怖が思い出される。
あの辛かったデリーでの2週間。
しかも今回は帰国が出来るか出来ないかの瀬戸際なのだ。
3週間しかない時間をもんもんと過ごすのは確実に避けたい。


「おー、、、おーけー。」


それでも変えますか?の彼の言葉に、
ちょっとやっぱり待って、と伝えとりあえず他のフライトを確保してもらう。

キャンセルが出たら即予約を入れといて!と伝え、
どうやら彼らの方でも確認しなくてはならないことがあるそうなので、
ともかく彼らの確認が終わり次第メールをもらうことにしてオフィスを去った。


うーむ。。。世界はまたしてもこの俺を阻むか。

と冗談交じりにつぶやいて街へと歩き始めた。

最悪はジャマイカを諦めなくてはならない。
しかし、なかなか行く機会のないジャマイカ。
それに未知過ぎるほど未知な国、ジャマイカ。
危険度NO.1の国に少々の不安はあるが、どうにか行ってみたい。

まーどうにかなるべ。

といつも通り考えても仕方ないことを考えるのをやめた。
駄目な時は素直に違う道を探せばいい。
世界中、どーにか道はつながっているものなのだから。



時間も余ったのでソカロと呼ばれる中心地を訪れ市内観光をちらりと済ませ、
屋台のタコスをぺろりと頬張る。

んーメキシコ、すべらんなぁ。

中東のシュワルマのようにぐるぐると回る肉の塊を、
細かく切ってトルティーヤで包んだだけのタコス。
こいつがまたやたらと美味い。

歴史地区の雰囲気も生活観があっていい感じ。
やっぱり僕はこの街が大好きだ。


宿に戻り買ってきた1リットル入りのテキーラの封を開ける。
日本でも見かけるメジャーなブランドだがメキシコで飲む味はいかがなものか。

冷凍庫で冷やしたぬるりとした琥珀色の液体をごくりとのどに滑らせる。


やっぱ、、、メキシコ最高!!!!


ほろ酔い加減の夜。いつの間にかビンの中の半分はメキシコの空気へと入れ替わっていた。


もう一度言おうかな。



Viva!MEXICO!

2009年8月9日日曜日

世界一周(52)メキシコ/A greatfull museum







































DATE:2009/08/09 Mexico - Mexico City -


朝靄の中に現れたのは超ビッグシティ、メキシコシティ。

今までの中米の首都のイメージを吹き飛ばす紛れもない大都市が、
早朝、車もまだまばらな道にぼんやりと高層ビルの群れが霞んで見えた。


いいね、いいね。大都市。

正直、中米の小さな都市に飽きてきた頃でもあり、
大都市が持つ、夜遊び、美味しいレストランなんかの心地よい想像が、
一気に頭の中をめぐり、まだ眠たいはずの頭はすっきりと起動を始めたのであった。


バスターミナルから地下鉄を使って宿に向かう。
地下鉄を使うなんてのもなんだか久々。なんでもない移動手段もまた楽しみになる。
朝8時にもかかわらずそれほど込んでいない車内。
ケセラセラのメキシコ人に満員電車なんてないのかもしれない。

宿にたどり着いてから荷物を降ろすと、
早速観光に出かけることにした。

メキシコシティで真っ先にやらなくてはならないのは、
世界一周券のフライトプランの変更だったが、残念ながら今日は日曜日。
混んではいるがメキシコシティに着いたら真っ先に行きたいと思っていた、
国立人類学博物館に行くことに決めた。



国立人類学博物館。


メキシコを訪れる殆どの人はまずメキシコシティから入り、
その後に各地に向かっていくのが普通。
カンクンなどのリゾートを楽しむために来る人を除き、
国際空港などの利便性から自ずとそうなる。

そして多くの人が最も最初に訪れるのがこの博物館だ。

なにせこの博物館にはマヤ文明を始め、
近代のアステカ文明やテオティワカンや現代の民族文化に至るまで
メキシコにおける全ての人類の歴史が保存されているのだ。

今まで訪れたパレンケやチチェンイツァなど
殆どの遺跡で発掘されたものがここに集まっている。

実際のピラミッドはさすがに現地に行かなくては見られないが、
遺跡の中の装飾品や壁画、その他もろもろの出土品はほぼ全てここにあると言っても良く、
各地に散らばる遺跡の神殿からより集められたそれらは
それだけとってみれば現地の博物館よりも所蔵品の量、質共に豊かだと言える。

皆が最初に訪れる博物館。
通常はここでマヤ遺跡やアステカ文明の知識を得てから現地を目指すのだろうが、
実際に見てきてからここを訪れるのもまた面白いことかもしれない。

パレンケで見た宮殿や神殿の壁画が何を示すのか、
チチェンイツァの遺跡に置かれた像がどんな意味を持つのか。
知らなかった事実が今日また新しく目の前に現れる。

それは事前知識を持ってそれを確認しに行く旅に比べれば、
少しばかり幸運なことのようにも思えた。
もちろん見逃してしまった事実もあるのだろうが。


さて、この博物館は広大な森の中に建てられている。

人口1000万人近いこの大きな都市でこれほどの森があることに驚く。
そしてそれがまた美しくもあるのだ。
整備された木々はまっすぐに伸びた遊歩道に葉の影を落としている。
そんな中、暖かい日差しと冷やりとする影を交互に浴びながら歩くのはとても楽しい。

都心の中の公園は僕の大好きなもののひとつだ。

見上げれば高層ビルが立ち並ぶそんな人工的な空間の中、
異次元のように存在している緑の中のベンチ。
そのギャップがたまらなく好きだった。


10分ほど森の中を散歩し博物館にたどり着いた頃には、
すっかりこの街が好きになっていた。

ひと目見ただけでかなりの規模だとわかる博物館に足を踏み入れる。
数えることも出来そうに無い展示品の数々の中を森を散歩するように歩き出した。







閉館の音楽が鳴り響き、博物館の中にアナウンスが響き渡る。

博物館でほぼ開館から閉館までいてしまったのはいつ以来だろう。
その半分しか見ることが出来なかったイギリスの大英博物館。
2日をかけてさえ全てを見て回ることの出来なかったフランスのルーブル。

そんな事を思い出させるほどこの博物館の規模は大きく、
展示品もすばらしかった。

驚いたのは展示方法の素晴らしさで、
人を歴史の世界へとひきつける工夫が随所に凝らしてある。

有名な太陽のカレンダーを始めとする多くの発掘物。
アステカ、オアハカ、マヤと歴史を追うようにそれぞれに分けられた展示方法は、
その時代の特徴や文化をよりわかりやすく教えてくれる。


その中でも面白かったのはやはり馴染みのあるマヤの文明と、
スペインがメキシコを侵略する直前まで栄えたアステカ文明だった。

マヤの展示品の数々を見ると今まで訪れた遺跡に関するものがいくつもあり、
例えばパレンケの神殿に描かれていたという壁画の原物は、
色鮮やかな状態でその当時の文化を僕が見た景色と重ねながら思うことが出来る。

また、チャック・モールと呼ばれる神はマヤの信仰の中で
かなり重要な位置を占めているのだそうだが、
それが別の時代の、例えばテオティワカンの展示の中にも紛れていたりして、
その相互の影響や関連なども感じ取れたりもする。

しかし最も印象に残ったのはやはり最大の見所である、
パレンケ王の墓だった。

パレンケの神殿の中から見つかったと言われる、
王の墓は発掘当時の状態を再現したまま復元されたもの。
翡翠の仮面や装飾品を体中に身にまとった王の姿は、
ガラスケースの奥に寝そべったまま、当時の繁栄を伝えてくれる。


そしてもう一つのアステカ文明。
マヤとは異なりほんの数百年前に栄えた文明。
その文明の中心地であったのは現在のメキシコシティだ。

メキシコシティは当時湖に浮かぶテノチティトランと名の都市だった。

現在はその湖は跡形も無い。
そしてそこにあったアステカ文明を証明す建物もみな。

全ては侵略者であったスペイン人によって破壊され、
湖はその破壊された建物を使って埋め立てられ、
現在のメキシコシティの姿へと変わったのだと言う。

博物館に展示されたテノチティトランの街の復元模型は、
その街の美しさと繁栄を空しさと共に蘇らせている。

毎日のように行われた生け贄の儀式。
マヤと同様に持つことが無かった鉄の文化、代償に得たユニークな土の文化。

その素晴らしさは尽く滅ぼしていったスペイン人に怒りすら覚えるほどだ。
スペイン人の残虐な侵略の歴史はここだけではなく、
中米、南米に限りなく広がっていたが、失ったものを目の前にすると、
やはりそれは歴史の中の愚行でしかなかったように思える。
その歴史の上になりたったこの大都市も気に入ってはいるので複雑な気分になった。


1階と2階に別れているとはつゆとも知らず、
1階の過去の歴史を追うだけで閉館30分前になってしまった後、
2階の展示物の存在に気づき、
現在のメキシコの民族を扱ったなかなか面白い展示を
ほとんど駆けるように見て回ることしかできなかったのが残念だ。

それでも十分な満足感がある。

またいつか訪れた時、きっと新しい発見がある。
なんだかそんな確信を抱かせてくれる素敵な博物館だった。